第三十五話 特別

「あああああ、さすがにこれ以上は無理ですわ! 魔力が切れましてよ!」


 黒煙の中からマリシーヌが転げ出てくる。


 夕凪が止み、ほのかに夜の空気を含んだ風が吹いて、煙が晴れる。


「ひょひょひょ、人間にしてはやるではないか小娘! じゃが、ワシの勝ちじゃ、今頃、聖女はワシらの餌に――」


 ドロドロは下卑た笑い声を上げ、目前に迫ったナインの顔に絶句する。


「もうお前だけだぞ」


「な、なんじゃと、ま、まさか、負けたのか。いくら戦闘向きのが少ないてはいえ、魔将じゃぞ! 一個で国を滅ぼせるほどのワシらがこうも容易く! ええい! ここは撤退じゃ! 地中に潜れば貴様らの攻撃など!」


 ドロドロが地面に溶け広がろうとする。


「で、潜れるか?」


「も、潜れぬ。な、なぜ、じゃ。ワシは『不定のジャミゴス』何者にもなれる、何者にも捉われぬ!」


 ドロドロの名前を初めて知った。


 そういえば、他の三匹は名前も知らないままぶっ殺したんだった。


「やっぱり同じ魔族の血と肉には溶け込めないんだな。異なる型の血液を混ぜると固まる。ほら、理科の勉強が役に立ったぞ。先生のおかげだな」


 ナインは他の魔将の死骸を次々にドロドロに投げ込みながら言う。


 本当は血を混ぜると固まることくらい、勉強しなくても知ってるけど、ここで気を遣える自分は最高に紳士だと思う。


「ぞういゔ意味でおじえんたんじゃありまぜん!」


 アイシアが鼻声で叫ぶ。


「くう、なめるな小僧! ワシは魔族最高の魔術師。打撃も闇魔法も効かぬわ! 聖女を喰らえば、この程度の不純物など!」


 ジャミゴスが触手のように身体を伸ばして襲い掛かってくる。


「そうか――ほら、こいつもこう言ってるし。最後は先生に譲ってやるよ。ご自慢の光魔法を好きなだけぶち込め」


 ナインは後ろに跳んでジャミゴスから距離を取り、アイシアを地面に降ろす。


「ナインくんにいっぱいチューされたから、禁術はづかえません!」


 アイシアがローブの袖で顔を拭いながらむくれる。


「そんなのいらないだろ。マリシーヌがだいぶ削ってるんだし、普通の中級の光魔法を連発すれば十分倒せる」


「ヒグッ、え、詠唱できません! ヒクッ、しゃ、しゃっくり、出てヒクっますから!」


「落ち着けよ。先生は筆記詠唱もできんだろ?」


「手も、足も、ブルブルしてるんです!」


「なんだよそれ。――はあ、もうしゃあねえな」


 ナインは一瞬頭を掻き、アイシアをそっと抱きしめる。


「なにするんですか!」


「……一緒に背負ってやるよ」


 振りほどこうとするアイシアを強く抱きしめ、耳元で囁く。


「え?」


「俺は一人でも平気だけど、先生はどうやら、一人じゃ死に耐えられないタイプみたいだな。だから、俺も背負ってやる。これをやると戦士としては弱くなるから、本当はやりたくないんだけどな。特別だぞ。先生、あんた、多分、自分じゃ気付いてないけど、すごく甘えん坊な人間だよ。だから、無理すんな」


 ナインはそう言って、アイシアの頭を撫でる。


 アイシアは元王女で、今は教師で、だから、人の上に立って責任を取るのが当たり前の生活を送ってきたのだろう。それを疑問に思う暇もなかったのだろう。


 立場が人を作ることをナインは知っている。でも、剣使いが弓使いにはなれないように、弓使いも剣使いにはなれない。それもまた事実だ。


「ふ、は、は、は、なんですか、それ、なんで、友達が一人もいないナインくんにそんなこと言われなきゃいけないんですか! なんでそんなに偉そうなんですか! 先生は私で、ナインくんじゃないんですから、おかしいじゃないですか、なんか、もう、訳がわかりません、か、感情がめぢゃくちゃでず!」


 アイシアが目をショボショボさせながら、口の端を吊り上げて、泣き笑いの顔になる。


 それはナインの求めている完璧な笑顔ではなかったが、今までの中では一番の表情だった。


「くっ! ちょこまかと逃げおって!」


「あと、戦い方も教えてやってもいいぞ。先生、アホみたいな魔力持ってるのに弱いし」


 ナインはアイシアを解放すると、襟を引っ張って後ろに下がる。


 距離を取る度、ジャミゴスがどんどん細くなっていく。


「よ、弱くないです。私も本気で戦ったら、すごく強いです。今回はナインくんが、不意打ちで、き、キスなんかするから、調子がおかしくなっただけですもん! 本調子ならナインくんにも勝ちますもん! 先生ですから! 先生ですから!」


 アイシアはそう言い張って、ズドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドとジャミゴスに光魔法をぶち込みまくる。


「くうぬかった。こ、こうなれば魔将の魂を捧げ、魔王の復活を早めぐげらばらぎゃぼぶべかまがぎゃ!」


 やがてジャミゴスは、他の魔将たちのミンチ肉と区別がつかなくなった。


 それは断末魔すら許さないほどの物量で、ナインでも引くぐらいのオーバーキルだった。


「はいはい。先生って、意外と頑固な所あるよな」


 念ため蜘蛛の脚でミンチ肉をかき混ぜて死亡を確認しながら、適当な相槌を打つ。


 よし。これはさすがに死んでるな。


「その吐瀉物がなにか最後にかなり気になることをほざいていた気が致しますけれど……、はあ、もう、今は真面目に考える気力もありませんわ」


 マリシーヌが地面に膝をつき、肩で息をする。


 その顔は魔力欠乏で真っ青だ。


「して、マリシーヌ嬢。そろそろ皆の衆が目を覚ましまする。さすれば……」


 ヘレンがマリシーヌの下半身へ視線を落とす。


「そ、そうでしたわ! 二人共! ワタクシの功績を横取りしたら許しませんわよ!」


「いいから、さっさとそのくっせー小便パンツを替えてこいよ」


 ナインが鼻を摘んで、犬を追い払うような仕草をした。


「くうううううう! ナイン! 絶対いつかこの手で殺して差し上げますわ!」


 マリシーヌが歯ぎしりしながら走り去っていく。


「いつでもかかってこい。――ほら、先生も、顔洗ってこいよ。また俺が先生になにかしたと思われて、性犯罪者だと誤解されたらアレだしな」


「ご、誤解って、お、思いっきり、なにか・・・してるじゃないですかあああああああああ! う、うううううううう、うあああああ、な、ナインくんの馬鹿あああああああああ!」


 アイシアが顔を袖で覆い、マリシーヌの後を追った。


「……勝ちましたな」


 ヘレンが夕焼け空を仰ぐ。


「ああ、勝ったな」


 ナインも夕焼けに目を細め、大きく伸びをした。

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