第77話~GI凱旋門賞その6~

***



 俺が生まれてすぐ、母親は死んだ……らしい。このらしいってのは、周りの年上の馬からそう教えられたからだ。……教えられた、ってのもおかしい言い方かな?



『てめぇのせいでボスが死んだ!』


『呪われた子めっ!』



 物心着いた頃には周りの馬からそんな言葉を投げかけられいた事は覚えている。俺は最初の頃、その言葉の意味が理解できなかった。


 でも怒った事は覚えている。理不尽だからだろうか? それとも悲しかったからだろうか? 分からない……ただ、声を荒らげていた事だけは覚えていた。



「大人しくしろっ!」



 それで俺と周りの馬の折り合いが悪いと思ったのだろう。大を生かすために小を殺す。俺の母親代わり……なんて呼ぶのもおこがましいほど暴力的な人間はそんな思考だったんだろうな。


 叩く、殴る蹴るなどの暴力もお構い無しだった。そんな幼少期を過ごして1年……俺は多分、誰も信用出来ないようになっていた。



「ほら! 走れ走れ! さっさと走れよオラッ!」



 違う場所に預けられた。そして無理やり、顔に鞭を当ててまで俺を走らせようとしてくる人間が増える。俺の事情を知らない馬達に囲まれることになったが、今更仲良く関わろうなんて思えなかった。


 そして幸か不幸か……いいや、幸だな。俺には走る才能があったらしい。他の誰よりも……最初は暴力を振るっていた人間も、少し穏やかになっていた。



「新馬戦、大差勝ちだよ! しかも3秒も離して!」


「化け物だよこの子は……オーソレミオは!」



 俺の周りの人間が明確に騒ぎ出したのはレースを走ってからだ。いつの間にか付けられていた名前……オーソレミオと言うらしい。


 そのまま重賞って呼ばれるレースにも沢山出場した。そしてもちろん勝つ。何馬身も差をつけて、特に本気を出すことも無く……。



「この馬は最強だ!」


「強くなれよー! 世界を制する脚なんだ」


「世界狙いましょう先生! 今や地に落ちたイタリア競馬を復活させるだけの力がこの子にはある!」



 今まで俺を虐めていた周りの人間が掌を返して俺に優しくしてくるようになった。……気味が悪い。


 そうそう、俺に名前をつけたオーナーって存在の人間がより一層騒ぎ立てた。どうやら俺を買ってこの場所に預けてくれたりもしてたらしい。


 餌やりやスキンシップを取ろうとしてくるが、裏で何を考えているのかわかったものでは無い。ただ威嚇すると引き下がってくれるのでまぁ対応としては楽だ。



「GIIニエル賞も、5馬身差……行ける! 行けるぞ!」



 イタリアダービーを勝ち、そして初の海外? となるニエル賞ってレースも俺は勝った。そして次で初めて知ることになるのだ。凱旋門賞と言う世界最高峰のGI舞台を。



「……負けた?」

『……負けた?』



 凱旋門賞3着。それが初めての敗北だった。とてつもない屈辱が襲いかかってくる。……アイツらに、負けた? ……俺達を叩いてくる人間と、形は違えど信頼関係を築いていた奴らに?


