第14話 本物



 校舎裏への呼び出し。喧嘩にしろ告白にしろ随分と古臭い真似をする。……まあ、そんなものにわざわざ応じている俺に、他人を批判する権利はない。


「来るとは思ってなかった」


 放課後の喧騒も聴こえない静かな校舎裏。そこで俺を待っていたのは、教室でよくこちらを睨んでいた詩織の取り巻きの少女たち。


「経験上、こういう呼び出しは無視した方が後で面倒になるからね。……でも、手紙で呼び出しなんて、随分と古風な真似をする。ラブレターかと思って、ドキドキして損した」


「嘘くさい言葉。貴方も、自分がどれだけ周りに疎まれてるのか分かっているから、ここに来たんでしょ?」


「……どうかな」


 背の高い男が逃げ道を塞ぐように背後に回る。手紙での呼び出しは、人目を避ける為。呼び出すところさえ見られなければ、後で問題になってもしらを切れる。仮に俺が無視したところで、自分たちに不利益はない。また別の手段で、呼び出せばいい。


 ……何をされるのか想像がついてしまい、俺は小さく息を吐く。


「1つ確認したい。貴方と……その、詩織様が付き合ってるって噂は本当なの?」


 リーダー格の少女が、きつい柑橘系の香水の匂いを振り撒きながら、俺を睨む。


「それはただの噂だよ。俺と詩織は幼馴染ってだけで、それ以上の関係じゃない」


「じゃあどうして詩織様は、貴方だけ特別扱いするの?」


「別にしてないだろ? 特別扱いなんて」


「……! してる! してるじゃない! いつもいつも! 詩織様は貴方の前でしか、本気の感情を露わにしない!」


 怒りに顔を赤くする少女。この子が何をそこまで怒っているのか、俺にはよく分からない。


「めんどくさいな。例えそうだとしても、だからなんだって言うんだよ。あんまりつまんないことで、呼び出さないで欲しいな。君たちのごっこ遊びに付き合ってるほど、俺も暇じゃないんだよ」


 少女に背を向ける。……が、やはり背の高い男に邪魔をされる。


「待ちなさい。まだ話は終わってない」


「月島さんとのこと?」


「……っ。どうして、それを……」


「よく睨んでたじゃん。それに、前から俺を敵視してるみたいだったけど、今になってわざわざ呼び出したってことは、その辺に何か事情があるんでしょ?」


 少女は一歩後退り、息を吐く。好意というのは曖昧なことが多いのに、敵意というのはいつだって分かりやすい。


 雪音は俺を鈍感だなんて言ったが、それは当然のことだろう。他人がチラチラとこちらを見ていたら、恨まれていると考えるのが普通だ。そこで自分に惚れているなんて思うほど、俺も自惚れてはいない。


「貴方は、月島さんと……付き合ってるの?」


「そうだよ。昼休み、いつも見てたろ? ラブラブなんだよ、俺たち」


「……それ、辞めてくれない? 詩織様が嫌そうにしてたのよ、貴方たちを見て」


「詩織が嫌そうに? 何かの勘違いじゃない?」


「私が詩織様の気持ちを間違える筈ない! そもそも詩織様と月島さんは──」


伊織いおりさん!」


 そこで、別の少女が口を挟む。何か俺に聞かれたくないことがあるようだ。


「ま、要件は分かったよ。でもどうして俺が、詩織に気を遣ってやらないとダメなんだ? そんなことをしてやる理由に心当たりがない。そもそも、あいつが我慢すればそれで済む話だろ?」


「だからこうして、お願いしてるんじゃない」


「菓子折りくらいないと、聞く気にはなれないな。俺、エクレア好きなんだよ。駅前の専門店のちょっと高いやつ。あれ食べたいな」


「そうやって飄々としたことを言って、後悔することになるのは貴方の方なのよ?」


 背後の背の高い男が俺の肩を掴む。殴り合いの喧嘩なんて、いつ以来だろうか? 人を殴ると手が痛いから、あんまりしたくはない。するつもりもない。


「脅すのか。かっこ悪いな。詩織に言いつけてやろうか?」


「それができないように、してもいいのよ?」


「何を焦ってるんだよ、馬鹿馬鹿しい。……当ててやろうか? お前たちが俺を呼び出した本当の理由」


「だからそれは──」


「最近、詩織に構ってもらえなくなった」


「──っ!」


 俺の言葉に少女たちは露骨に動揺する。


「詩織に訊いても答えてくれない。だから君たちは必死になって理由を探して、俺にたどり着いた。アイドルとかの露出が減ると、干されたーとか言って関係ない奴を叩き始めるのと一緒だ。八つ当たりだぜ? それは」


「そんなのと一緒にするな! 私たちは詩織様の為を思って動いてる! 私たちを侮辱するな!」


 叫ぶ少女。……ほんと分かりやすい。馬鹿かよ。


「そういや詩織、前に言ってたっけな? 柑橘系の香りが苦手だって。今までずっと、気を遣って黙ってたんだろうな……可哀想に」


「……っ!」


 少女の身体がビクッと震える。俺に向いていた周りの視線が、少女に集まる。ほらやっぱり、誰でもいいんじゃないか。


 皆、生贄が欲しいんだ。


 自分の感情をぶつける為の、生贄が。


「…………」


 ああ、くそっ。なんだか無性に腹が立ってきた。他人を使って現実逃避をする連中。敵意を向けているのに、自分が敵意を向けられるとすぐに被害者ぶる連中。自分が幸せになる為に産まれてきたと、勘違いしてる連中。自分と自分の愛する人が幸せなら、どれだけ他人を踏みつけにしても許されると思ってる連中。


