レンジャーの使命
I.
「――遅かったな」
陽が暮れかけ、昼から本降りになった冷たい雨がフロアの窓ガラスを叩く。
カウンターの内側に立ち、疎らな客たちの会話を背に戸棚の整理を進めていたレイモンドは、ドアの開く音とそれに続いたわかりやすい足音へ言葉を掛けた。
「……ごめん、レイじいちゃん。すぐ支度するから」
返る気落ちした声はやはり予想した通りの持ち主で、歩幅の小さいスニーカーがカウンターを通ってキッチンへ抜けて行く。
「ピピポパ」
「ああ。そうだな。相当、堪えとる」
カウンターの端、客の注文を届けて戻った給仕用の一輪ロボット――R10《アールテン》の電子音にレイモンドは背中越しに頷く。
そうしてリエリーの登場に合わせたように、しんと静まった店内へレイモンドは思わず、深く皺の刻まれた眉根をさらに寄せていた。ついでに首だけ回し、店内の片隅、いつもの席に陣取っているいつもの客の面々へと、窪んだ眼光の鋭いを突き立てる。
「ごふっ……。よお、レンジャーキッド! 今日も店の手伝いか! エラいぞ」
「若いのに感心だよ。まったく、こういうときくらい、休ませてやらんかねー。これだから頑固ジジイは」
「爺さんの腹ん中にゃ、時計が埋まってるんだろうさ。メカニックだった頃のな。チクタクチクタク……」
出来上がった連中と、出来上がりかけている連中が店のオーナーをダシにこぞって騒ぎ立てる。
普段のレイモンドなら、長年連れ添った防犯用の猟銃を片手に全員を店から追い出すところだが、今は片目を瞑っておいてやる。
みな、半世紀近い付き合いの、店主と客の間柄を越えた腐れ縁だ。酒癖はともかく、誰も彼も根は正直者ばかりの善人。だから、とっさに気のきいた冗談の一つも出てこない。
そう大きくもないこの街で、日々起こった出来事を伏せておくのは難しい。つまり、大抵のことは街の住民なら誰の耳にも入っている。
余所からやってきた連中のことも、街を永遠に去って行った人間のことも。
「ああ。
バンッ、と通用口を強く閉める音が店内に響き、騒がしい客たちの口が閉じられる。エプロンに着替えたリエリーが荒々しく流しで手を洗い、カウンターを拭き始めた。
「はぁー……。やれやれ」
年季の入ったため息をこぼし、レイモンドが作業の手を止める。脚立を下り、なおも騒がしい客たちへ、今度は『黙れ』の視線を送りつけた。
歯を嚙みしめているような表情のリエリーを見、レイモンドが棚の銀のケトルへ手を伸ばす。
こういうときのリエリーは、自分自身で頭の整理ができていない。下手な言葉を掛けるより、時間をやるほうが良いことをレイモンドは知っている。
知っているのはそれだけではない。
リエリーがなぜ、感情の整理が付いていないのか、おおよその事情は小耳に挟んでいた。
「……ほれ」
コーヒーカップになみなみと注いだのは、温めた
「アタシがやるよ」
言い切ったリエリーがレイモンドを追い越し、そそくさと脚立を昇ると、ガチャガチャと危なっかしい音を立てながら作業をやり始める。
「そっちはワシがやる。おまえは、キッチンで仕込みの準備をやっとくれ――」
「――あ」
案の定、棚の端に置かれたボトルに手が当たり、店内の照明を反射して落下する。ボトルは盛大な音と共に砕け散り、再び店内を静寂が包んだ。
「ごめん! アタシが片付けるから……」
「ジョイナー。ここはいいからキッチンに行って、仕入れた食材のチェックをしてこい」
ボトルの破片に触れようとした細い腕を引き留め、レイモンドは唸るような声で制する。無痛症のリエリーに鋭利な物を触らせる訳にはいかない。
レイモンドはローズウッドの床に散らばった琥珀色のボトルの破片の一つに触れると、入れ歯ひとつない口で行使の言葉を紡いだ。
「……〈
ユニーカ行使によるヒリヒリした感覚が指先を伝い、その効果として無数の破片がつなぎ合わされていく。数秒後には、完全な形状を取り戻したボトルがレイモンドの手に握られていた。
「じいちゃん、ユニーカ……」
「老いぼれが今さら使ったところで、そう変わらんわ。ま、酒は戻らんが」
内心、店で1・2を競う高価なウィスキーを台無しにされ、舌打ちしたい気には駆られていた。
その気を長い人生で培った忍耐力で堪え、レイモンドはモップを手に取る。そうして「アール。ここの掃除と店番を頼む」と指示を伝え、「ポパ」と返った電子音に「飲んだくれのオーダーは無視していい」と付け足した。
カウンターへ回り込んできたR10にモップを預け、レイモンドは顔を伏せているリエリーへ声を掛ける。
「付き合え、ジョイナー」
返事を待たず、背後についてきている足音を狼耳に捉えながら、レイモンドは通用口をくぐった。
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