V.

「――バルガリ・シーカインだ」


 まもなく到着した〈ハレーラ〉から飛び降りてきたマロカを前に、灰色のコートの背へ後ろ手に回した鉄皮面の女――バルガリが淡々とそう名乗る。

 刈りあげた坊主頭ジャーヘッドを白皙に染め、マロカの巨躯を見上げる紫紺の瞳は小揺ぎもしない。頬から首元に掛けて4本の引っかき傷が白く浮かび上がり、長身の体は無駄がなくスレンダーでありながら、どことなく大型ネコ科肉食獣を思わす隙のなさをまとっていた。

 なめし革のような皮膚からは重ねた月日と、大人の色香を感じさせていた。


黒狼救済機関ウィスブで上級分析官を務めている。諸用でこの街に滞在することになった。短い間だが、世話になる。チーム〈チョコレートライトニング〉リーダー、レンジャー・マロカ・セオーク」

「まずは隊員を解放してもらおうか、分析官オフィサー


 差し出されたバルガリの手を一顧だにせず、組み伏せられたリエリーを見やったマロカが低い声で要求する。

 その声には何ら感情がなく、丁寧ですらあったが、言葉の裏に隠された激しい怒りをリエリーは敏感に感じ取っていた。それはマロカが滅多に見せることのない激情で、思わずリエリーは狼耳を伏せていた。

 押さえつけている黒スーツも同様の恐怖を感じたのか、手から強張りが伝わってくる。〈シルバー・バレット〉を携えている彼らのほうが圧倒的に優勢のはずだが、その銃器を一瞥すらしないマロカの威圧感は容易にこの場を圧倒していた。


『アンタ! さっさとエリーちゃんを離しなさいよっ!』


 空中に浮遊しつつ、筐体のピクセルを烈火に染めたルヴリエイトが4本あるマニピュレータ全てを振りかざして人工音声を振り撒く。

 マロカの手が制していなければ、とっくに黒スーツへ掴み掛かっていたに違いない剣幕だ。


「そうだった。これは失礼」


 マロカの威圧に動じる素振りもなく、スーツ姿へバルガリが目をやる。即座に押さえつけられた力が消え失せ、リエリーは転がるように立ち上がった。


「怪我はないか、リエリー」

「こいつら、インピュアスを殺したんだッ!」


 飛びかかろうとするリエリーを豪腕で引き留め、マロカは「ルヴリエイトと負傷者の搬送をしてくれ」と静かに指示を下す。


「けど――」

「――任せたぞ。いいな?」


 信頼の言葉に強く念押しされ、リエリーは少しだけ理性を取り戻す。

 見回すと、既にルヴリエイトは店内へ入っていて、リエリーの投げ出した手当ての続きをしている姿が目に入った。職務を忘れた自分と、への怒りで目の前がふらついた。


「……担架とってくる」


 乱暴に頭を振ってネガティブなそれらを振り払い、リエリーはマロカの指示に従った。これ以上、命を失わせる訳にはいかなかった。


「負傷者を救助艇で搬送する。異論はないな? 分析官」

「そうしてくれ。遺体はこちらで回収する。私は基地で待たせてもらうよ。話はまたそこで」


 片手を上げ、帰投のハンドサインをかざしたバルガリ。黒スーツたちがテキパキと従うさまを横目に見ながら、マロカは〈ハレーラ〉のサイドハッチに乗り込んだ。


「……出してくれ、ルヴリエイト」


 コンテナに似た長細いクロムメッキの機体が、弱々しい日光をその表面に反射させてエンジンの唸りと共に上昇していく。

 いつしか空には厚い雲が垂れ込め、ポツポツと落ち始めた雨粒が赤黒いアスファルトを濡らしていった。

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