第17話 助け



 私は、特別だった。



 私──御桜みさくら このはは、なんでも人より器用にこなせる天才肌の人間だった。勉強も運動も人間関係も、今までの人生で一度だって苦労したことがない。



 私はこの世界の主人公なのだと、そんな風に勘違いしていた。



 けれど、華宮 詩織。本物の天才。彼女と出会った瞬間、私の幻想は簡単に砕け散った。彼女と比べれば、私なんてモブにすらなれない。彼女の前では、誰だって否応なしに観客席に押し込まれる。戦うことすら許されない。


 私は逃げ出した。情けなく泣きながら、演技から逃げ出した。それからもう、3年近くになる。流石にもう、未練なんてない。ないと思いたい。……未だに夢に見るなんて、そんなことは恥ずかしくて誰にも言えない。


 私もあと数ヶ月で高校を卒業する。周りは完全に受験一色。けれど私は、器用に容量よく推薦で大学を決めてしまい、1人時間を持て余していた。



 そんな時、届いた1通のメッセージ。



 未白 千里。或いは彼なら、私の未練を断ち切ってくれるかもしれない。彼なら、あの天才を跪かせることができるかもしれない。彼なら、私の空白を埋めてくれるかもしれない。



 私は特別だった。



 けれど誰だって、いつまでも特別なままではいられない。



 ◇



「あー、ねむ」


 詩織と会話した翌日の昼休み。寝不足な俺は、昼食も食べず屋上でぼーっと1人、空を見上げていた。


「演技指導。探偵ごっこ」


 相変わらず、詩織の目的は分からない。あいつの考えは、いつだって理解の外にある。いくら考えても、意味なんて……。


「ないなんて言ってたら、いつまで経っても勝てない。……ちょっと状況を整理してみるか」


 息を吐いて、少し考える。


 俺と詩織は小学校に上がる前からの幼馴染。小学校の頃はいつも一緒にいたが、中学に上がると同時に詩織が本格的に演技を始め、疎遠になる。そして俺に彼女ができて、詩織は俺に嫌がらせをした。


 俺は今以上に孤立して、詩織を恨んで傷つけた。その結果、詩織は演技を辞めて、必然的に俺たちは……付き合うことになった。なのに詩織はどうしてか俺を蔑ろにするようになり、浮気までした。


 俺はそんな詩織を振って、あいつのと関係を終わらせたつもりでいた。けれどあいつは、別れた後になってから俺に構うようになり、傷ついているような素振りを見せた。


 そして昨日、『演技指導と探偵ごっこ』なんて訳の分からないことを言い出した。


「繋がらない。でも多分、詩織の中では繋がってる。あいつは俺を……どうしたい?」


 想像するにしても、まだ情報が足りない。ただ俺はこれからずっと、他人の善意を疑い続けなければならない。こいつはもしかしたら、詩織の手先かもしれない。そんな思考がこれからずっと、付き纏う。


 悪意を向けられるより、善意を疑い続ける方がずっと心が擦り減る。詩織のやり口は、相変わらず最悪だ。強制的に問題を押しつけ、自分は高みの見物。逃げ道なんて塞がずとも、蟻地獄からは抜け出せない。


