第六話 不審者


 カラカラカラカラ。

 

 樹上で幹に背中を預け、浅い眠りにまどろんでいたナインは静かに目を開いた。


 蔦と枝だけで作った簡易な警戒網に何かが引っかかったらしい。


 ポケットに手を突っ込み、隠し持っていた石を掴む。


【攻撃は待ってください! 誰何すいかを!】


 躊躇なく石を投擲しようとしたナインの腕を、アイシアの声が制止する。


 わざわざ声を出して、居場所を教えろというのか。


 戦場では警戒網に引っかかった時点で、敵か無能な味方であることは確実なので、とりあえず攻撃するのが当たり前であった。


 解せないが、先生の指示ならば仕方がない。


「止まれ。名前を言え!」


 樹上でそう叫んでから、跳んで地面へと降りる。


 ここで沈黙するなら、さすがに疑いようもなく敵だ。


 すなわち、言葉を持たない魔物か、悪意のある人間かの二択である。


「ひゃ、いひゃひゃ! 愚僧はルガード戦学院、で、D組所属、ヘレンです。感光名ブライトネームはイザヤ」


 家禽が絞殺される寸前のような声で、不審者が名乗る。


「誰だ?」


「D組ということは、一般入試組の生徒さんですね。私はA組の担任、アイシアです。どうされました?」


 アイシアはそう答えつつ、カンテラの灯りをつける。


「あ、あああ、王女様、終わった。愚僧、王国式の宮廷マナーなんて知らない。打ち首決定……」


 藪から出てきたヘレンは、猫背の女だった。そのまま地面に五体投地し、兎のように身体を震わせる。


 肩まで伸びた黒いクセっ毛をヴェールで覆い、修道服を身に纏っている。


 どこかで転んだのだろうか。修道服は泥と木の葉にまみれ、脛には軽い擦り傷があった。


 戦闘力はなさそうだが、光魔法の使い手ならば不自然でもないか。


「えっと、王制は廃止されましたし、旧約の感光名ということは戒律派ですから、新約派の王国の元臣民でもありませんよね? とにかく、今の私はただの教師なので、そういった格式ばった礼式は不要ですよ」


「……ああ、なんと寛大なお言葉。さすがは聖女、アイシア先生。『人の言葉におしなべて原罪あり。書のいさかいは人の業にて、神に依らず。光のともがらに敬意を』」


 ヘレンはむくりと上体を起こし、手を組んで祈りを捧げた後、ヴェールを上げて素顔を晒す。


 動物でいえば、気弱な狐っぽい顔だ。もしくは、獲物を横取りされたハイエナの顔にも見えた。その卑屈な態度には嗜虐心を煽る雰囲気があり、戦場ならいじめられて殺されるか、態度だけでかい女を殴るのが大好きな男の情婦になって、結局死にそうな感じだ。


「『敬意を』――それで、慌てている様子でしたが、何か緊急事態ですか?」


 アイシアは儀礼的に手を組んでそれに応えて言う。


「そ、そうです! 先生、どうかお助けください。愚僧を含めた善女五人が夜陰に紛れた四足獣の魔物たちに奇襲を受けました。何とか壊滅こそしなかったものの隊列が崩れ、そのままバラバラになってしまい……」


「四足獣の魔物ですか。敵の具体的な数、牙の生え方や爪の本数や毛の色は分かりますか?」


 アイシアは冷静に問いを続ける。


「数は五体前後、外見はき、奇襲の混乱でそこまで判別している余裕は――ああ! しかし、光魔法を使い、多様な光源を確保している愚僧どもが近づかれているのに気づかないほど、隠密に長けている奴らかと、思われ、まする」


 ヘレンが絞り出すように言った。


「森に生息し、擬態にすぐれた四足の魔物。おそらく、C級のグラインダーカメレオン、もしくはD級のロングクロードッグ長爪犬の老練なチーム――そもそも、一般入試組の生徒の戦闘試験のノルマは、戦試組よりも平易に設定されているはずです。にも関わらず、どうしてこのような所まで先行する危険を冒したのですか?」


「今日は聖マニウスの月、殉教日、アウグレアの受難日、踏み固められた道は全て凶。故に神が与えたもうた試練と思い、道なき道に足を踏み入れた次第」


「戒律派特有の物忌みですか……。状況は分かりました。教師の義務として助力しましょう。一応確認ですが、教師から戦闘行為を伴う補助を受けた場合、救出結果の有無に関わらず落第となりますが、構いませんね?」


「はい。ああ、しかし、貧しき愚僧どもの教会に留年するほどの学資の余裕は――いえ、仲間の命には替えられません。ああ、しかし、ここで不良な成績を残せば、後輩たちへの推薦枠が……。そうです。こんな時には聖典を思い出すのです。『神のために傷つくものは、天の栄光に預かれり』。殉教は善女の誉れ。ああしかし、『困難にある同胞はらからから目を背けるならば、私もあなたから目を背ける』……」


 ヘレンがぶつぶつと呟き、一人の世界に入ってしまう。


「……ナインくん」


「なんだ?」


 石を握ったまま周囲を警戒していたナインは、視線を森の暗闇に向けたまま答えた。


「もしよければ、ナインくんがヘレンさんを助けてあげてくれませんか。緊急時に生徒同士が臨時にパーティを組むことは、学則でも認められています。救出側には加点もつきますよ」


「嫌だ」


 即答する。


「どうしてですか?」


「弱い奴を助けると、そいつは助けた奴を頼るようになって成長を止める。だからといって、途中で切り捨てると、なぜか最初から手を差し伸べなかった奴よりも恨まれる。最悪共倒れだ」


