第27話 他人事


 思いの外、楽しみにしている自分に驚いた。



 昼休み。いつものように月島さんとお昼を食べながら、週末のことを考えていた。雪音が友達から、遊園地のチケットを貰ったらしい。なので週末は、朝からお出かけ。遊園地なんて久しぶりで、らしくもなく少しわくわくしていた。


「珍しく浮かれてますね。……ふふっ、可愛いです」


 なんて、月島さんにからかわれるくらいに。


「……でも、雨降りそうなんだよな」


 天気予報だと土曜も日曜も雨になっている。最悪、予定の変更も考えないといけない。後で雪音に、メッセージでも送っておくか。なんてことを考えながら、午後の体育の為に更衣室に向かっていると、ふと声をかけられる。


「話がある。ついて来い」


 声をかけて来たのは、確か……詩織の取り巻きに絡まれた時にいた、背の高い男。名前も知らないその男は強引に俺の腕を掴んで、近くの空き教室に向かう。


「……随分と強引だな」


 あの時は滅茶苦茶に言ってしまったから、その仕返しに来たのだろうか? ……ほんとに懲りない連中だ。


「まあ、次は持久走だし別にいいか」


 体育の成績に興味はないし、こんな寒い中、汗だくになりながら走り回るのも面倒だ。なので俺は、特に抵抗もしないで着いていく。


「あれ、今回は君1人?」


 てっきり、いつものメンバーが待ち構えているのだと思っていたが、空き教室には誰の姿もない。俺を連れ込んだ背の高い男は、怒りを噛み殺したような目でこちらを睨む。


「どうして、あんな真似をした?」


「いや、言葉の意味が分からないんだけど」


「とぼけるなよ! お前がやったんだろうがっ!!」


 男が俺の胸ぐらを掴む。神田くんのことがあったから、しばらくは自重しようと思っていたのに、どうしてこう面倒ばかり起こるのか。


「…………」


 いや、違う。他人に悪意を向けるなら、自分が悪意を向けられた時のことを考えておかなければならない。それもまた、自分自身の言葉だ。この状況も、俺の普段の行いが招いた結果なのだろう。


「でも、君が何を怒ってるのか知らないけど、とりあえず手を離してくれる? 制服に皺がつく」


「お前、そんな──」


「伊織さんって言ったっけ? 取り巻きのリーダーみたいな子。君がこれ以上、馬鹿な真似をするとまたあの子が泣くことになるけど、いいの?」


「……っ! お前っ!」


「あの子、結局あの香水やめちゃったんだろ? 意外と脆いよな。詩織が柑橘系の香りが苦手とか、ただの嘘なのに。……ははっ、睨むなよ。俺は君と喧嘩がしたい訳じゃない。ただ、前にも言ったけど、あんまり考えなしに余計な敵は作らない方がいいんじゃないの?」


 俺が笑うと、男はギリっと音が聴こえるくらい強く歯を噛み締めて、手を離す。殴られるかと思ったが、そこまで馬鹿でもないらしい。


「とりあえず、君の名前は?」


村上むらかみ……村上むらかみ 真斗まさと。つーか、去年、同じクラスだったろ? 覚えてないのか?」


「……ああ、そういえばそうだった。ごめん、忘れてた。……で? その村上くんは、何をそんなに怒ってんの?」


「それは、お前が──」


「だから、そういう言い方だとらちが明かない。ちゃんと話せよ、何をそんなに怒ってるの?」


 俺が同じ問いを繰り返すと、背の高い男……村上くんは大きく息を吐いて答える。


「…………黒板事件だよ」


「黒板事件? ……って、ああ。なんか、朝行ったら黒板に何か落書きされてるってあれね」


 朝、学校に行くとどこかの教室に、大きな文字で落書きがされている。……いや、それは落書きというより、ゴシップと言った方が正しいかもしれない。


 誰々と誰々が付き合ってるとか。万引きしてるとか、パパ活してるとか。そういうくだらないことが、デカデカと黒板に書かれている。そういう事件が少し前から噂になっていた。


「んで、村上くんはその犯人が俺だって言いたいの?」


「…………違うのか?」


「当たり前だろ。どうして俺が、そんな馬鹿な真似しないといけないんだよ」


 でも正直、手口としては悪くないと思う。自分は表に出ず、不特定多数をターゲットにする。黒板に何を書いても、時間が経てば誰かが消す。何かを壊す訳でもないから、そこまで大きな問題にはならない。でも、秘密がバラされた奴は気が気じゃないだろう。


 何より、書かれた内容が嘘でも面白半分で噂を広げる奴が出てくる。もし仮にこの前の神田くんの頭がもう少し回り、SNSに馬鹿な投稿をしていなければ、俺もそうやって彼が嫌がる噂を流したかもしれない。


「……今朝、紗枝さえのことが書かれてたんだよ」


 村上くんは、忌々しげに黒板を睨みながら小さく呟く。


「紗枝?」


「この前、お前に絡んでた……伊織いおり 紗枝さえだよ」


「……ああ、詩織の取り巻きのリーダーね。……なるほど。今朝にその子の秘密が、黒板に書かれていた。怒った君はこの前の仕返しに俺がやったと思い、ここに連れ込んだ。そういこと?」


「そうだ……というか、本当にお前じゃないのか?」


「当たり前だろ。ちょっと絡まれたくらいで、そんなくだらない真似はしないよ。つーかお前も、ちょっとは考えて動けよ。こんな中途半端な時間に俺のところに来たってことは、別の奴にも同じような恫喝したんだろ?」


