第五話 夢

 それからさらに三時間ほど先に進み、日が落ちきったところで、行軍を停止した。


 ナインとしては十分ほどの仮眠を断続的に挟みつつ、夜通し進むつもりだったのだが、アイシアが持たないと判断したためだ。


 ナインは鉈で適度に周囲を切り開き、視界と安全を確保する。


 アイシアは虚空に手を伸ばし、魔除けの香と寝袋を取り出した。


 さらには、火の魔石を組み込んだ鼎の簡易コンロ、小鍋、水の入った瓶、コップ、塩、パン、肉、香草――次から次へと出てくる。


(空間魔法か)


 非常にレアな魔法だ。


 ナンバーズでもスリーが、不完全な形でしか使えなかった。


 通常はこのように輸送と保存用に用いられるが、スリーは長時間維持するのが不可能な代わりに現実世界の空間をズラして、どんな巨漢の脳みそも心臓も吹っ飛ばすことができた。


「さすがに焚火はしないんだな」


「ふふ、私もさすがにそこまで物知らずではありませんよ」


 アイシアが苦笑して、無煙の簡易コンロで水を沸かし始める。


「ふーん」


 森林の暗闇で焚火をすることは、大量の虫系の魔物を呼び込む危険な行為だ。


 雑魚魔物や野生動物なら牽制するする程度の効果はあるが、逆に人間を恐れないレベルの魔物や野盗にとっては目印となる。


(いざとなったら、放火して魔物をあぶり出す方法もあるけど、先生は許さないだろうな)


