第31話 楽しい時間
しとしとと降る雨が、窓の外の景色を灰色に染める。今日は朝から雨。天気予報を見ると、明日の夜まで雨のようだ。
「こりゃ無理だな」
雪音との遊園地は来週に持ち越しだ。まあ、1週間ズレるくらい別に構わない。タイミングが悪いな、とは思うけど。
「昨日はあんなに、晴れてたのにな」
息を吐いて、思考を切り替える。今日はこれから、雪音の家でゲームをするという約束がある。雪音の家はすぐそこだから、これくらいの雨なら問題ない。
「……でも、もうちょい寝たいな。行くのは昼過ぎでいいか」
雪音にメッセージを送って二度寝する。疲れが溜まっていたのか、目が覚めたのは昼前。別に準備することもないので、軽く寝癖だけなおして、着替えてそのまま雪音の家に向かう。
「来たぞー」
慣れた手つきでチャイムを鳴らす。するとすぐに扉が開いて、可愛い黒猫が出迎えてくれる。
「よお、クロ。元気にしてたか?」
ふさふさな身体を俺の脚に押しつけて、ニャーニャーと鳴く猫を優しく撫でてやる。雪音の家の猫は、相変わらず人懐っこい。
「遅いよ、千里。てか、うちのエリスちゃんをクロとか適当な名前で呼ぶな!」
遅れて出てきた雪音が、俺を睨む。
「悪い悪い。そういや、エリスだったな、お前」
「エリスちゃんは気高いから、適当な名前で呼ぶと怒るよ?」
「でもお腹見せてるぜ? エリスちゃん」
「……エリスちゃんは面食いだからなー。全く、誰に似たのか」
雪音がエリスちゃんを抱きかかえる。エリスちゃんはにゃーと、不服そうな顔をしている。
「じゃ、上がってよ。お菓子いっぱい用意したから、パーティしようぜ? パーティ!」
「いいけど、ゲームしたいんじゃないの?」
「両方するに決まってるじゃん! ネットでゲームも楽しいけど、隣で一緒にゲームするのはまた違う楽しさがあるからね」
「それは、ちょっと分かるかも」
雪音の部屋に入る。相変わらずいろいろとものが散らかっているが、部屋が広いのであまり気にならない。ゲームとか漫画とか、あとはよく分からないおもちゃとか。目につくのはそんなもの。雪音の部屋は、昔からあまり変わっていない。
「あれ? エリスちゃん、リビングにおいてきたのか。また撫でたかったのに」
「エリスちゃんは高貴だから、こんなにお菓子が並んでると袋やぶいて食べちゃうんだよ。だからエリスちゃんは、リビングでお留守番。暖房つけてあるし、今頃テレビでも見てるんじゃない?」
「テレビ見るのか、エリスちゃん……」
俺が驚いている間に雪音はコップにジュースを注いで、お菓子の封を切る。そんなに開けても食い切れないだろ? と思うけど、楽しそうなので黙って見守る。
そしてしばらく、ダラダラとお菓子を食べたりゲームをしながら、楽しい時間を過ごす。月島さんや御桜先輩と一緒にいるのも楽しいけど、雪音と過ごす時間はなんていうか……落ち着く。余計なことを考えないで済むし、余計な気を遣わなくていいから。
「…………」
きっとそれは多分、雪音が俺に何も求めていないからなのだろう。こいつは俺に、何の期待もしていない。いい意味でも悪い意味でも、諦めている。だからこんなに、楽なんだ。
「どうでもいいけどさ、雪音」
パーティゲームをしながら、雪音の方に視線を向ける。
「なに? ……って、あぁ! また1だ! このサイコロ壊れてるんじゃないの!」
雪音はコンローラー置いて、ジュースを飲む。
「はは、なんか今日は運がないな、お前」
「くそー。偉ぶってられるのも、今のうちだからなー。……で? 何かあたしに聞きたいことがあるの?」
「いや、お前なんかさ、今日の服ちょっと可愛くね?」
「…………」
一瞬、雪音の時間が止まる。なんだか驚いたような、それでいて呆れたような顔でしばらく固まって、雪音は大きく息を吐く。
「いやいや。今頃になってですか、千里さん。そういうのって、出会ってすぐに言うもんなんじゃないですかね……」
「なんで敬語? つーか、ごめん。もしかして、気にしてた?」
「別に気になんてしてないし。オシャレとかしてないし! これはただの部屋着だから!!」
肩に頭突きをされる。痛い。
「怒るなよ、褒めてるんだぜ? お前も、オシャレとか興味あったんだな。前までは家に行っても、ジャージばっかりだったのに」
「……年頃の乙女だからね、そりゃオシャレくらいするよ」
「似合ってる、可愛いよ」
「適当に褒めんなよな、もうー。胸が大きいと可愛い服がなくて困るってことを、千里は知らない。ジャージのファスナーが上がり切らない悲しみを、千里は知らないんだよ!」
「そりゃ知らないけどな。知ってたら怖いだろ。……でも、その服が可愛いと思うのは本当だよ」
「…………そ。ありがと」
拗ねた雪音にまた何度か頭突きされる。変わってないように見えて、雪音も少しずつ変わっているのだろう。
窓の外から、雨音が聴こえてくる。
「そういえばさ、千里。昨日、演劇部に行ったじゃん?」
「ああ。ハムスター居たよな、中佐。中佐ってことは士官学校出てるんだぜ? あいつ」
「可愛かったよねー。ちょっと指でツンツンしたら、指に噛みつこうとしたからね、あの子。あの風格はまさに中佐だよ。そのうち大佐になるかもね。……可愛かったなぁ」
