第4話

親愛なる兄上様


 生きてこの文を綴れる幸運にまず感謝します。

 まだ動悸が収まりませんが、順を追って書き記します。


 浅い川を渡り、バシテルイ領に入ってすぐの頃。馬に乗った役人が近づいて参りました。

 旗に秤の縫い取り――通行税を取り立てる役人と一目でわかりました。通常は城門にて職務を果たすべき者がなぜこんな場所に、と私が疑問を持つ間に、頭領のザブルクは大仰な身振りで役人を迎えました。


「ようよう、これはお役人どの。わざわざお出迎えとは恐れ入る」

「逃げ足の速い猿どもには先手を打たんとな」

 役人は嘲るように言い、まず通行証を見せるよう促しました。

 私の偽造通行証は――問題なく許可されました。

 問題を指摘されたのは、楽士たちの通行証のほうです。人数が合わないとのこと。

 どうやら彼らの通行証は古く、リャイパ使いの少年たちが数に入ってなかったようです。


「そらぁ『人』の数は合わないだろよ。なんせここにいるのは猿ばっかりだからよ」

 小鼓打ちがからかうように言い、毒を含んだ笑いがさざ波のように広がります。

「では超過分も含め青銀二枚。即時徴収する」

「銀だァ?」

「おいおい通行税といったら一人あたませいぜい白銅1枚だろうが」

 気色ばむ楽士たちを軽蔑するように、役人は舌打ちしました。

「なるほど猿には勘定ができぬらしいな。白銅十二枚で青銀一枚と同じ価値になる。十一人分の白銅に通行証を偽った罰金を加えれば……わからぬか?」

「合点いかねえ!」

「ぼったくる気かよ」


 やりとりを見ていた私は、まずいなと思いました。ようは、役人は袖の下を要求しているのです。

 辺境の小役人にありがちな話ではありますが……どうりで城門から離れた場所まで単騎で来るはずです。


 まあまあ、と割って入ったのはザブルクでした。

「そちらさんも仕事だもんなあ? はいはい、払うもんはちゃんと払いますぜ。だがせっかくの機会だ、見てってもらおうじゃないか我々の芸を。なあ?」

 パン、とザブルクが手を打つのと同時に、楽士たちがざっと円形に広がりました。

「学生の兄ちゃん、リャイパ使いのガキどもを連れてちょーっと離れててくんねえか」

 ザブルクが小声で指示を出します。私は二人の少年を連れ、楽士団の輪から急いで離れました。彼は明らかに何かを企んでいる。

「猿どもの芸など……」

 役人の言葉を無視して、ザブルクは大声を張り上げました。

「さあさあご覧あれ。我が一座秘伝の技、大剣の舞を!」

 

 ホーッホホウ! と全員の歓声、と同時に長剣が宙を舞いました。役人ひとりを真ん中に、円形に向かい合ったどうしが長剣を投げ合い始めたのです。

 ぎらつく刃に触れたら無事では済まない、その剣を。遠投し、受け、そしてまた投げ合う。たまに足で受け、蹴り上げる。

 その中心に取り残された役人は立ち尽くして空気を噛むばかりです。

「おーっと動くなよ役人どの。なにせ滅多に成功しない技なんだからよ」

「動くと耳が削がれるぜえ? いや鼻か?」

「串刺しってのもアリだよなあ」

 軽口と甲高い囃し声、そして陽を反射し絶え間なく飛び交う長剣の波に囲まれた役人の目は、焦点が定まらなくなってきました。青ざめたまま猿め猿めと口を動かし、ぐらぐらと身体が揺れます。危ない、と私が思わず叫びそうになった時。


「動くな!」

 ザブルクの声でした。どうやって長剣の波をかいくぐったのか、彼は役人の身体をがっしと捕らえていました。

 宙を舞っていた剣も、何事もなかったように楽士それぞれの手に収まります。

「お楽しみいただけたかな?」

 ザブルクは笑顔でうやうやしく手を差し伸べ、言いました。

「お代は、たったの青銀二枚で」

どっと笑い声が起こります。


「いいぞ、かしら! それで税金はチャラだ」

「我らの頭領!」

 楽士たちの声でようやく我に返った役人は、ザブルクの手を払いのけて喚きました。

「この……この、無礼な猿どもめ! 聖都から遣わされし旗持つ者に刃を向けるとは何事だ、ぬぬ、罰金だ、罰金を加算する!」

「ほう、なるほどあんたはそれが仕事だからねえ。だがこっちも仕事だ」

 ザブルクが緑灰色の眼をギロリと向けます。

「天下に名を知られたザブルク一座が秘伝の大技を披露したんだ。それもあんた一人のためにな……うん、青銀二枚じゃ割に合わねえ。白銀くらい積んでもらおうか」

「な、なんだと」

「まさかバシテルイのお役人ともあろうお方が、タダ見で済まそうってんじゃないだろうなァ?」

 楽士たちに凄まれ、役人の顔はますますひきつります。


「なーんてな」

 ザブルクは再び笑顔に戻り、役人の肩をポンポンと叩きます。

「せっかくめでたい入城の日だ、お互いケチな話はやめましょうぜ。ここはひとつ、ヌイムーヌイムーってことでどうだい」

 私は彼の豪胆さ、というか図々しさに目眩しそうになりました。


「ねえ、ヌイムーヌイムーって?」

 リャイパ使いの兄、リーウーが私の袖を引っ張って訊きました。

「ああ。ヌイムーってのはね、商人たちが取引に使う言葉。二つ重ねることで『お互い損得なし、支払いなし』の意味になるんだよ」

「じゃあ通行税も払わなくていいんだ」

「ならいいんだけどね」


 楽士と役人の押し問答は続きました。そうしているうちにも日は傾きます。日没には城門がとじてしまう。

 つい……またお節介をしてしまいました。

「もうその辺にしておきませんか」

 気がついたら私は立ち上がり、声をかけていたのです。

「旗持つ方、城つきの役人は城門を離れて単独で仕事をしては成らないはず。それに罰金の計算もおかしい。私は聖都ハルリ城に学ぶ者、その辺りの知識はあります。なんなら城門でもう一度、貴方のお仕事ぶりを報告してもよろしいですが?」


 その時の役人の表情を兄上にもお見せしたかった。

 彼は何やらモゴモゴいいながら自分の馬に跨がりました。

 その背に向かって……じつに余計なことですが、言わずにはおれませんでした。

「私は、いえは猿ではない。無知と思って軽んじてもらっては困ります!」


 兄上、懺悔します。

 私は調子に乗りすぎたのかもしれません。この時のお節介が後に私を守り、また調査を阻むものになるとは、思ってもみなかったのです。

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