第22話 何の為に
遥と久しぶりに会話してから、しばらくの時間が流れた。その間、詩織は特に動くこともなく、いつものように取り巻きたちと楽しそうにしていた。その取り巻きたちも、時折こちらを睨むことはあっても、前のように絡んでくることはない。うちの両親も俺の嘘を本気で信じたのか、最近は静かなものだった。
学校では月島さんと恋人ごっこ。放課後は御桜先輩と一緒に遥の会話の練習をしたり、学校から渡された課題を教えてやったりしながら過ごした。
正直、楽しい時間だった。
……不満があるとするなら、詩織が言ってきた『探偵ごっこ』。その犯人は依然として分からないままだし、検討すらついていない。詩織のことだから嘘なんてことはないと思うが、それにしては……いや違う。詩織の演技指導を受けているからこそ、俺は何にも気づけていないのだろう。何にも気づけないまま、俺は周りに気を許し始めた。
そんな風に不満はありながらも楽しい時間が流れて、いつの間にかコートを着ても外出するのが億劫になるくらい、寒い冬がやってきた。
「なんか千里、最近楽しそうだね?」
静かな帰り道。雪音はなんだか試すような笑みで、こちらを見る。
「……どうなんだろうな。腑抜けてるだけのような気もするけど、楽しいのは楽しいよ」
今日は月島さんは図書委員で、御桜先輩は大学の関係で用事があるらしく、雪音と2人で帰っていた。冷たい風が、雪音の癖毛な茶髪を揺らす。
「いいんじゃない? 腑抜けても。別に千里、何かと戦ってるって訳でもないんだしさ」
「まあな。でも、分かってはいるんだけど、気を抜くと後ろから刺されそうで怖いんだよ」
「あたしは、その考え方の方が怖いけどね。……まあ、千里は今までしおりんのこととか家のことで揉めてきたから、そんな風に考えちゃうのも分かるけど」
「……でも最近は少し、他人を信じてもいいかなって思えるようになったよ」
「へぇ。でもそれって……いや、いいや。千里は多分、分かってて言ってるんだろうし」
雪音は楽しそうに口元を歪め、俺は冷たい手をポケットに入れる。
「そういや、この前はありがとな。遥の課題、手伝ってくれて」
「……ん? ああ、絵のやつね。あたし、勉強はできないけど絵を描くのは好きだから、あれくらいなんてことないよ」
「それでも助かった。俺は勉強も絵も得意な方だけど、人に教えるのは苦手なんだよ」
「千里はいい意味でも悪い意味でも、人の気持ちが分からないからね」
「うるさいな。いい意味で人の気持ちが分からないってなんだよ。……いやでも、誰だってそうなんじゃないか? 他人の気持ちなんて結局、分からないものだろ?」
「……かもね」
雪音は息を吐く。白くなった息は、青空へと溶けて消える。何ヶ月も会話してなかった妹と、ちょっとしたきっかけでまた話せるようになった。少し前までは、ほとんど話したことがなかった月島さんや御桜先輩と、今では毎日のように話をしている。
分からないものだ。
他人の気持ちも、自分の気持ちも。
「あ、でも千里。結局あたしと遊びに行くって約束、忘れたままじゃん」
「あー、じゃあ週末でもどっか行くか?」
「あれ? いいの? どうせルナっちやサク先輩と、何かするんだと思ってた」
「別に、いつでも一緒って訳じゃないよ。それよりお前には世話になってるし、ちょっと話したいこともあるからな」
「もしかして、しおりんのこと?」
「ちげーよ。……これからのことだよ。大学とか、そっから先のこととか」
「……ふーん。まあ、あたしと千里が、同じ大学に行くなんてことはないだろうしね。あたし、この高校に受かるのもギリギリだったし」
「勉強なら、教えてやるぞ?」
「いいよ。千里、下手くそだもん」
雪音は笑う。笑って冷たい手で、俺の頬をつつく。
「でもせっかく出かけるのに、そんなつまんない話はしたくないな。先の話をするのは死亡フラグだぜ? 若人は今を生きないと」
