第三十四話 ボッチ

「わかった! ヘレンはマリシーヌの援護を頼む――先生?」


 ナインはそこでふとアイシアの顔を見た。


「……」


 さっきまで騒がしかったのに、今は不気味なくらい静かだ。


 目を左右にしきりに動かし、鼻をひくつかせ、唇をわななかせ、今までに見たことのない動揺の表情を呈している。


「どうした? 魔力を吸いだし過ぎたか? 感覚的にはまだ全然余裕なはずなんだが」


「ち、違います!」


「なら、便所か? それなら漏らせ。あのプライドの高いマリシーヌでさえやってんだから、遠慮なくやれ」


「ち、違います! わ、私は自分が情けないです、ああ、ああ! ナインくん! ナインくんはこの強さを手に入れるために、どれだけ辛い思いをして、どれだけの血に手を染めてきたのでしょう。私はこんな凄惨な蟲毒を生んで、そして、また何もできずにヒグッ、ヒグッ」


 アイシアが嗚咽を漏らし始める。


 その目から堰を切ったように涙が溢れた。


 まるで我慢してた糞をひり出すような勢いだった。


「は? なんで泣くんだよ。俺は笑えって言ってんだろうが。ああ! ったく、もう! わかったよ。そんなに先生が過去の死体の数にこだわるなら、俺があんたの過去を全部肯定できるようにしてやる」


 ナインは手についた蝙蝠女の血を振り払って言う。


「ぞ、ぞんなこどできるわけがないじゃないですか! 死んだひどは、生き返らないですがら! 過去に戻ることもでぎないんでずからあああああ!」


 涙はさらにその流量を増し、ついには鼻水まで溢れ出した。


 抱っこしている格好とも相まって、なんだかアイシアが本当の子どもみたいに見えてくる。


「できるよ。なあ、先生、あんたのせいで何人死んだか知らないが、俺はそれよりもたくさんの人間を助けてやる。一万人でも百万人でも一億人でも、助けてやるよ! そうすれば、俺という存在を生み出したあんたの過去の決断も正しいことになる。だろ?」


 ナインはアイシアに柔らかい口調で語りかける。


 なるべく、アイシアの言う所の紳士という奴を心掛けた。


 ただし、素手で蜘蛛の身体を捌きながらなので、傍から見たらあまり優しそうには見えない光景かもしれないが。


「人の命は、足し算したり、引き算したり、でぎばせん。だから、尊いんでずう」


 アイシアがナインに抱き着く手と脚に力を込めてくる。


「ああん? 量より質ってことか? なら、先生、あんたが俺を世界一に幸せにしてくれよ。あんたの過ちにから生まれた地獄の集大成が俺だって言うんなら、その俺が世界一幸せになれば、先生の過去も、俺の今も、全部正しいことになる」


 ナインはそう言って、蝙蝠の羽で蜘蛛の酸が入った胃袋を包んで持ち上げる。


「意味がわかりまぜん! そんなの、め、めちゃくちゃです! おがしいです!」


 首を左右に激しく降る。


「わがままだな。ったく、ほら、泣いてないで、補給するから口を開けって! ああ、もういいや! 涙と鼻水で!」


 ナインは歯を食いしばるアイシアに業を煮やし、そのズビズバな顔に舌を這わせた。


「舐めないでくだざい! ナインくんは犬ですがあ!」


 アイシアはまた泣き始める。


「いや、俺は犬よりも猫派だよ」


 ナインは適当に答えながら跳躍し、カバの近くに着地する。


「大丈夫だあ。オデは、硬い。硬い。硬い、硬い、硬い、硬い、硬い、硬い」


 蜘蛛の巣に絡まったままのカバは、ひたすらに同じことを繰り返している。


 アイシアも、このカバも、戦場で思考停止するとは、話にもならない。


「そんなに硬いのか。じゃあ柔らかくしなきゃな」


 ナインは蝙蝠の翼を振り、蜘蛛の酸袋をカバの上に落とす。


 緑色の液体がカバの装甲に染み込んでいく。


「ああああああ、あじいいいいいいいい、ど、どける、や、やめでぐれえええ。おでは蜘蛛とジジイに言われてやっだだげだああああああああ! ほんどは嫌だっだんだあああ! 魔王様が来るまで待っデれば、もっど簡単に人をいっぱい食えたのにい!」


「知るかよ。死ね」


 ナインは蜘蛛の脚を棍棒代わり振り上げた。その先端の爪の部分で、柔らかくなったカバの装甲をひたすらに叩き続ける。


「グギャ! ガビャ! ブギャ! ミギャ! ガギャ! あ、ああ、あああ、これが人間の力あ、絆の力あ、友情の力あ、愛の力あ。怖えよお。強えよお」


「違うな。俺たちはボッチだから・・・・・・勝つんだ」


 ナインとヘレンやマリシーヌたちの間に絆などない。


 ヘレンは救出の代償としてナインに付き合っているだけだし、マリシーヌは出世に利用するつもりのようだ。


 もちろん、アイシアとナインの間にも愛などない。


 ナインは勝手にアイシアを笑顔にしたいだけで、アイシアは教師の責任感からナインを面倒見てるだけ。


 でも、それでいい。


 戦場には友情も絆も必要ない。


 それぞれが確固なたる戦意と目的意識を持ち、成すべきことを成せば結果は出る。


 かつてのナンバーズとてナインの仲間ではあったが、友達と呼べる者は一人もいなかった。


「お、お前も、独りなのかよお。なら、オデたちと同じじゃねえかよお。なのに、なんでそんなに強いんだよお。おかしいじゃねえかよお」


 カバが息も絶え絶えに言う。


「ふふふふふふふふ、ははははは、分かりませぬか! ならば、地獄への土産に教えて差し上げまする! 汝らのようにただ力に驕り欲望のままに暴れるは魔族。力を持ちて驕らず、大義のために使うは勇者。力を分け与え余人を巻き込み、未来を切り開くは英雄。されど、魔族はその野蛮故に誅され、勇者はその純粋故に利用され、英雄はその激情故に悲劇を招く。然らば、如何せん!? 答えはここにあり。虚無を知り、虚無に倦まず、虚無に酔わず、それをありのまま受け入れる――そう、それこそが超人オーバーマン! 新派の目指す至上が聖女ならば、これぞ戒律派の目指すべき到達点! 人が人を救えるなどと思うは全て傲慢でありまする! 『偽善者よ! まず自分の目から丸太を取り除け!』 ああ、主よ! 主を賛美致しまする! 世界にナイン殿を遣わせてくれたことに感謝致しまする! ご照覧あれ! 愚僧は未熟なれど、必ず超人の境地に辿り着いて見せまする!」


 ヘレンは一方的にそう捲し立てると、また自分の世界に入って、哄笑し始める。


「なんだよ。超人って。だから、俺はただのナインだよ」


 ナインの言葉はヘレンには届かない。


 どいつもこいつも自分勝手だ。


 勝手にかわいそがったり、勝手に超人にしてきたり。


 ナインはナインだ。それ以上でもそれ以下でもない。


 腹立ちまぎれに、さらに激しく蜘蛛の脚を叩きつける。


 カバが言葉を失ってからも、ミンチになるまで執拗に攻撃を続け、確実に殺したと確信できる段階になってからようやく手を止めた。

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