第2話 ハート公爵領の騎士様
「こんちわー。リアちゃん、いる?」
ひょいとドアから現れた端正な顔にリアはドキリとする。決して、容姿端麗なその姿に見惚れたわけではない。あくまで驚いただけである。
「ジャックさん、いらっしゃいませ。今日はどんなお花をご用意しますか?」
にこにこ微笑む目の前の美しい青年に一瞬、胸が高鳴ってしまったことを気づかれないよう、リアはお仕事モードで対応する。
そんなリアの心を読んだかのように目を細めたアッシュは、赤髪をさらりと靡かせる男の深い赤色をした瞳を睨みつけた。
「お前……敵対する領地の店にわざわざ買いに来るなよ」
「いいじゃん。エルダー園芸店の花って、品質が良くて長持ちするんだよな。それに――リアちゃんがこの花屋に来てから、花の感じが変わったっていうか……」
ふにゃりと眉尻を下げ、リアに向かって、片目をパチリと瞑る。
リアは目を瞬かせた。
ここはアッシュの実家、エルダー園芸店の一角にある花の販売店舗だ。リアは今、この店舗に住み込みで働いている。いわば、雇われ店長のようなものだ。
店舗は一軒家のようになっており、奥には個室とキッチン、シャワーなどの設備もある。生活するには充分だ。現世で一人暮らしは初めてだが、前世での経験が役立っている。自炊もできれば、掃除や洗濯だってできる。
ただ、アッシュにはものすごく心配されている。彼の中でリアは、お嬢様以外の何者でもなかったからだ。そのため、しきりに同居したがっている。
当のアッシュは、今しがた恋敵認定したジャックに、ジトリとした視線を向けていた。
「
「またっていうなよぉ。商業ギルドの受付に新しく入ったアイリスちゃん! あのコが今度こそ僕の
ぎゅっと握った拳と、引き結んだ口元が真剣さを物語っている――が、言い方が何とも妙である。
「
つい疑問を口にすると、ジャックはリアを見て、ダークレッドの瞳を見開いた。
そして、ゆっくりと近づくと、流れるように手をとる。
「それとも、リアちゃんが僕の
「――違うっ!! 離れろ、この変態騎士!」
ジャックが言い終える前にアッシュが続きを遮ると、グイッと彼の手を掴み、捻り上げた。
「痛いって……! ねぇ、アッシュ。君、ウチの隊に入らない? 僕に張り合えるの、君くらいなんだよね。だから大歓迎だよ!」
「お断りだよ。誰が好んでハートの領地なんて行くもんか」
「でも……ハートの公爵様は『来る者、拒まず』だから大丈夫だよ? リアちゃんもアーネスト領地に居づらいならウチの公爵領においで。商業ギルド、紹介するよ! そしたら、僕が買いに行きやすいし、売上も上がって……って、僕、今とてもいい提案したんじゃない?」
ハートの公爵様――ハートラブル公爵家は、このエルレスト王国の四大公爵のひとつで王都の東側を治めている。
アーネスト侯爵家は王都の西側を治めているダイヤモント公爵家の派閥に属している。
確かにジャックのいう通り、実家の領地の一角にいつまでもいるわけにもいかない。追放された身なのだから。ある程度、生活基盤ができたら、リアはここを離れるつもりでいた。
アッシュからの同居に応えられないのも、これが理由である。
「そういえば、ジャックさんって、騎士様なの?」
この店に来てから、まるで幼なじみのようなやり取りを何度も見ていた。とても親しい間柄なのだと思っていたのだが、まさか対立する領地の護衛騎士だったなんて。
(一体、どういう経緯で仲良くなったのかな?)
リアが首を捻っていると、ジャックは爽やかに笑いながら唇に人差し指をつけた。
「表向きはギルド職員ってことになってるの。いろいろ揉め事とかもあるから」
「なるほど……」
(――それでいつも私服なのね)
今日もラフな服装だ。それでも、高貴さがにじみ出ている。
(そういえば、アッシュもどこか平民っぽくはないわね……それに――このエルダー園芸店って……)
一平民にしては任されている土地が広い。確かに少し領地の中心部からは外れているのだが、王都にも近い。そして、『エルダー』というのは――
「ジャックさんは爵位をお持ちなのですか?」
「僕は爵位を持ってないよ。姓もないし。……どうして?」
「そうですか――いえ、何だか仕草などがとても高貴に見えたので」
「ハハッ。嬉しいね。普段、高貴な方のお相手をしているから、かな?」
「ハートラブル公爵様のことです?」
「それもあるけど、ギルドでも貴族様のお相手をするからね」
なるほど、とリアが頷くと、ジャックも同じようにコクコクと首を縦に振った。
隣に視線を移すと、明らかに機嫌を損ねた人物の顔が飛び込んでくる。
リアは慌てて、本題に戻した。
「ああ、そうでした! お花はどのようなものをご希望ですか?」
ふむ、と考えるように顎に手をかけたジャックに質問する。
「送りたい方の、最近のご様子は?」
「え? それは……どういう?」
「えっと。元気がないとか、溜め息が多いとか……あとは送りたい理由などがあると選びやすいです」
「送りたい、理由……。そうか。最近、少し元気がないみたいなんだ。だから、花を眺めて、いつもの明るいアイリスちゃんに戻ればって」
「分かりました。選定してみますね」
黄色やオレンジのビタミンカラーに彼の色、赤を入れて、花束を作る。
「はい、どうぞ。
リアは目を閉じ、花束にキュッと想いを込める。
ジャックは嬉しそうに目を細めて花束を受け取ると、その香りを堪能するかのように大きく息を吸い込んだ。
「うん。いいね! ――やっぱり、ハート領で店、出さない?」
「ありがとうございます。考えておきますね」
「ちょっ、ちょっと……リア!!」
笑いながらジャックに返事をすると、アッシュが慌てふためく。
「アッシュも一緒にくればいい」
慌てたアッシュにジャックは真面目な顔をして、そう言った。
一瞬、ジャックの纏う空気が変わったように思えて、二人ともピタリと止まる。――が、それも気のせいだったかのようにふわりと笑顔が舞う。
「きっと、今よりもっと常連になるからね」
ジャックは代金の支払いが終わると、満足そうな顔をし、「またね」と手を振って出ていった。
「諦めないよ、僕は。――二人とも、絶対にね」
店を出たジャックの呟きは、閉まったドアの向こう側には聞こえず、澄んだ青空に彼方に吸い込まれていった。
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