第8話 3人
「少し話がしたい。構わないよね? 千里」
気配なく唐突に現れた詩織。彼女は有無を言わせぬ声でそう言って、真っ直ぐに俺を見る。
「なんだ、詩織。来てくれたんだね。よかった。実は私、もう一度、君と話を──」
「わざとらしいですよ、御桜先輩」
俺より先に口を開いた御桜先輩の言葉を、詩織は途中で断ち切る。
「昨日一晩、考えて気づいたんです。御桜先輩、昨日、演技してたなって。先輩は確かに優しい人だけど、その優しさを武器にできる人だった。それをようやく、思い出したんです」
「詩織、君は一体なにを……」
「聞いてましたよ。ボクも合わせて3人で、話がしたいんですよね? 構いませんよ。ボクの前でさっきの白々しい演技ができるなら、いくらでも付き合います」
詩織は小馬鹿にするように鼻で笑う。御桜先輩の顔に、一瞬だけ動揺が走る。
「……詩織。君は何か勘違いしているようだね。私は純粋に君たち2人を心配して──」
「それが、白々しいって言うんですよ。……2人が別れた理由を知りたい。2人の力になりたい。なんて台詞は、恋人と別れて弱ってる女に馬鹿な男が声をかける典型じゃないですか。先輩は演技は上手ですけど、脚本を書く才能はないみたいですね」
「…………」
黙り込んでしまう御桜先輩。
「……御桜先輩?」
俺は思わず疑うような目で、正面に座る御桜先輩を見る。けれど彼女の静かな瞳にどんな真意が隠されているのか、俺には全く分からない。
……そういえば、月島さんが言っていた。俺と詩織が別れたと知れば、永瀬さんと御桜さんが黙っていないと。じゃあまさか本当に、俺は今この人に……口説かれていたのか?
「ふふっ、やっぱり君は特別だね、詩織。君のその目は、簡単に人の演技を見抜く。私にはなかった才能。本物と偽物を区別する目。素晴らしいよ」
「御桜先輩に褒めて頂けるのは、嬉しいです。でも、騙す相手は選んだ方がいい」
「……どうやら、まだ未練があるみたいだね、詩織」
御桜先輩は青い綺麗な髪を揺らし、先程と変わらない優しい笑みを浮かべる。詩織はそんな御桜先輩から視線を逸らし、呆れたような目で俺を見る。
「千里、君はやっぱり抜けているよ。どうせ君のことだ。御桜先輩のことを、自分たちのことを心配してくれる優しい人だ。なんて思っていたんだろ?」
「いや、俺は……」
「君は、女という生き物をまるで理解していない。特に、この女は蜘蛛だ。毒で獲物を弱らせて、じっくりと捕食する毒蜘蛛なんだよ」
「酷い言いようだね、詩織。昨日の様子だと、もっと弱ってるように見えたけど、あれは私の気のせいだったのかな? それとももしかして、得意の演技だったりするのかな? どっちにしろ、振られた君に文句を言われる筋合いはないかな」
「先輩の方こそ、中学の時に必死に千里に言い寄って、全く相手にされてなかったじゃないですか。そんな貴女に、偉そうなことを言われたくはないです」
睨み合う2人。……つまり、さっきのあの御桜先輩の優しさは、俺を口説くための嘘だったということなのだろうか?
