第14話 追う女、逃げる女

 裕星は急いで美羽にメールを打ったが、全く反応が無かった。

 しかたなく光太にもう一度電話を入れた。

「光太、美羽の部屋を教えてくれ!」


 <まだ言ってるのか? 朝になってから美羽さんと話せと言っただろ?>


「いや、違う! 早く話がしたいんだ。美羽は誤解してるんだよ」


 <何が誤解だ? お前、ミケーラと会っていたのは事実なんだろ?>


「――ああ、それは事実だ」


 <それで? 何を言い訳したいんだ?>


「言い訳じゃない。ちゃんと話したいことがあるんだ」


 <まだダメだと思うよ。美羽さんの気持ちも考えてあげろ>プツンと電話が切れた。


「あいつ、なんだよ、もう!」

 裕星もケータイをベッドに叩き落とすと、そのまま頭を抱えてどさりと横になった。



 その頃、美羽は光太に改めて取ってもらった別のシングルルームのベッドの上にいた。


 すると、ケータイにオチェアーノからのメールが届いた。


『今夜のディナーはキャンセルいたしました。体調がよくなかったのですか? 無理なスケジュールを組んで申し訳ありませんでした。旅行はいかがでしょうか? もしご無理がありましたら、いつでもそうおっしゃってください。私がお礼をしたいと言いながら、一方的にあなたを振り回しているのが心苦しいです。


 さて、明日ですが、「レモンの島」に向かっていただきたい。

 そこにあなたに見つけてきてほしいものがあるのです。

 現地に着きましたら、あなたに「みつけてきてほしいもの」を指示いたします。どうぞそれまでゆっくりお休みになれますことを祈っております。 オチェアーノより』



 ――見つけてほしいものは、最後の場所にあるのね。でも、今の私の精神状態じゃ、ちゃんと見つけることなんて出来そうもないわ。裕くんへの想いが強ければ強いほど、こんなに胸が苦しくなるなんて……。





 美羽はいつにも増して朝早く目が覚めた。やはりぐっすり眠ることが出来なかった。

 まだ朝日は昇ったばかり、朝食前に少し散歩でもして胸の痛みを和らげようと腰を上げた。


 早朝のヴェネチアは寒さも厳しかったが、朝の光がキラキラと朝靄あさもやの間から降り注ぎ、頬にあたると突き刺すような冷たい風もむしろ心地よかった。

湾の海面は、まだ低い太陽の光をキラキラと反射して目に飛び込んできて、思わず目をこすった。

 行き交う人々も、昼間と違って現地の人々が多く、食料の運搬をする無数のボートや、店の前を掃除している人々の姿もあちらこちらに見えた。

 昼間は黒っぽく見えていた水面が、早朝は銀色に輝き、まるで別世界のようだった。


 美羽はしばし昨夜の裕星とミケーラの光景を忘れ、石畳いしだたみの広場を海に向かって散歩していた。

 向こうに見える岸辺で、忙しそうに物資を運んで行き来しているのか、何度も積み荷を降ろしたり積んだりしている様子も見られた。

 美羽は堤防ていぼうひじを付き、忙しそうに動き回る人々を穏やかな気持ちでしばし眺めていた。



 その時、突然後ろから「Miuさん」と声を掛けられ、ハッとして振り向くと、そこにいたのはあのミケーラだった。


「ボンジョールノ、Miuさん。ペルケ(なぜ)? こんなに朝早くにここで何してるの?」


 美羽はミケーラを見て、思わず固まってしまったが、目を伏せて答えた。

「お散歩です」


「お散歩? ねえ、Yuseiはどこ? 一緒じゃないの?」


「いえ、まだホテルにいると思います」


「――? 思いますって、どういうこと?」


「いえ、いいんです。私はただお散歩がしたくてここに来ただけなので、もう帰ります。失礼します」と頭を下げて去ろうとした。


「ちょっと待って! 何かあったの? 彼と」


「――いいえ、何も」


喧嘩けんかでもしたの? あら、あんな素敵な男性はイタリアにもなかなかいないのに。喧嘩なんかして別れちゃったりしたら、それこそ勿体もったいないわね」ホホホと笑った。


 美羽はミケーラを横目でチラリと見たが、何も言わず目を伏せながらホテルに向かって歩いた。


 美羽の横をミケーラが同じ歩幅でピッタリと付きながら歩いている。

「Yuseiは本当に素敵な人よね。私……彼の事好きになったかも」


 ハッとして、美羽の足が止まった。

 ミケーラも一緒に立ち止まると、構わず続けた。

「私ね、Yuseiみたいな男らしい人に今まで会ったことなくて。

 今まで色んなボーイフレンドと付き合ってきたけど、あんな真っ直ぐで純粋な男性は初めてなの」少し頬を紅潮こうちょうさせて言った。



「そんなこと、どうして私に言うんですか?」

 美羽はミケーラの顔を見ずに顔をそむけながら低い声で話した。


「だから、もし喧嘩して彼と別れることにでもなったら、私に頂戴!」


「裕くんはっ」美羽は声を大きくしてミケーラの顔を見た。

「裕くんは、物じゃありません! だからあげるとかもらうとか、そんな対象じゃないです!」美羽は既に涙目になっていた。



「あら、ごめんなさい。そういうつもりじゃないの。日本語って難しいわね。もちろん、物じゃないわ。Yuseiは生身の男よ。だから好きなんじゃない」ミケーラはニヤリとして言った。


 美羽は目を閉じてうつむいていたが、唇を噛んでホテルへとパッと走り出したのだった。ミケーラは美羽を追いかけてくることはなかったが、走り去って行く美羽の後ろ姿を不敵な笑みを浮かべて見ていたのだった。


 エントランスを入ってからもハアハアと息を切らしていると、そこに偶然にもロビーに降りてきた裕星とばったり対面した。


「美羽、昨日はどうしたんだ? 何度も電話したんだぞ」

 裕星が美羽に近づいて腕を掴んだが、美羽はその腕を振り払った。

 何も言わず、裕星の顔を見ることもなく、エレベーターに乗り込んで自分のシングルルームに向かっていたが、裕星は美羽の後ろをずっと付いてくる。


 美羽が後ろを付いてくる裕星を少しだけ顔を傾けてちらりと見たが、裕星の表情までは見ることが出来なかった。

 美羽は部屋のドアの前に来てロックを開けて入り、中から閉めようとした。

 しかし、そのドアを裕星が腕を差し込んで止めたのだった。


「美羽、話を聞いてくれ。お前が心配してることを話してくれ。俺は何でも話すから」


 しかし、美羽は部屋のドアを閉めようとして、中からグイと押している。


 裕星の腕はドアに挟まれたまま辛くなってきたので、今度は体を半分ドアの中に差し込んだ。すると、美羽が観念してドアから離れたのを見て、裕星が部屋に押し入って来たのだった。


そして、驚いて急いで逃げようとしている美羽の身体を背中からギュッと抱きしめた。



 美羽は軽く抵抗したが、裕星が強い力で抱きしめているその腕を解けず、目を閉じてなされるままになっていた。



「美羽、何か誤解してないか? 俺とミケーラのこと」


 美羽は首を横に振った。

「ううん、誤解じゃない。ちゃんと見てたもの」

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