第13話 偽物
それから数日間、月島さんとわざとらしい恋人ごっこを続けた。一緒にお昼を食べたり、デートしたり楽しいだけの時間を過ごす。その間、気になることはいくつかあっても、何か事件が起こったりする訳でもなく、詩織にも大きな変化は見られなかった。
……正直、楽しい時間だった。
バカップルが馬鹿になるのも分かるくらい、楽しい時間。詩織と付き合っていた時は、こんな風に何も考えずイチャイチャしたことなんてほとんどなかった。
だから本当に楽しい時間で、
……自分が誰だか忘れそうになる。
「月島さん……は、そうか。今日は委員会って言ってたな」
掃除を終えて教室に戻ると、既に月島さんの姿はなかった。どうやら月島さんは、昼に言っていた通り図書委員の仕事に向かったようだ。
「仕方ない、1人で帰るか」
ここのところいつも一緒に帰っていたから、調子が狂う。
「なんかこれだと、楽しみにしてたみたいだな。……というより、絆されてるのかな?」
少し前まで、詩織の件でバタバタしていたから、ここ数日の月島さんとの楽しい日々で気が緩んでいるのかもしれない。今だって別に問題がない訳じゃない。ただ少し止まっているだけで、すぐにまた動き出すだろう。
「…………」
ふと見えた詩織は、こちらに視線を向けず取り巻きたちと一緒に教室から出て行く。詩織に変化はないが、取り巻きたちの雰囲気は怪しい。やはりまだ、気を抜くべきじゃ──。
「お、いたいた。千里、いま暇? 暇なら一緒に帰ろうぜ?」
と、声をかけてきたのは雪音。彼女は人懐っこい笑みを浮かべながら、こちらに近づいてくる。
「別にいいけど、奢ってはやらないぞ?」
「別にたかるつもりはないって」
「そうか? お前のことだから、またなんか奢れって言ってくるのかと思った」
「あはは。あたしはそんな卑しいキャラじゃないよ。でもなんか、あれだね? 千里ちょっと雰囲気、丸くなった?」
「そんなことは……いや、どうだろうな。自分じゃ分からないな」
雪音とは昔からの付き合いだから、隠し事をしても意味はない。……それでも何となく、月島さんとのことを喋る気にはなれない。
「……朱に交われば赤くなるって言うけど、黒は何と混ぜても黒のまま。あんまり気を抜き過ぎると、後で後悔するかもよ?」
「どういう意味だよ、それ」
「別にー。千里が分からないって言うなら、意味のない言葉なんだよ」
雪音は笑う。こいつはやっぱり、人をよく見ている。俺のことも、たぶん周りのことも。
「でも正直、しおりんと千里が別れるとは思ってなかったなー。今更だけどさ、なんで別れたの?」
「性格の不一致」
「あはっ。そんなの、付き合う前から分かってたことじゃん。しおりんは誰とでも性格を合わせられるけど、誰とも噛み合わないんだから」
「だとしても、だよ」
鞄を持って歩き出す。
「あ」
そこでふと、思い至る。フリではあるが、今は月島さんと付き合っている。なのに月島さんに用事があるからといって、別の女の子と一緒に帰ってもいいものなのだろうか?
「なぁ、雪音。やっぱり今日は──」
「大丈夫だよ。ルナっちから、許可はもらってるから」
楽しそうに口元を歪める雪音。なんだが意味もなく、ゾッとした。こいつは偶に、こういうところがあるから油断できない。
「でも、面白いこと考えるよね。恋人のフリなんてさー。楽しそうで羨ましいよ」
「……どうしてお前が、それを知ってるんだよ」
「千里もルナっちも自分たちが思ってるほど、気配消せてないよ? 月島グループのお姫様と氷点下の王子様。美男美女な2人が連日イチャイチャしてたら、そりゃ噂にもなるよ」
「だとしても、どうしてフリだって分かったんだよ」
というか、氷点下の王子様ってなんだよ。そんなかっこいいあだ名が、俺についているとは思えない。
「それはルナっちから直接、聞いたんだよ。ごっこ遊びをしてるって」
「……月島さんも、意外と口が軽いな」
「あたしだから、信用してくれたって言って欲しいな。ま、そうでなくてもあたしは、千里がそんな簡単に人を好きにならないって知ってるし。どうしても疑っちゃうよ」
「それでも、万が一があるだろ?」
「万が一しかないからだよ。しおりんがどう考えるかは分かんないけど、あたしは疑っちゃうな。千里に恋人ができたなんて聞いたら」
雪音はなんだか、含みのある笑みでこちらを見る。こいつは人のことをなんだと思っているのだろう? 俺だって健全な男子高校生なんだし、恋愛くらいするさ。
「……ま、いいか。別にお前に隠すようなことでもないし。ただ、絶対に詩織の耳には入らないようにしてくれよ?」
「いいけど、あたしなんかケーキ食べたいなー」
わざとらしく、お腹に手を当てる雪音。
