第四話 便利なゴブリン
学院から乗り合い馬車で約一週間。
学院生たちは南の辺境の街についた。
街とはいっても半ば砦と化した城塞都市である。
はるかに広がる大森林を見下ろすように、扇状の城壁が立てられていた。
城壁の一部には魔法や弓といった遠距離攻撃用の小窓――
ただその城壁にはあちらこちらが崩れており、綻びも見られる。
「それでは、ただ今より実習を始めます。一週間以内に所定の魔物を討伐してください。討伐した魔物の鑑定は、提携の冒険者ギルドの方々によって行われ、その印章をもって合格の証とします。それでは、皆さん、お気をつけて」
城門の前、アイシアが生徒たちに厳かに告げる。
「どうする?」
「ま、これくらい余裕だな」
「ポーション代は学院持ちだからな。ここはチャレンジしなきゃ損だぜ」
「まずは確実にE級を二体しとめましょう。その後は余裕もって加点を狙いにいきます」
「街道の露営は経験あるけど、森で野宿は初めてだな」
「あー、俺も聖女先生とワクドキキャンプしたかったなー」
「おい。余計なこと言うな。殺されるぞ」
生徒たちが各々の仲間たちと雑談しながら、森へと向かっていく。
「では、ナインくん。私たちも行きましょうか――ナインくん? どうしました?」
「いや、仮にこの街を攻略するとしたら、どう攻めようか考えていた」
ナインは森に背を向け、城壁を隅々までじっと眺める。
「敵の視点に立ち、常に最悪の状況を想定しておくことは大切ですね。けれど、この街が魔物に襲われる確率は極めて低いかと思いますよ。それはなぜか。――筆記テストでは序盤の点取り問題としてよく出るポイントなので、一応おさらいしておきましょうか」
「先生、さすがにそれくらいは俺も知ってるよ。魔王四方周期ってやつだろ?」
ナインはそう言って踵を返す。
魔王は百年ごとに世界に生まれる。
二十年後に来たるべき次の魔王の出現予測地域は東で、学院の当面の目標はそれに対抗できる戦士を育てること。ことあるごとに教師たちが口を酸っぱくして説教してくるので、聞き流しているナインでもさすがに覚えた。
「はいそうです。魔王の出現地域は百年ごと時計回りに――つまり、北→東→南→西→北の順で巡ります。その原因については、星の巡りや地下の龍脈の流れが関係していると言われていますが諸説あり、未だ結論は出ていません」
アイシアが教壇に立つ時と同じ、流暢な口調で言う。
「つまり、南の魔物は雑魚ばかりってことだろ?」
「端的に言うとそうですが、それだと記述式のテストだと点数を貰えませんよ。魔王は魔物を強化し、統率する権能を有しますが、その効果は魔王と魔物の距離に比例します。前の魔王は北に出現したので、その名残で北の魔物は強いです。相対的に北と正反対の位置にある南の魔物は弱く見えます。ということで、正確に言うと、南の魔物が弱いのではなく、北に近い魔物ほど強いということです」
「違いがわからん。明日の敵のことなんて考えるだけ無駄だ。俺はただ今の敵について知っていればいい」
「一理あるのですが、学院は指揮を取れる幹部級の人材を育成する目的で設立され――まあ今はやめておきましょう。ナインくんは今回の討伐目標を把握していますね?」
「C級の魔物を二体以上か、B級以上のを一体ぶっ殺す」
「はい、正解です。通常ならば、二人組の最低合格ラインはE級二体もしくはD級一体の討伐です。しかし、私が監督者となり、ナインくんは正規の人員を集められなかったペナルティでハードルが上がってしまいました。なお、教師は自衛のための戦闘の他は、回復魔法、もしくは補助魔法の使用しか認められていません。しかも、私が手助けした分だけ考査の評価は落ちます。また、不正がないか監視するため、魔道具によって行動を記録します」
アイシアはそう言って、頭のサークレットを指さす。額の中心に青い宝石がついたそれは彼女に嫌味なほど似合っている。だが、同時にシンプルなローブスタイルとアンバランスでもあった。
