第三十二話 ナシのナイン
「ぷはっ、ちょっ、な、ナインくん! 何をやってるんですか! ダメです! 私の魔力なんか吸ったら、魔臓が壊れます! ナインくんが最上位クラスの身体強化系の能力者だということは分かります! よっぽど魔力吸収効率のいい身体と頑丈な魔臓を持っているんでしょう! それでも無理です! 聖女の魔力は人が扱うに過大すぎるんですよ!」
アイシアがナインの胸を突き飛ばし、肩を揺さぶってくる。
「壊れない」
やっぱりありがちな勘違いしていたか。
ナインはそんな立派な代物ではない。
「え?」
「俺には魔臓がない。だから、壊れない。ついでになにも能力なんてない。俺はただ、飲み込んだ魔力が身体の外に抜けていく本当に僅かな間だけ、強くなれるだけの雑魚だよ」
ポーションを飲んだら悪酔いする。
聖女のスープを飲んだら腹を下す。
多分、貧しい地域に産まれていたら、口減らしで殺されていた。
かといって、金持ちの家に生まれていても、光神教に異端認定されて殺されていた。
戦場でも普通は死ぬはずだ。
お荷物で、奴隷としての価値もない、魔臓欠損の出来損ないの子どもなんて。
だから、多分、ナインには両親がいないのだろう。
それでも、ナインは生きている。
数えきれないほどの人と魔物を殺し、生きてここに立っている。
それだけで、ナインは自分を全肯定することができる。
「は? ですけど、ナイン、あなた、決闘でワタクシの炎の壁を突破してきたではありませんの。あれを、身体強化なしで? 生身で?」
「愚僧を背負って枝から枝に跳び移ってござったが……」
「そりゃ、身体を鍛えてるし」
みんな魔法を当たり前に使えるから、ちょっと曲芸じみたことをすると身体強化の魔法を使ってると勘違いする。
だが、人間の身体ってやつは、ちゃんと育ててやれば魔法なしでも案外やれるものだ。
「そうですの。ならやはり
「然り。愚僧もてっきり同じ闇魔法の適性者かと……」
「だから魔法なんて使ってないって」
身体強化と並んで、ナインはドレイン《吸収》系の闇魔法の使い手ではないかと誤解される。
だが、実はナインが無魔力保持者であるため、他の魔力保持者と粘膜接触すると、過度な濃度差によって自然と魔力が流れ込んでくるだけのことである。
結果として魔力が流出した側からみれば、ドレインされたのと変わらない体感だろう。だが、それは水が高い所から低い所に流れるがごとき自然の摂理であって、何か特殊な魔法を介在させている訳ではない。
だから、『ナシのナイン』。
何もない、ギリギリ
「はははは! やっぱり人間は馬鹿だね! 自分たちの切り札をその手で台無しにするんだから!」
「好機じゃぞ! 忌々しき光神の加護さえなければ、聖女とてただの小娘じゃ!」
「さあ、人間どもお! 殺せえ! お前たちが苦しんでいるのにい! あいつらだけは無事よお! 戦場で乳繰り合っているのよお!」
「へへへ、オデ、前から聖女を食べて見たかったあ」
魔将たちが再び調子づき始める。
「なあ、ヘレン。俺、あいつらをぶっ殺したいんだ。お前、その間、操られている奴らを黙らせられるか?」
「然り! 然り! 愚僧にお任せあれ」
ヘレンが首が折れそうな勢いで頷く。
「マリシーヌ。どいつでもいいから、一体引き付けておいてくれ。三方向はギリいけるんだが、四方向と同時に戦うのはさすがにきつい」
「チッ、わかりましたわよ! あのドロドロジジイはワタクシが食い止めて差し上げますわ! ああ、もう! 聖女が使い物にならない以上、やるしかないではありませんの!」
マリシーヌが舌打ち一つ頷いた。
「ナインくん! 私も援護します! 聖魔法は使えなくても、魔将を引き付けるくらいのことは――」
「いや、先生は俺の革袋代わりな」
「えっ」
ナインはアイシアの脇の下に手を突っ込み持ち上げる。
「ほら、ちゃんと腕を俺の首に回して、脚を回して、ガキみたいに抱き着けよ。戦いにくいだろうが」
「な、ナインくん。私、これでも立派な成人女性なんですけど」
「先生もよく俺の頭を撫でてガキ扱いしてくるし、これでおあいこだな」
ナインは満面の笑みでそう言ってやる。
「――あの、もしかして、怒ってます?」
アイシアがナインの言った通りに抱き着いてくる。
「怒ってない」
ナインは再び無表情に戻って答えた。
「ああもう! 戦場で
蝙蝠女が被精神干渉者たちに指示を出す。
群衆の殺意がナインたちへと殺到する。
「皆様、『静粛に』! この『大式典』に参列を許された『栄誉ある』我々は、『誇り』をもって、正しい姿勢にて聴講するのが『良識』というものでございまする!」
ヘレンがヴェールを脱ぎ捨てる。
その癖のある長髪が床一面に伸び、黒いオーラを放ち始めた。
「うそお! アチキの精神干渉を書き換えたあ! なんでえ!?」
「人は社会的動物であり、
ヘレンが手を身体の横につけた丁寧な『気を付け』の姿勢で停止する。
その瞬間から、暴徒は全員、ただ退屈な演説が終わるの待つ聴衆へと戻った。
「雑魚女なんて放っておきなよ! 聖女さえ殺せばいいんだ! そうすればボクたちの勝ちだ! ボクたちだって魔将だよ! 人の一人や二人、簡単に殺せる! 囲め!」
蜘蛛が目に止まらぬ速さで糸を繰って包囲網を紡ぎ始める。
「な、ならあ、アチキは空からあ!」
蝙蝠女がナインの真上へと飛んできた。
「オ、オデ、暴れるのは好きだあ」
カバ面が丸まって、回転し始める。
「あの男、なにやら腕っぷしには自信があるようじゃが、ワシには物理攻撃など効かぬわい!」
地面に溶けて姿を隠そうとするドロドロ。
「そうですの! なら燃やして差し上げますわ!」
その半液体に、炎を全身にまとったマリシーヌがダイブした。
「あがああああああ! なんじゃああああああああ貴様あああああああ!」
「魔族に名乗る名なんてありませんわねえ! ――ああ、臭い! 汚物は焼いて消毒するに限りますわあ!」
「うぐっ、舐めるなあ! 小娘え! ワシとて魔将の一人じゃぞ! 搦め手ばかりで人を殺してきた訳ではないわい!」
ジュウジュウと生ごみが焼けるような臭い。
マリシーヌとドロドロの姿が黒煙の中に消える。
「溶けろおおおおおおおおおおおおお!」
「へへへへへ、ミンチ肉はうめえぞお!」
「どうせ人間なんてテキトーに首を切れば死ぬでしょお!」
前方から蜘蛛の吐き出す酸液、横からローリングカバ、そして上からは蝙蝠女。
「……」
ナインは蜘蛛に狙いを定めた。
どうやらあの四体の魔将の間に明確な上下関係はなさそうだが、指示を出しているのは蜘蛛だ。
戦争でも喧嘩でも、頭を潰すことで敵に混乱をもたらすことができる。
酸液を横跳びでかわして、そのまま駆けだした。
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