第七話 救出作戦(1)
「で、ヘレン、逃げてきたルートは覚えてるのか?」
「いえ、そんな余裕はなく……」
「そうか。足跡を辿ればいつかは元いた場所に行きつくだろうが、その様子だと右往左往してゴチャゴチャしたルートを通ってるっぽいし、時間がかかるぞ」
「私が探索魔法を使いましょうか? 補助魔法ですので、減点対象とはなりますが、ナインくんは救出点の方が上回りますし、ヘレンさんも仲間とマイナスを分担すれば大した減点にはならないでしょう」
「俺はどっちでもいい」
「お願いしまする」
「では使いますね。『風は気まぐれ。旅は一期一会。会える会えぬは運命なれど。風の便りを乞い願う』……一番近いのは北西の方角に二人ですね。次に北東に別の二人。この辺りまで進出してきている人間は少ないのでまず間違いないと思いますよ」
アイシアが歌うように詠唱し、空中に出現させた暗い緑の蛍光色の矢印で行先を示す。
「わかった。じゃあ行くか」
ナインは樹上へと跳び上がる。
「ちょ、ちょっとお待ちを、まさか、そのまま樹上を進軍するのでございまするか?」
「あ? そりゃこっちの方が安全だし、視野も広いしな。ヘレンも先生みたいに飛ぶか、俺みたいに跳べよ」
「ですから、愚僧は魔法は何も使えぬのです……」
「俺も魔法は使ってないんだが……。ちっ。しゃあねえな。背負ってやるから舌を噛むなよ」
ナインは地上に降りて、ヘレンへ背中を向けた。
「あ、ああ、と、殿方とこんなに密着してしまうなんて、後で水垢離確定でありまする……」
「危ないから奥歯を噛みしめて黙ってろって」
ナインは手近な蔦を引きちぎり、赤子の背負い紐のようにヘレンを括る。
「承知。不言行は得意でありまする……」
ヘレンが口を噤んだ。
ムフー、ムフーと荒い鼻息が耳にかかって鬱陶しい。
「ナインくん。その調子です。中々紳士的で良いですよ」
「それも評価対象なのか」
「いえ。でも、1アイシアポイントを差し上げます」
「それ集めると何かいいことあるのか?」
「なにもありません。あ、でも、頭をいい子いい子するくらいなら」
「……先生も黙っててくれ」
「はい。ではリーダーの指示に従いますね」
どこか愉快そうに言う。
アイシアの矢印に従って進軍する。
鉤爪型の星座――通称海賊王の右腕が空の向こうに沈む頃、ナインは足を止めた。
【百メートル先で戦闘中ですね。ナインくんは気付いているみたいですが一応】
アイシアが念話を送ってくる。
とっくに音で気付いていたが、そうでなくても断続的に暗闇の中で弾ける光を見れば自明だ。
まだ魔物の姿は見えないものの、肌に感じる殺気の程度からすると大した強さではない。
「俺はA組のナイン! ヘレンに頼まれて来た! 助けに来たぞ!」
敢えて大きな声を出しながら戦闘の中心に近づいていく。
もしC級以上の魔物がいるなら、ヘレンの仲間に倒される前にこちらに引きつけてさっさと討伐数を稼ぎたい――のだが、反応がない。
これはグラインダーカメレオンの方だな。
ロングクロードッグなら、新手に対する情報を仲間と共有するために鳴き声を上げるはずだ。
「姉妹たち、お、お待たせしたでございまする! 神の恩寵に導かれ、戻って来ましたぞ」
ヘレンが感極まった声で言った。
「え、本当にヘレンが救援を? 魔物を引っ張ってきたんじゃなくて?」
「っていうか、本当にヘレン? 死体に憑依したシャドウ系の魔物じゃない?」
背中を預け合い杖を構えた修道女二人が、疑念たっぷりの声を上げた。
想像していた反応とだいぶ違う。
「……なんかめちゃくちゃ言われてるが」
「た、確かに愚僧は魔物の襲撃を受けやすい気がしまする。ああ、それに猫や犬に嫌われまする。ですが、姉妹たち、『これも神の与えたもうた試練。試練多き者ほど悟りに近い』と励ましてくれたではありませんか。まさか、神の信徒が嘘を、嘘を、ヒョロロロローン』」
虎落笛のようなすすり泣きが聞こえる。
鬱陶しい。早く降ろそう。
「A組担任のアイシアです。怪我人はいらっしゃいますか」
木陰から顔出して呼びかける。
「アイシア先生!」
「良かった。本当の増援だ」
修道女たちが安堵の溜息を漏らす。
「で、魔物だけど、俺が狩ってもいいよな?」
ナインは樹上から跳び上がり、修道女の近くに着地する。
それから、蔦を切ってヘレンを地面へ降ろした。
「え、それはもちろん構わないけど……居場所が分からないわ」
「
修道女たちはさりげなくヘレンを間に挟んで守る姿勢を取った。
「見つからないって、そこにいるじゃん。C級くらいなら身を隠す知能はあっても殺気丸出しだし」
ナインは装備した革袋に指を突っ込む。
それから指先についた血を舐めとる。
そして、迷いなく目星をつけた木に歩み寄り、その幹をガンガン蹴り飛ばす。
シューッと蛇に近い、かすかな鳴き声と共に、塊が降ってくる。
脚力に重力を乗せた不可視の一撃。
それをナインは半歩引いてかわし、ノールックで踏み潰した。
やがて擬態が解けて、頭部を失った爬虫類の赤茶けた肌の色が星明りに照らされる。
グラインダーカメレオン。
ナインの戦場においては安全に確保できる食糧とみなされていた。
雑食で死肉も漁るタイプなので個体差はあるが、基本的には鶏肉に近い味がして結構美味い。
シャ。
「逃がすかよ」
ナインは九十度回転し、ポケットの石を投擲した。
グチャ、ボトっと確かな手応え。
グラインダーカメレオンは集団で狩りをするものの、連帯意識は薄く形成不利と見ればすぐに逃げ出す。そういう意味でもあと腐れがなくて食糧にするには上等だ。
「す、すご。グラインダーカメレオンってあんなに脆かったっけ?」
「いや、風魔法の援護なしの矢なら弾くくらい固いはずだよ」
修道女たちがそう囁き合った。
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