第5話 妹
長い授業を終えて、放課後。俺は雪音に言った先約を果たす為、学校から少し離れた場所にあるカフェに来ていた。店内は静かなBGMが流れていて、人影もあまりない。
「あ、千里さん、先に来てたんですね。すみません、遅れてしまったようで……」
申し訳なさそうに頭を下げてくれる、前髪の長い大人しめな少女。
「いや、いいよ。こっちが呼び出したんだし」
「それでも、私が待たせたのは事実ですから」
また頭を下げる香織さん。姉妹ではあるが、彼女は詩織とは真逆の性格をしている。見た目は詩織に似てとても美人なのだが、何でもできる姉と比較され続けた結果、彼女はとても臆病な性格になってしまった。
「好きなもの頼んでいいよ。この前、協力してくれたお礼」
「いいですいいです! 待たせた上に、奢ってもらうなんて申し訳ないです!」
「……そう? まあ無理にとは言わないよ」
俺がそう言うと、香織さんはおずおずといった様子で、店員さんにコーヒーを注文する。しばらく、たわいもない雑談をしてコーヒーをお代わりしてから、本題を口にする。
「この前はありがとね。詩織の……誕生日プレゼントを選ぶの、手伝ってもらって」
「いえいえ。私は少し、アドバイスしただけです。お礼を言われる程のことではありません」
詩織の誕生日に、サプライズでプレゼントを渡すと決めたはいいが、そういうのに疎い俺は何を渡せば喜んでもらえるのか全く分からなかった。だから詩織の妹である香織さんに協力してもらい、プレゼントを選んだ。
「…………」
そして、その日の帰りに、詩織が知らない奴とキスをしているのを目撃した。
「お姉ちゃんの誕生日、週末ですよね? その日はやっぱり、2人でデートとかされるんですか?」
「……そのことなんだけどさ、いろいろ協力してもらった香織さんには直接、伝えておこうかなと思ったんだ」
「……?」
不思議そうに首を傾げる香織さん。……俺としても、詩織の家族である香織さんに、俺の口から別れたことを伝えるのが正しいのかどうか分からない。
でも協力してもらっておきながら、このまま黙っているというのも不誠実だ。そう思い、俺は小さく息を吐いて口を開く。
「せっかく協力してもらったんだけどさ、詩織とは……別れたんだ。だから、プレゼントはもう渡せない。ごめん」
「────」
驚きに目を見開く香織さん。彼女はまるで時間が止まったかのように一点を見つめ、そして……その瞳から大粒の涙が溢れた。
「……やっぱり、千里さんも見てたんですね」
「俺もってことは、香織さんも……」
嫌な想像に頭が痛む。思考を落ち着けるよう、コーヒーを口に運ぶ。
「私、見ちゃったんです。千里さんとお姉ちゃんのプレゼントを選んだ帰り、お姉ちゃんが知らない人と……キスしてるの」
「…………そっか」
詩織を見たのは香織さんと別れた後だ。だから彼女は、あれを見なくて済んだと思っていたのに……。何事も上手くはいかないようだ。
「私……凄くショックで……。でも、お姉ちゃんにも千里さんにも、怖くて言えなくて……。あれは私の見間違いなんだって、ずっと自分に言い聞かせてたんです。……すみません」
「香織さん……」
「千里さん、あんなに頑張ってお姉ちゃんのプレゼント選んでたのに……。バイトも沢山したって言ってたのに! なんでお姉ちゃん、あんなこと……!」
そのまま顔を覆ってしまう香織さん。どうやら彼女は、ずっと苦しんでいたようだ。
「俺のことは、別に気にしなくていいよ。ただ、手伝ってくれたのに無駄にしちゃってごめんねって、今日はそれだけ伝えたかっただけだから」
ハンカチを差し出す。香織さんは遠慮がちに、それで目元を拭う。
「……お姉ちゃん。千里さんのこと、よく家で話すんです」
「そうなんだ」
