知の攻撃性

@numazawa0903

2022.12.20.りう(boku)

より多くの大衆が言論を発信し、ロジックを学んでいく近年。


「そういう意見もあるよね」では済まされず、扇動・分断・孤立が容易に巻き起こり、常に攻撃的な知が猛威を振るうこんにち、私たちは知性のあり方を見直す必要に迫られている。今回は攻撃的な知について考えてみようと思う。




言論の攻撃性は、単に論者の性格もしくはデリカシーの問題だと締めくくる人もいるかもしれない。

しかし、(とりわけ匿名性の高い)言論空間において戦闘的な言論を展開する者が必ずしも実生活において尖った人間かというとそんなことはないし、言い方ひとつで攻撃性は緩和できるといっても、論自体の主眼が批判だったりする場合にはそれも限界があろう。もっと構造的・性質的に知へのアプローチのあり方を見ていく必要がある。




あなたは、論の誤りを指摘されたとき、同時に論者たる自分の知性そのものを貶められたと感じることがあるだろう(あくまで論が否定されたに過ぎないのに)。


また、難解な文章やロジックや数式を前に己の無知を痛感し、「知に拒絶されている」かのように感じた体験はないだろうか(実際はあなたが知を拒絶しただけなのに)。


これらの誤解が修正されず積み重なると、知というものを、無知に対し閉ざされた冷酷で非情なものとして感じるようになり、知を無知に対する武器として認識する人もあらわれるようになる。


ただ、こうした誤解は発生する方が自然である。主張とは結論であり、それ単体でその主張にそぐわない他の主張を同時に否定する意味を、多少なりとも必ず生ずるものである。またあらゆる思想体系は基礎的な教養を基に階層状に構築され、より基礎的な教養を知らぬ者ないしは軽視した者による、段階を飛ばした思索を阻む構造になっている。


また対話においては指摘が重要な要素である。とりわけ哲学的対話においては問答法(ディアレクティケ)的な文脈における無知や矛盾の指摘、ソクラテスの行ったエレンコス的な取り組みにおける対立軸を持った討論による研鑽というのは真理への有効な到達手段と見做されてきた。背理法(帰謬法)を例とする様々な定石がこうした問答を通じた修辞学から生み出され、理数を含め多岐の分野に応用されていったことは紛れもない事実である。プラトンがこれを弁証術として弁論術(レートリケ)すなわちレトリックと区別した(ここでは弁証法をヘーゲルの弁証法的論理学のことだと限定する見方はしない)ように、本来問答の目指すところは単なる説得や口論と違ってあくまで真理の「探求」であり、討論の場ではいかに威丈高に相手を批判・指摘しようと、論者達は真理という共通目的のための協力関係にあるとすら言えた。




しかしである。いまや私たちの「世界に開かれた」言論空間における言論は、常に聴衆の直感的な評価を意識したものになり、特定の揺るぎない結論のもと、扇動や説得のための恣意的なレトリックに傾倒している。ときに対立しながら「ともに探求」するための弁論は廃れ、ただ「認めさせる」ためだけの弁論があふれている。


そこには問答を通した知の向上をプラトンが産婆術(マイエウティケ)と称したような精神はもはや微塵も感じられず、生まれたての赤子を抱くような発見や研鑽への愛しく希望的な眼差しは一切存在しない。


こうした土壌において知が攻撃性を帯びるのは必然である。




しかしそんな「攻撃的な知者」ともいうべき者達が跋扈する中で、細々と探求にふける「穏和な知者」ともいうべき人達もひそやかに存在している(ここでは知を追求する全ての人に敬意を払い、まとめて「知者」と仮に呼称する)。


なお、戦闘的な知者⇆穏和な知者 というのは極端な二項対立ではなく、あくまでゆるやかに分布する傾向の一例であり、例外も共通項もあろうことをあらかじめ付記しておく。また両者の優劣を問うものでもない。


(美醜を問うことにはなるだろう)




両者が形成される「過程」について、人生の流れを遡って考えてみる。


穏和な知者にありがちな「まず探求があり、その過程で自然に論理性を会得してきた人」と、戦闘的な知者にありがちな「後から学習によって体系的な論理を取り入れ、それを使いたい人」との間には、当初から根深い断絶が存在する。