「了解。お説教はもういいのか? じゃ、行くぜ」
ナインは小さく頷いて歩き出す。
「えっと、具体的な討伐対象の魔物を決めないんですか? 例えば、私のおすすめは、ジャイアントアントのはぐれ個体を狙うことです。ジャイアントアントは群体になった時の統率度の高さからC級相当とされてます。しかし、個体としての強さはEランクに毛が生えた程度です。そして、群れの中には活性度の高くないいわゆる『サボり』個体がいるので、それらを見つけて狩れば安全にノルマの達成が――」
「そういうのはいいから。俺のことは俺が決める。先生はただついてきてくれればいいよ」
ナインはアイシアの言葉を途中で制し、近場の太めの枝に跳び乗った。
「そちらは道じゃありませんよ?」
アイシアは踏み鳴らされて下草だけになった道を指して言う。
「知ってるよ。だからだ」
ナインは木から木へと猿のように跳び移る。
「……もう少し詳しく意図を説明してもらっていいですか?」
アイシアが空中浮遊でついてきた。
風魔法を発動したらしい。
「はあ、城壁の近くは馬鹿で鈍い雑魚の魔物しかいないだろ。でも、C級以上となると魔物の知能が上がるから、これだけ大量に丸出しの殺気を放った集団が来たら逃げちまうよ。だから、俺は人が手をつけてないルートで一刻も早く奥に行く必要がある。それが一番高ランクの魔物に出会える可能性を上げる選択だ」
ナインは気怠そうに答える。
先生なのに物分かりが悪い。
ナンバーズでここまで言わないと分からないような鈍い奴はすぐ死んでいた。
「……確かにエンカウント率という意味では理に適ってますが、安全性は一切考慮されてないんですね。装備が軽装なのも移動速度をあげるためですか?」
「そうと言えばそうだけど、俺はいつもこんな感じだぞ?」
ナインの服装は入学時から何も変わらない。
強いていえば、血入りの革袋に、藪こき用の鉈が加わったくらいのものだ。
羽虫、羽虫、甲虫、猿、蜘蛛、蜘蛛、蜘蛛、蛇、また羽虫――進路を塞ぐ魔物を排除しながらひたすら進むがC級は見当たらない。
そもそも、食糧が豊富な森にしては魔物の数が少ない。
やはり、資源採取のために、定期的に魔物が間引かれているのだろうか。
それにしても、獣道ですらない森を突き進んでいるにしては少なすぎる気もするが。
「D級を三体、E級は十二体ですか。わずか半日、魔法を未使用なのにこの技量。もし生徒と組めていれば、間違いなくトップ3はとれていたでしょう」
アイシアが残念そうに呟く。
「……」
「あ、あの、それでナインくん。そろそろ休憩しませんか? もう半日以上行軍しぱなっしじゃないですか。お腹も空いたでしょう?」
「ん? 飯? それならちょくちょく食ってるぞ」
ナインは木の皮を剥がし、白い幼虫を口に放り込んだ。
クリーミーで美味い。
森は戦場としては恵まれている。
なにせ水にも飯にも困らない。
これが砂漠や氷河だと段違いにめんどくさくなる。
「ですが、そろそろ日が落ちますよ。適切な野営地を探すべきではないでしょうか」
「野営って……。適当な木の上で寝るのに準備なんて十分もかからないだろ?」
「でも、夜に行軍するのは危険ですよ」
「さっきから半目を閉じて夜目に慣らす準備をしてる。先生は暗視くらい使えるだろ?」
「……お、おトイレに行きたいので、一時的に行軍を停止してくれませんか」
アイシアが声を震わせて言った。
「あ、ああ、なんだよ。そうならそうと早く言ってくれ」
ナインは木の枝を落として罠がないかの安全確認をしてから、地面へと降り立つ。
「で、では……」
いそいそと草陰に向かうアイシア。
「おう」
その背中をぴったりマークする。
「あ、あの、どうしてついてくるんですか?」
「排泄時は無防備になるから危ないんだよ。だから見張る」
不意打ちで殺される原因の一番は排泄時の油断で、二番目はセッ〇ス中だ。
「わ、私は魔法で警戒できますから安心してください」
「そうかよ。で、出した後のブツはどう処理するつもりなんだ?」
