第三十話 イレギュラーズ
(さて、どう勝つかな)
実の所、勝利への可能性はもう見えている。
だが、現状だと勝てる確率は半々。
これをどうやって上げていくか。それが問題だ。
「皆、正気を失っている――洗脳魔法ですか! 『立ち返れ人よ。我ら全て原罪の子。されど過ちを重ねぬ自由ぞある』」
アイシアが両手を広げて詠唱した。
一瞬、空気が凪ぐ。
だが、それは何の効果ももたらさず、争乱はさらに激しさを増す。
「へっ、無駄だよお、聖女お」
「お勉強してるのが人間だけだと思ったあ?」
「外部から意思を強要されるのが洗脳じゃ、本人が真実思っていることを拡張するのは聖魔法の解呪の対象にはならぬ。むしろ、それは人間の得意技じゃからのう。人の言葉ではそうデマゴーグと言ったか。戦争には必要な技術なのじゃろう? ワシらはそれと同じ程度の効果を魔法で代替したにすぎん」
「ボクは頭脳派だからさ。そこら辺のラインは人体実験してちゃんと確かめてあるよ」
四体の魔族がさらに嘲りの色を濃くした。
「……全て計算済みということですか」
アイシアが唇を噛む。
「そういうことだよ。ボクは調べたんだ。なぜ、個々の力に優れる魔族が、惰弱な人間を滅ぼしきれていないのか。それでわかったんだよ。人間は魔族にない特殊な感情によって強化される。友情とか、愛とか、パーティの絆とかね」
蜘蛛の糸が政治家たちの首を締めあげていく。
「『叫んでも風に音なき鎌鼬』」
アイシアの風の刃がそれを断ち切る。
「人間の正の感情がワシらの障害になるならば、それを逆用するまでのことじゃ。光が強ければ闇が濃くなるのは摂理じゃからのう」
ドロドロに人間の手が、足が、取り込まれていく。
地面から生え出た別の手が、無数の身体を引き戻す。
アイシアの右手の人差し指が、黒板にチョークを書きつけるように流麗に動く。
「憧れはすぐに嫉みに変わる。好意はすぐに憎しみに変わる。友情には順番があって、恋は王様と奴隷で、人間っておもしろおい!」
嗤う蝙蝠女のハート型の尻尾が、真下にいた生徒の心臓に伸びた。
反り立つ土壁がそれを弾く。
アイシアの左足が暗号じみたリズムを刻む。
「へへへ、オデは知ってるんだあ。どんな奴にも欲があるんだよお。金が欲しいよなあ。美味いものが食べたいよなあ。チヤホヤされたいよなあ。いい女を抱きたいよなあ」
カバが手近な生徒を丸呑みにしようと大口を開いた。
アイシアが左手を振る。
光の杭がカバのつっかえ棒のようにカバの口を閉じさせない。
「で、どうすんだ? 先生」
狂乱が辺りを埋め尽くしつつある。
ナインはついに襲い掛かってきた近くの生徒の鳩尾を殴り、気絶させつつ尋ねる。
アイシアからは『閉会式が終わるまでが実習です』と口を酸っぱく言われている。
つまり、今はまだ授業中だ。だから、アイシアがナインを納得させられる作戦を提示できるなら従ってやってもいい。
でも、何も案を出せないなら、ナインはナインの好きにやらせてもらう。
「――ナインくんは平気なんですか?」
アイシアは左右の手足をまるで別の生き物かのようにフル活用して、器用に同時詠唱をこなしながら、問うてくる。
「ああ、なんか、特に変わらないな」
精神操作系の魔法が行使されているらしいが、いつも通りの感覚だ。
「! そうですか。ナインくんは、本当に、誰も憎んだり、嫉んだり、嫉んだりしない真っ直ぐな心を持っているんですね。とっても偉いです。1000アイシアポイントを差し上げます。これなら……」
アイシアがパッと明るい顔になり、ナインの頭を撫でてくる。
「まさか、ボクたちの魔法が効かない? いや、でも、増幅すべき負の感情が存在しないなら――」
「無の心じゃと。そんな人間がおる訳がなかろうが!」
蜘蛛とドロドロジジイが初めての狼狽を見せる。
そんなに驚くことだろうか。
戦場では余計な感情を抱えている者から死ぬ。
憎しみも、嫉妬も、羨望も、心の贅肉にすぎない。
「魔将を前にしても眉一つ動かすることなし。さすがはナイン殿でありまするな。――はて、愚僧にも効いてはおらぬようでございまするが、これはいかに」
いかにもすぐに発狂しそうな印象のヘレンだったが、こちらも極めて平静だった。
手に臭そうな茶色のスモッグを纏い、正気を失った生徒たちを次々昏倒させていく。
「お、おまえ、何だあ? 強い闇の力を感じるぞお。オデたちと同じ魔物じゃないのかあ?」
カバが涎をまき散らして言う。
「失敬な。愚僧は敬虔な光の神の
「クスクス。おもしろおい。あなた、その神の僕のお仲間からはウザがられてるって知ってたあ?」
蝙蝠が指を振る。
いつぞやの実習で助けた修道女たちが、フラフラとヘレンの方に歩いてきた。
「ヘレンがいると、いつも会話が盛り上がりそうなところで止まるの」
「正論しか言わないから、話していても楽しくないし」