前者は、アリはなぜ列をなすのか、先生はなぜ僕を怒るのか、愛とは何か、人はなぜ生きるのかといった疑問「なぜ」がスタートなのに対し、

後者は、この本は素晴らしい、神など存在しない、政権を打倒すべき、出産は間違っている、など主張がまずあり、その根拠「なぜならば」の強化がスタートであることが多い。

もちろん、動機が探求であれ主張であれ、辻褄を合わせていく過程でより真理へと近づいていくことはあるだろう。しかしそれは「否定されずらい」という意味においての正しさにすぎず、必然性や可能性よりは蓋然性というべきものである。




過程の次は性質について考えてみよう。


これは得手不得手の問題でもある。


フロイトの防衛機制や「狐と葡萄」の童話(厳密には不得手ではなく不可能だが)を挙げるまでもなく、人は自分の不得手を正当化するよう結論する。


例えばある過誤に対して、戦闘的な知者はその原因を能力的な「優劣」にとらえ、「不勉強」と結論しがちだが、これは知識の暗記やテクニックの習得といった単純明快な「勉強」のほうを比較的得意とするからである。


一方、穏和な知者は過誤の原因をその人の傾向や特徴といった「性質」ないしは経緯や環境といった「構造」に求め、より根本的な方針の見直しをはかることが多い。これは道なき複雑な思索や分析を好む一方、地道な勉強を比較的苦手とするからである。




ゆえに戦闘的な知者は穏和な知者を「怠け者」「奔放な詩人」のように感じ、穏和な知者は戦闘的な知者を「下品」「キザ」といった具合に感じるのである。


こうした美的価値観に着目すると、戦闘的な知者は「結果」「単一の真実」「無機質な知」などといった要素を好み、「かっこいい」を中心とした美を形成する向きがある。10代においてはニヒリズムが、20代においてはプラグマティズムがこの極地だと信じるあの病、といえばピンとくるだろう。


一方穏和な知者は、「抽象」「多様性」「複数の真実」「豊かさ」といった要素を好み、「おもしろい」を中心とした美を形成する向きがある。

彼らは芸術を好み、それが高じて音楽や絵画等のノンバーバルな分野へ行ったきり、言論を手放してしまう例も珍しくない。




少し寄り道するが、学問と芸術について考えてみよう。




「学」すなわち学問とは、集合知である。


社会、共同体がなければ成立しない。そこには今を生きる知者達との対話があり、あるいは読書や執筆による過去や未来の知者達とのアーカイブを通じた交流がある(未来における読書や執筆が何に当たるかはわからない)。これは文明に利益を与え、また人々の評価によって成り立っている。時代のアカデミアが一流と認めた現在もしくは過去の知者には地位と名誉が与えられ、文明のアーカイブに克明に記録される。そこにはプライドを賭けた熾烈な競争があり、妬み嫉みが常に渦巻いている。また派閥や闘争や支配の熱源ともなる。


「楽」すなわち芸術とは、個人と世界との語らいである。一人でアリを観察し思索しスケッチするとき、人は自由であり、アカデミアや大衆の評価を気にすることはない。有益な発見や結論も、必ずしも必要ない。

それを見聴きした人が1人でも共感あるいは魅了されたとき、芸術は成立する。もちろん芸術もアーカイブに記録されるし、大衆の評価に左右される。学問的に追求するアカデミアもあれば、その中での競争も存在する。しかし芸術家の動機がそこにあるわけではない点において、紛れもなく前者とは異なる文脈の代物である。また目的ではなく行為そのものに意義がある点も特徴である。




こうして見ていくと、戦闘的な知者は学問に、穏和な知者は芸術に向いている気がしないでもない。もちろん穏和な知者も哲学に傾倒したりするが、結論を出すという目的のための思索というよりは、謎が謎を呼ぶ思索そのものが目的化した「哲楽」ともいうべきものになろう。そこからは限りなく秀逸な「問い」が生まれるだけで「結論」が生まれることは少ない。きっぱりとした「結論」より気の利いた「問い」の方が「おもしろい」というのが彼らの価値観なのであるが、攻撃的な知者はそんな姿勢を不真面目で無責任だと見放しがちである。