「たかる気はないんじゃねーのかよ」
「冗談、冗談。あたしもしおりんの態度には、ずっと苛ついてたからね。懲らしめたいって言うなら、協力はするよ。それにこういうのは、人数が多い方が便利だからね。だからルナっちも、あたしに話したんだと思うよ?」
「数が多けりゃ、バレる可能性も増えるけどな」
「だとしても、2人がイチャイチャしてるのを直接見せられるより、他人が噂をしてるのを聴くって方が、案外堪えたりするもんなんだよ」
「そういうものか? ……ま、協力してくれるなら助かるよ」
「なんか冷めた答えだなー。もっと喜んでくれてもいいのにー」
頬をツンツンと突かれる。……鬱陶しい。
「でもやっぱり、ルナっちのやり方は間違ってるとは思うけどね」
「やっぱり目の前でイチャつくくらいじゃ、詩織の心は動かないって言うのか?」
「いやいや、そっちは案外、上手くいくと思うよ? しおりんは確かに怪物だけど、あの子にだって女の子な一面くらいはあるよ」
「じゃあなに?」
「まずは友達からーとか、急いで先に関係性を作るようなやり方は、上手くいかないことが多いってこと。全てが上手くいった後のことを、ルナっちはどう考えてるのかなー。きっと何も考えてないんだろうなー」
雪音の意味深な言葉。雪音は勉強はできないけど、馬鹿ではない。空気は読めないけど昔から妙に鋭いところがあるし、俺や詩織のような変人と長年友達をやってるだけあって、コミュニケーション能力も高い。背は小さいけど胸とか大きいし、意外とモテるのかもしれない。
雪音は窓の外に視線を向け、口を開く。
「千里はさ、どうしてルナっちが、本物の恋人じゃなくて恋人のフリをしようって言ったか分かる?」
「それは……別に月島さんも、本気で俺と付き合う気はないってことだろ?」
「でも、なんとも思ってない男に、恋人のフリをしようなんて言わないよ。それでも『ごっこ』だなんて言っちゃったのは、きっと自分に自信がないから。あの子もなんだかんだで、捻くれてるよね」
「…………」
俺はそれに、なんの言葉も返さない。
「ねぇ、千里。ルナっちとのごっこ遊びは抜きにしてさ、新しい恋人が欲しいなーとか、そういうのは考えてたりしないの?」
「……どうだろうな。まあ、しばらくは1人でゆっくりしたいっていうのが、本音かな」
「ふーん。相変わらず千里は、自分への好意に対しては鈍感なんだね」
「敏感だと、疲れることの方が多いからな」
「わざとやってるみたいに言うなよ、天然のくせに」
「うるせーよ」
「あはははっ、怒ったー」
また頬を突かれる。
「やっぱ楽しいなー、千里と一緒にいるのは。ルナっちも一緒でいいからさー、今度どっか出かけようよ。久しぶりに、遊園地とか行きたいな」
「別にいいけど、お前、金あんの? 俺は奢らないぞ?」
「えー、ケチだなー。今月は人権キャラが実装されて、課金が追いつかないんだよ。ほんと、運営はあたしを舐めてるね。1年前のチートキャラがもう産廃とか、ソシャゲはただの闇だよ」
「だったら辞めろよ」
「SNSとソシャゲは現代人のオアシスだから、そう簡単に手放すことはできないの」
「オアシスなんてなくても、水なんかどこでも買えるだろ?」
「だから、1番お手軽なのがSNSとソシャゲなんだよ。あたし以外にも辞めたら干からびる子、結構、多いと思うけどなー」
「んなことばっかりやってるから、干からびるんだと思うけどな」
などと、どうでもいいことを話しながらダラダラと歩いて、ようやく下駄箱。
「…………」
そこにあったのは、見慣れない手紙。俺はその中身を確認し、雪音には聴こえないよう小さく舌打ちする。
「悪い、雪音。ちょっと忘れ物したから、やっぱり今日は先に帰ってくれ」
「えー。それくらいなら、別に待ってるけど?」
「女の子を待たせるのは好きじゃないんだ。悪いけど、埋め合わせはまた今度するから、今日は先に帰ってくれ。……頼む」
「……分かったよ。千里がそこまで言うなら、今日は帰るよ。ただし、あんまり無理はしないようにね? 悪意に悪意で返しても、切りがないだけなんだから」
バイバーイと、大袈裟に手を振ってそのまま立ち去る雪音。俺はその姿が完全に見えなくなるのを待ってから、下駄箱に入っていた見覚えのない手紙をもう一度、確認する。
「……月島さんに用事があってよかった」
別に、ごっこ遊びに本気になった訳じゃない。ただ、他人に悪意を向けている姿をあの子に見られたくはなかった。……ああ、それはなんて気持ちの悪いわがまま。
俺はどこかでまだ、自分が普通になれるだなんて勘違いを捨てられずにいた。
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