「気遣いできないとか、抜けてるとかそういうのが多いですけど、でも……千里さんの話をしてる時のお姉ちゃん、凄く楽しそうで。やっぱり好きなんだなって、そう思ってたんです。なのに……」
「いろいろ気を遣わせたみたいだね。でも、俺のことは気にしなくていいよ。俺はもう……整理がついてるから」
詩織のことは確かに好きだった。でも、あいつのあの誰にでもいい格好をする態度に、不満がなかった訳じゃない。長いあいだ悩み続けた上で、別れると決めた。今さら、後悔はない。
「……帰ったら私、お姉ちゃんを問い詰めます」
「いや、いいって。今さら謝られても困るし」
「でも、あんまりじゃないですか! 千里さんがあんなに頑張ってプレゼント選んでたのに、お姉ちゃんは──」
「香織さん。俺は……大丈夫だから。少し落ち着いて」
「……すみません」
香織さんは赤くなった目元を擦って、コーヒーを口に運ぶ。正直、香織さんがこんなに怒るとは思ってなかった。詩織の妹ということで昔から知ってはいるが、あまり一緒に遊んだ記憶はない。だからもっと大人しい子だと思っていたのだけれど、どうやらそうでもないようだ。
「でも、千里さん。あのプレゼント、どうするんですか?」
「あれは……ネットで売るつもり。俺が持ってても仕方ないし、かといって誰かにあげる訳にもいかないからな」
「じゃあ……私が頂いても、構いませんか?」
「え?」
と、今度は俺が驚きに目を見開く。
「あ、もちろん、お金は払います! 当然です!」
「いや、お金のことはいいんだけど……普通に嫌じゃない? 別れたからって、他の人にあげようとしたプレゼントを押し付けられるのは」
「嫌じゃないです。私、千里さんがどれだけ頑張ってあのプレゼントを選んだのか、知ってます。私も……その、いつかそんな風に想ってくれる人とお付き合いできたらいいなって、そう思ってましたから……」
「そこまで言ってくれるなら、別にいいけど」
でも、そんなプレゼントを手元に置いていたら、姉妹仲は悪くなる一方だろう。……いや、そこまで俺が気を遣うのも違うか。
「じゃあまた、持ってくるよ。でも、お金とかは気にしなくていいよ。どうせ、あげるつもりだったものだし」
「そういうわけにはいきません。大丈夫です、私、こういう時の為にお年玉とか貯金してるので。実はお金持ちなんです」
「……しっかりしてるんだな」
「そうですか? えへへ」
誇らしげに笑う香織さんが可愛くて、思わず俺も笑ってしまう。できればこの子は俺みたいにならず、ちゃんとした奴と付き合えたらいいなと思う。
「でも私、やっぱり許せません。……理解できません。こんなに優しい千里さんがいるのに、お姉ちゃんはどうしてあんな真似を……」
「それはもういいよ。探偵小説じゃないんだし、犯人を突き止めて動機を探っても、意味なんてない。だから……」
だからできれば、あまり喧嘩しないようにね、と言いそうになって言葉を飲み込む。それは、俺が言うべきことじゃない。
「じゃあ……その、千里さん。今度一緒に、スイーツビュッフェに行きませんか?」
「スイーツ? 別にいいけど、なんで?」
「その……元気出るかなって。私、嫌なことあるとよく1人で行くんです。いーっぱい甘いもの食べると、凄く元気になるんですよ? だから、千里さんも……」
俺に気を遣ってくれているのだろう。照れたようにこちらを見る香織さんに、俺は軽く笑みを浮かべて言葉を返す。
「ありがと。じゃあ今度、一緒に行こっか?」
「はい!」
元気に笑う香織さんを見ていると、こちらも元気になれる。なんだか肩の荷がおりた気がして、大きく伸びをする。
「……でも、お姉ちゃんは許さない」
香織さんの小さな呟きは、俺の耳には届かなかった。
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