第30話 派閥



 詩織の取り巻きたち……いや、三島さんの言い方に倣うなら親衛隊と、少し話がしたい。そう思い、俺は1人早足で廊下を歩いていた。


 部活でもやってない限り、もう校内には残っていないであろう時間。流石にもう帰っているとは思うけれど、詩織の取り巻きたちは意味もなく校内に残って、ダラダラと話をしている印象があった。


 それに別にここで話を聞けなくても、また来週にでも話せればそれでいい。……いつまでもこんなつまらないことに、時間をかけるのもどうかと思うが。


「……あれ?」


 ふと、廊下の窓ガラスに反射した自分自身と目が合う。どうしてか俺は、笑っていた。それも酷く……楽しそうに。


 思わず、足を止めてしまう。するとちょうど、声が聴こえた。


「お前らが! 紗枝を貶める為にあんなことを書いたのか!」


 演劇部の部室から走り去った村上くんの声。彼はまた考えなしに、詩織の取り巻きたちと揉めているようだ。


「ちょうどいい」


 余計な思考を振り払い、教室に踏み入る。教室内では、冷たい目をした髪の長い少女を先頭にした取り巻きたちと、顔を真っ赤にした村上くんが言い争いをしていた。


「ですから、いきなりそんなことを言われても困ります。あまりしつこいようですと、先生を呼びますよ?」


 自分よりずっと背の高い村上くんを、まるで見下すような目で睨む少女。どこかで見た覚えがあるが、とりあえず俺は声をかける。


「村上くん、君はまた何をやってるんだよ。昨日、俺を疑った件で学習しろって。考えなしに声をかけたら、迷惑だろ?」


「いや、だけど……千里。こいつらは……」


「こいつらは、じゃなくて。この場は君が悪い。下手に拗れる前に、ちゃんと謝った方がいい」


 できるだけ印象よくそう言って、2人の間に入る。というか村上くん、いつの間にか俺のことを親しげに『千里』とか、呼び捨てにするようになっている。……まあ別に、どうでもいいが。


「……もしかして、貴方の差金ですか? 未白くん」


 長い髪を耳にかけて、こちらを睨む少女。俺のことを知っているようだが、名前は思い──


「あ。君、夏目なつめさんか」


 夏目なつめ こおりさん。確か去年、同じクラスだった女の子。特に話した記憶はないが、よくこちらを睨んでいたことだけは少し覚えている。


「……未白くん。もしかして貴方、私のことを忘れていたんですか?」


「そんなことはないよ。それより、何を揉めてるの? もしかして、黒板事件の犯人のことを話してたりする?」


「……白々しいですね。貴方、分かっていてとぼけているのでしょう? ……まあ、いいです。そうです。この人、私たちが話しているところに急に来て、お前らが犯人なんだろとか騒ぐんです。ほんと、いい迷惑です。……詩織様がいなくてよかった」


 また、村上くんを睨む夏目さん。村上くんはそんな夏目さんに、頭を下げる。……でも、詩織はもう帰っているのか。あいつがいない方がやりやすいから助かるが、それでもあいつが取り巻きたちを置いて帰るのも珍しい。


 もしかしたら詩織の方も、何かあったのかもしれない。


「まあ、とりあえず村上くんをそんなに責めないでやってくれ。俺と村上くんは、たまたま君たちが黒板事件の犯人だっていう噂を聴いたんだよ。それで彼、早とちりしてしまったようだけど、きっと悪気があった訳じゃない。彼は少し馬鹿なだけなんだ」


「……貴方の方が酷いことを言っているような気がしますが、まあいいでしょう」


「ありがとう。彼も大事な人がターゲットになって、内心穏やかじゃないんだよ。……それに、そっちはそっちで揉めてるらしいね。同じ取り巻き……じゃなくて、親衛隊の伊織さんがここに居ないのも、何か関係があったりするの?」