「恫喝なんて大袈裟だ。俺はそんなこと──」


「してるんだって。自覚を持てよ。そんな馬鹿なことばっかりやってるから、変なのに目をつけられるんだぜ?」


 俺の言葉に、村上くんは黙り込んでしまう。どうやら本当に何の確証も準備もなく、俺に声をかけたらしい。……よほど、その紗枝ちゃんが大事なようだ。


「まあ、紗枝ちゃんもいろいろと敵は多そうだし、仕方ないんじゃないの? 自業自得だよ」


「違う! 紗枝は悪くねぇ!」


「いや、悪いよ。少なくとも頭と性格は悪いだろ」


「お前、紗枝のこと知らねぇ癖に、適当なこと──」


「どうでもいいよ。君のことも、その紗枝ちゃんのことも興味はない。この前のことだって、別にもう怒ってないし恨んでもいないよ」


「……くそっ」


 村上くんは苛立ちをぶつけるように、黒板を叩く。俺は淡々と言葉を続ける。


「だから、君たちがもう面倒な絡み方しないなら、俺も君たちに構うつもりはない。紗耶ちゃんにも君にも、手出しはしない。だから君も、今後の行動は考えた方がいい」


「……分かったよ。…………悪かった」


「いいよ。これくらいで怒るほど、俺も短気じゃない」


 そのまま手を振って立ち去ろうとする……が、そこでちょうどチャイムが鳴ってしまった。どうやら、午後の体育はサボりが決定してしまったようだ。


「いや、待てよ。まだ話は終わってない」


「もう終わったよ……って、言ってもいいけど、どうせすることもないし、いいよ。何が話したいの?」


 俺が足を止めると、村上くんは自分で引き止めた癖に言いにくそうに視線を逸らす。


「……その、詩織さんは、本当に紗枝のことを迷惑だと思ってるのか?」


「前にも言ったけど、詩織のことを俺に訊くなよ。知らないよ」


「でも紗枝は! ……紗枝は、本当に詩織さんのことばっかりで……最近は、勉強も疎かになってる。なのに、そんなあいつの想いが迷惑に思われてるんだとしたら、あいつがあまりに……報われない」


「君は、その紗枝ちゃんが好きなの?」


「ばっ! ば、馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ!! 俺とあいつは幼馴染ってだけで、そんな……そんなんじゃねーよ!!」


 顔を真っ赤にして狼狽する村上くん。うーん、分かりやすい。


「やっぱり君は詩織じゃなくて、紗枝ちゃんを守る為に詩織の取り巻きをやってるんだね」


「……そうだよ。つーか、お前が馴れ馴れしく、紗枝ちゃんとか呼ぶんじゃねーよ」


「ごめんごめん」


 俺の適当な言葉に、村上くんは乾いた笑みをこぼす。この村上くんは、馬鹿ではあるが悪い奴ではないようだ。ただまあ強いて言うなら、この場合は相手が悪かったのだろう。村上くんでは、どうやったって詩織には勝てない。


 大好きな幼馴染の為にどれだけ頑張っても、決して振り向いてはもらえないだろう。


「それで? 黒板に何が書かれてたの? 詩織に何か貢ぐ為に、パパ活とかやってたりしたの?」


「紗枝はそんなことしねぇよ!」


「じゃあ、なんて書かれてたの?」


「……この前の中間テストで、カンニングしたって」


「中間って、もう1ヶ月くらい前の話じゃん。今さらそんな噂、流されても嘘なら別に痛くも痒くもないだろ?」


「…………」


 村上くんは黙ってしまう。つまりそれは、まるっきり嘘ではないということなのだろう。周りがどう思うかはともかくとして、本人は隠していた秘密がバラされ病んでしまった。それで村上くんが怒って犯人探し。段々と状況が見えてきた。


「でも、言っちゃ悪いけど、犯人探してどうすんの?  カンニングしたのが本当なら、悪いのは紗枝ちゃんの方だろ?」


「あいつはカンニングなんてしえねぇ!」


「だったら何をそんな……って、ああまさか。その噂のせいで、詩織の取り巻きたちからハブられるようになったってこと?」


「……そうだよ」


「なるほど。カンニングするような奴は、詩織様の側にいる資格がないとか、そんなことを言われたのか。それで君は犯人を見つけ出して、紗枝ちゃんの無実を証明したいと。ま、頑張ってね」


「他人事だな」


「実際、他人事だしね。興味もない」


 でも多分、その犯人は村上くんよりずっと頭が回る。今の時代、SNSでいくらでも噂を広げられるのに、わざわざ手間をかけて黒板に書く理由。ダーゲットを1人に絞らず、不特定多数を狙う理由。


 ただの目立ちたがりならそれまでだが、悪意を持って誰か1人を陥れようとしているのなら、中々に強敵だ。人の心をよく理解している。見つけ出すのは、簡単じゃない。


「ま、それでもやっぱり他人事だ」


 俺は適当にその辺の椅子に座って、スマホで今度の遊園地について調べ始める。誰だってどうでもいい他人の問題より、自分の楽しいことの方が大切だ。


 それから、村上くんを適当にあしらって、6限の授業はちゃんと出た。もうしばらくは、余計な問題に関わりたくはない。遥のこともあるし、俺が何か問題を起こせば月島さんや御桜先輩にまで累が及ぶかもしれない。だから今回は、他人事だ。


 そう思っていたのに、翌日。また黒板に落書きがされていた。奇しくもそれはうちのクラスで、黒板にはこう書かれていた。



『華宮詩織と未白千里は付き合っている』



 さて、面白くなってきたなと、俺は思った。


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