第15話 本当の自分



「……千里さん? こんなところで、何をされているんですか?」


 まだ図書室を閉めるには早い時間。明確な目的がないとわざわざ来ない校舎裏に、どうしてか月島さんがやって来た。


「……ちっ、仕方ない。私たちはもう行く。でもお前が態度を改めない限り、私たちも止まらない。……行きましょう? 伊織さん」


 泣きそうな顔をしたリーダー格の少女の手を引いて、取り巻きたちが立ち去る。どういう理由か分からないが、月島さんを巻き込むのは嫌なようだ。……俺と同じ詩織の友達。同性だから見逃すのか。或いは他に理由があるのか。なんにせよ、くだらない。


「変なところ見られちゃったな。月島さんの方こそ、こんな所で何してんの?」


「先に質問したのは私の方です。千里さん、貴方はさっきの人たちと何をされていたんですか?」


 意志の強さを感じさせる表情。誤魔化すのは無理そうだ。


「……ちょっと呼び出されて話をしてたんだ。でも、大したことは話してないよ」


「……そうですか。貴方がそう言うなら、私は何も言いません」


「…………」


 その言葉に、俺は口をつぐむことしかできない。


「私はとある人に、千里さんが校舎裏に呼び出されたと聞いて、急いでここに駆けつけたんです」


「とある人って?」


「雪音さんです」


 あいつ、見てたのか。見てた癖に自分じゃなくて、わざわざ月島さんを寄越すあたり、俺に気を遣っているのだろうか?


「もしかしてまた、詩織さん関連のことですか?」


「どうだろう? 詩織がどうこうっていうより、その周りが勝手にって感じかな。月島さんとの恋人ごっこ、効果があったみたいだよ」


「では、あの人たちはやはり……。すみません、私が軽はずみな提案をしたせいで、千里さんに迷惑をかけてしまいました……」


「いいよ。ああいうのはいつものことだから。たぶん彼女たちとは、月島さんとのことがなくても揉めてたよ」


「それでも……すみません」


 申し訳なさそうに頭を下げる月島さん。彼女が頭を下げる理由はないのだけれど、そんな顔をされると……どんな言葉をかけていいか分からなくなる。



 やっぱり俺は、おかしいのだろうか?



 さっきの取り巻きたちに悪意を向けた時は、簡単に言葉が出てきた。なのに今は、嘘みたいに言葉が出ない。俺は詩織とは違う。化け物なんかじゃない。そう思うけれど、自分の中にある異常性を無視できるほど馬鹿にもなれない。


「やっぱりさ、月島さん。恋人ごっこ、もう辞めにしようか」


「……! 千里さんはやっぱり、私と居るのが嫌になりましたか?」


「いや、月島さんと居るのは楽しいよ。……うん、楽しかった。でも、俺の隣に居てもいいことなんてないよ。さっきの連中にまた絡まれるかもしれないし、そうでなくても俺はいろんなところで恨まれてる」


「そんなの別に、気にしません」


「俺が気にするんだよ。……それに俺自身もまともって訳でもない。見ただろ? さっきの連中の表情。俺は他人に悪意を向けるのに戸惑いがないんだよ。普通の人にはあるようなブレーキが壊れてる」


 だから必死になってバランスを取らないと、簡単に脱線する。


「……千里さん、とても怖い顔をしてました」


「だろうね」


「私に何かできることはありませんか?」


 そんなものはない。俺は詩織に何もしてやれなくて、詩織もまた俺に何もしてくれなかった。結局、付き合ったところで、何かが変わる訳でもない。


「…………」


 でも、不意にどうしてか、胸が痛んだ。俺はこのまま1人で死ぬ。誰にも理解されないまま、朽ちて消える。そんなのは別にどうでもいいことだ。それくらいのことは、とうの昔に受け入れた。


 でもどうしてか、胸が痛む。


 ……駄目だ。これはきっと、甘えだ。


「大丈夫ですよ? 私は千里さんの味方です」


「味方とか敵とか関係ないよ。俺はただ……」


「私は千里さんがどういう人でも、幻滅したりなんかしません。私はただ、知りたいんです。どうして貴方がそんなに悲しそうな顔をしているのか。貴方が何に傷ついているのか」


 月島さんが俺を見る。真っ直ぐな目で、ただ俺だけ見つめる。


「──私は、貴方の痛みが知りたい」


 なんて嘘くさい言葉。いつか誰かが言ったのと、同じ言葉。一度は信じて裏切られた言葉。……でも、弱いんだ。駄目なんだよ。そんな真っ直ぐな目で見つめられると、俺は自分の弱さを自覚してしまう。


 やめてくれ、頼むから。


「……それじゃあさ、月島さん。1つだけ、お願いしてもいい?」


「なんでも言ってください」


 月島さんが俺を見る。俺はそんな月島さんの手を引いて、強引に彼女を抱きしめた。


「せ、千里さん⁉︎」


「前に言ってた、弁当のお礼にハグするって約束、守れてなかっただろ? ……いや、ごめん。それは言い訳だ。本当は少しだけ、甘えさせて欲しい……」


 弱さが溢れた。溢れた分だけ、弱さがなくなる。そんな単純なら、よかったのに。


「……いいですよ。好きなだけ……好きなだけ甘えてください。千里さんが何に苦しんでいるのか。私には分かりません。でも、これで千里さんが少しでも楽になるなら、私に何をしても構いません」


 月島さんが俺を抱きしめる。俺が月島さんを抱きしめる。他人に弱さを見せるのなんて久しぶりだ。でも今は、この温かさに甘えたかった。



『千里。結局、君はボクと同じなんだよ。人間のフリをしたところで、君は決して幸せになんてなれない』



 どうしてか思い出すのは、詩織の言葉。ああ、いつになったら俺は、あいつの呪縛から解放されるのだろう?


