第20話 叫び



 御桜先輩が付き合って欲しいと言って俺を連れて来た場所は、カラオケだった。先輩は部屋に入るなりすぐ、八つ当たりでもするみたいに大声で歌い続けた。


 先輩の歌は、なんだか自分で自分を傷つけられないロボットが必死に痛みを叫んでいるようで、正直……聴いてられなかった。歌声はとても綺麗なのに、思わず耳を塞ぎたくなるような、そんな声。


 先輩はひとしきり歌った後、オレンジジュースを一息で飲み干し、息を吐く。


「君も歌うかい? 千里くん」


「いや、俺は……今はいいです。それより先輩、なんか辛そうに見えたんですけど、大丈夫ですか?」


「心配してくれるのは嬉しいけど、私は大丈夫だよ。ひとしきり歌ってスッキリしたしね。……自分が情けないとは思うけど」


「情けない、ですか」


「ああ。私はね、今でも詩織が憎いんだ」


 こちらを見る先輩の目は、少しも笑っていない。


「私が今でも夢に見るのは、華やかだった舞台でも、嫌がらせをしてきた先輩のことでも、貰ったファンレターのことでもない。……3年経っても振り切れていないのは、詩織のことだけなんだよ」


「それは嫉妬ってことですか? 詩織の才能への嫉妬」


「そんな可愛いものじゃないよ。天才は簡単に、人の世界を終わらせる。努力だけでは決して越えられない壁。抗うことも許さない圧倒的な力。夢が破れるというのは、今までの自分の努力を全て否定されるのと同じだ」


「……俺はそこまで何かに熱中したことはないですから、先輩の気持ちは分かりません」


「だろうね。多分、これは誰にも分かってもらえないものなんだよ。挫折なんて言葉では簡単に言えるけど、その痛みは人それぞれだ。この胸の痛みは、どうしたって言葉にはできない」


 先輩は端末を操作して、何か注文し始める。


「ここは私が奢るよ。何か食べたいものとかあるかな?」


「じゃあ……フライドポテトを」


「他には?」


「いや、それだけで十分ですよ」


「遠慮しなくていい。君、朝から何も食べていないのだろう?」


「……じゃあ、ラーメンを」


「遠慮深いね。そういうところが、君の可愛いところでもあるんだけど」


 先輩はその後も端末を操作し続け、テーブルに乗り切らないほどの料理が運ばれてくる。


「でも、遥くん。思っていたより元気そうでよかった。あれなら今年中にでも、学校に復帰できるかもしれない」


 先輩は豪快な仕草でフライドチキンにかぶりつく。俺もポテトをつまみながら、言葉を返す。


「最初の一歩を踏み出すって、1番辛いところを乗り越えましたからね。先輩お陰です、ありがとうございました」


「だから、お礼はいいって。あれは……あれは、償いのようなものなんだ。私自身にとっても、彼女と話すことで救われている面もある」


「……嫌がらせしてきた、先輩のことですか?」


「それもあるね。私は間違えたことをしてしまった。でもだからって、他にいい方法なんて今でも思いつかない。悪意に対する正しい対処法なんて、きっとどこにもないんだよ」


「別に、思い詰めなくてもいいと思いますけどね。先輩は間違ったことをしたかもしれないですけど、それは仕方がないことなんです。人は結局、間違わないと生きていけない。間違いの中で、何かを見出さなければならない。自分で自分が間違えていると思える時点で、先輩は凄い人ですよ」


 詩織の取り巻きたちは、自分が間違えたことをしているという自覚がなかった。遥を虐めていた奴も、俺の両親もそうだ。そして多分、詩織も……。


 皆、自分が幸せになる為に産まれてきたと思いたいんだ。そんなのただの、幻想なのに。


「でも私や遥くんは、君のように強くはなれない。私は未だに、詩織に対する憎悪を捨てられない。今日、遥くんと話して気づいたよ。私のこの3年間は、詩織から逃げる為だけの3年間だった、と」


 沢山の友達に囲まれて、教師の覚えもよくて、勉強もできて、運動もできる。学年が違う俺にも、先輩の噂は届いた。そんな華やかで煌びやかな学生生活を、先輩はただの逃避だと言った。


「君なら気持ちが分かるだろ? 遥くんから聞いたよ。君はテストで100点取っても、どれだけいい成績を出しても、いつもつまらなそうにしてると」


「…………」


 俺は何も答えない。


「遥くんは君が怖いと言っていた。自分がどれだけ必死に頑張っても届かなかった結果に、君は片手間で届いてしまう。しかもそれを、ゴミのように捨ててしまうと。満点の答案も両親の笑顔も、君にとってはなんの価値もないものなのだと」