 森林は脅威でもあるが、木材や薬草、果実等を採取するための資源地でもある。


 山火事など起こそうものなら、ナインは街の住民全員から袋叩きに合うだろう。


 本来ならそんなの逃げてしまえばいいだけだが、今は学生だし、身元が割れてしまっている。


「……」


 アイシアは鍋に入った肉と香草のスープを一煮立ちさせてから火の魔石を外し、カンテラの中へと移す。辛うじて顔の輪郭が見える程度の仄かな明かりが適度に手元を照らす。


 そして、彼女は鍋からコップへスープを注ぎ、それからパンを小さくちぎって黙々と口に運び始めた。


 上品な仕草だ。


 スープにパンをそのままぶちこんだ方が美味くて早く済むのに。


「ナインくんも食べますか?」


 ナインの視線に気づいたアイシアがパンを半分に割って差し出してくる。


「いいのか!? ああ、いや、でも、それも減点対象になるんだろ? 便器共用? みたいなやつ」


 ナインは毒が入ってない限り出された物は食う。


 言葉が通じないことも多い棄民兵に唯一共通するコミュニケーションは「同じ釜の飯を食う」だったからだ。


 今回はアイシアが毒見してくれている状態だから問題ない。


「便宜供与ですね。いえ、食事の共有は日常的なコミュニケーションの範囲内ですから問題ない――ああ、でも、確かにうるさい先生は突っ込んでくるかもしれません」


 アイシアが顎に人差し指を当てて小首を傾げる。


「ならいらないよ。俺にはこれがあるもん」


 ナインは藪から灰色のとげとげした棒を取り出す。


 所々についた血は、すでに乾き始めて赤黒く変色している。


「そ、それなんですか?」


「ああ、これ、ゴブリンの背骨だよ」


 そう答えて、鉈の柄で背骨の端を砕く。


「え、た、食べるんですか? ゴブリンの肉は不衛生ですし、寄生虫の危険性もありますよ」


「背骨だから平気だよ。どんな魔物でも脊髄の毒は薄いから。飲んでみるか?」


 ナインはお返しにとばかり背骨をアイシアの前に突き出す。


「いえ、遠慮しておきます。わ、賄賂だと判断されるかもしれないので」


 アイシアが首を横に振る。


「そっか。ちなみに死体の方はそこに隠しておいたから、いつでも便所に使ってくれ」


 ナインは藪を顎でしゃくり、脊髄をすする。


 ちょっと苦いがどうってことはない。


「お、お気遣いありがとうございます」


 アイシアがコップで口元を隠して言った。


 それきり、沈黙が場を支配する。


 濁音だけで構成された鳥の鳴き声と獣の遠吠えが聞こえる。


 おそらく、普通の人間なら不気味に感じるであろうそれらの音は、ナインに取ってはかえって心安らぐ子守歌のようなものだ。


「ナインくん」


 ぽつりと呟くように言う。


「ん?」


「質問したいことがあります。これは教師としてではなく個人的な興味からくる質問なので、答えなくても構いません」


 わざと感情を抑えたような平坦なトーンで語る。


「なんだよ。改まって」


「決闘や今日の様子を見る限り、ナインくんはすでに学院に通わなくても、傭兵や冒険者として生計を立てていくだけの実力が十分にあります」


「そうかもな」


「もちろん、実力者でも学院に通っている人はいます。正義感に駆られて、もしくは、名誉や、学歴、軍人としての出世を求める人がそれに相当します。でも、ナインくんにはそういう欲望があるようには見えません」


「うん。まあ、少なくとも、今先生が言ったやつはよくわからないや」


「なら、ナインくんはなぜ学院に通おうと思ったのですか」


「ああ、そりゃ、学院に通うことでしか叶えられなさそうな夢がいっぱいあるからな」


 ナンバーズの夢はどれも一筋縄ではいかないものばかりだ。


 とはいっても、ナインは散っていった仲間への弔いのために、彼らの夢を代わりに叶えたい――という訳ではない・・・・・・・・


 死は死であり、仲間の夢をナインが叶えたところで何の意味もないことは自明だ。


 しかし、唐突に終戦を告げられ、不意の自由を与えられた時、ナインには特にやりたいことがなかった。


 だから試しに、他のナンバーズの夢を借りてみようと思ったのだ。


 その中にぴったり自分にはまる夢があるかもしれないし、ないかもしれない。


 でもなければないで別にいい。


 ナインは夢がなければ生きていけないほど弱くないし、現にそうして生きてきた。


 夢はナインにとってはなくて当たり前のものだ。


 要するに、当座の暇つぶしであって、深く考えてのことではない。


 だから、ルガード戦学院を受験したのにも、一番叶えられる夢の数が多そうな場所だと単純に判断しただけのことである。


(ま、誰の夢であれ、思ったよりも叶えるのは難しいものだな)


 入学試験の時は早速シックスの夢は叶えられるかと思ったのに、あれっきり、あのマリシーヌとかいう金髪女を学院で見かけることはなかった。


「……その夢、具体的に伺っても?」


「ん? そうだな。例えば、サードは『図書館の本を読破する』だし、ファイブは『学校をトップの成績で卒業する』だし、シックスは『物語の英雄みたいな活躍がしたい』だし、セブンは『マッチョなイケメンだけのハーレム生徒会を作る』とかだな。まあ、最後のは俺には達成が難しいんだけどさー」


「えっと、その中にナインくん自体の夢はないんですか?」


「ああ、特にないな。必要ないし」


 そう、ナインには夢がない。


 だが、それがどうした。


 ナインが一生かかっても達成できなさそうな仲間たちの夢がいくつもある。


 そして、夢がなくたってどうってことはない。


「そうですか……」


 アイシアが視線を伏せる。


「じゃあ、先生は?」


「私ですか?」


「ああ。俺だけ言うのはおかしいだろ」


 何でも与えっぱなしはよくない。


 例えそれが質問に答えるという些細なことであっても、一方的に片方ばかりが受けるという状況が積み重なれば、やがて上下関係を作ることに繋がる。


「うーん、そうですね。私は――『世界で一番立派なゴブリンになること』でしょうか」


 アイシアはしばらく考えたあと、ナインがしゃぶっている背骨を一瞥して言う。


「なんだそれ。よくわからねえ」


 吸い終わった骨を地面に突き刺して首を傾げる。


「私のことはいいんです。とにかく、ナインくんは是非、あなた自身の夢を見つけてください。これは私からのお願いです」


 はにかんだ、何かを誤魔化すような笑み。


 ナインはアイシアが好きだが、やっぱりこの笑い方は嫌いだ。

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