第24話 結局は



 詩織の取り巻きたちを真似て、手紙を使って神田くんを呼び出した。やってみて分かったが、これは意外と便利だ。


 呼び出すところを他人に見られない。SNSと違って履歴は残らないから、後から特定することも難しい。この場さえ目撃されなければ、何があっても誰にもバレない。


「こんな手紙で呼び出して、どういう要件だよ」


 神田くんは、俺が送った手紙をこちらに見せる。書かれた内容は『お前の秘密を知っている。バラされたくなかったら校舎裏まで来い』という、我ながら味気のない文章。


「来るとは思ってなかったよ。……でもわざわざ来たってことは、何かやましいことでもあるのかな?」


「ヘラヘラしてんじゃねーよ! 俺はこういう舐めた真似されんのが、1番嫌いなんだよ!!」


 神田くんはこちらを威嚇するように、近くに転がっていたバケツを蹴り飛ばす。


「怒るなよ。俺は君と、話がしたいだけなんだ」


「……話?」


「そう。君、俺の妹の……遥を虐めてたって聞いたんだけど、それって本当なの?」


「はっ、何かと思えばくだらねぇ。妹に泣きつかれて、お兄ちゃんが仕返しにきたってことか? 気持ち悪りぃ。シスコンか? お前」


「いやいや、仕返しなんて考えてないよ。ただの事実確認だ。君はただ、俺の質問に答えるだけでいい。君は、遥を虐めていた自覚はあるの?」


 俺は真っ直ぐに神田くんを見る。神田くんは、こちらを小馬鹿にするような顔で笑った。


「虐めなんざしてねぇよ。ただあの女、ちょっとツラがいいからってお高くとまりやがって……。この俺がせっかく声をかけてやったのに、断りやがった。しかもわざわざ、周りに見せつけるみたいに」


「だから、虐めた?」


「だ、か、ら! 虐めなんてしてねぇよ! 俺はただ、俺に恥をかかせたぶん、あいつにも恥をかいてもらっただけだ。正当防衛ってやつだな」


「……正当防衛。難しい言葉を知ってて偉いね」


「はっ、それでなんだよ? お前は俺をどうしたいんだ? あの根暗女の仕返しでもするつもりか? 言っとくが、会話は全部録音してある。ここで俺を殴れば、お前は後で後悔──」



「殴るっていうか、最初は君を殺そうと思ってたんだよ」



 俺の言葉を聞いて、神田くんは驚いたように目を見開く。


「完全犯罪。いけそうなのはいくつか思いついたけど、やっぱり小説みたいに上手くはいかない。考えてる間に、馬鹿らしくなって辞めちゃった」


「お前……殺すって、ふざけてんのか?」


「ふざけてるって、酷いな。結構、真面目に考えたのに。……っと、その前にもう1個確認しておきたいんだけど、美術室に飾られてた遥の絵を破ったのも、君?」


 俺は一歩、神田くんに近づく。神田くんは怖がるように後退り、まるで虚勢を張るように大きな声を出す。


「美術室の絵? そんなもんしらねぇよ! つまんねぇイチャモンつけてくんじゃねーよ!!」


「本当に君じゃないの?」


「そう言ってんだろうがよっ! それとも何か? 俺がやったっていう証拠でもあるって言うのかよ? あぁ?」


「これ、君だよね?」


 俺はスマホに保存されている1枚の写真を見せる。その写真には、赤い派手な髪をした男が美術室で絵を破っている後ろ姿が写されている。


「結構、離れたところから撮ってるから分かりにくいけど、これ君だよね? こんな派手な髪をした男なんて、うちの学校だと君くらいだろ?」


「……っ」


 神田くんは少しだけ、動揺する。……それでもう分かった。


 というかそもそも、こんな都合のいい写真が残ってる訳がない。それこそ探偵小説じゃないんだ。そんなに都合よく、目撃者なんていない。


 これはただ、俺が派手なウィッグを被って画用紙を破っている姿を、遠くから雪音に撮ってもらっただけだ。よく見ると、簡単に気がつく。さて、この男は気づいてくれるだろうか?



