第二一話 騎士と数字と学生(1)

 夜陰に紛れて二人は部屋を出た。


 北国の秋風は本来なら身に沁み込むような寒さだと聞いているが、鍛えられたナインの皮膚にはそよ風だ。


「先生、同行するのはいいが、頼むからバレないでくれよ」


「はい。音も匂いも視覚情報も魔法で完全に欺瞞しますから安心してください」


「ならいいけど」


 手紙の待ち合わせ時刻よりも一時間早く墓地につく。


 もちろん、ナインはハインリヒと直接会うつもりなどない。


 待ち合わせ場所には、布を適当に縫って作ったお守りとまた別の手紙を墓石に挟んで置いておく。


 そして、指定場所から一キロほど離れた、荒れた墓石の下、盗掘に遭ったらしい半開きの棺桶の中に隠れる。


 それから、顔の鼻から上だけを出した。


 血を口に含み、暫時接種しながら、視力と聴力を強化を維持して、ハインリヒの到着を待つ。


【手紙にはなんと書いたんですか?】


 アイシアが念話で語り掛けてくる。


『そりゃ、先生がいかにも言いそうなことを。とりあえず、ハインリヒの闘技大会での活躍を祈った上で、【本当にハインリヒに会いたかったが、今の私は教師でありそちらの事情が優先しなくてはならない。面倒見ている生徒に急用ができ、それに付き合う必要ができたので、待ち合わせに行けなくなった。もし会いたければ、忙しい所悪いけど私を探してくれ。居場所は生徒が泊まる宿次第なので明言できなくてごめんなさい】みたいな感じだ』


 ナインは土に指で文字を書いて答える。


 もちろん、実際のフォーマットはヘレンがマリシーヌに送った文章を流用しているので、もうちょっと堅苦しい言い回しだが。


【その書き方だと、結局ナインくんは自ら正体をばらしていることになりませんか?】


『そこが肝だ。俺は先生がこの街にいる過程は概ね全て真実を書いたが、一つだけ、一緒にいるナンバーズはナインじゃなくてファーストだということにした』


 周知の事実として、嘘をつくには真実の中に紛れ込ませるのが一番いい。


【……その意図は?】


『ファーストが本物のナンバーズなら、本気で隠れられたら普通にやっても見つけられない。だから、人の手を借りる』


【ハインリヒの人脈を利用するつもりですか】


『ああ、俺には地の利がないからな。ハインリヒのそれを利用させてもらう。奴はこの街では随分好かれているみたいだから、それくらいのツテはあるだろう』


【つまり、ハインリヒがファーストを見つけて動いたら、それを尾行すると】


『ああ。だから、これからしばらくはまた野宿だ』


 もちろん、宿の料金は前払いなので清算も済んでいる。


【もうここまできたら文句を言う気もおきません】


 アイシアは地面の枯草と小石を払って体育座りする。


 やがて、月が中天にさしかかった頃、一人の男がやってきた。


 身長は180cm前後。年齢は三十代前後といったところか。


 防具は、祝福済みのミスリルプレートと盾。


 武器も同じく、左の腰にミスリルの剣。それと右の腰にはナイフより少し長いくらいの短剣。


 茶色い髪の優男じみた顔。


 いかにも騎士らしい騎士だった。


(よし。来た)


 とりあえず現時点でハインリヒの祈りが中断されたのは確実であり、光の魔法の加護が薄くなることは確定した。


「……」


 ハインリヒと思しき男は無言のまま辺りを見回し、やがて手紙とお守りの入った封筒を見つける。


 短剣を抜き、丁寧に封を切る。


 また静かに短剣をしまい、手紙を開く。


 やがて手紙を読み終わったハインリヒは、右手に握ったお守りを胸に当て、跪いて深く頭を垂れ、左腕を水平に上げた。


『ほらやってる! あのおもろい挨拶やってる! すげー、マジでやるんだ』


 ナインは動物園の珍獣を観た心持ちで目を輝かせる。


 騎士は戦場でも名乗りを上げるなど奇怪な行動で知られているが、眼の前に女もいないのに、ただのお守り相手に最上の礼をしている姿は滑稽だった。


【ナインくん。どんな文化も尊重されるべきものであって、揶揄するのはよくありませんよ】


『でも、俺が前に先生にあの礼をやった時はめっちゃ止めてきただろ』


【だからそれはナインくんには似合わないからですよ】


『それって差別ってやつじゃねーの?』


【区別です。答えを導き出す解法は一つではありません】


『そうかよ。――でも、まあ、あいつ、強いな。さすがは元近衛騎士って感じだな』


 殺気を秘め、闘気とする術を身に着けている。短剣を逆手持ちしていたから、暗殺や不意打ちの類にも慣れているようだ。長剣もハリボテ騎士にありがちな無用な装飾はなく、実用重視の仕立てにしてある。


 もっとも、もしナインのかつての戦場で出会っていたらなら、負ける気はしない相手だ。


 でも、闘技大会は戦場ではない。


 近衛騎士は王族の警備が主な仕事であるから、個人戦や少人数の制圧戦が本領であり、しかも地元となれば、完全に向こうが有利なフィールドで戦わざるを得ない。


 だからナインは全力でハインリヒに嫌がらせをし、少しでも勝率を上げなければいけない。それが、ナインにとっての相手に対する敬意だ。


 ハインリヒはやがて教会に戻った。


 そして、監視し続けること二日後の夕方、彼は教会から出てきた。


 雑踏に紛れ、その背中を追う。


 ハインリヒが足を向けたのは、彼には似つかわしくないスラムの大衆酒場だった。


「どうやら、ファーストの方が会談場所を指定したみたいだな」


「いまいち、よくわかりません。ハインリヒの性格的に正直に手紙の情報を開示した上で話をもっていっていると思います。つまり、ファースト氏は明らかに人違いの案件で呼び出されていることには気づいています。普通、拒否するか、無視しませんか?」


「いや、ファーストは来るよ。俺の存在と意図を察知した上で来る」


 もし来ないなら、それはナンバーズの偽物だ。


 わずかな手がかりを元にファーストの存在を察知し、間接的に接触できる力量がある。その時点でファーストは他のナンバーズの存在を確信したはずだ。


 相談などしなくても、ナンバーズ同士は連携できる。


 ハインリヒはナインとファーストの共通の障害。


 勝利への最適解が二人の共通言語だ。


 すなわち、ハインリヒのルーティンを乱し、ベストのコンディションで闘技大会には参加させない。


 そういう共通目標がある。


 ハインリヒが中に入ったのを見届けてから、ナインたちは彼が入ったのとは反対の入り口から酒場へと足を踏み入れた。


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