「土魔法で埋めます」
「ダメだ」
首を横に振る。
「な、なんでですか!?」
アイシアがナインの胸倉を掴んで悲鳴のようなか細い声をあげる。
「な、なんでって、排泄物にも微量の魔力を含んでいるから、埋めた程度じゃその中に含まれる魔力の痕跡を辿られる可能性がある。そもそもここは森だぞ? 森はなんでも腐るのが早いし、湿気が多くて臭いも拡散しやすい。そんな所でブツを埋めるなんて、地中に潜む魔物に『ここにいます!』って叫んでいるの変わらないじゃないか。ぶっちゃっけ、海で撒き餌をしているのと同じなんだぞ?」
ナインはやんわりとアイシアの手を払いのけて応えた。
この森は比較的低級の魔物しかいないので、そこまで念を入れる必要はないのかもしれない。
だが、手慣れた傭兵のはびこる対人の最前線や上級の魔物がデフォルトな北方では些細なミスが命取りになる。
「……わ、私が不勉強でした。こ、これはマニュアルの変更を、検討しなければなりませんね」
「まあ、いいけどさ。先生にも知らないことはあるんだな」
「ぐ、軍学では、兵団の衛生管理責任者としての、排泄機構の整備については勉強しますが、少人数のユニット単位での隠密行動については資料の収集が不十分――あの、それで、どうすればいいんですか?」
アイシアが青白い顔をして呟く。
「ああ、悪い。ちょっと待っててくれ」
ナインは駆け出し、森を徘徊していた緑色の醜い小人――ゴブリンの首を折り、アイシアの下に舞い戻る。
そして、彼女の目の前でゴブリンの腹を鉈で掻っ捌いた。
「さ、この中にしろ」
「え? えっと、これは?」
アイシアがポカンとした顔でナインを見る。
「見ての通りゴブリンだ。クソを隠すにはクソの中ってな。戦場では死体の中にひり出すをするのが一番安全だ」
「う、うう……。後ろを向いていてください」
「え、先生のことを疑う訳じゃないけど、背中を取らせるほどは信用できないっていうか」
頭を掻く。
ナインが背中を預けるのは、ナンバーズだけ。
それ以外の奴には任せられない。
「向いててください!」
顔を真っ赤にして叫ぶ。
「わ、わかったよ」
あまりの剣幕に、ナインはアイシアの言葉に従う。
「……『巡り巡る風に終わりはなく、されど凪の休みあり』」
背後の音が消える。
「おっ、サイレンスか? 音を消すのは敵にバレるリスクが減るしいいよな。でも、そこまで音を気にするなら、そもそも会話にも気を付けた方が。念話は使えるのか?」
【……か、帰ったらまず、ナインくんにはレディへの敬意について補講をする必要がありそうですね?】
ナインの脳内に直接言葉が響いてくる。
「おっ、使えるんだな。さすが先生。ひゅー」
感心の口笛を吹くが、その音は魔法に吸い込まれて用を成さない。
光魔法、風魔法の使用は確認した。
さっきの口ぶりだと、土魔法も使えるのだろう。
普通はせいぜい一属性、そこそこできる奴で二属性、三属性となると千人に一人くらいの珍しさだろうか。教師クラスだとザラにいるレベルではあるが。
(でも、先生はもっといける気がするな)
そんな底知れなさを感じる。
(に、しても、敬意ね)
もし本当の仲間なら――ナンバーズなら女だろうが男だろうが、走りながらクソくらいしてもらわなければ困る。
隠蔽している時間があるなら、血も汗もクソも全部垂れ流し、敵を皆殺しにして、追いつけないくらい遠くへ走る。
それがナンバーズだ。
ナインのアイシアの対応は、ごくまれに派遣されてくる面倒くさい上官へのそれ。
つまり、今の時点でも、十分お客様待遇なのだが――。
(これは言わない方がよさそうだな)
入学してから三ヶ月、ナインもようやく沈黙の尊さを学びつつあった。
自身の成長に満足しつつ、手頃な蔦を切りつけ、滴る水で口を湿らせる。
夕焼けと呼ぶには少し早い暖色の陽光が、木漏れ日となってナインの顔を斑に照らした。
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