 少しだけ、楽しくなってきた。



「……はっ。絵を破いたから、なんだって言うんだよ」


 神田くんは簡単に自白した。


「学校も来ねぇで遊んでるだけの馬鹿の絵なんて、飾る価値もねぇだろ! それを破って何が悪りぃんだよ!! あんなもん、飾ってるだけで真面目にやってる奴への冒涜だ!! 非難される謂れはねぇ!!!」


 これでようやく断定できた。全てが終わった後に、実は違ったなんてことにならなくてよかった。


「つーか、お前と話しててもつまんねぇんだよ! んで俺が、お前みたいな奴に付き合ってやらないといけねぇんだよ!! 家帰って、妹とままごとでもしてろっ! クズがっ!!」


 吐き捨てるように言って、そのまま立ち去ろうとする神田くん。やっぱり探偵小説みたいに、犯人を特定してそれでお終いとはいかない。


「神田くんさ、この動画、見覚えあるかな?」


 俺はまた、スマホを見せる。それを見て、神田くんの顔色が変わる。


「神田くん、意外と友達とかいるんだね? こんなに沢山で集まって、未成年が飲んじゃ駄目なジュースとか飲んじゃって。これ、バレたら困るんじゃない?」


「……っ! なんでお前が、それを……」


「こんな動画、SNSにあげるのが悪いんだよ。鍵かけてたみたいだけど、簡単に承認してたら開けてるのと同じだぜ?」


 ここ数日、この高校の女子を装ってSNSで神田くんに近づいた。普通のアカウントから、鍵をかけてる裏垢まで。馬鹿は簡単で助かる。


「他にもいろいろ動画あげてるよね? 恫喝、恐喝、万引きから、バイトテロ。これ全部、拡散されたら君も困るだろ?」


「……消せ」


「ん? 聞こえないな」


「消せっつってんだよ……!」


 神田くんがこちらに掴みかかってくる。……が、予想していたので簡単に避けられる。


「怒んなよ、怖いな。というか、このスマホを壊しても家のPCにも保存してあるから、無駄だぜ?」


「だったら、テメェの家まで行ってパソコンも壊してやるよ! ついでに、テメェの大好きな妹を目の前で犯してやる……!」


「ははっ、いいね。……でも、いいのかな? そんなことしたらお父さん、悲しむんじゃないの?」


「……っ!」


 神田くんの動きが止まる。


「君のお父さん、公務員なんだね。しかも今年、昇進したらしいじゃないか。今、子供が大きな問題を起こしたら、困るんじゃないの?」


「……なんでお前が、そんなこと知ってんだ」


「アホかよ、お前が自分でSNSに投稿したんだろ?」


「……っ」


「君も意外と可愛いところがあるよね。お母さんと一緒にサプライズなんかして、お父さんの昇進を祝ってやるなんて。……でも、気をつけないと駄目だよ? お父さんとお母さん、最近、職場に嫌がらせの電話が多くて困ってるとか言ってなかった?」


 それは嘘だが、馬鹿に区別はつかない。


「テメェ! 父さんと母さんは関係ねぇだろっ!」


「アホか。んなわけねぇだろ。お前まさか、自分でやったことの責任を自分1人でとれるなんて思ってないよな? お前が恨まれるってことは、お前の周りも一緒に恨まれるってことだ。1人を敵に回すってことは、その周りも一緒に敵に回すってことだ。自分は悪いことをしておいて、他人に正しさなんざ求めんなよ、馬鹿が」