「時々、頭がおかしくなったみたいに奇声をあげるからびっくりする」
修道女たちが口々にヘレンを
「皆様方、いつもご迷惑をおかけしておりまする」
ヘレンは声色を変えることなく頭を下げる。
「もしかしてえ、アチキが言わせたと思ってるう? 全部彼女たちの本音よお。あんたは、あんたの仲間たち全員からウザがられているのよお」
蝙蝠女が煽るように言った。
「もちろん、存じ上げておりまする。愚僧はそもそも無償の愛を注ぐと言われている人の親に捨てられた身にございまする。浮浪児になっても、盗みも物乞いもろくにできず、殴られてばかりの日々でございました。されども、教会に入ってからは全てが変わりました。皆に馴染めぬことは変わりませぬが、愚僧のような者に気を遣って頂き、嫌々でも付きおうてくれるいるのでありまするから、彼女たちには感謝しかございませぬ」
ヘレンはその過去を、いかにも愉快げにそう語る。
「なぜだあ。他の奴は、お前をのけものにしてえ、楽しくやっているんだろお。なら、羨ましいだろお。持ってる奴が。妬ましいだろお」
「? そのようなことは全く思いませぬ。傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。七大罪を避けるは神の僕の基本。善女として当然の心掛けでありますれば。やはり神敵の汚言は理解できませぬな」
ヘレンは首を傾げた。
「ボ、ボク、わかったよ! こいつは、初めから心の中に負の感情しかないんだ。一度も正の感情を心に入れたことがない! だから、ボクたちの魔法で煽っても、無意味なんだ! ないのが当たり前で生きているんだ!」
蜘蛛が忙しなげに前脚を動かして叫んだ。
「ワシらの研究と違うではないか! 人は、肉親か、友人か、恋人とつながらねば生きてゆけぬのではなかったか! 誰からも蔑まれ、疎まれ、忌み嫌われたままで生きていける人間などおるものか!」
「何を世迷言を。愚僧共は皆、誰しも神に愛されておりまする。それだけで生きるには十分でございまする。そもそも、友情だの、愛情だの、愚僧にとっては書物の中だけにある絵空事でございまする。焼肉を食うたことのない者がなぜ焼肉を食べたいと思うことがありましょうや」
ヘレンはそう言い切って、仲間の修道女たちをも躊躇なく気絶させていく。
「な、なあにい、こいつう、気持ち悪い!」
蝙蝠女の顔が引きつる。
(ヘレン、思ったよりもやるじゃないか。これなら、戦えるな)
ナインはヘレンの評価を上方修正する。
彼女がこの精神性に見合う戦闘をするなら、七割くらいの確率で勝てそうだ。
「オデ、こいつら、嫌だあ。早く殺そう」
「ワシの見立てじゃと、あやつらの近くでは金の巻き毛の女が一番強い! 集中的に魔法をかけてやるがよいぞ!」
「まかせてえ」
蝙蝠女がマリシーヌ手をかざした。
「家の敵、兄の敵、そして、ワタクシに生涯消えぬ汚辱を与えた男――」
「そうだ! 君の敵だよ! 早く殺さないと! 君は一生負け犬のままだぞ!」
蜘蛛が袋が擦れ合うような耳障りな声で煽る。
「名誉は血によってのみ贖われる……」
マリシーヌが首を腕をだらりと下げた緩慢な動作でこちらに近づいてくる。
「……」
ナインは姿勢を低くして、柔術で締め落とす構えを取る。
彼女の全身から紅蓮のオーラがほとばしり、その口が災いの呪言を紡ぐ――
「――なんて、冗談ですわ。魔族ごときの思い通りになるワタクシではございませんわよ!」
こともなく、マリシーヌは自身の下腹部を勢いよく殴りつけた。
その太ももを伝い、黄金色の液体が足下に溜まっていく。
「ふふふ、どうやら、カフェで少々お紅茶を嗜みすぎたようですわね」
マリシーヌはすまし顔で小便が流れるに任せた。
「お前……」
「はっ。笑いたければ笑いなさい。すでに公開お漏らしをやらかしているんですもの。もう一度漏らしたところで今更評判に大差ございませんわよね!」
マリシーヌが開き直ったように叫ぶ。
「また効かない奴う!? どうなってるのお!」
「はっ。ペラペラと魔法のカラクリを喋ってくれて助かりましたわ。要は外向きの負の感情さえ抱かなければよろしいのでしょう。ならば、ワタクシはワタクシの心を『恥』で塗りつぶしますわ。憎しみは外に向けたもの、恥は内に向けるもの。ふふふ! はははは! 魔将を倒せば、世界の英雄。そうすれば、出世栄達思いのまま。過去の恥も、今の恥も、全部まとめて未来の笑い話に変えて差し上げましてよ!」
闘志を剥き出しにした不敵な笑みを浮かべ、押し寄せてくるアンデッドのような生徒たちを炎の壁で取り囲む。
酸欠状態になった生徒たちが一斉に倒れた。
(こいつも思ったよりも根性あったな)
さらに勝率を上方修正する。
これなら、ほぼ確実に勝てるだろう。
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