第18話 本物の恋人たちが得られるもの
美羽は、こんな残酷な光景をまざまざと見せつけられて、今度こそあの夢が現実になってしまった恐怖で、居てもたってもいられず、よろよろと後ずさりした。
悲鳴を上げそうになるのを必死でこらえてその場を去り、ふらふらと走りに走ってやっと部屋に辿りつくと、ベッドの上に突っ伏して泣いた。
――あのキスは、あれはもう虫が留まったとかそんな言い訳や冗談じゃ済まされなかった。
裕くんの唇をミケーラの唇が完全に塞いでいた。――あれは本当のキスだった。
庭園のカフェテーブルの上で、ミケーラに不意にキスをされた裕星は、突発的な事態に驚いて身動き出来ずにいたが、ハッとしてミケーラを突き飛ばすと、椅子を勢いよく倒して跳び上がった。
「なにするんだ! 」
唇を手の甲で拭ってミケーラを睨んだ。
「――何って……挨拶のキスしただけでしょ。何をそんなに取り乱しているの?」
ミケーラは冷静に自分の椅子に戻って、裕星を見上げた。
「ふざけるな! 俺は日本人だ。挨拶でもキスなんかしない!」
「ただのキスじゃないわ! これは私の気持ちよ。あなたが好きなのよ!」
ミケーラは、立ちあがってまだ怒りに震えている裕星に叫んだ。
「どういう意味だ。俺はさっき言ったばかりだろ? お前が、『美羽をどれくらい好きなのか』と訊くから、俺は彼女を真剣に好きだと答えたばかりだ。俺が愛する女は美羽だけだと。
今このときだって、これからも、俺はずっと美羽以外愛することはない。その気持ちは一生変わらないと言っただろ!」裕星は唇を結んでミケーラを睨んだ。
「――分かったわよ。もう静かにして。ほら座ったらどう? 皆こっちを見てるわよ」
ミケーラに言われて、裕星は周りを見回すと、近くのテーブルにいた客たちが一斉に裕星たちに注目しているのが見えた。
裕星が目を閉じて怒りを吐き出すようにフンと鼻を鳴らし、ガタンと椅子起こして座った。
「オチェアーノから連絡が入ったと言うからわざわざ付いてきたのに、何なんだ! こういうバカバカしい事をするために俺は来たわけじゃない!」
激高する裕星を横目にミケーラはまた話を戻した。
「――悪かったわね。あなたと二人きりで話したかったのよ。それに、美羽さんの方はどうなのかしら? 彼女、何かに付けてKotaと仲良くしてるみたいだから、あなたより彼の方に気が向いてるじゃないのかしら?
ミケーラは裕星と話をして別れた一昨日の夜、裕星たちのホテルに先回りしてディナーの迎えに来ていたのだ。しかし、美羽がロビーに降りてきて、光太の前で倒れかけた姿を見て、ミケーラは急いでロビーの隅に隠れてその様子を見ていた。
「美羽が光太と?」
裕星は一瞬何のことか分からなかったが、すぐにあの時の事だと気が付いた。美羽がベランダから見た光景を誤解してしまった時のことだ。
「ああ、あれなら大丈夫だ。誤解は解けたからな。
君ももう余計な感情抜きで、オチェアーノの使いの仕事だけに従事したらどうなんだ?
もう俺たちに深入りしてくれなくていいから。今までの接待のことは有り難いと思ってる。君にはここまで俺たちを無事に届けてくれて感謝してるよ」
さっきとは打って変わった優しい顔でミケーラに微笑んだのだった。
ミケーラは裕星の優しい笑顔を見てさらにドキッと心臓が飛び跳ねるのを感じた。
しかし、裕星が言っていることは、
「君には興味はない。俺が好きなのは美羽の方だ。君は仕事だけに従事してくれ」という意味の冷たい言葉だ。ミケーラにとってこんな残酷なことはなかった。
裕星はテーブルからすっくと立ち上ると、自分の部屋に足早に向かっていた。歩きながら、今までのミケーラの言動を思い返していた。
――まさか、ミケーラが俺にそんな気持ちを持っているとは考えもしなかった。
だけど、俺が美羽を本当に愛していると言うことを伝えなければ、後でもっとこじれただろうし。
ミケーラは俺たちが結婚を前提に付き合ってることを知らされてなかったのか?
