第4話 ローマの熱い夜

 するとちょうどその時、グループメールに通知が入った。浅加からだった。

『今日は疲れたから先に休んでる。お前らだけで食事に行ってくれ。明日は行きたいところがあるから、俺を気にせず出かけてくれればいい。お前らがどこに行くかはメールで教えてくれれば、俺は最終目的地に別ルートで合流するのでお構いなく』

 リョウタが浅加のメールを読み上げた。



「なあんだ、やっぱり疲れて寝てたんじゃないか。明日からも別行動したいってさ。それじゃ、俺たちだけで行こうか!」

 陸が皆をかせるように、先頭を切って外に出た。


 すると、エントランスにまたあのリムジンが二台横付けされていた。


「どうぞこちらへ」

 運転手が裕星たち6人を、3人ずつそれぞれの車に誘導している。


 美羽は初めてのイタリアの夜景をもの珍しそうにリムジンの窓から食い入るように眺めていたが、その後の高級レストランでの豪華なディナーは、美羽の想像をはるかに超えるものだった。


魚介類のアンティパスト(※)から始まるコース料理で、サラダはプンタネッラという野菜にバルサミコ酢とニンニクのドレッシングをかけるだけのシンプルなもの。また、メイン料理の肉と魚も素材そのものを生かした、ソースなどでコテコテさせていない炭火焼きなどの料理法が多く、美羽が22年間生きてきた中で初めての経験と言えるほどの美味さだった。

(※ブッフェのように好きなものを取れる前菜のようなもの)



 食事を終え一行はそれぞれホテルの部屋に戻ったが、明日の予定すら決めていないため、取り敢えず美羽に届くオチェアーノからの連絡を待ち、それまではそれぞれ別行動で、という形で行こうということになった。


 裕星は先にバスタブを熱いお湯で満たし、ゆっくり浸かりながら今回の旅について考えていた。

 一体何者がこんな豪華な旅行を、美羽だけでなく7人の接待旅行のようにしてくれているのだろうか。思い当たる人物はまずいなかった。


 美羽の両親にここまで恩義を感じている人物で、メンバー全員を招待し、一流のもてなしをしてくれる人物。それはどこかの気まぐれな金持ちの老人くらいだろうと漠然と考えていた。



「裕くん、お湯加減はいかが? お風呂を出たら、またお湯を入れておいてね。私も後ですぐ入るから」

 美羽の声が聞こえて、裕星は何もせずボーッとお湯に浸かっていたことに気付いて、急いで体を流し始めた。


 美羽はスーツケースを開けて、必要なものを取り出しながら裕星と同じことを考えていた。


 ――今までこんなにたくさん最上級のおもてなしをしてくださって、その上、メンバーや事務所の皆さんの分まで用意して下さる方って、どんなおじいちゃまなのかしら?

 きっとお金持ちで、私のお父さんの曲が好きで、お母さんの歌声のファンの方かもしれないわ。

 誰にしても、ここまでしてくださるなんて、本当にありがたいことね。お蔭で私は裕くんや皆さんとこんな素敵な旅行ができるんだもの。

 まるで足長おじさんみたい、と美羽は夢見心地で独り言を言っている。


 そこに、「上がったよ。すぐ入れるようにお湯を入れ替えといた」

 裕星が腰にバスタオルを巻いただけの格好でバスルームから出てきた。


「ゆ、裕くん、またその格好! もうっ、私の方が恥ずかしい!」

 美羽が顔を真っ赤にして両手で顔を隠している。

「何言ってるんだよ、ここには俺たち二人きりしかいないんだ。誰も見てないよ」

 裕星が近づいて来て、美羽を自分の裸の胸にグイと抱きしめた。


 抱きしめられるままに美羽は裕星の胸に顔をうずめていたが、ハッと我に返って、裕星の胸を両手で押しのけた。

「ほ、ほら、私、これからお風呂に行かなくちゃ」

 裕星とは目も合わせず、慌ててパタパタと小走りにバスルームに消えた。

 裕星はそんな美羽の後ろ姿を、フッと微笑ましく見ていたのだった。


 ローマの夜はまるでおとぎ話のように夢心地の内に明けた。イタリアのすずめのさえずりは日本の雀よりも鮮明で甲高く、まるで天然の目覚ましのようで、裕星はパッと目を覚ました。


 ベッドの横を手さぐりしたが、美羽の姿はない。裕星はガバッと飛び起きると、目の前のベランダの向こうに広がる壮大なローマの景色に没頭している美羽の後ろ姿が目に入った。


 裕星が近づくのも気付かずに欄干らんかんにもたれて、下界に見惚みとれている美羽を、裕星は後ろからそのか細い肩を抱きしめた。


「あ、おはよう、裕くん。見て、向こうに見えるのがバチカンね? 素敵ねー! ローマは永遠の都って言われているそうよ。本当に永遠に時が止まっているみたいに見えるわ」


 美羽の言葉を聞きながら景色を一緒に眺めたが、そんなものよりも自分のすぐ傍にいる美羽が愛しくて、裕星は思わず美羽を振り向かせて唇を重ねた。


 2人は、五つ星ホテルのペントハウスのベランダで、この絶景の上で二人きりキスを交わし見つめ合った。

 裕星があまりにも夢中になりすぎて熱くなってくると、美羽は思わず裕星の胸をそっと押して離れた。

「裕くん、そろそろ朝ごはんに行きましょうよ?」


「あ、ああそうだな。久しぶりにやっと二人きりになれたから、つい……」

 裕星は耳の後ろを掻きながら照れている。



 考えてみれば、先の見えないイタリア旅行が、二人にとっては久々にやっと逢える切っ掛けとなったのだ。

 わざわざ何かがなければ逢えないほど忙しい裕星にとって、すぐ目の前にいる美羽を抱きしめずにいることなど拷問ごうもんに近い感覚だった。

 昨夜、美羽がバスルームから出てきたときには、裕星はもう夢の中へと堕ちて行ってしまった後だったのだ。


 美羽はパジャマを着替えて化粧を施すと、裕星の方もすっかり着替え終わり身だしなみを整えていた。

「遅かったな。さあ行こうか」

 さっきまでのデレデレとした裕星はどこに行ったか、一転していつものクールな裕星に戻っている。


 2人でテラスのレストランで朝食をとっていると、美羽のケータイにまたメールが入った。


『今日はローマの休日を味わってください。永遠の都はいかがですか? せっかくのおくつろぎのところ申し訳ないのですが、今夜には皆さんで花の都に向かっていただきたい。そこでお待ちしております。 オチェアーノより』


 短い文章だったが、次の旅程がクイズのように書かれていた。「花の都」とはいったいどこのことだろう。


「どうした?」

 裕星に訊かれるまで、美羽はケータイを見つめてぼんやりしていた。


「あ、今メールでオチェアーノさんから次の指示が入ったの。今夜『花の都』に行くようにって。でも、花の都といえば、パリしか思いつかないけど……まさか次はパリに行くのかしら?」


「パリ? ここまで来て次はパリだって? ――待てよ、前に見せてもらった旅程表には確か『イタリア旅行』と書いてあったぞ。つまり、イタリアからは出ないんだ。ということは、イタリアの花の都と言えば……」


「フィレンツェ!」

 美羽が先に歓喜の声を上げた。


「──だな。そこに行けば、その爺さんがいるんだろうね?」


「爺さんって、裕くん、失礼なことを。上品なお金持ちのおじいちゃまかもしれないんだから、そんな言い方は……」

 それが美羽の中の勝手なオチェアーノのイメージだった。

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