 詩織の為に誰とも関らず、1人で生きていくなんて選択をした時点で、俺の負けだ。だから俺はこれから他人を疑い、探偵として犯人を見つけなければならない。



 なんてくだらない、ごっこ遊び。



「駄目だ。今はまだ、結論は出せない。……それより月島さん、そんなに体調悪いのかな? まだメッセージに既読つかない」


 月島さんは今日、学校を休んでいた。朝に体調不良だと担任が言っていたが、タイミングがタイミングなだけにどうしても気になってしまう。


「これだとほんとに、詩織の思う壺だな」


 このままだと、詩織には勝てない。詩織が用意したゲームで戦っているうちは、詩織に勝つことはできない。こっちはこっちで、何か策を考えないと駄目だ。


「…………」


 ふと胸をよぎった感情がなんなのか。その答えを見つける前に、声が響いた。


「随分と疲れた顔をしてるね、千里くん」


 屋上のベンチに寝そべった俺を見下ろすのは、御桜先輩。彼女は青みがかった髪を風に揺らしながら、小さく笑う。


「……御桜先輩。こんな所で何してるんですか?」


 俺は身体を起こし、肩の骨を鳴らす。


「私は君を探していたんだよ、君に少し話したいことがあってね」


「……俺に話ですか?」


 昨日の詩織とのことがあるせいで、余計な勘ぐりをしてしまう。


「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ? 話というのは君の妹、遥くんのことだ」


「遥のこと、ですか」


「そう。君は知らないかもしれないけど、私と彼女は友達なんだ。遥くんは熱心な詩織のファンでね、よく劇場に足を運んでくれていたんだよ。その縁で、偶にお茶なんかもするような関係だったんだ」


「……知りませんでした」


「家族に交友関係を話したくない年頃なんだよ。私にも、気持ちは分かるよ」


「あいつ、何か迷惑かけてませんか?」


「大丈夫。彼女はある意味で、私と同じような立場にいたからね。話があったんだよ」


 御桜先輩が俺の隣に座る。その澄んだ瞳は、少しだけ詩織に似ている。


「……2人の関係性は分かりました。けど、それをわざわざ俺に話すってことは、何か訳ありってことですよね?」


「話が早くて助かるよ。……実は彼女から、メッセージが届いてね。部屋の外に出る為の練習に付き合って欲しいと」


「あいつ、先輩にそんなことを……」


 最近、両親の喧嘩の回数が増えてきた。遥は遥なりに、思うところがあったのだろう。


「先に言っておくけど、迷惑なんてことはないんだよ。私は推薦で大学も決まってるし、時間は余りに余ってる」


「でもあいつ、俺になんの相談もしないで、先輩を頼るなんて……」


「それは仕方ないことだよ。家族だからこそ、話しにくいこともある。家族だからこそ、見栄をはらなければならないこともある。家族だからこそ、話せないこともある。君にも気持ちは分かるだろ?」


「……そうですね」


 確かに、遥の気持ちが分からない訳じゃない。あいつの弱さを俺は理解してやれないが、だからって否定するのも違うだろう。


「ただ、君や君のご両親に隠れて遥くんに会うというのも、難しいだろう? ただ友達と遊ぶなんて、そんな簡単な話しではないのだから」


「だから御桜先輩は、俺を探してたんですね」


「ああ。遥くんにも、君にある程度の事情を話すことは伝えてある。できれば今日にでも君に話を通して、彼女と直接会いたいと思っていたんだ」


「……事情は分かりました」


 軽く伸びをして、空を見上げる。今ここで詩織のことを考えても仕方ない。御桜先輩と、遥のこと。全てが嘘だとは思えない。


「千里くん、君も何か悩んでいるようなら、話を聞くよ?」


「その必要はないです。問題の打開策を考えて行動するのは、嫌いじゃないですからね。苦手なのは……自分で目的を決めることだけです」


「君は……いや、そうだね。君のそういうところは、素直に尊敬するよ。私は君のことを知っているとは言えないけれど、君のものの考え方は理解しているつもりだ」


 御桜先輩が俺の肩に触れる。彼女の笑みはこちらを気持ちを見透かすような、独特の雰囲気がある。


「……それで、ここからの話は……正直、君に話すかどうか迷っていたのだけれど、いずれ知ってしまうことだからね。だから思い切って私から話すのだけれど、あくまでも噂ということを念頭に置いて聞いて欲しい」


「なにか、意味深な言い回しですね」


「意味深というか……聞いて楽しい話ではないんだよ。私でこうなのだから、君は特にね」


 御桜先輩はそこで一度言葉を区切り、立ち上がる。風が吹く。冷たい風。嫌な予感に、胸の奥がチクリと痛む。



「どうやら君の妹……遥くんは、虐めを受けていたらしいんだ」



 その言葉に、俺はとても簡単に次の目的を決めてしまった。


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