第三十三話 戦士の条件
「はははは! 人間はどこまで愚かなんだ! さっきの攻撃がボクの蜘蛛の巣への誘導だと気が付かないなんて!」
「……」
ナインは止まらない。
助走をつけて蜘蛛の巣へとジャンプする。
「まさか、強行突破できるつもりなのかな? はあ、無謀と勇気の区別もつかない愚か者につける薬はないね。ボクの糸はたとえ聖剣でも斬れないっていうのにさ!」
「ふーん、じゃあ、すり抜ければよくね?」
「な、ナインくーん! 先生はお手玉じゃありませんよー! くっ、風魔法のコントロールが――魔力が回復しきってないから」
ナインは一回アイシアを空中高くに放り投げる。
そして自らの全身のありとあらゆる関節を外した。
まるで一本の針のように細くなり、網目の隙間をくぐり抜ける。
「そ、そんな。頭の大きさ以上の穴をくぐれないはずじゃないか! ボクは何度も実験して、最効率の糸の編み方を――!」
「人間とか魔族とか、どうでもいいんだよな」
ゴキゴキと関節を元に戻す。
敵は敵でしかない。
人間はこうである。魔族はこうである。
男はこうである。女はこうである。
ファリス国民はこうである。連合国民はこうである。
全ての先入観は戦士を弱くする。
もしかしたら、この魔将たちは人間を学ぶことで、人間の弱さまでも知らない内に取り入れているのかもしれない。
これならむしろ、本能で狩る知能の低い魔物の方がよほど闘争に対して真摯だ。
「くっ、落ち着くんだボク! こんな無魔法の雑魚くらい、普通に倒せる!」
「やってみろ」
筋肉を動かし、血流をコントロールし、手足に力を集中する。
蜘蛛の前脚を全てくぐり抜け、殴る、蹴る、殴る、蹴る、殴る、蹴る、殴る、蹴る。
顔に背中に脇腹に、無数についた蜘蛛の目を全部潰す。
「み、見えない。ボクの目が、目があああああああ! あが、あがああああああああああああああああああああああああああああああ! ボクが! こんな所で! 手柄を上げて、魔王の次の魔王に、ボクはあああああああああ!」
闇雲に振り回すだけの八本脚は、もはや攻撃の意味をなさない。
一本一本、確実に脚を破壊していく。
「死ね」
最後に頭を踏み潰す。
「ギエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ」
それで終わり。
「ナイン殿! お見事にございまする! 干渉が半分程度に弱まり申した!」
ヘレンが叫ぶ。
蜘蛛が死んで精神干渉魔法の効果が低減されたらしい。
「了解! ――っと、やっぱり強い力は、抜けるのも早いな」
落ちてきたアイシアをキャッチして、また唇を奪う。
「んむっ――あ、あの、ナインくん。どうしても、その、き、キスをしなくてはいけませんか? ほら、ナインくん、いつも血を飲んでいるから、私の血でも――」
「ダメだ。先生の血は強すぎるから、多分、直飲みしたら頭が爆発する」
「んむっ」
ナインは底の抜けたコップのようなものだ。
いくら水を注いでも溢れることはないが、それでもコップの口の広さは一定であるから、一度に注ぐ量が多すぎると、口から水がこぼれてしまう。
ナインがよく血を飲んでいるのは、金で血を売ってくれるような人間の魔力量は低いので、それが効率的だからである。
一般人の給水量がヤカンだとすれば、アイシアのそれは樽をそのままひっくり返したようなものである。だから敢えて血よりは弱い、経口摂取で給水量を抑える必要がある。
「あ、ああ、オデ、オデ、どうしよう、ああ、そうだあ、殺せばいい、人間はあ、殺すんだあ」
混乱したローリングカバがナインが急旋回する。
「カバはバカらしく休むに似とけ」
ナインは両脇に蜘蛛の脚を挟み、巣を動かしてローリングカバに被せる。
「あ、ああああああ、オデ、動けないあああああああああああ!」
カバが蜘蛛の巣に絡まり、無意味な空回りを始めた。
「さすが聖剣でも斬れないらしい糸だな」
蜘蛛の発言が本当なのか、誇張なのかは知らないが、少なくともカバの突撃を受け止められるくらいには頑強なようだ。
「あ、アチキ、こんなの聞いてなあい! 頭の悪い人間どもを騙して、そそのかして、楽に勝てるって聞いてのに! いやああああ、いやああああ! いやあああああああああああああああああああああああああ」
蝙蝠女が高速で羽ばたき、茜色に染まり始めた大空へと急上昇する。
「逃がすかよ」
ナインは蝙蝠の腹に手を突っ込み、臓物と一緒に糸束を引きずり出した。
ブンブンと振り回し、投げ縄の要領でその被膜のついた指に引っかける。
そのまま蝙蝠女を引き寄せ、手刀で翼を切り落とした。
「あ、アチキの自慢の羽え! ち、違う、アチキはただ、正義のために頑張ってるのにい、魔族が自由に人間を殺せる理想の世界を作るためにやったのにい! どうしていじめるのおおあああああああ! あああああああああああ!」
「はあ。なんだお前、もしかして『素人童貞』か?」
正直、落胆していた。
魔将というからにはさぞ強い、A級の魔物の上位互換のような強者であることを期待していたのに。
(これじゃあ、まるで殺しを覚えたての新兵じゃないか)
よく、戦場では初めて人を殺した者を童貞の卒業と揶揄するが、ナンバーズの基準は普通の戦士のそれより厳しい。
大義や正義――すなわち、誰かに押し付けられた理由で殺す者は、『素人童貞』と呼ばれる。
なぜなら、イデオロギーのために殺しても、それは兵士を送り出す意思決定をした権力者の道具になっただけであり、真の殺戮者とは言えないからだ。
そのことを悟った戦士は、やがて極めて個人的な欲望のために殺すことを覚える。
そこまで言って、やっと脱童貞。
一人前として認められ、あだ名が与えられる。
さらにナンバーズになるには、もう一段階上の殺しを要求される。
すなわち、意味のない闘争。
憎くもない敵、勝っても銅貨一枚の得にもならない敵、戦略上何の価値もない無能な上官の尻ぬぐいで発生する戦い。
大義もなく正義もなく利もなく友情もなく愛情もなく、ただ戦場がそれを要求する故に、殺しのための殺しを気負うことなくできるようになって初めて、ナンバーズで呼ばれる資格がある。
「な、なに言ってるのお、わからない、わからなあい、に、人間、怖い、ま、魔王様あああああああああああああああああああ!」
「戦場から目を背けるな」
「ひゃぶ」
髪を振り乱して天を仰いだ蝙蝠女の顔面をぶち抜いて殺す。
「ナイン殿、敵の干渉の喪失を確認致しましてございまする!」
ヘレンが叫ぶ。
生徒たちが糸の切れた操り人形のように昏倒している。
(やはり、蜘蛛と蝙蝠が精神干渉担当か)
となると、ドロドロが偽装の幻術。
ローリングカバが荒事担当と言った所だろうか。
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