第三十一話 先生
「はっ。だからどうしたっていうんだ。三人くらい無事だったところで意味はないよ。数の力で押しつぶせばいい!」
「そうじゃのお。所詮、多勢に無勢じゃ。武装した奴らをこやつらに一気にぶつければ、それでしまいじゃ!」
蜘蛛とドロドロが小馬鹿にしたように言う。
「そうはさせませんよ! ナインくん、ヘレンさん、マリシーヌさん、素晴らしいです! そんな皆さんに、私から折り入ってお願いがあります」
アイシアが一瞬深く目を瞑り、決然と口を開く。
自然に引き寄せられるように、ナインたちはその言葉に意識を向けた。
「私が今から禁術を発動し、魔将たちを倒します。ですから、一時間――いえ、三十分、時間を稼いでください! 儀式の最中は無防備になるので、護衛が必要です!」
アイシアはそう言って、ナインたちの顔を見回す。
「な、禁術う!?」
「そ、そんな、オデ、確認したよう。何回も何回も確認したよう。聖女は怖いからよお。そしたらよお。お前らよう。言ったじゃないかよお。聖女は大丈夫だってよお」
「ああ。大丈夫さ。はったりに決まってる! 聖女の禁術は三日三晩、高位魔法士百人規模の儀式をしなければ使えない!」
「そうじゃ! 負け惜しみに決まっておる!」
魔将たちの顔が恐怖に歪む。
「確かにあなたたちは人間というものをよく勉強しているようです。でも、一つ失念しています。人間は進化します。過去の過ちから、後悔から、罪から。私は私の力を誰にも利用されたくなかった。だから、私だけの意思で禁術を発動できるように改良しました。効果範囲は狭まりましたが、人間は殺さない聖魔法です。発動時間は短く、力も凝縮されています。本当は魔王に使いたかったんですが、魔将四体でも私程度の命と引きかえなら十分でしょう」
アイシアが複雑な印を切る。
その身体が、ローブ越しでも分かるくらいの眩さで発光し始めた。
絹のような肌の顔と手に、血混じりの聖痕が浮かび始める。
「まさか、皮膚に術式を縫い込みましたの? 確かに携行性は上がりますでしょうけど、無茶ですわ! 非発動時でも常に待機魔力は流れているでしょう! そんな、これまで、二十四時間激痛に耐え続けながら暮らしてきただなんて……」
マリシーヌが自身の肩を抱き、震える。
「なんたる覚悟。聖女とはかくも受難に耐えねば務まらぬ偉業か」
ヘレンが祈るように手を組んだ。
「マリシーヌさん。私のせいであなたのお兄さんが死んだこと、謝りません。自らの意思で国の勝利を捨てた私には、謝る資格すらないから。それでもなお、お願いします。私を守ってください」
「……これがあなたのノブレスオブリージュですのね」
「そんな立派なものじゃありませんよ。私はこの破壊の力を殺すためじゃなくて、守るために使いたかった。ただそれだけです。全て私のわがままで、大義のためだと正当化するつもりもありません。でも、ここであの魔将たちの暴挙を止められなければ、世界の危機です。だから、助けてください」
「アルスラン=メスレ=ド=マリシーヌ、喜んで承ります。元王女様」
マリシーヌが優雅に一礼した。
いつかナインが彼女と決闘した時に聞いたのと同じようなセリフ。でも、今回はあの時のような皮肉のニュアンスは感じられなかった。
「ヘレンさんも協力お願いします。宗派は違いますが、同じ神を奉じる者として」
アイシアが印を切る。
「……もちろんにございまする。神敵覆滅のため、喜んでお付き合いしまする」
ヘレンも応ずるように印を切る。
「ナインくん。ごめんなさい。突然のことで、驚かせてしまいましたか? でも、いつもは私の方が驚かされてばかりだったから、これでおあいこですね。護衛、よろしくお願いします。できれば、襲ってくる生徒さんも殺さないであげてください」
ナインの沈黙をどう判断したのか。
アイシアはナインの手を握り、そんなことを言ってきた。
口元には、またナインが嫌いなあの悟り切った笑み。
「え、なんでもう先生の言うことを聞く前提みたいな感じで話しかけてきてんだよ。普通に俺は嫌だけど」
即答し、手を払う。
「え!? どうしてですか!?」
アイシアが目を見開いて素っ頓狂な声を出した。
