第18話 先輩の忠告



「どうやら君の妹……遥くんは、虐めを受けていたらしいんだ」


 全く予想していなかった言葉。俺はその言葉を聞いた瞬間、自分でも驚くほど簡単に次の行動を決めていた。


「早まらないでくれ。私が聞いたのはあくまで、噂だ。確証がある訳じゃない」


「別に早まるつもりなんてないですけど、その噂って……誰から聞いたんですか?」


「私が仲良くしてる後輩から偶然、聞いたんだよ。隣のクラスに素行の悪い男子がいて、彼のせいで不登校になった子がいるらしいと」


「……それが、遥ってことですか」


「彼女が言った隣のクラスというのは、多分1年2組。そのクラスで不登校なのは、遥くんだけだ。だから必然的に、そうなってしまう」


 そんな話を遥から聞いた覚えはない。俺はてっきり、遥が不登校になったのはあの両親の過度な期待のせいだと思っていたが、どうやら他にも理由があったようだ。


「その男の名前、聞いてもいいですか?」


「……早まった真似をしないと、約束してくれるなら」


「そんな心配しなくても、変なことはしませんよ。……それに御桜先輩が教えてくれないなら、自分で調べるだけです。遅いか早いかの違いですよ」


「……詩織が言っていた言葉の意味が、少し分かったよ。今の君の目は確かに普通じゃない。まるで……いや、よそう。言っても仕方がないことだ」


 御桜先輩は一度、大きく息を吐いて言葉を続ける。


「分かった。私の知ってることは、全て君に話す。ただし、約束してくれ。早まった真似はしないと」


「何度も言わなくても、分かってますよ。今から教室に乗り込んで、目玉を抉るような真似はしません」


「…………」


「そんな顔しないでください。冗談ですよ、冗談」


「君の冗談は心臓に悪い」


 御桜先輩は困ったように笑って、屋上から街を見下ろす。


「その男の名前は、神田こうだ 夏樹なつき。派手な色に髪を染めた目立つ男だ。多分、君も一度くらいは見たことがあると思う。この高校には珍しいタイプの男だ」


「……記憶にないですね」


「まあ、そんな大きな悪さをして回ってるって訳でもないらしいから、君の記憶には残らないか」


「俺は先輩みたいに、仲がいい後輩なんてほとんどいないですからね。1年生と接する機会がないんですよ。……それでその神田っていうのは、どんな奴なんですか?」


「なんでも彼は、無理に女の子に言い寄ったりしているらしくてね。それで入学当初に遥くんに言い寄って、皆の前で拒絶された彼は恥をかかされたと思い、遥くんに嫌がらせをした。……私が聞いた噂を総合して考えると、そういうことがあったようだ」


「家のこともあった遥は、それで心が折れたのか……」


 必死に勉強してようやく入った高校。そこにそんな頭の悪そうな奴がいて、しかもそいつに嫌がらせをされた。気の弱い遥が引きこもってしまうには、十分な理由だ。


「その神田くんは今でも素行が悪く、いろいろと問題を起こしているらしい。小さな問題を積み重ねて、彼はそれを武勇伝のように語っていると、私は聞いた」


「馬鹿なタイプですね。……それならやりようは、いくらでもありそうだ」


「勘違いして欲しくはないのだけれど、私がこの話を君にしたのは、遥くんと話をするにあたって必要だと思ったからだ。君を焚きつけて、復讐を促したい訳じゃない」


「分かってますよ」


 軽く息を吐く。確かに今、遥の気持ちを考えないで下手な行動をするのは得策じゃない。


「いろいろ教えて頂き、ありがとうございます。正直、全く知りませんでした。遥の奴が、そんなことになってたなんて……」


「それは仕方がないよ。さっきも言っただろ? 家族だからこそ、見栄を張らなければならない時もある」


「……そうですね」


 しかし、このまま放置というのもよくない。いずれ遥が高校に通えるようになった時、邪魔者は少ない方がいいだろう。


「…………」


 少し、今後のことを考える。現状、情報が少ない詩織とのごっこ遊びに対する策はない。しばらくは我慢して、詩織や他の誰かの出方を探るしかないだろう。月島さんが学校を休んでいる理由も気になるが、それは本当に風邪かもしれない。下手に騒いでも迷惑なだけだ。


