第7話 呼び出し



 詩織の誕生日である土曜日。月島さんや雪音から遊ぼうという誘いがあったが、どうしてもそういう気分にはなれず、自室で1人で本を読んでいた。


「犯人が主人公って、なんか納得いかないよな」


 読み終えた推理小説を机に置くと、スマホから着信音。珍しい人からメッセージが届いた。御桜 このは先輩。中学の時の詩織の演劇の先輩で、いつも1人でいた俺に声をかけてくれた優しい人。彼女は詩織と仲が良かったので一応、連絡先は交換していたが、メッセージが届いたのは初めてだ。


「……行ってみるか」


 そんな先輩に大切な話があると言われ、断る理由がなかった俺は、このまえ香織さんと話をしたカフェに向かった。


「急に呼び出してごめんね? 千里くん。ここは私が奢るから、好きなものを頼むといい」


「……ありがとうございます」


 店員さんにコーヒーを注文して席に座る。今日は休日なのに、人影は少ない。


「千里くん、昔とちょっと雰囲気が変わったね」


「そうですか?」


「うん。少し落ち着いて、大人っぽくなった」


「……ありがとうございます。でも、少し前に髪を切ったから、そう見えるだけかも知れませんよ?」


「見た目だけの話じゃないよ」


 静かに微笑んで、紅茶を口に運ぶ御桜先輩。先輩の方こそ、昔よりずっと大人っぽくなったと思う。でも、今それを言うと口説いてるみたいになるので辞めておく。


「それで、大事な話っていうのは何なんですか?」


「詩織のことだよ」


「……聞いたんですね」


 今の状況で詩織のことと言われたら、思い浮かぶのは1つだけ。


「少し小耳に挟んでね。昨日、本人に確認した。まさか君たちが別れるとは思ってなかったから、驚いたよ」


「…………」


 俺は溢れそうになったため息を隠すように、コーヒーを口に運ぶ。


「私は君と詩織、両方の友達だと思ってる。だからできれば、君たちが悲しむ顔は見たくない」


「そう言って頂けるのは、素直に嬉しいです。でも──」


「分かってる。当人である君たちが決めたことに、他人である私が横槍を入れるつもりはない。それは、友達がやることでも先輩がやることでもないからね」


「それでも、こうして詩織ではなく俺を呼び出したってことは、何か詩織には言いにくいような話があるんですよね?」


「……君は変わらないね」


 変わらない? と、首を傾げる俺をよそに、御桜先輩は言葉を続ける。


「さっきも言ったけど、昨日、詩織と話をしたんだ。あの子、なんだか少し様子がおかしかった。私は中学の頃から彼女のことを知っているけど、あんな風に声を荒げて取り乱す姿を見たのは初めてだ。あの子の異常性は理解しているつもりだけど、それでもあれは……おかしい」


「……詩織の奴、まだ怒ってたんですね」


「怒っていると言うより、必死に何かを我慢してるように見えた。そんな詩織を見て、このままだと絶対に後悔すると思ってね。それで差し出がましいとは思ったけれど、こうして君に声をかけさせてもらったんだ」


「事情は分かりました。お気遣いありがとうございます」


「そんな畏まらなくていいよ。私はただ、可愛い後輩たちが喧嘩した理由を教えて欲しいだけだから」


 御桜先輩はとても真剣な表情で、真っ直ぐに俺を見つめる。


「…………」


 そんな先輩を前に、俺は悩む、御桜先輩は、悪い人じゃない。ここで俺が話したことを、誰かに言いふらしたりはしないだろう。この人は純粋に、俺と詩織のことを心配してくれている。……と、思う。