「んで、ハムスターがどうかしたのか?」
「いや、中佐じゃなくて。千里が出て行ったあと、中佐と遊びながら部長さんと話をしたんだよ」
「何か面白いことでも言ってたのか?」
「うん。その部長さんとね、しおりんの取り巻きの伊織って子と夏目って子の3人は、仲が良かったらしいんだよ。それこそ1年生の頃は、親友だったって言ってた」
「……へぇ。それが今や、詩織の親衛隊で内輪揉め、か。……同担拒否って奴か? 俺にはよく分からない価値観だな」
でも、人間が持ってる好意に限度があるのも確かだ。友達も家族も恋人も皆んな好き、なんてことは簡単に言えるけど、それでもどこかに限界がある。何か1つにのめり込み過ぎると、どうしても周りが疎かになってしまう。そのせいで、大切な関係を失ってしまうこともある。
……俺も、他人事ではない。
「なんかさ、寂しいよね。仲良い友達と、ちょっとしたことで話さなくなるって。あたしも、中学の頃の友達とはもうほとんど連絡なんてとってないし。放課後、毎日のように遊んでた子もいるのに……」
「環境が変われば人間関係も変わる。当然といえば、当然なんだけどな」
「淡白だねー、相変わらず。あたしは、そう簡単に割り切れないな」
ゲーム画面で、雪音の使うキャラクターがサイコロを振る。今度は6だ。雪音は順調に、前に進む。
「前に千里、言ってたよね? 大切なものは、大切に扱わないと大切じゃなくなるって」
「言ったっけ? そんなかっこいいこと」
「言ったよ。それって多分、間違ってないんだよ。友情も愛情も、大切に扱わないとすぐに壊れる。……多分もう部長さんたちが仲直りすることは、ないんだろうなー」
雪音はそこで、チョコレートを口に運ぶ。話に気を取られていたせいで、ミニゲームで負けてしまった。ついさっきまでは俺が1位独走状態だったのに、結構、僅差になってきた。
「千里さ、最近仲良い子増えてきてるよね?」
「あー、月島さんとか御桜先輩?」
「そうそう。実際さ、どうなの? エッチなこととかあったりした? ルナっちとの恋人ごっこは、まだ続けてるんでしょ?」
「……どうだろうな。2人とも、俺に好意を向けてくれているのは分かるけど、どっかで一線引いちゃってるところがあるから」
悪意には悪意で応えればそれでいい。けど、好意はそうじゃない。考えなしに好意を振りまいていたら、最終的に周りも自分も傷つけることになる。
「ルナっちは多分、千里の普通なところに惹かれてる。優しくて、ちょっと抜けてるところに。サク先輩は、千里の普通じゃないところに惹かれてる。何でもできて、全て簡単に終わらせちゃうところに。……どっちの想いも、危ういよね」
「…………」
俺は何も答えない。
「実際さ、千里。本当に付き合うとしたら、どっちがいいの? ルナっちか、サク先輩。或いは番外で、かおりんっていう選択もあるけど」
「……いきなりそんなこと言われても、答えられねーよ。誰かと付き合うとか、そんな簡単じゃないし」
「今さら硬派ぶっても無駄だよ。千里ってば本当は、大きい胸が好きなだけの変態だってこと、あたしはちゃんと知ってるからね」
「うるせーな。別に小さい胸も嫌いじゃねーよ」
「……そんな話はしてないんだけど、まあいいや。それで? 付き合うなら、誰がいいの? 誤魔化してないで、ちゃんと答えてよ」
「……仕方ないな」
少し真面目に考える。実際、今の状況で誰かと付き合うなんて考えられないが、それでも誰かを選ぶというなら、それは……。
「多分、お前かな」
それが1番、納得できる選択だろう。
「…………お前ってもしかして、エリスちゃん?」
「何でだよ。お前だよ、来栖 雪音。それが1番、いいんじゃないかとは思うよ。まあ、お前の気持ちは知らないけどな」
「………へー、そうなんだ。ま、分かったよ」
そこで、どうしてか黙り込んでしまう雪音。
「どうしたんだよ、急に黙り込んで……って、お前。顔赤くなってるじゃん。もしかして、照れてる?」
「……照れてない」
「じゃあなんで、こんなに赤くなってんだよ。意外と可愛いところあるんだな」
「……うっさい! こっち見んな!」
珍しく照れてる雪音をからかう。やっぱり雪音といるのは楽しいなと、素直にそう思う。
「…………」
でも、また窓ガラスに反射する自分自身と目が合う。俺は確かに笑っている。でも、昨日の方が……他人の悪意に晒されている時の方が、ずっと楽しそうな顔をしていた。
俺はこのままで、本当に大丈夫なのだろうか?
そしてその日はそのまま、ダラダラとゲームをして過ごした。ゲームは結局、俺が負け越した。偉ぶる雪音に罰ゲームでブリッジをさせられ、死ぬほど笑われた。……いつか復讐してやると、心に誓った。
「でも、楽しかったな」
ずっとこんな日々が続けばいいのになと、本心からそう思う。
けれど週明け、また事件が起こった。
……そのあまりの馬鹿さ加減に、流石に俺も笑えなかった。
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