「……価値がないとは言いませんけど、他人が作った価値観で一喜一憂してたらキリがないじゃないですか」


「そういう風にものを考えられるのは貴重だよ。私の友人たちなんか、どれだけ『いいね』が貰えるかでしか価値を測れない」


「それで楽しいなら、それでいいと思いますけどね。雪音の奴もそういうの好きですし」


「でも君はそうじゃない。君の価値観は私には分からないが、遥くんはそんな君に……嫉妬してる。いや、違う。彼女は私と一緒だ。遥くんは、君という才能を憎悪している」


「……才能と言うより、欠けてるだけなんですけどね、俺の場合」


「遥くんからすれば、それは同じことだよ」


 否定はしない。俺にはできない。


「普通の人には天使と悪魔がいるんだよ」


「……というと?」


「アニメや漫画なんかであるだろう? 勉強なんてやめてゲームしようぜ? と囁く悪魔と、明日はテストなんだから頑張らないとダメだよ、と諌める天使が」


「ああ、理性と本能のメタファーみたいなものですか」


「そうだ。そして多分、君にはそれがない。勉強すると決めたら、君は際限なくやり続けられる。肉体的な限界はあっても、精神的な限界はない。悪魔は何も囁かないし、天使は何も諌めない」


「そこまで極端ではないですけどね」


 でもやっぱり、否定はできない。


「そんな君と比べられ続けた遥くんの苦悩は、私や君では想像できない。彼女は常に、自分の努力が足りないと思い続けるしかなかった」


「……やっぱり俺は、遥かに関わらない方がいいんですかね?」


「そんな簡単な話でもない。遥くんは君の前では、意図的に君の話を避けていた。けれど君がお菓子を買いに行ってくれている間は、君のことばかり話してくれたよ。恨んでいるけど、好きなんだ。お兄ちゃんのことが」


「…………」


 本当だろうか? あいつが俺に向ける感情は、もっとどす黒いものだと思う。そうでなければ、あいつはあんな目で俺を見ない。


「無理にとは言わないが、君ももう少し遥くんと話をしてみるといい。君が自分の気持ちを話せば、きっと彼女も胸の内を話してくれる」


「……ですかね」


 俺はそこで、少しのびてしまったラーメンをすする。先輩は喋りながらも手を止めることなく食事を続け、あんなにあった料理の大半がなくなろうとしていた。……意外と大食いだったんだ、と俺は驚く。


「少し、説教くさくなってしまったね。偉そうなことを言ったが、所詮は負け犬の遠吠えだ。無視してくれても構わない」


「そんなことはないです。参考になりました」


「なら、よかったよ。……きっと私は、こんな私でも誰かの役に立てると思いたいんだ。つまらない女だよ」


 先輩は囁くような小さな声でそう言って、どうしてか俺の隣に座り直す。


「君が、瑠奈さんと付き合っているという噂を聴いた。あれは、事実なのかな?」


「……否定はしません」


「何か訳ありということか。君が隠すなら、理由は聞かないよ。……でも、私にもチャンスはあるってことなんだろう?」


「俺なんかといても、いいことなんてないですよ」


「誰だってそうだよ。誰の隣にいても、いいことなんてない。それが分かっていても、私は君に惹かれている。……それがただの詩織への、敵愾心だとしても」


 先輩が俺の肩に頭を乗せる。そんな時、頭に思い浮かぶのは、詩織の言ったごっこ遊び。……最低だ。


「まあ、だからといって無理に言い寄る気はないよ。君はそういうの嫌いそうだし、私もそこまで軽い女じゃない」


「強引な子は嫌いじゃないですよ」


「でも、好きでもないんだろ? だったら、いいさ」


 先輩は立ち上がり、正面の席に戻る。


「私は君に惹かれているが、同時に君が怖くもある。さっきも言ったが、君には限度というものがない。遥くんを虐めていた奴に、君がどんなことをしてしまうのか。考えると、怖くなる」


「大したことはしませんよ」


「なら、いいのだけれどね」


 先輩は最後の1つのポテトをつまみ、ハンカチで手を拭く。それでテーブルから、料理が消える。もしかして先輩は、やけ食いしたかっただけなのかもしれない。


「さて、今度は君の番だよ?」


 と、そこで先輩がマイクをこちらに差し出す。


「いや、俺は──」


「君の歌が聴きたいんだ。いいだろ?」


 先輩は勝手に端末を操作して、聴きなれたイントロが響きだす。


「……仕方ないな」


 俺はマイクを受け取って、立ち上がる。歌うとやっぱり、胸がすく。帰ったら少し遥と話でもしてみようか、そんなことを思った。


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