第6話 後悔
華宮 詩織は不満だった。
千里と詩織が別れて3日。詩織の誕生日を明日に控えた金曜日。明日は学校が休みで会えないからと、朝からプレゼントを持った沢山の少女たちに囲まれた詩織は、どうしてか不満だった。
「ありがとう、皆んな。こんなに愛してもらえて、とても嬉しいよ」
いつもの凛とした笑顔を浮かべながらも、ざわめく胸の内。沢山の子たちに囲まれるのは、嫌いじゃない。寧ろ、多くの子たちがキラキラした目で自分を見てくれるのは好きだ。こうやって、抱えきれない程のプレゼントを持って帰るのは少し手間だけど、それも千里が手伝ってくれるから──。
「……なに考えてるんだよ」
千里とはもう別れた。彼のことはもう考えないと決めた。……その筈なのに、気づくと彼のことを考えてしまう。いろんなところで手助けてしてくれていんだと、今になって気づいてしまう。
「はぁ……」
頭に入ってこない授業を聞き流しながら、荒れてしまった唇を撫でる。少し前から切れてしまったリップクリーム。ずっと買って帰ろうと思っているのに、未だに忘れたままだ。……千里が隣に居たなら、きっと何気なく買ってきてくれていただろう。
付き合っている時は気遣いができないと思っていたけれど、別れてみると彼の気遣いが理解できる。
「…………」
チラリと斜め後ろに座る千里に視線を向ける。彼は真面目な表情で、静かに授業を受けている。昔からそういうところは、変わらない。真面目で、不器用で、どこか冷めていて、いつも1人でいる男の子。自分が側にいないと何もできない可愛い子。
……そう思っていたのに、最近の千里はいろんな子たちと仲良くしている。あれだけ好きだと言っておいて、もう自分のことなんて忘れてしまったみたいに。
苛々する。
詩織は小さく息を吐く。
「所詮、そんなものだ」
詩織のことが好きだと言う取り巻きの子の中にも、ある日突然、彼氏ができたと言って自分のところに来なくなる人間がいる。そういうのは、よくあることだ。いちいち、気にしても仕方がない。
「……っ」
でも、千里だけは違うと思っていた。彼だけは何があっても、自分の隣に居てくれるんだと信じていた。そんな自分の本心に気がつき、思わず舌打ちしてしまう詩織。
自分と別れても、どうせすぐに泣きながら謝ってくると思っていた千里が、別の女と楽しそうにしている。好きだったのは自分だけで、千里は初めから自分のことなんてどうでもよかったんじゃないか。
くだらない考えが、頭の中でグルグルと回り続ける。
そんなことを考えていると、いつの間にか授業が終わる。放課後になっても沢山の子たちにプレゼントを渡され、気づけば空が茜色になっていた。
「早く帰ろ」
ようやく1人になった詩織は、疲れたように息を吐く。申し訳ないけど、プレゼントの半分は教室に置いて帰るしかないな。なんてことを考えていると、ふと声をかけられる。
「また随分と集まったものだね、詩織」
「……
現れたのは、
「見たところ、どう頑張っても1人で持ち帰れそうにないけど、どうするつもりなの?」
「持てるだけ持って、残りは置いて帰ろうかと」
「いつもみたいに、千里くんに手伝ってもらったりはしないの?」
「……あいつは、もういいんです」
「月島ちゃんから別れたって聞いたけど、やっぱり本当だったんだね」
ゆっくりとこちらに近づいてくる、このは。薄く青みがかった長髪。演劇していた頃とは違い、とても女性らしい笑顔。昔とは別人のようだと、詩織は思う。
「私が一緒に謝ってあげるから、仲直りしなよって言ったら、詩織は怒る?」
「おこっ……怒りませんけど、ボクが謝ることなんてありません」
「でも、彼と別れて数日経って、自分がどれだけ助けられていたのか。よく分かったんじゃないの?」
「それは……」
自分のことを好きだと言ってくれる少女たちに、プレゼントを持って帰るのを手伝って欲しいなんて頼めない。……千里だけは、頼まずともいつも自分を助けてくれた。
「それでも、ボクがあいつに頭を下げる理由なんてないです。……まあ? 千里の奴が泣いて頭を下げるなら、許してやってもいいですけど」
「強がりなんて、詩織らしくないよ」
「……っ。ボクは別に強がりなんて……」
思わず言葉に詰まる詩織を、このはは優しい笑みで見つめる。
「君は昔から、周りとは比較にならない程の天才だった。演技も先にやっていた私より、ずっとずっと上手かった」
「そんなことは……」
「謙遜しなくてもいい、事実だ。でも同じように、千里くんも……特別だった」
「あいつは別に、特別なんかじゃ……」
つまらなそうな顔をする詩織に、このはは諭すように告げる。
「学校では距離を取っていたとはいえ、ファンクラブまである君の側にいて、彼が何の嫌がらせも受けていなかったと、君は本気で思うのかい?」
「……っ」
「君が煮え切らない態度をとっていたせいで、千里くんを逆恨みした女の子は少なくない。彼はそういう子たちを君に気づかれないよう上手く対処して、君の前では普段通りに振る舞っていた。彼みたいにできる人間が、果たして他に何人いるか……」