 となると今、俺がやるべきことは……。


「おっと、予鈴だ」


 いつの間にか、昼休みが終わってしまったようだ。結局、昼食は食べ損ねた。


「放課後、私は遥くんに会いに行くつもりだ。できれば君にも同席して欲しいのだけれど、構わないかな?」


「分かりました。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」


「そんなに畏まらなくてもいいよ、君と私の仲だ」


「それでも、ありがとうございます」


 俺は頭を下げる。御桜先輩は一歩、俺の方に近づく。


「……千里くん。人生の先輩として、1つだけ君に忠告しておくよ」


 御桜先輩はいつもの澄んだ瞳で、真っ直ぐに俺を見つめる。ガラス玉みたいな綺麗な瞳。御桜先輩は、まるで自分のことを話すような声で言う。


「悪意に悪意で返しても意味はない。胸はすくが、すいた分だけ穴が空く。囚われると、君も帰ってこれなくなるよ」


 それだけ言って、御桜先輩は屋上から立ち去った。俺はそんな先輩の後ろ姿が見えなくなるまで、その場でただ立ちすくむ。


「……でも、先輩。悪意に悪意で返せないなら、他にどうすればいいって言うんですか」


 そこで授業の開始を知らせるチャイムが鳴った。俺は久しぶりに授業をサボって、少しだけ調べ物を始めた。



 ◇



「よっ、サボり魔」


 放課後。午後の授業をサボった俺は、御桜先輩との待ち合わせの為に荷物を取りに教室に戻ると、ふと声をかけられた。


「……なんだ、雪音か。悪いけど、今日はお前と遊んでる暇はないよ」


「なんだ、またなんかあったの? もしかして、またまたしおりん? それとも今度は別件かな?」


「……両方だよ」


「あはっ。なんだか昔の千里みたいだね、その顔。鉛筆で塗りつぶしたような、真っ黒な瞳」


「そんな目は──」


 してないと否定しようと思ったが、自分の顔は自分じゃよく分からない。少なくとも、今の自分が笑ってないことは確かだ。


「そういやお前、俺が詩織の取り巻きに呼び出されてたの、気づいてたな?」


「まあね。露骨に怪しかったから、少し跡をつけさせてもらいました」


「余計な真似を……でも、どうしてそれを月島さんに伝えたんだ? そのお陰で助かったところもあるけど、お前がそんなことをする理由がよく分からない」


「あたしが行っても、火に油を注ぐだけだからね。あたしもしおりんの取り巻きには、よく思われてないから」


「……なるほどな」


「適材適所ってやつだよ。あの場はあたしより、ルナっちが適任だった。だから、ルナっちに声をかけたんだよ」


「お前も……というか。なんか俺の周りって、人の心を見透かすような女の子が多くないか?」


「よかったじゃん、気の遣える女の子に囲まれて。……まあ、ただ類は友を呼ぶってだけかもしれないけど」


 意味深に笑う雪音。こいつが詩織の演技指導を受けて、俺に取り入ろうとしているなんて考えたくない。……考えたくはないが、どうしても考えてしまう。


 やはり、あの女のやり口は気に入らない。


「って、今日は本当に約束があるからもう行くわ」


「えー、埋め合わせは今度するって、前に言ってたじゃん」


「あー、じゃあ今度なにか奢るよ。詩織の取り巻きの件で助けられたお礼も兼ねて」


「おっ、約束だからね? あたし遠慮なく、焼肉とか奢ってもらうからね? 破ったら舌、引っこ抜くからね?」


「分かった分かった。じゃあ、またな」


 雪音と別れて、早足で歩き出す。そこでちょうど、御桜先輩から『校門前で待ってる』というメッセージが届く。


「……遥、次第だな」


 もし今日、遥と久しぶりに話せたとして。あいつが俺に助けて欲しいと言ったら、俺はどうするのか。悪意に悪意で返すのか。それとも他の手段を探すのか。



 答えは、決まっていた。


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