第13話 二人の絆に入った小さな亀裂

 するとそこに、全力で走ってきたのか、息を切らしながら裕星がホテルのエントランスから入って来るのが見えた。

 しかし、ロビーにいた二人の異様な様子を見て、裕星が思わず美羽に駆け寄って来た。


「ゴメン、ちょっと遅くなった。――ん? 美羽、どうした。光太、いったい何してるんだ?」


「裕星こそ、今まで何してたんだ?」光太は美羽の肩を支えながら裕星を睨みつけた。


「俺? 俺は別段何もしてない。それより美羽はどうしたんだ? どこか具合いが悪いのか?」

 美羽に手を伸ばそうとした裕星の手を光太が左腕で払った。


「裕星、お前さっきまで何をしてたかも言えないのか?」


 美羽を支えようとした手を光太に払われ、裕星は光太を睨んだ。

「なんだよ、お前こそ。美羽は俺が支える。何をそんなに怒ってるんだ?」



「――自分の胸に手を当てて訊いてみろ」


 光太にそう言われても、裕星には光太の怒りの意味が分かっていないようだった。


「俺はやましい事なんか何もしてないけどな」

 裕星がもう一度光太を睨むと、光太がミケーラの名前を口にした。

「あの女はどうした? お前、ミケーラの後を追って行ったんだろ?」




「――ああ、ミケーラのことか。彼女のことはもう大丈夫だ。俺も勘ぐり過ぎていたようだ」

 裕星があまりにも数時間前と態度が違っているので、光太は更に不信感が高まり言葉を強くした。


「お前、ミケーラとさっきまで会っていたんじゃないのか?」


「どうしてそれを?」


「よりによってここの隣のホテルで密会してるとはな」


「密会? そんなつもりはないが、彼女のホテルがたまたまそこだっただけだ。それに、俺は彼女と話をして来ただけだよ。ちゃんと話を聞いたから、彼女を信用できると判断して帰って来たんだ」



「――信用ねぇ。信用したら愛情まで湧いたのか?」

 今度は光太が裕星を睨んだ。

「愛情? 何のことだ?」

 裕星も真正面から光太を睨みつけている。



「ここが外国だからと言っても、お前は日本人だろ! 外人かぶれして挨拶のつもりかどうか知らないが、キスまで交わす必要があるのか?」

 光太が声を大きくすると、「止めて! もういいです! 私、今日はディナーには行きません。光太さん、ごめんなさい。私のことで巻き込んでしまって。もう、いいですから……」

 美羽は泣きながら走ってエントランスから出て行った。




「美羽!」

 走って追いかけようとする裕星の腕を、光太はグイと掴んで止めた。

「俺が行くよ。お前は頭を冷やしておけ」

 そういうと裕星を追い越して、美羽を追いかけるためエントランスを出て行ったのだった。





 ロビーに一人残された裕星は呆然としていた。

「いったい光太と美羽は何を怒ってるんだ? 何だかおかしなことになってるが、こっちは何がなんだかわけが分からない」

 裕星は大きくため息を吐くと、自分の部屋へと力なく戻って行ったのだった。



 部屋で一人ベッドの上に仰向けになってぼんやりしていた。


 ――あれからロビーにディナーの迎えが来たのかもしれないが、ロビーに誰もいないので、ミケーラは戻って行ったのだろうか。

 一体あいつらは何を騒いでいたんだろう。俺がミケーラとキスをしたとかなんとか……。

 誰が見てたと言うんだ? まるで週刊誌みたいなでっち上げだな。


 裕星は頭を掻きむしりながら、さっきの美羽と光太の取り乱した様子をずっと考えていた。




 ふと気づくと、裕星はうとうとしていたのか、ハッとして体を起こして腕時計を見ると、もう夜中の12時を回っていた。美羽が戻っていないか部屋の中を探したが、どこにも姿はなかった。

 ――こんな時間まであいつどこにいるんだ?


 裕星はケータイを取り出して光太に掛けた。

 すると思ったより早く光太は出た。

 <どうした?>


「どうしたじゃないだろ。美羽はどうした、見つかったのか?」


 <ああ、すぐ捕まえたよ。外国の夜の街で女性の一人歩きは危険だからな>


「美羽は今どこにいる? まさか、お前の部屋か?」

 裕星は少しムッとしたように訊くと、<ふざけるな、俺はお前とは違う。彼女には別の部屋を取って休ませているよ>


「どこだ」


 <今は教えられない。明日、落ち着いたら美羽さんとちゃんと話し合うんだな>


「……」

 裕星は無言でケータイを切った。



 ――なんだよ。俺がまるで女たらしでもあるかのように。ただミケーラと話していだけだろ。

 あいつら、何を過剰反応してるんだ。

 しかし……明日からは上手くやらないといけないな。あまりギクシャクしてるのも良くないし、このままじゃ、あのことがバレるからな。


 裕星は険しい顔でバスルームに入って、シャワーの蛇口を捻ったのだった。


 熱いシャワーを浴びていると、今日、美羽と一緒だったヴェネチアの観光のことを思い出して、フッと笑みが浮かんだ。

 ――あいつ、本当に可愛かったな。こんな真冬にあんなに美味そうにアイスを食べて……今まで食ったことがないのかよ。

 いや、そうだったかもしれないな。あいつは大人になるまで、ずっとあの教会で育ったんだ。アイスや高級な食事など口にしてこなかったんだろうな。だから、あんなに無邪気な顔で……本当に素直で純粋で……。


 そう考えて笑みが浮かんだ途端、またさっきのロビーでの光景が思い出された。


 ――しかし、あいつ、いったいどうしたんだろう? あんなに泣いて……俺が何をしたんだろうか?


 考えても何も出てこない。裕星はブルルと頭を振ってしぶきを飛ばすと、シャワーから出てバスローブを羽織った。


 素肌にバスローブを羽織ったままでベランダに出ると、隣のホテルがライトアップされて綺麗な黄金色に輝いているのが見えた。


「そういえば、夕方からライトアップされてたな。あ、あのホテルはさっきの……。ん? ここからさっきのカフェが丸見えなんだな」

 裕星が欄干に腕を付いて前のめりになってみていると、──ん?


 何かに気付いて、体をさらに前にり出した。

「あ、あのテーブル、さっき俺たちが座っていた場所だ。まさか……ここから美羽が俺たちを見ていたのか? それで……」

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