詩織はそれに、薄々、勘づいていた。気づいていながら、放置した。千里のことより、自分の感情を優先した。
「千里くんは、人の為に尽くすことを厭わない。そんな彼のことを気になっていた子は、少なくないんだよ。彼は見た目もいいし、頭も回る。詩織がいろんな子にアプローチを受けていたように、彼も影でいろんな子に慕われていた」
「あの千里が、そんなことあるわけないですよ」
「今の彼の様子を見たら、私の言葉が嘘じゃないのは分かるんじゃないかな?」
「……っ」
言葉に詰まる詩織。確かに最近の千里は、いろんな子たちに囲まれている。
「だから、今ならまだ間に合う……とは言えないけど、関係を完全に断ち切られることは止められると思う。詩織が千里くんに何をしたのかは知らないけど、本気で謝ればきっと彼は──」
「いい加減にしてください!」
苛立ちを抑え切れなくなり、詩織は思わず大きな声を出してしまう。
「ボクのために、わざわざ様子を見に来てくれたことは感謝します。でももう、千里とは別れたんです。あいつは初めから、ボクのことなんて愛してなかった。だからあんな簡単に、別れようと言った。あんな簡単に……他の女と、仲良くできる」
「詩織、君は──」
「もういいです。ボクは帰らせて頂きます」
大きな荷物を両手に持って、そのまま教室から出て行く詩織。
「……後悔することになるよ、詩織」
と、このはは最後に呟いた。
「ああ、苛々する。苛々する。苛々する!」
このはと別れてそのまま、早足で家に帰った詩織。貰ったプレゼントを乱暴に机に置いて、ベッドの上に倒れ込む。制服に皺がつくなんてことを、考えている余裕はない。
「好きじゃなかった。愛してなかった。……愛されてなかった。そうだ、千里はもともと、ボクのことが好きじゃなかったんだ」
もし愛されていたのなら、失ったものの重さに耐えられない。詩織にその自覚はないが、彼女は自分の心を守る為、必死になってそう言い聞かせる。
「……関係ない」
余計な思考を追い出すように目を瞑る。どうしてか、思い浮かぶのは千里との日々。手をぎゅっと握りしめ、苛立つ心を抑える。
「……お姉ちゃん、お姉ちゃん」
ふと響いた声に、身体を起こす。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。ベッドから起き上がり、隠すように荒れた唇を指で撫でる。
「どうかしたの? 香織」
勝手に部屋に入ってきていた妹に、そう尋ねる。
「ご飯だって。お母さんたち下で待ってるから」
それだけ言って、部屋から出て行こうとする香織。最近、やけに態度が冷たくなった妹。詩織はふと気になって、彼女に声をかける。
「待ってよ、香織」
「……なに?」
「いや、その……ブレスレット、可愛いね。買ったの?」
単なる雑談のつもりで訊いた言葉。けど返ってきた言葉は、完全に想定していないものだった。
「これは……これは、千里さんから貰ったの」
「……は? 千里が香織にプレゼント? なんで?」
思わず笑ってしまう詩織。
「なに言ってるのさ、香織。千里がどうして、香織にプレゼントなんか渡すんだよ。だいたいあいつが、そんなセンスのいいものをプレゼントするわけ──」
「これは、千里さんがお姉ちゃんの為に用意してたの」
「……え?」
一瞬、詩織の頭が真っ白になる。
「お姉ちゃんの誕生日にサプライズする為に、前から準備してたの。でもお姉ちゃんは、千里さんを裏切った。だから私が代わりに、これを貰ったの」
「香織、君は何を……」
「自分がどれだけ愛されてたのかも知らないで、嘘をついて裏切って。お姉ちゃんは、最低だよ」
それだけ言って、部屋から出て行く香織。詩織はどうしてか立って居られなくて、そのままベッドに倒れ込む。
「あの千里が、ボクにサプライズ?」
嘘だと思った。けど妹が、こんな嘘をつく理由もない。
「……なら、ほんとに?」
酷く胸が痛んだ。どうしてか、昔のことを思い出す。母親の誕生日。妹の香織とお小遣いを出し合って、2人でケーキを用意した。お母さんを驚かせてやろうって、2人でサプライズを企んだ。
けれどその日は、運悪く母親の仕事が立て込んでおり、帰ることができなかった。翌日、帰ってきた母親に詩織と香織は泣きながら怒った。あの頃は子供だったと思うけど、それでもあの時の寂しさと悔しさを、詩織は今でも覚えている。
「それなのにボクは、千里を放って……。あいつがどんな気持ちでボクを誘ったのか、全く考えないで……」
後悔に涙が流れる。どうしてあそこで、千里を優先しなかったのか。サプライズを用意して誕生日を祝ってくれようとした千里を、どうして軽く扱ってしまったのか。
余計なことを全て捨てて彼だけを愛していれば、こんなに胸が痛むことはなかったのに……。
「ごめん……ごめん……!」
涙が止まらない。けれどその涙を拭ってくれる相手は、もう隣にはいなかった。
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