「だって、今先生がやろうとしてるの、『教師』の仕事じゃないじゃん。『聖女』の仕事だろ。先生なら先生らしくしろよ」
「な、ナインくん! こんな時に屁理屈言わないでください! これ以外に方法がないんです!」
「ナイン、あなた、前から空気が読めない人だと思っておりましたけど、これほどとは……・あなたには、人の心の機微というものが分かりませんの?」
マリシーヌがジト目でこちらを見てくる。
「機微? はあ、また、『曖昧』か。――なあ、先生。俺、先生に『曖昧』を学んでくれって言われたけどさ、やっぱり、分からねえわ。俺なりに頑張って勉強しようとしたけど、どうにも『曖昧』ってやつは、最初から100点を目指さずに、70点で妥協しようとする腑抜けの言葉にしか思えない。例えば、ほら、今、俺が空気を読んで、その機微ってやつを分かったフリをして頷いたらな。先生は死ぬんだろ。きっと、やりきったって満足げな顔をしてさ」
それはナインにとって、無性に腹立たしいことだった。
その怒りの対象は、アイシアに対してではない。
もしそうなら、魔族の魔法に引っかかり、ナインも暴走しているはず。
だとすれば、この感情の正体はなんだ?
アイシアに会うずっと前から、胸のどこかにいた気がする。
いつからだ?
地獄の戦場で一人生き残った時から?
いや、初めての戦利品を奪われた時から?
いや、もっと昔、そもそも、スノーリカオンの腹の中で自我に目覚めたその瞬間から。
(……ああ、そうか。俺は
ようやく感情の出所を突き止める。
ずっと、理不尽の倒し方が分からなかった。
概念の殺し方なんて分からないから、無意識に考えないようにしていた。
でも、もし、勝手に世界を背負った気になっているこの女を本当の笑顔にできたなら。
ナインは理不尽の顔に一発ぶちかませたような、最高にすっきりした気分になる。
そんな無根拠の確信がある。
「ナインくん……。確かに今思えば、ナインくんには『曖昧』は必要ないものだったのかもしれませんね。でも、私は別に世間に迎合して欲しいとか、現実と妥協して欲しいとか、そういうつもりであのように言ったんじゃないんです。そうじゃなくて、ただ、知って欲しかった。いっぱい辛い思いをした分だけ、普通の男の子みたいに、友達とか恋人とか、今しか体験できない青春を楽しんで欲しかった。――いえ、今更遅いですよね。どうやら、私は先生としてもあまりいい人材ではなかったみたいです。教師失格ですから、せめて聖女として――いえ、死に損ねた哀れな女の宿題を片付けさせてくれませんか?」
泣きそうな顔で言う。
だが、もうナインはアイシアの言葉をまともに聞いてはいなかった。
彼女の出した現状の打開策は、余裕の不合格だ。
だから、ここからは、ナインの時間だ。
「ごちゃごちゃうるさいな。知るかよ。俺はまだ夢を叶えてないから、悪いけど、先生には死んでもらっちゃ困るんだよな」
ナインはアイシアの背後から近づく暴徒の顔面に右ストレートを決め――そのまま、流れるような自然な動作でアイシアの唇を奪った。
「んむっ! むぐぐ!」
アイシアの瞳孔が大きく開く。
(聖女のスープは不味かったけど、先生は美味しいんだな)
アイシアの舌を吸いながら、漠然とそんなことを思う。
彼女の唇は、生臭さの一切ないミルクのような味がする。
「なんと! ――くふふふ、ははははははははは! 『主は安息日に麦畑で食むを認むることぞある』。聖女を救うためならば、聖女を汚すことも許される! 大いなる矛盾! これが主の愛! さすれば、闇の魔法しか使えぬ愚僧とて、なんぞ光を崇むるに恥じることあらんや!」
「こ、こ、この愚か者おおおおおおおおおお! 聖女の処女性を棄損したら、禁術の発動条件が満たされなくなるではありませんのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ヘレンとマリシーヌがなにやらガヤガヤ言っている。
アイシアの身体の光が急速に収まっていく。
そうだ。これでいい。
普通、先生は光らないものだ。
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