 実際、こいつらは悪人じゃない。下手な脅しをしているが、この背の高い奴もまともに人を殴ったこともないだろう。呼び出し方は手慣れているが、手を出したことはない。



 だから、知らないんだ。


 人を傷つけるってことを。



「君たちはさ、詩織に近づく変な虫を叩き潰す正義のヒーローのつもりかもしれない。けど、自分たちが周りからどんな風に思われてるのか、もう少し考えた方がいい」


「詩織様の為なら、他の奴らになんて思われても──」


「君たちが集めた悪意が、詩織に向くとは考えないの? ここで俺を痛めつけたら、その仕返しを俺は詩織にするかもしれない」


「そんなこと許すわけない!」


「誰がお前の許可なんてもらうんだよ。ちょっとはものを考えろよ」


 苛々する。手際が悪い。頭も悪い。こんなやり方で人を追い詰めるなんてできない。こんなことをするくらいなら、嫌がらせの手紙を毎日送った方がずっと効果がある。


「ああ、そうか。お前ら別に悪いことをしてる自覚はないのか」


 悪意を向けてる癖に、どこかで自分は正しいと思ってる。幸福の対義語は正しさなんだよ。なんでそんな簡単なことも理解できない。自分にとって都合のいい価値観なんか全部、間違ってんだよ。


 自分や自分の愛する人の為に戦うなんて、単なる自慰だ。くだらない。そんなことは猿だって虫ケラだってやってることだ。なんであともう一歩、深く考えられない。正しさを人を傷つける為の言い訳に使うんじゃねーよ。正しさを、自分を守る為の言い訳になんてするな。意味がないだろ、それじゃ。


「ああ、くそっ。苛々する」


 どいつもこいつも、どうして自分で自分の価値を保証できない。他人に必要とされたいとか。感謝されたいとか。認めて欲しいとか。本当にくだらない。



『お願い。助けて。もう許して……お願い……!』



 響く過去からの幻聴。思考が霞む。こんな連中なら、多少、傷つけてもいいだろう。自分の本性。詩織に怒鳴った壊れた自分。月島さんの前で笑う平凡な自分。どちらも嘘じゃない。ただ今は、どうしても自分を抑える気になれない。


「詩織も可哀想だよな。君たちみたいなのに付きまとわれて」


「……っ! お前にそんなこと言われる筋合いはない!」


「でも、詩織が柑橘系の匂い苦手なの知らなかっただろ?」


「そ、それはお前の嘘だ! 詩織様はこの香りを──」


「褒めてくれたんだろ? 君に似合ってる、素敵だって。……そんな社交辞令を真に受けるなんて、意外と可愛いところがあるんだな」


「────」


 少女の顔が赤くなる。周りの奴らの身体に少し力が入る。


「大体さ、ファンだとか推しだとか知らないけど、休み時間も放課後もところ構わず付きまとって、迷惑だとか思わないの?」


「詩織様は、そんなことで迷惑なんて言わない!」


「でも、自分がやられたらどうだ? そりゃ誰だってきゃーきゃー言われるのに憧れることもあるけど、四六時中だと鬱陶しいだろ? ……いや、それよりも怖いか。名前も知らない連中がいつも、遠くからこっちをジロジロ見てる。怖いよな? 気持ち悪いよな?」


「私たちはそんな下品な真似はしてない!」


「でも君が詩織になったとして、君みたいな奴に付きまとわれて、嬉しいって思うか? 思わないよな」


「──っ!」


 露骨に少女が顔を歪める。他人を信仰するのは、自分への自信のなさから。だから、こういう言い方をされると簡単に傷つく。


「ははっ。お前みたいな女に愛されて、誰が喜ぶんだよ、ばーか」


「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ……!!!」


「黙って欲しかったら──」


「お前、いい加減にしろよ」


 背の高い男が俺の肩を掴む。さっきよりもずっと力が強い。……かなり怒ってるな。もしかしてこいつは、詩織じゃなくて目の前のこの女が好きなのかも知れない。


「いいぜ、殴っても。抵抗はしない。お前ら全員で俺を袋にしても、俺は何の抵抗もしない」


「お前、俺ができないと思って舐めてるだろ?」


「いいや、本気で怒れば誰だって人を傷つけられるよ。ただ、詩織には伝えておくよ。お前が不機嫌そうな顔したお陰で、俺は知らない奴らに殴られたって」


「お前っ……!」


「怒んなよ。そういうことだぜ? お前たちのやってることは。少し嫌なことがあって、不機嫌な顔をしただけで、関係ない奴が殴られる。詩織はお前たちの前では笑うしかなくなる。お前たちは無自覚に、他人に都合のいい幻想を押しつけてる。そのせいで詩織は怒ることも、泣くこともできない。だから──」


「もう辞めて!」


 少女が叫ぶ。……あと、もうひと押しだな。あともう一押しで、こいつらの信仰を壊せる。馬鹿が。正しさを言い訳に使うから脆くなる。もう一歩、深く考えていれば、俺なんかに傷つけられることもないのに。


 どうしてこう、半端なんだよ。どいつもこいつも。ほんと、苛々する。



「……千里さん? こんなところで、何をされているんですか?」



「……え?」


 そこで現れたのは、図書委員の仕事をしている筈の月島さん。彼女の顔を見た瞬間、自分が酷くつまらないことを考えていたことに気がついた。


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