第二十七話 聖女のスープ

 表彰式を終えたナインたちは、パンゲアに戻るため、すぐにファリスの街を出た。


 帰路ももちろん、行きと同じく大自然を突っ切るルートだ。


 とはいえ、街を出たのが遅かった。


 明日の本格的な山登りを前に、ナインは裾野の洞穴でキャンプをする。


「それで? なんかレシピとかあるのか?」


 ナインはリュックから聖女用の滋養食の材料を取り出す。


 薬草の葉やら根っこやら、何かの巣、乾燥させた高位魔物の目など、その種類は多岐に及ぶ。


 言うまでもなく、闘技大会の副賞である。


「特にレシピといえるほどのものはありませんよ。強いていえば、素材の栄養を損なわないように調味料は使わないこと。お湯は煮立たせず、人肌くらいの温度にすることが特徴でしょうか」


 アイシアが焚火を見つめながら言った。


「じゃあ、火は弱めでいいか」


 ナインは焚き木の量を減らして、水を入れた半球状の白い器を火にかけた。


 鍋代わりに現地調達した、荒野で狩った荒れ角牛クレイジーカウの頭骨である。


「あとは、全ての材料を細かく切って混ぜるだけです」


「それは簡単だな」


 鉈の根本の方で食材を細かくして、器に投入。


 ぬるま湯の中でひたすらにかき混ぜる。


 やがて、ドブ色のドロドロした液体が完成した。


 漂ってくる臭いは潰したワーム《毛虫》系のモンスターの体液に近い。


「そうそう。そんな感じですね。懐かしいです」


「もう完成か」


 ナインは器を火から下ろし、口をつける。


「……どうですか?」


「うーん、味としては、ゴブリンの髄液よりは美味いが、トリックモンキー奸智猿の脳みそよりは不味い」


 苦くて臭いがエグみはそんなにないし、その臭さもナマモノ系ではなく薬品系の臭さなので、まあ飲めなくもないといった感じだ。


「ゴブリンはどれだけひどいんですか。もし飢えるような状況になってもゴブリンだけは食べたくないです」


「まあ、味も分かったし、もういいや。残りは先生にやる」


 さらに二、三回口にしてから、ナインは器をアイシアに突き出した。


 ナインはポーションが使えない。


 同様に、魔力養成用の食品も無駄なようだ。


 今までこんなに原材料費が高い飯を食べたことがなかったが、やはり安飯で十分だと再確認できた。


「生徒からの賄賂は受け取れませんよ」


「じゃあ捨てるか」


 ナインは器を傾ける。


 試したことはないのだが、これ以上、こんなに濃すぎる魔力滋養食品を食べると腹を壊しかねない。そんな予感がする。


「食べられる物を捨てるのは、倫理に反します」


「そうか。じゃあ飲めよ」


 再びアイシアの方に器を差し出す。


「……頂きます」


 アイシアは器を受け取り、ナインが飲んだのとは反対の場所に口をつけた。


 コクコクコクと、その細い喉が静かに鳴る。


「どうだ? 久しぶりの故郷の味は」


「――やっぱり、おいしくないです。でも、ナインくんの厚意は嬉しいですよ」


 アイシアは器を置き、そう言って笑った。


 何かを諦めたようなその笑みが、無性に癪に障る。


「……嬉しいって割には、全然嬉しそうじゃないんだよな」


 ぽつりと呟く。


「え?」


「前から思ったんだけどさ。先生って、最近、心から笑ったことあるか?」


「……さあ、どうでしょう。意識したこともありませんでした。でも、そうですね。確かにないかもしれません。私にはその資格はありませんから。私の決断のせいで、多くの人の命を奪いました。命まではいかなくても、未来を、家族を、誇りを失った人はさらに多い」


 アイシアが視線を落とす。


「ああ? そんなことを気にしてたのか。それで、『ナインくんも、私について詳しく知ったら、きっと嫌いになると思います』とか言ってたんだな。アホらしい。俺はどうとも思っていない。だから、笑え」


「ナインくんはそうでも、そうじゃない人がいっぱいいますよ。ファーストさんも私と私の親を殺したいくらいには憎んでいたでしょう」


「……やっぱり聞いてたのか」


 聞こえるような声量ではなかったはずだが、結界越しにナインとファーストの会話を盗み聞きできるとは、さすがの魔法力だ。


「王国の棄民兵への扱いを思えば、ファーストさんが私を殺したいと思うのも当然です。そして、棄民兵の方々だけではなく、マリシーヌさんのような元貴族も街角で物乞いする傷痍軍人の中にも、私を憎む人はたくさんいます。どれも逆恨みなどではなく、私の罪に対する真っ当な報いです。そんな私がどうして笑えますか?」


 目を細める。


 アイシアの発言は全て事実である。


 彼女がその事実をどう感じるかも自由である。


 しかし、ナインがそれに対してどう反応するのかもまた自由だ。


「――先生」


「はい?」


「前に言ってたよな。『あなた自身の夢を見つけてください』って」


「ええ。言いました。見つかりましたか?」


「ああ。今、見つけたよ。『先生の本物の笑顔を見る』それが俺の夢だ」


 傷ついたアイシアの心を癒したい――などとは微塵も思わない。


 そんな騎士じみた動機ではなく、ナインはただ自身の戦闘行動に影響が出かねない心理上の障害を排除したい。


 つまり、アイシアがシケた面をしているのがマジでむかつく。


 ナインはただその苛立ちを解消するためだけに、この女を笑顔にすることにした。


「どんな夢を見るかはナインくんの自由です」


 アイシアはそう言って器をこちらに突き返し、


「――でも、あまりおすすめはできない夢ですね」


 困ったようにはにかんだ。

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