 でも、その心配は的を外している。詩織の様子がおかしかった理由がなんとなく分かる俺は、何を言うべきか迷ってしまう。


「やっぱり、答えにくいことなのかな?」


 黙ってしまった俺を見て、申し訳なさそうにこちらを見る御桜先輩。


「すみません。でも……俺だけの問題じゃないですからね。別れたってことだけならまだしも、あんまり詳しいことまで話しても、誰もいい思いをしません」


「……そうだね。君は昔から、優しい子だった。……すまない、君の気持ちを考えない発言だった。忘れてくれ」


「いや、謝らないでください。御桜先輩が、心配してくれているのは分かります。その気持ちは嬉しいです」


 でも、話せないことは話せない。詩織が浮気していた。知らない奴とキスをしているのを見た。それだけなら、話してもいいのかもしれない。でも、問題の本質はそこじゃない。それはきっかけであって、原因ではないんだ。


 俺は月島さんに言った。愛想が尽きたのではなく、我慢できなくなったと。そして、俺と詩織が付き合っていた理由の半分は、俺と詩織が幼馴染だから。もう半分は、詩織が──。


「では、千里くん。1つ、先輩からお願いをしても構わないかな?」


 俺の思考を遮るように、御桜さんは言う。


「お願いですか。構いませんよ、俺にできることなら力になります」


「ありがとう。君のそういう真っ直ぐなところが、私は好きだな」


「……好きって、からかわないでくださいよ」


「ふふっ、ごめんごめん」


 御桜先輩は楽しそうに笑う。そういう笑みは昔と変わらない。


「それで、お願いなんだけどね。いつか私と君と詩織の3人で、話がしたいんだ。ダメかな?」


「いや、話って言っても、詩織とはもう……」


「分かってる。だから今すぐにとは言わない。1年後でも10年後でも構わない。私はいつまででも待つから、また昔みたいに3人で話がしたい。頼むよ」


「御桜先輩……」


 なんだか、隠し事をしてる自分が後ろめたくなって、俺は逃げるように窓の外に視線を逃す。少し雲が出てきた。もしかしたら夜は、雨なのかもしれない。


「やっぱり、あんなに仲が良かった2人が喧嘩しているのは、見ていて忍びないからね。別れたと言うのなら仕方ないけど、ずっと喧嘩したままっていうのは寂しいよ」


 優しく笑う御桜先輩。この人は本気で、俺と詩織のことを心配してくれている。少なくとも俺にはそう見える。……或いはこの先輩になら、誰にも言えなかった詩織のことを、話してもいいのかもしれない。


 俺は残ったコーヒーを飲み干して、口を開く。


「御桜先輩は高校に入って、演劇を辞めましたよね? それって、どうしてなんですか?」


「……また、突然だね」


「不躾な質問をすみません。でも──」


「いや、いいよ。隠すようなことでもない。単純に、才能の限界を感じたからだよ。昔は自分が世界で1番だなんて思っていたけれど、演劇の世界には……詩織みたいな子がいる。天才肌の私は、本物の天才には勝てない。そう悟った私は、演劇から身を引いた。下手に趣味で続けるより、スパッと辞めてしまった方が踏ん切りがつくと思ったんだ」


「……変な質問をして、すみませんでした」


「いや、いいよ。それで? その先に、君の話したいことがあるんだろ?」


 薄く青みがかった髪を撫でながら、先を促す御桜先輩。俺は言葉を続ける。


「では御桜先輩は、中学の時にいくつもの賞を取った先輩が勝てないと思ったほど才能がある詩織が、どうして高校では演劇をやってないんだと思います?」


「それは……」


 詩織は間違いなく天才だった。もう1年以上、舞台に上がっていないのに、彼女に魅了されたファンが今でもああして彼女を取り囲む。それに詩織は、劇団や芸能事務所から声をかけられていると、このまえ自分で言っていた。


 それでも詩織は、その全てを断っている。


 その理由は──。



「──やっと見つけた」



 そこでふと、声が響いて振り返る。そこに居たのは他でもない、華宮 詩織、本人だった。


「少し話がしたい。構わないよね? 千里」


 と、彼女は普段と変わらない凛とした笑みで言った。


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