「……かもな。楽しめる時に楽しんどかないと、損なのは分かるよ。誰だって、いつ死ぬか分からないんだし」
「そうそう。あたしがやってたソシャゲなんて、普通にメンテしたと思ったら、そのままサ終したんだぜ? 致命的なバグが見つかったーとかでさ。馬鹿にするなって話だよ! あたしの課金、返せー!」
「ははっ。それを機に、今後はもう少し考えて金を使うんだな」
「あたしはずっと、考えてるよ。でも、考えたって分かんないもんじゃん。なんでもさ」
「…………」
否定はできない。人生を懸けて1つのスポーツに打ち込んだ選手が、ある日突然、怪我で全てを失うなんてよく聞く話だ。……御桜先輩も、未だに傷を引きずっている。
「まあでも、今更だけどさ、千里」
「なに?」
「しおりんと別れて、よかったんじゃないの? 千里はしおりんと一緒にいる時は、いつも鉛筆で塗り潰したみたいな真っ黒な目してたし」
「……それはそうかもな」
「しおりんの方は……正直、なに考えてるのか分かんないけどね。今も昔もずっと」
2人で歩く。雪音はいつも、楽しそうに笑っている。俺と詩織が泣きながら傷つけあっている時も、雪音だけはいつも通り笑っていた。……多分、俺も詩織もそんな雪音に救われていた面があったのだろう。
「なにさ、じーっとあたしのこと見つめて。……もしかして、惚れた? 雪音さま愛してますーって言ったら、あたしのHカップのデカデカおっぱい、触らせてやってもいいぜ?」
「雪音さま愛してますー」
適当に言って、雪音の方に手を伸ばす。
「えっ? あ、ちょっ⁈ なに本気にしてんのさ! ここ外なのに、待て待て待て! こ、心の準備が……!」
なんて言って目を瞑る雪音の頭を、軽く叩く。雪音の身体がビクッと震えた。
「お前が居てくれてよかった。週末、なに奢って欲しいか考えとけよ」
「……なんだよ、それ。この根性なし。千里の癖に、あたしをからかいやがったなー! このこの!」
しばらく戯れて、分かれ道で手を振って別れる。なんだかんだ言って、俺が1番素を出せるのは雪音なのかもしれない。そんなことを考えながら、玄関の扉を開ける。
「あ! 兄さん、おかえり!」
すると、普段よりテンションが高い遥が、俺を出迎えてくれる。
「ただいま。……つーかお前、どうしたの? なんかテンション高くね?」
「実はさっき、学校から電話があったの」
「……! もしかして、何かあったのか?」
「じゃなくて、いい話! ……もう、兄さんはいつもいつも、悪い方にばっかり考えるよね。そんなんじゃモテないよ?」
少し前までは考えられないくらい気安く、遥が俺の肩を叩く。
「美術の先生がね、褒めてくれたんだよ。わざわざ家まで電話して、ウチの絵を! よく描けてるって!」
「へぇ、よかったじゃん。前に雪音に手伝ってもらったやつだろ?」
「そう! 雪音さん、教えるの凄く上手くて、兄さんとは大違い! それでね。先生、しばらく美術室の後ろにウチの絵を飾ってくれるって言ってたの!」
「なんだ、凄いじゃん。案外お前は、そっちの方面に才能があるのかもな」
「そんな大袈裟なものじゃないよ。でもウチ、凄く嬉しい! こんなウチでも、頑張ったら結果を出せるんだって思えた! 兄さんだって、美術室に絵を飾ってもらったことなんてないでしょ?」
「確かに、ないな」
「えへへー。ウチの勝ちー」
遥は楽しそうにはしゃぐ。よかった、と本心から思う。御桜先輩とみんなの協力……そして、遥自身が頑張ったお陰で、こんなに簡単に笑えるようになった。
「…………」
遥が俺に向けていた憎悪。……悪意。それにもし俺が悪意で返していたら、どうなっていたのか。考えたくもない。
「それでね、兄さん。その……兄さんさえよければ、なんだけどね。ウチ、見に行きたいなって」
「……なにを?」
「ウチの絵が飾られてるの。……学校まで」
遥がこちらを見る。緊張を隠すように手をぎゅっと握りしめ、それでも真っ直ぐにこちらを見る。
「まだ皆んなと一緒に授業を受けるのは、ちょっと怖い。でも放課後、美術室に絵を見に行くくらいなら……できると思う。……ううん。ウチは、自分の絵を見に行きたい」
「……大丈夫なのか?」
遥はもう結構前には、人が居ても部屋から出られるようになっていた。最近は一緒に、カフェなんかも行ったりした。遥も少しずつ、前に進んでいる。……しかしそれでも、学校の近辺にだけは決して近づこうとはしなかった。
「大丈夫。兄さんが一緒に行ってくれるなら……ウチ、頑張れる」
「…………分かった。じゃあ、行くか」
遥の頭を撫でてやる。遙は何も言わず、くすぐったそうに笑う。そして、せっかくならということで久しぶりの制服に袖を通した遥と一緒に、高校に向かって歩き出す。
「でも、いきなり今日で大丈夫なのか? 先生もしばらくは絵、飾ったままにしてくれるんだろ?」
「こういうのは、思い立った時に動かないとダメなの。それよりウチの制服……変じゃない? 笑われない?」
「大丈夫、ちゃんと似合ってるよ」
「……可愛い?」
「可愛いよ」
「……えへへ。ありがと」
遥は照れたように笑う。2人きりで歩くのは久しぶりだ。出かけるにしても、最近はずっと御桜先輩が一緒にいてくれた。
「…………」
制服を着てオドオドと、それでも……どこか嬉しそうに歩く遥。守ってやりたいと思う。こいつが俺を頼ってくれる間は、できることはしてやりたい。
「遥、せっかくだし夕飯、何か食べて帰るか?」
「いいの? ……あ、でも制服だとお店の人に怒られない?」
「怒られねーよ。大丈夫だから、何か食べたいものとかあるか?」
「……じゃあウチ、天ぷら食べたい」
「いいな。だったら帰りに、この前新しくできたとこ行ってみるか」
「うん! 約束だからね!」
2人で歩く。たわいもないことを話しながら、仲のいい兄妹のように、ただ2人で歩き続ける。楽しい時間。今までの失敗を帳消しにするくらい、幸せな時間。
目眩が、する。
「……着いた」
そして、日が暮れ始め部活も終わって校舎から徐々に人影が消える頃。俺たちは校門前にたどり着いた。
「…………」
遥は辛そうに、歯を噛み締める。
「……行けるか?」
「…………大丈夫。兄さんがいるもん」
遥が一歩、踏み出す。俺たちはそのまま2人で、校舎に踏み入る。廊下にはもう人影はなく、2人分の足音がただ響く。
「なんか変な感じ。ウチ、普通の高校生みたい」
「かもな」
「あ、でも、ウチは普通より、ちょっと可愛いか」
「背は小ちゃいけどな」
「うっさい」
遥はどこか無理やりな笑みを浮かべて、俺の脛を蹴る。緊張しているのが丸わかりだが、茶化すのは辞めておこう。
「あ、美術室って、こっちであってるっけ?」
「あってるよ。そこの階段上がって、すぐだよ」
「…………」
遥は不安を飲み込むように階段を上り、俺たちは美術室の前までたどり着く。
「ねぇ、兄さん」
「なに?」
「……ウチ、兄さんが兄さんでよかった」
「なんだよ、それ」
「……ありがとうってこと。ここまで付き合ってくれて、ありがとね、兄さん」
俺が返事をする前に、遥は美術室の扉を開く。そこにあったのは……。
「……え?」
そこにあったのは、ビリビリに破かれた遥の絵の残骸だった。
……ああ、俺は馬鹿だ。
散々自分で言っておきながら、自分や自分の周りが幸せになる為に産まれてきたと、勘違いしてしまった。だから、こんなことになる。
こんなことに、なってしまった。
何も言えず茫然と立ちすくむ遥に、俺は何の言葉もかけてやれない。赤い夕焼けが、ビリビリに破かれた幸せの残骸を嘘のように照らし続けた。
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