 神田くんは痛みを堪えるように、唾を飲み込む。


「……れば、いいのか?」


「ん? なんて?」


「謝ればいいのかって、言ってんだよ! お前は俺に謝らせたいんだろ! 分かったよ! 俺が悪かった! 謝るから、もういいだろ!!」


 神田くんは感情を抑えられない子供のように、地団駄を踏む。……でも、残念ながらそうじゃないんだ。


「別に謝る必要はないよ。俺はそんな目的で、君を呼び出した訳じゃないから」


「……じゃあ、どうしろって言うんだよ?」


「俺は君を傷つけたいんだ。嫌な目に遭わせたい。不幸にしたい。君も君の周りも全員、これから先の人生で少しでも多くの苦しみを味わって欲しい。俺の願いはそれだけなんだよ」


「お前っ……ふざけんなよ! そんな……そんなこと言ったって……」


「この数日、君のことを観察して気づいた。君は周りに、自分が凄いと思わせたい。その為に君は、そんな派手な色に髪を染めて、偉そうな態度をとる」


 神田くんは何も言わない。俺は言葉を続ける。


「中学の時、虐められてたらしいね? 今のその態度は、その反動かな? 君は自分を大きく見せることで、周りを威圧していた。でもいつしか君は、自分が凄い奴なのだと勘違いしてしまった。皆んなにもっと凄い奴だと思って欲しいと、そんなことを考えるようになった」


 俺はゆっくりと神田くんに近づく。


「でも、お前のことを好きな奴なんて誰もいねぇよ。皆んな心の底では、馬鹿なお前を見下してる。俺がこの動画を拡散したら、お前の味方をしてくれる奴なんざ1人もいねぇ。お前はこれからずーっと、周りに見下されながら生きていくしかない」


 神田くんの肩に触れる。ビクッと、身体が震える。


「転校しても、俺はお前を追いかけて噂を流す。10年経っても20年経っても、噂を流し続ける。お前の両親の周りでも、お前の家の周りでも、俺はずっと噂を流してお前を傷つけ続ける。お前はどこに行っても、馬鹿な男だと見下される。そうなればお前の両親も、愛想が尽きるだろうよ。……こんな出来損ない、愛してくれる奴なんざいねぇよ」


「……ど、どうすればいい? お前はどうすれば俺を……許してくれる?」


「許すなんて概念はこの世にはないんだよ。俺はお前に、傷ついて死ねって言ってるんだ」


 罪というのは一生、消えない傷だ。被害者につけた傷が、決して消えないのと同じように。


「……まあでも、そうだな。俺も鬼じゃない。君が本気で反省した姿を見せてくれるなら、保存した動画は消してやってもいい」


「は、反省してる! 反省してるから、もう許してくれ! ……いや、許してください!」


「分かった。そこまで言うなら……そこに転がってるバケツに、水を入れてきてくれない?」


「……え?」


「いいから早く行けよ」


 神田くんは困惑しながらも、ちょうど近くにある水やり用の蛇口を捻って、バケツに水を貯める。……確か、バケツに貯めれられる水は10リットル前後。問題はないか。


「い、入れてきました」


「そ、ありがと。じゃあ君、それ全部飲んで? そしたら、許してやるよ」


「……は? そんなのできるわけ……」


「反省してんだろ? いいからさっさとやれよ。一滴でも溢したらやり直しだからな?」


 神田くんはしばらく困惑したように、俺の顔を見上げる。しかし、いつまで経っても口を開かない俺を見て諦めたのか。まるで土下座でもするように、両膝をついてバケツに顔を突っ込む。


「馬鹿みてぇ」


 俺は笑う。しかし、当たり前だがそんな量の水を飲み切れるわけもなく、神田くんは途中でえずきながら顔を上げる。


「……ゲホッ、ゴホッ。……も、もういいだろ?」


「…………」


 俺は何も言わない。神田くんは歯を噛み締め、またバケツに顔を突っ込む。なんて無様で馬鹿な姿。……言葉がない。


 それからしばらく、同じようなことを繰り返す。どれだけ経っても、バケツの水は大して減らない。どんなに頑張っても飲み切れる訳はないのだが、それでも神田くんは頑張る。


「……くそっ! やってられるかよっ!」


 そこで我慢の限界がきたのか、神田くんは大声を出して立ち上がる。


「お前、いい加減にしろよ! こんなことやって、何の意味があるんだよ! できる訳ねぇ! 俺はもう帰る!!!」


 立ち去ろうとする神田くんに、俺は言う


「残念だな。君が飲めないとなると、次は君のお父さんかお母さんに来てもらうしかない。もういい歳だけど、大丈夫かな? ……いや、可愛い息子の為なら頑張ってくれるかな?」


「お前っ……!」


「水が溢れた、やり直し」


「……っ!」


 神田くんはまたバケツに水を汲んで、膝をついて水を飲む。どれだけ頑張っても終わらない。俺は些細なことでいちゃもんをつけて、何度も何度もやり直しを命じる。最初は反抗的だった神田くんの顔も次第にやつれ始め、今ではもう最初とは別人のようになってしまった。


 真っ青で今にも嘔吐しそうな顔。泥で汚れた制服。身体も小刻みに震え、気を抜くと倒れてしまいそうだ。


「あ」


 そこで神田くんが、バケツに嘔吐してしまった。何度も何度もえづきながら、バケツを吐瀉物で染める。


「残念。またやり直しだ。もう日が暮れてきた、いい加減にしてくれよ、神田くん」


「……ず、ずみまぜんでしだ」


 そこで神田くんは、俺に土下座をした。


「もう……妹、さんには……ちかづきま、せん。が、学校もやめ……ます。もう……迷惑が……かかる、ことはなにもしません。だから……だから、ゆるして……ください……」


「水、溢れた。やり直し」


「お、おねがい──」


「いつまで頭下げてんだよ。さっさと続けろ、屑が」


 神田くんの頭を掴み、そのままバケツの中に突っ込む。もう抵抗する力も残っていない神田くんは、吐瀉物が混じった水の中で苦しそうにもがく。


 俺は手を止めない。何度も何度も何度も、馬鹿の顔を水の中に突っ込み、涙を流す神田くんを追い込む。これから先、二度と歯向かおうなんて考えないよう、徹底的に心をへし折る。


 そして、辺りが薄暗くなってきた頃。俺はようやく、神田くんから手を離した。


「疲れたし、そろそろ帰るわ」


「…………」


 神田くんは苦しそうに息を溢すだけで、何も答えない。


「無視すんなよ。……って、そうだ。スマホに録音してるんだっけ? もう要らないだろ、それ。こっちちょうだい。そしたらもう、帰っていいよ」


 俺が手を差し出すと、神田くんはよろよろとふらつきながら、スマホをこちらに差し出す。俺は受け取ったスマホを、近くの岩で叩き潰す。


「よしっ。俺は寛大だから、これで許してやるよ。……でも、次俺の前に顔を見せたら、この程度じゃ済まさない。……分かったな?」


 俺が最後にバケツを蹴り飛ばすと、神田くんはビクッと身体を揺らし逃げるようにこの場から立ち去る。彼がこれから、復讐を考えるのかどうか。そうなっても問題ないよう策は考えてあるが、あの様子だと必要なさそうだ。


「まだ、プラン1なんだけどな」


 思ったよりも手応えがなかった。詩織が相手なら、こうはいかない。神田くんにもう少し考える頭があって、今の出来事を仲間に撮らせていたら困るのは俺の方だ。……まあ、そうなった時の為に策を用意していたのだが、全て無駄になってしまった。


「帰ろ」


 ざっと証拠を隠滅してから、手を洗い帰路に着く。夕焼けは赤く、残ったのは虚しさといつまで経っても治らない苛立ちだけ。



 こんなことをしても、きっと遥は笑ってくれない。



 そんなことは分かっていた。でも俺にできることなんて、他に何もありはしない。だから俺は……ただ、笑った。


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