ただ、あの晩、ヴェネチアのカフェでミケーラから無理やり聞きだしたことは、『依頼主から、美羽と俺にサプライズがあるから、俺たちをカプリ島まで指示された手段で連れて来い』と頼まれたことだった。
しかし更に口を割らせたら、その依頼主がまさか『あの人』だったとはな……。これで何となく社長やメンバーまで巻き込んだことが分かったよ。
裕星はハハと苦笑いした。部屋の前に着いてドアを開けるなり、美羽の名前を呼んだ。
「美羽、朝食でも食べに行こうか。って言ってももうブランチだけどな」と笑った。しかし、部屋の中は静かで美羽の気配がない。
「美羽? どこだ? シャワーでも浴びてるのか? おーい、美羽!」
何度呼んでも返事がなかった。
部屋中探したが、やはり美羽の姿はない。
すると、裕星はベッドの上にひらりと置かれた一枚のメモを見つけた。美羽の字だった。
<裕くん、私はオチェアーノさんにメモをもらったので、そこに向かうね。ミケーラさんとお幸せに>
「──なんだ、このメモは? ミケーラとお幸せにって、どういう意味だ? まさか、あいつがまた美羽に何かしたのか?」
裕星は慌てて光太のケータイに連絡を入れた。
「ああ、光太か。美羽から何か連絡があったか?」
<美羽さんから? なんで? お前と一緒だろ? 俺は何の連絡ももらってないぞ>
「――そうか。分かった、ありがとう」
<待って。また美羽さんと何かあったのか?>
「――いや、大丈夫だ」
<また喧嘩でもしたのか?>
「いや、部屋に戻ったら美羽の姿が見えなかったから、一人で近くに観光にでも出かけたのかもな。すぐに戻って来るだろう。悪いな何度も」
裕星はこれ以上は光太に心配を掛けないようにそう言うと、部屋を急いで出たのだった。
まだ近くをウロウロしてるかもしれない、と裕星はホテルの周りを探し回っていた。
すると、さっきのカフェの向こうの庭園でミケーラが歩いている姿を見つけた。
「おい、ミケーラ!」
裕星が呼び止めると、ミケーラが驚いたように振り向いた。
「どうしたのよ。戻ってきてくれたの? 私の事、やっぱり好きになってくれたの?」
わざと言って苦々しく微笑んだ。
「美羽はどこだ? お前、オチェアーノからのメモを美羽に渡さなかったか?」
裕星は、ミケーラの言葉を無視してにじり寄って訊いた。
ミケーラは足を留めて裕星に向き直ると、「メモ? ――ああ、オチェアーノさんに頼まれたメモを渡したわ。ただし、フロント経由でね」
「それには何て書いてあった?」
「――彼女に訊けば?」
「美羽は、何も知らせずに出て行った」
「はあん、やっぱりね」
「やっぱりって?」
「彼女、さっきあのカフェの近くにいたのよ。そして、私達がキスをしていたところを見てたわ」
「──なんだって!」
「さっき、あなたは誤解って言ってたけど、これじゃもう誤解ですまされないわね」とニヤリと笑った。
「――そうだったのか、それで……。で、オチェアーノのメモには何て書いてあったんだ?」
裕星がミケーラを睨んだ。
「それには――『頼んだものはこのカプリ島で見つけられるだろう。それは本物の恋人同士が出逢い、時と共に必ず得られるものである』そう書かれていたわ」
「本物の恋人同士が必ず得られるもの……それはどこにあるんだ?」
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