「私は千里さんがどういう人なのか、よく知りません。中学の時、詩織さんと何があったのか。私のことを本当はどう思っているのか。どんな食べ物が好きで、休みの日は何をしてるのか。きっと千里さんは、いろんな秘密を抱えてる」


「……そうだよ。だから、そんな俺に関わらない方がいいんだよ」


 1人なのは慣れている。孤独なんていつものことだ。死ぬまで1人でも、痛む心なんて俺にはない。……その筈なのに。


「でも私は、そんな貴方を知りたいです。貴方が1人で生きていける人でも、そんな貴方を1人にしたくありません」


「どうして?」


「……どうしてでしょうね。簡単だけど、言葉にはできません」


 月島さんは笑う。笑ってぎゅっと強く、俺の身体を抱きしめる。


「こんなに長く、男の人の身体に触れたのは初めてです。思っていたより私は、可愛い女の子なのかもしれません」


「なにそれ」


「ちょっと抱きしめあっただけで、こんなにドキドキして真っ赤になるような女の子らしいところ、自分にあるとは思ってませんでした」


「月島さんは元から可愛いよ」


「……平気でそういうことを言うから、貴方はいつも変なことに巻き込まれるんですよ」


 月島さんが俺から手を離す。触れていた温かさが離れていく。……少しだけ名残惜しい。


「私はもっと千里さんのことを知りたいです。貴方がどんなことに苦しんでいるのか、もっともっと知りたいです」


「でも──」


「でも、はないです。だからもう少しだけ、私との恋人ごっこを続けてください。詩織さんの為じゃなくて、私の為に」


 月島さんは身体に溜まった熱を吐き出すように、大きく息を吐く。


「そしたら今度は、私の胸を触らせてあげます」


 そしてやっぱり、月島さんは笑った。


「分かった。……ありがとう」


 と、俺は答えた。なんだか肩から力が抜けた気がした。



 ◇



 私は、お母さんのカレーが好きだった



「……まだ、ドキドキする」


 自室のベッドに腰掛け、息を吐く。既に窓の外は闇に飲まれて、いつもならとっくに眠っている時間。目が冴えてなかなか寝つけない私は、もう何時間もこうしてベッドの上で悶々としていた。


「結局、私の中身なんてこの程度」


 空っぽだと思っていた私の中身。それはやっぱり、つまらなくて平凡なただの女の子。少し抱きしめられたくらいで、ドキドキして眠れなくなるような普通の少女。それが私だ。


「でも千里さんは、そんな私を必要としてくれた」


 いくら恋人のフリをしても、それはただのごっこ遊び。彼が本当の意味で、私を必要としてくれることなんてない。彼が私に、胸の内をさらけ出してくれることはない。


 そう思っていた。……だから、ごっこ遊びだと言った。


 詩織さんのことなんて本当はただの言い訳で、私はただ自分が傷つきたくないから、恋人のフリだと言った。正面から告白する勇気なんて、私にはなかったから。



 でもあの人は、私に弱さを見せてくれた。



 誰にも届かないと思っていた私の言葉が、ちゃんとあの人に届いた。


「あの冷たい瞳。人を傷つけるだけの言葉を吐いて、あの人は笑ってた」


 最初から見ていた訳ではない。でも千里さんは、いつもと別人のような顔で笑っていた。もしかしたら、あれが千里さんの本質なのかもしれない。……いや、たぶん違う。あの人にはそういう一面もあるってだけで、それがあの人の全てである訳がない。


「きっと千里さんは、ボーダーラインの上にいる。異常と正常の狭間。……詩織さんは、そんな千里さんを自分の方に引きずり下ろしたいんだ」


 だったら私は、その逆をしよう。千里さんが間違いそうになった時、私が彼を優しく抱きしめる。それであの人が今日みたいに私のことを必要としてくれるなら、それはなんて……素敵なのだろう。


「……馬鹿みたい」


 どれだけ難しいことを考えても、結局私は少し影のあるかっこいい男の子に惹かれてるだけ。それ以外の理屈は後付けに過ぎない。よくある一目惚れ。単なる気の迷い。


「でも、嘘じゃない」


 外側だけは立派で、中身が空っぽだった私。他人の期待に応えることしか、生きる意味がなかった少女。ネットの凝ったレシピより、パッケージの裏に書いてある通りに作った平凡なカレーが好きな普通の女。


 それが私。


 空っぽだった、私。


「でも私は今、貴方への恋心でいっぱいです」


 空っぽだった私の中身は、こんなに簡単に満たされた。……ああ、早く会いたい。またあの人に抱きしめて欲しい。必要とされたい。私だけを見て欲しい。その為なら、なんだってしてみせる。誰にも彼を渡さない。


 誰を傷つけても、


 彼本人を傷つけても、


 ……私の側に居て欲しい。


「私はきっと、間違えてる。でも、どうしよう。……幸せだ」



 私は、お母さんのカレーが好きだった。

 


 私はきっと、恋をしていた。


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