「…………」
確かに振り返ってみると、御桜先輩の言葉は優しさを通り越して、少し……気持ちが悪い。しばらく話をしていなかった先輩が、言うようなことじゃない。けれど俺は、御桜先輩の持つ柔らかな雰囲気に呑まれて、話さなくてもいいことまで話そうとしてしまった。
昔、詩織が言っていた。一流の演技というのは、どれだけ変なことを言っても、相手に変だと気づかせないものだと。後から振り返るとわざとらしく見えても、その時は迫力に圧倒されて、それに気づけない。そういう意味で考えるなら、御桜先輩の演技は一流だったのだろう。
「でも、誤解しないで欲しいのだけれどね、千里くん。私は別に、嘘をついて君を騙そうとした訳じゃない。君たちの仲を心配したのは嘘偽りのない本心だ。……ただ、できれば君と今以上に仲良くなれたらいいなと、そういう下心があっただけで」
「下心って、御桜先輩は本当に俺のことが──」
「今はそれ以上、言わないで欲しいかな。流石の私も、まだ心の準備ができていない。こんなところでその先を言われてしまうと、少し照れてしまうよ」
自身の胸に手を当てて、照れたように顔を赤くする御桜先輩。それが演技なのか本心なのか、俺にはもう分からない。
「と、いうわけだよ、千里。君はもう少し、気をつけた方がいい。御桜先輩だけじゃない。瑠奈も雪音も香織も、君の周りにいる女は皆んなまともじゃない。……永瀬さんくらいかな? 普通に恋愛できる子は」
「ふふっ、君自身が抜けているんじゃないかな? 詩織。君が1番、まともに恋愛できない女だろ?」
「…………」
御桜先輩の言葉に、詩織は返事をしない。俺はなんだか頭が痛くて、何を言えばいいのか分からなくなる。
「……千里くんも混乱しているようだから、今日はもう帰るよ。中途半端なことになってごめんね? 千里くん。また改めて、連絡するよ。今度はもう少し、楽しい話をしようね?」
最初の時と何も変わらない優しい笑みを浮かべて、伝票を持って立ち去る御桜先輩。詩織はそんな彼女に視線を向けず、躊躇うことなく俺の正面に座る。
「……仕方ない、か」
だから俺も思考を切り替えて、真っ直ぐに詩織を見る。
「どうして来た?」
と、俺は言う。
「君と話がしたいんだ」
と、詩織は答える。
「香織から、サプライズのことを聞いたんだ。本当に、申し訳ないことをした。……ごめん、千里。あれはボクが悪かった。もっと君の気持ちを考えるべきだったのに、軽率なことを言って……。本当に、ごめん」
「……今更いいよ。つーかお前、今日は何か用事があったんじゃないのか?」
「君と話すこと以上の用事なんて、どこにもないよ」
「…………」
今更こいつは、何を言ってるんだ? そんな都合のいい言葉に、俺が流されると本気で思っているのか? いくら演技が上手かろうと、御桜先輩の時とは状況が違う。詩織が何を言おうと、俺の気持ちは変わらない。
苦いコーヒーを口に運んで、余計な感情を抑える。
「詩織。そういう都合のいい言葉は聞き飽きた。そういうのは、取り巻きの子たちに言ってろよ」
「でも、これがボクの本心だ。他の言葉は言えないよ。……君と別れて、君にたくさん助けられていたことを知った。らしくもなく、後悔した。やっぱり君は特別なんだ。君の為なら、ボクは──」
「まだ、自覚がないんだな、お前」
「……自覚?」
と、首を傾げる詩織。……らしくもなく、苛々する。このままだと、静かな店内で声を荒げてしまうかもしれない。俺は残ったコーヒーを飲み干し、立ち上がる。
「店、出ようか」
「ちょっ、千里?」
戸惑う詩織を無視して、店から出る。既に御桜先輩の姿はどこにもなく、厚い雲に覆われた空が街を灰色に染める。人気のない場所に行きたくて、俺は近くの自然公園に向かって歩き出す。
「なぁ、詩織。お前、どう考えても謝ることが違うよな」
「……千里? 君は何を言ってるんだ?」
困惑したような声を出す詩織の方を振り返ることなく、言葉を続ける。
「サプライズのことなんて、別にどうでもいい。あれはお前の予定も考えず、勝手にやった俺も悪い」
「じゃあ──」
「浮気のこと。キスのこと。謝るならまずはそれだろ」
とっくに散って花も葉も生えていない桜の木の下で、詩織を見る。詩織は何を言っているのか分からないと言いたげな表情で、ただ俺を見つめる。
「……千里、君が怒っているのは分かる。ボクは確かに、誰より大切な君を蔑ろにしていた。でも、気づいたんだ。本当に大切なのは君だけだって。だからもう一度、やり直すチャンスが欲しい」
「……っ」
やっぱり我慢できない。こいつのこういうところが、俺は絶対に許せない。御桜先輩の演技なんてどうでもいい。あの人の演技なんか、詩織のものと比べたらままごとみたいなものだ。
詩織は、自分にとって都合が悪いものを、本当に自分の中から消してしまえる。
詩織が演技を辞めた理由。詩織の一人称が『私』から『ボク』に変わった理由。詩織の中から、浮気やキスが消えている理由。自分自身すら騙せるような演技力。
この女は悲劇のヒロインを演じているだけで、本質的に自分が悪いなんて思っちゃいない。この女はあの日から一度も、俺に本心を告げていない。
「詩織、俺はお前が嫌いだ。これ以上、俺の人間関係をかき乱すのを辞めろ」
色のない目でこちらを見る詩織。そこでちょうど、雨が降り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます