第20話 危険な洞窟

「なんだって? まさか、本物にこの中に? 一枚目のメモには『本物の恋人同士が出逢い、時と共に必ず得られるもの』と書いてあった。

 しかし、もう洞窟の入り口は海水で埋まって入れないぞ。中も海水で一杯になってるんじゃないのか? なぜその前に戻って来てない」


 <――時と共に必ず得られると書かれていたんだろ? だからそこでずっと待っているんじゃないのか? 場所でも物でもないことを知らなければ……。時間が経ては何か見つけられるとでも思ったんじゃないか?


 それに、満潮になっても、海水はちょうど穴を塞ぐくらいの高さらしい。それなら中はまだ天井までは到達していない。もし中にいたとしても、美羽さんは天井に空気があるから大丈夫だと思う。いや、そうであってほしい。船が荒波で転覆さえしてなければだけどな……>


 裕星は真っ暗になった青の洞窟の前でザブンザブンと音を立ててうねっている波を目を凝らして見つめた。洞窟はすぐそこだが、なにせもう岩穴は海水で塞がれ、中に入る手段は無かった。雨は益々強くなり岩山に叩き付けている。



 ――このままだともっと水位が上がって、美羽は……。



 <裕星、聞こえるか? これからレスキューを呼ぶつもりだ。だからお前はそこで待っ……>


 そこまで聞くと、裕星はケータイを切り岸辺に放り投げた。そして上着を脱ぐと躊躇ためらうことなく海の中に飛びこんだのだった。


 ――このままレスキューが来るまで悠長ゆうちょうに待ってなんかいられない。刻一刻と水位が上がってきている。もし中に美羽がいるとしたら、この状況で無事でいる保証はない。




 真冬の夜の海は想像以上に冷たかった。漆黒しっこくの海の中はどっちが洞窟の方向かも見えない。

 裕星は大きい波に揺す振られながら洞窟の岩肌を目掛けて泳いだ。


 やっと岩肌に辿りつくと、凍える手で岩穴を探った。すると、足元が中に吸い込まれる感覚に陥った。

「ここだ」


 裕星は大きく息を吸い込んで、頭から暗い岩穴の中へと潜って行ったのだった。




 真っ暗で何も見えはしなかったが、穴はほんの数メートルの幅だったため、すぐに裕星は海面へと浮上できた。


 プハァ! 頭を上げて、周りを見回したが、真っ暗で何も見えない。

 光太の言った通り、洞窟内は全部海水で満たされていたわけではなかった。


 天井付近ほんの数メートルは空間があって十分息が出来た。

 その上、中は外の強風で荒れた海面とは違い穏やかな波だった。



 防水になっていないケータイは岸辺に置いたままだ。誰にも連絡は付けられない。朝になって潮が引くのを待つしかないのか……。


 そう思ったとたん。

「誰……」

 微かな声が聞こえてきた。


 するとまた、暗闇の洞窟の中から

「誰かいるの?」

 震えるような声が聞えた。

 ――美羽の声だ!




「美羽、俺だ!」


「裕くん! どうしてここに? 私、お昼前にここに来たんだけど、海の水で船が持ち上げられて出られなくなってしまって……朝までここで待つしかないと思っていたの」


 まだ美羽の姿は見えていなかった。暗闇の洞窟の中は外の嵐が嘘のように静まり返り、ただあの天使のような美しい声が響き渡っているだけだった。


「美羽、音を出してくれ。俺がそっちに向かって行くから」


 裕星に言われて、美羽は「何も持ってきてないの。ケータイもバスルームに置いてきてしまって……」


「それなら歌ってくれ。美羽の声を頼りにそっちに行く」


「分かった。歌うね。裕くん、気を付けてね」


 美羽は目を閉じて、スーと息を吸った。そして、声が反響して混乱しない程度の大きさで歌い始めた。

 讃美歌だった。


 ~かがやく夜空の 星の光よ

 まばたく数多(あまた)の 遠い世界よ

 ふけゆく秋の夜 すみわたる空

 のぞめば不思議な 星の世界よ


 きらめく光は 玉か黄金(こがね)か

 宇宙の広さを しみじみ思う

 やさしい光に まばたく星座

 のぞめば不思議な 星の世界よ~(※)


 美羽が修道院で歌っていた讃美歌なのだろう。寒さで震えてはいたが、澄んだ天使の声が洞窟内に響いた。


 裕星は最初その声に目を閉じて聞きほれていたが、ゆっくり声のする方へと波音を立てずに泳ぎ始めた。体が体温を失いかけ、思うように動かない。

 すると間もなく、美羽の声が大きくなってきた。息づかいも聞こえてきた。


 オールが波に揺られて船体に擦れるギイーカタン、ギーカタンという音が聞こえる。

 裕星が腕を伸ばすと、船の縁に手が触れた。


「裕くん!」

 美羽がその手を握った。

「美羽、ちょっと向こうの端に行っててくれ。俺が船に上ると転覆するから、向こうでバランスを取ってくれ」


 そう言うと、美羽はすぐに反対側に行って縁に掴まった。

 裕星は両腕に残っている力を全て入れて、船の上に上半身を乗せた。やはり船はグラリと裕星の側に傾いた。


 しかし、美羽が必死で反対側に体重を掛けていると、裕星は上半身を縁に上げ、足を掛けて船の上にドサリと乗っかることが出来た。


「やあ、美羽。どうした、こんなとこで洞窟観光か?」と裕星が笑うと、「裕くん!」

 美羽は裕星の胸にしがみついてきて、船がぐらぐらと大きく揺れた。


「おっと、待って、待って、ゆっくり動いて。この船小さいから、転覆しそうだ。美羽、ここに二人で横になっていよう。その方がバランスが取れていい」


「裕くん、私がここにいること、どうして分かったの?」


「ハハハ、美羽は単純だからな。美羽の思考回路を考えたら、こんなことだろうと思ったよ。

 それより、なんでこんな日にここに来た? まさか一人でボートを漕いで入ったのか?」


 二人はボートの上でゆっくり仰向けになりながら、美羽はびしょ濡れの上寒さで震えている裕星に自分のコートを脱いで一緒にかけ、裕星の腕の中で美羽は答えた。


「うん、実は、ここに来た時は誰もいなくて……でも、ダイバーの方たちがここから洞窟の方へ潜るのを見て、船着き場にあった船に乗って一人でここに入ったんだけど、ダイバーの方たちはすぐに海の方へ行ってしまって……何か私に言っていたみたいだけどイタリア語が全く分からなくて……。


 オチェアーノさんに頼まれた物が、ここに何かあるかもしれないと思って探していたら、いつの間にか時間が過ぎてしまって。

 気付いたらもう出口が水で塞がれて見えなくなっていたの 」と泣きそうな声で言った。


 裕星は自分の胸にしがみついている愛しい天使の声が聞けただけで、ホッとしていた。


「とにかく、見つかってよかった。こんなとこに朝まで一人でいるところだったな。それで? 何か見つかったか?」


「……何も無かった。でも、裕くんがきっと助けてくれると信じてたわ」


「――美羽。俺をそんなに信じてくれてたのか? 昼間俺とミケーラのあんな光景を見てもか?」


 美羽は昼間に見た、裕星とミケーラのキスのことを思い出して、キュッと肩をすくめて裕星の胸に顔を伏せた。


「――でも、裕くんのことだから、きっと大丈夫だって信じてた」



「美羽、お前は本当に俺の天使だよ。ありがとう、信じてくれて。俺もお前を信じてるよ。

 でも、誤解してると困るから言うけど、あの時、ミケーラが一方的に俺にキスをしてきただけだ。

 あの時ミケーラには、美羽の事を心から愛してる、これからもずっと愛するのは美羽だけだとハッキリ言ってやったんだよ」


「──? 裕くん、それ本当なの? あれは私の事だったの?」







(注釈※)

 賛美歌 星の世界(作詞:川路柳虹)より引用

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