しかし学問の発端となった いにしえの思索のあり方とはおそらく「楽」のほうに近いものだったと考えられる。

科学のような、思索や探求が物理的な文明の発達に直結する学問が生まれる遥か前、文明を支えるイノベーションは主に職人の仕事であった。その時代の知者は比較的富裕層に多く、物質的豊かさが前提の暇潰しを端緒として前述の「哲楽」的な思索をはじめる傾向にあったと思われる。科学的なひらめきもそうした営みから自然発生するものであって、ダヴィンチのように芸術家が発明家を兼ねる例が多いのも、ギリシア哲学をはじめ西洋哲学が現代科学のゆりかごとなったのも、この辺の土壌を思えばしっくりくる。




こうして「考え方を考える」優雅な暇つぶしに始まった「哲学」は、やがてその副産物を切り売りするようになる。哲学的問答の中で得られた「話し方」が修辞学、弁論術として大衆に紹介され、「あらわし方」が詩歌といった芸術に反映され、「自然法則の解明」が自然科学、理学としてととのえられていく….(いささか雑な解釈ではあるが)


ここで話を戻すが、近年ふたたび人々に買われている弁論術はかつての分派時の役割通り、扇動や批判や弁護といった世俗的な目的にばかり使用されているが、その極地とも言えるのが10~20代に蔓延する「レスバ」文化圏である。彼らは「論破」を目的とし、相手の回答を封じる、もしくは苦しいものになるよう誘導することで己の論の正しさとする。

これはただ溜飲を下げるための喧嘩力学にすぎない。秩序立てて競技にする試みなどもあるが、その目的はあくまでトレーニングにすぎず、真理の探究ではない。

しかしトレーニングだとしても疑問が残る。考えてみてほしい。現代の一般的な人々の実生活において、議論の必要性が生じる場面は主に「相談」「意見交換」「説得」である。相談としての議論では解決策を練ればよく、批判は必要ない。意見交換では有益な情報提供がなされればよく、これまた批判は必要ない。説得ではそもそもロジック一本ではなく、心情や利害に訴えるのが定石である。


論破などする必要は、実生活のどこにもないのである。




強いてあるとすれば、それは社会運動や政治闘争である。公の場で政敵を説き伏せるというパフォーマンスによって相手派閥のメンツを失わせ、中立的な聴衆の支持を得るという一種のショーである。


しかしこれは活動家が身につければ良いのであって、そうでない人々までもがこうした体質を持つようになってしまったのはなぜか。


一因は、主にSNSの登場により「個人間の対話」すら「公のパフォーマンス」の一種と化してしまったからである。


これまで主に識者によるアカデミアが集積し編纂してきたアーカイブが、市民がみずから作り評価し消費する「コンテンツ」になったからである。


これはアカデミアという選ばれし者達による集合知に対する、大衆の集合知による反エリート的な叛逆を意味する。しかし大衆が論理的思索の頂点に君臨するアカデミアと張り合うのは容易ではない。そこで市民達もそれに対抗できる論理性を安価に得ようとする。さながらパリの民衆がバスティーユの武器庫を襲い、正規軍に対抗するための銃や大砲を求めたように。


しかしその力は、かならず同胞に向けられる。あらゆる市民革命が血みどろの内ゲバと恐怖政治を生んだように、人々は弁論という慣れない玩具を振り回し、互いを叩き合うことに余念がない。


いつの時代もそんなものかもしれないが、集合知の肥大化がそれを一層加速させたことは事実である。




しかし同時に絶望以外の面も見逃してはならない。集合知の肥大化が我々に安価に与えた浅知恵の恩恵は、穏和な知者たちにも等しく与えられる。


産婆術(マイエウティケ)的な建設的対話のあり方や、古代のものぐさ文化人達の優雅な暇つぶし精神、ありんこスケッチ少年のひたむきな探究心は、風前のともしびとなってもまだ消えてはいない。そして強力な論理的思考を手にした彼らの「哲楽」は止まることはない。




知に罪はなく、毒にも薬にもなりうるのだ。


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