 ……暴力を振るわれることも無く、仲間達から軽蔑の目で見られることも、酷い虐めの扱いも受けることなく……? 俺は怒り狂った。


 そして次走、今までの無理が祟ったのか、まともに走る事も出来ず香港ヴァーズは着外。1度たりとも負けたくなかった。だが事実、本気を出して敗北した。


 だから今回の負けも気にすることは無かった。身体を痛めないよう、手を抜いて走ったのだから。昔は暴力を振るってきていた人間も今の俺には甘いらしい。


 高待遇を受けながら身体を回復して次のレースを待った。そして迎えたのが、昨年の凱旋門賞で先着を許した2頭のうちの1頭。


 日本最強馬、ロードクレイアス。……この馬を倒す。そして、徹底的なマークを行い彼の持ち味である末脚を凌駕する末脚を使って勝った。


 次に向かったのはエクリプスS。そこにはシャルルゲート。去年の凱旋門賞馬が居た。そして戦い……俺はあっさりと勝利を手にしたのだった。



「こいつは世界最強だ! 愛チャンピオンS! それに凱旋門賞! まずはここを取る! 取れるだけの力がオーソレミオにはある!」



 オーナーは妙に張り切っていたが、俺の方はそうでも無かった。と言うか燃え尽き症候群とでも言うべきか? まだやる気のあった愛チャンピオンSってレースにはグレイファントムって馬が居たが、雑魚だった。


 ……もしや俺を倒せる馬はどこにも居ないんじゃないのか? ……はは、俺を虐めていたアイツらが、人間と信頼関係を築いていたアイツらが、真逆の俺に全く敵わない……これは傑作だなぁ!


 そんな達成感? とも呼べない何かが満たされて、正直俺のやる気は無に等しくなっていた。そんな中に現れたのが……ステイファートム。ロードクレイアスを倒した馬だった。


 聞けば、シャルルゲートも彼には敗れていると言う。……まだ、俺が倒すべき馬が残っていたのか。なら、少しは本気を出すか。


 そしてレースが始まる。前回は3着だったこの舞台だが、まるで負ける気がしないな。ん? めちゃくちゃ包囲をされた。


 5頭ぐらいの包囲網だったが、コイツらの狙いは完璧だな。だがそれがどうした? ぶち抜けばいい。コイツらやその上の人間が落馬しようが知ったことか!



「こら! ダメだ! 死ぬ気か!」



 だが、それを俺の上の人間が阻止する。そしてコーナーを利用して外に持ち出される。ふざけんな! 俺は行けた! ……クソ!


 そして邪魔はそれからも続く。その度に突破しようとしたが、上の人が制止してきた。おい! ふざけんなよ! ……俺は勝ちたいんだ! 勝って俺が正しいことを証明する!


 だが、俺と上の人間は終始喧嘩したまま直線コースをむかえる。いつも通り……いや、いつも以上に脚を伸ばす。だが、そんな気持ちの面とは裏腹に前との差は詰まらない。


 がはっ、くそ! スタミナが……。上の人との喧嘩、接触を避けるための大外回し。実質、今までに経験したことの無い未知の距離を走らされた結果がこれか。


 ふざけやがって! ……絶対に負けたくない! アイツらには! 上の人間なんてもうどうでも良い。俺1人の力があれば勝てるはずだ!


 でも、その思いは届かない。明らかに先頭を走るシャルルゲート、ステイファートムには届きそうも無かった。ちくしょう……ちくしょう! 最悪だ……!



「いい加減にしろ!」



 そんな時、上の人間から声が飛ぶ。はは、結局はお前も一緒か。今まで我慢してきたけど、本当は俺なんて嫌いなんだろう? さっさと顔に鞭でも当てろよ。ほら!



「俺達は、パートナーだろ? 一緒に走らなきゃ、この相手には勝てない! 出会ってからの3年間の全てを賭ける。頼むから、今この瞬間だけで良い……俺を信じてくれ! オーソレミオッ!」



 飛んできたのは鞭ではなく、言葉だった。何を言っているのか、内容は分からない。でも、言いたいことは何となく伝わった。


 上の人……ラフランス・デットールの想いが届いてくる。……んだよ、それ。暴力を振るう身勝手な人間も、その人間達に良いように使われる他の馬も、全員嫌いだ! でも……アイツらに負けるのはもっと嫌だ。



「っ……そうか、ありがとう。さぁ、勝ちに行くぞ。世界最強馬!」



《並ぶ! 並ぶ! かわしたぁぁぁ! ステイファートム先頭! ステイファートム先頭! 残り200mを切っている! ついに叶うぞ日本の悲願が! ……えっ》



『だから、仕方ねぇよな。勝つためだ。……今回だけだぞ、デットール。……俺の限界を、今超えるために力を貸せ!』

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