「……貴方には関係のないことです」


 夏目さんの目が更に鋭くなる。やはり詩織の取り巻きたちは、俺のことをよく思ってはいないようだ。


「それより、確認しておきたいのですが、今朝黒板に書かれていたこと。詩織様と貴方が付き合っているというのは、事実ではないんですね?」


「そうだよ。俺たちは付き合ってなんかいない。詩織もそう言ってただろ?」


「…………」


 俺の問いに、夏目さんは答えを返さない。……やはり詩織とその取り巻きたちの間にも、何か軋轢があるようだ。


「どうして、貴方のような人が……それに、あいつらも……」


 小さく何か呟きこちらを睨む夏目さん。そんな夏目さんに、他の取り巻きたちが小声で何か囁く。ふと隣を見ると、村上くんと目が合う。


「……悪かった。わざわざ追いかけてきてくれたのか? お前、意外といいところあるんだな」


「まあね。君は無茶ばっかりするから、心配だったんだよ」


 なんて適当に答えて、考える。この取り巻きたちが、本当に黒板事件の犯人なのか。警戒心が強そうだし、揺さぶっても意味はないだろう。……詩織の名前を出せば、もう少し情報を引き出せるかもしれないが、余計な敵意を集めるのは得策じゃない。


「未白くん、1つ訊いてもいいですか?」


 内緒話が終わった夏目さんが、こちらを睨む。


「いいよ。俺の質問にも答えてくれるなら」


「では訊きますが、もし詩織様が助けを求めたら、貴方はあの人を助けてあげられますか?」


「……は? なにそれ。俺が詩織を助ける理由はないよ。例えそれであいつが死ぬんだとしても、興味はない」


「……そうですか。貴方はやっぱり、そうなんですね」


 苛立ちを隠しもせず、こちらを睨む取り巻きたち。どうやら俺の答えが気に入らなかったようだが、どうでもいい。


「じゃあ、次はこっちの質問。君は、演劇部の部長の三島さんと仲がいいの?」


「……友達でしたよ、昔は」


 それだけ言って、そのまま教室から出ていく取り巻きたち。確かにその顔ぶれは、前に俺に絡んできた連中とは違う。今までは全員一括りで『詩織の取り巻き』だと思っていたが、やはり彼女たちにも派閥のようなものがあるようだ。


「なあ、千里」


 取り巻きたちの姿が見えなくなってから、村上くんが口を開く。


「なに?」


 俺は別のことを考えながら、適当に答える。


「なんでお前、あいつらに部長さんのことを訊いたんだ? もっと他に、いろいろあるだろ? 聞きたいこととか、知りたいことが」


「あれは、あれでいいんだよ。そこが1番の気がかりだったから」


「……訳が分からん。どうして、部長さんのことが気がかりなんだよ」


「彼女たちが全員裏で繋がってて、こっちをはめようとしてる可能性もあるだろ? それが1番嫌だったから、その確認をしたんだよ」


 無論、この村上くんも疑う対象だ。


「……なんだよ、それ。普通、そんなことまで考えるか?」


「演劇部の人たちも取り巻きも、詩織の側にいる人間だからね。警戒しておいて損はない」


 彼女……夏目さんは『友達だった』と答えた。知らないととぼけるのではなく、知っているけどもう仲良くはないと、彼女は答えた。……嘘を言っているようには見えなかった。なら、全員が繋がっている可能性は低いだろう。……まだ、油断はできないが。


「でも、このままいろいろエスカレーターしたら面倒だよな。そうなる前に犯人を見つけて、俺が紗枝を守ってやらないと!」


「…………」


 エスカレーターするってなんだよ、エスカレートだろ。と、ツッコミを入れようかと思ったが、面倒なので辞めておく。というか意外とこいつ、面白いやつなのかもしれない。


「なあ、村上くん。上らなくても自動で動く階段って、なんていうか知ってる?」


「は? そんなの、エレベーターに……いや、エスカレーター? あー、くそっ。毎回ごっちゃになるんだよな。何でこんな、分かりにくい名前にするんだよ。えーっと……」


 腕を組んで考え込む村上くん。うちの高校は進学校なのに変な奴が多いなと思うが、それとこれとはまた違うものなのだろう。俺だって、去年まで同じクラスだった村上くんや夏目さんの顔を、忘れていたのだから。


「……帰るか」


 そしてその日はそのまま、家に帰った。家に帰ると、最近お菓子作りに凝り出した遥がシュークリームを作ってくれて、2人で一緒に食べた。遥もだいぶ、元気になった。やはり俺のしたことは……していることは、間違いじゃない。


 ……いや、間違ってはいるけれど、俺が選べる中では最善の選択をしている筈だ。少なくとも今は、そうなのだと信じたい。……詩織が言った探偵ごっこ。全てがあいつの手のひらの上なのだとしても、俺は俺にできることをするしかない。


 そして、翌日。雪音と遊園地に行くと約束した日。


「あーあ、雨か」


 予報通りに降ってしまった雨を見つめながら、俺は大きく息を吐いた。


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