 優しい奴ほど早く死ぬとは、そういうことだ。


「一理あります。ですが、彼女もこの学院にわざわざ入学しようというのですから、向上心はあるはずです。そして、光魔法の使い手は貴重です。ですから、今後ナインくんが学生生活をしていくにあたって、ヘレンさんのような光の教徒の協力を得られれば大きな助けになります。パーティに光魔法が使える者がいるといないでは継戦能力が段違いですから。そうですよね? ヘレンさん」


 アイシアがヘレンに目配せする。


「使えません」


 肩を落とすヘレン。


「え」


 絶句するアイシア。


「愚僧は教会の神試を含め、全てのギルドの記述試験の合格実績を持っています。故に主に勉学方面での貢献を期待され、教会の推薦メンバーに選ばれました。ですが、なぜか神は愚僧に光の恩寵を賜りませんでした。ですので、愚僧のパーティでの役目は荷物持ちであり、いてもいなくても一緒なので、真っ先に逃がされ、助けを呼ぶ役目を与えられたのです」


「だ、そうだが?」


 ナインはアイシアに胡乱な視線を送る。


「……か、彼女自体が光魔法を使えなくとも、彼女の仲間たちは使えるでしょう。ここでナインくんがヘレンさんを助ければ、きっとその仲間たちが感謝してナインくんを助けてくれるはずです」


 アイシアが目を泳がせながら答える。


「それ全部推測だろ。そもそも俺は他人と口約束はしない」


「ナインくん、戦場での弱者が、他の場所でもそうだとは限らないんですよ。例えば、裕福な商人は個人としては弱者ですが、筋骨隆々な猛者たちを雇い、顎で使える強者です。街角で物乞いをする足の不自由な老人が実は裏社会の元締めであり、彼を軽んじたばっかりに重要な情報を得られず、大功を逃した将軍の逸話もあります。ですから、どんな人でも侮らずに優しくしてあげた方が、結局巡り巡って自分のためになるんです」


 アイシアが諭すように言う。


「侮るとか侮どらないじゃなくて、対価を払えるかって話だろ。で、こいつ金はないってさっき自分で言ってただろ、貧乏な坊主ってことは権力もないだろ、それで雑魚い上に、人望も――ないよな? もしあるなら、絶対仲間がついてきてるはずだ」


 いざという時に、自然に人が付き従う。


 それがリーダーというものだ。


「あ、あばばばばばば、違います違います。ガリ勉ワカメも地味地味紙魚虫も悪口じゃなくて親しみのあらわれなんです。『神の国では低き者ほど高められ、高き者ほど低められる』、『孤独は優れた精神の持ち主の運命である』」


 ヘレンが頭を抱え白目をむき、左右に小刻みに揺れながら妄言を垂れ流す。


 あまりにも不気味な魔物っぽい挙動で、ナインは思わず石を投げそうになった。


「ナインくん!」


「はあ、わかったよ。どのみちC級以上の魔物を探してるんだし、そいつらを見つけられる可能性があるなら一時的に手を組むのも悪くない」


 ナインは肩をすくめて言う。


「よくできました」


 アイシアがほっとしたように頷く。


「俺が先行で露払いをする。間にヘレンを挟んで、最後尾は先生が万が一のバックアップ。これでいいな? 指揮権だけは絶対に譲らない」


「はい。私はそれで構いません――よかったですね。ヘレンさん。ナインくんが臨時グループを組んでくれるそうですよ。これでペナルティなしで救出に向かえますね」


 アイシアが励ますようにヘレンの方を叩く。


「え? あ、はい。あなたが愚僧どもを助けてくださるので?」


 ヘレンが我に返ったように黒目に戻り、ナインへ意識を向ける。


「おう」


 ナインは小さく頷く。


「おお! ご慈悲に感謝します。是非お名前を伺わせてください。愚僧は決して一度会った方の顔と名前は忘れません」


 ヘレンが顔に喜色を浮かべて手を組む。


「ん? ナインだけど」


 さっきからアイシアが散々名前を呼んでるのに、聞いてなかったのか。


 こういう気分と集中力にムラがあるタイプは要注意だ。


「ひっ、う、噂のナンバーズ《番号持ち》。お、犯される」


 ヘレンがヴェールを下げて、警戒するように後じさる。


「犯さねえわ! どんなイメージだよ」


「だ、だって、棄民兵の仲間になるためには、一番大切なものを差し出さなければならないマナーなのでしょう。つまり、光の教徒にとっては時に命よりも大切な愚僧の貞操を――」


 ヘレンが股間の辺りを両手で押さえて、怯えた目でナインを見てくる。


「ああ? どっから仕入れたんだよそのホラ話。棄民兵には武器以外で個人の持ち物はないんだよ。戦場でいちいち盗った盗らないで揉めてる暇はないからな」


「つまり、『あとは皆様のおもちゃです』ということですか……。初体験がそんなめちゃくちゃな……。いえ、しかし、マグダラのアリア然り、信仰心さえあれば肉の穢れは必ずしも天国への道を閉ざすものではないのかもしれませんが――」


 ヘレンが顔を真っ赤にして、再び妄想モードに入った。


「おい、なんだこいつ。本当に大丈夫か?」


 ナインは眉根を寄せ、確認するようにアイシアを見る。


「……さ、先を急ぎましょうか。命に関わることですから」


 アイシアはナインの質問に答えることなく、キャンプ用具を空間魔法で収納し始めた。

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