第4話 幼馴染



 昼休みを終えて5限目の授業。選択の美術。2人でペアを組んで、互いの人物画を描くという内容。


「…………」


「……………………」


 間が悪いというか、何というか。俺のペアは詩織だ。変えられるのなら変えてもらいたいところだが、前の授業で下書きを済ませてしまっている以上、今から変えてとは言えない。


「……手早く済ませよう」


 と言って、俺は詩織の前に座る。


「…………」


 詩織はそんな俺に何の言葉も返さず、黙って筆を取る。


 気まずい時間。美術の先生は緩い人だから、他の皆んなは楽しそうにワイワイと会話しながら作業を進めている。けれど俺たちは、ただ黙って手を動かす。今さら詩織と話すことなんてないし、あまりゆっくりやってると来週もまたこうして、顔を合わせることになる。


 美術の先生には悪いけど、完成度を無視して手早く終わらせてしまおう。


 そんなことを考えながら手を動かしていると、ふと声をかけられる。


「なになに? 2人とも能面みたいな顔で黙り込んで、もしかして喧嘩でもした? しょうがないから、あたしが仲裁してあげるよ」


 元気な声とともに現れたのは、来栖くるす 雪音ゆきね。俺と同じ癖毛な茶髪がチャームポイントの、元気な少女。クラスは違うが同じ美術を選択している為、こうして同じ教室で授業を受けている。


 ちなみに、俺と詩織とこの雪音は、小学校からの付き合いの幼馴染だ。


「雪音。ボクたちは別に喧嘩なんてしてないよ。ただ真面目に、授業を受けてるだけだ。君も、サボってないで手を動かしたらどうだい?」


 そんな雪音に、詩織は淡々とした声で言う。


「そんなの、もう終わっちゃったよ」


「終わったって、先週は下書きの時間だろ?」


「そんなの関係ないって。あたし、絵描くの昔から得意だし、パパッと終わらせちゃった」


「……君は相変わらず、得意なことは頭抜けているね。でも、終わったのなら、先生から何か新しい課題でも貰ったんじゃないの?」


「それが先生に終わったーって言ったら、好きにしてていいよーって言ってくれたんだよ。だから今は、みんなの絵を見て回ってるんだ」


「…………」


 詩織は何か言いたげな表情で口を閉じる。俺も黙って、手を動かす。しかし雪音は、気にした様子もなく言葉を続ける。


「へぇー、千里はやっぱり上手だねー。あたしは絵、習ってたから上手いだけだけど、千里は器用だから何でもこなせちゃうんだね。……あ、それともあれかな? 愛のなせる技ってやつ? 2人、ラブラブだもんねー」


「…………」


 こいつはこいつでこう……何故このタイミングで、わざわざ地雷を踏むのか。昔から空気の読めないやつだけど、今だけは勘弁してくれと思う。


 ……いや、違う。別にそこまで気にする必要もないのか。だって、俺は……。


「あれ? どうかしたの2人とも? 黙り込んじゃってさ。……って、ごめんごめん。学校では2人のこと、秘密だったんだ。つい口が滑っちゃった。失敗失敗」


「いや、いいよ。俺たちもう別れたから」


「え」


 俺の静かな言葉に、絶句といった感じで大きく口を開ける雪音。


「……千里。今わざわざ言わなくてもいいことだよね? それ」


「隠したり嘘をついたりする方が変だろ? どうせいずれ、バレることなんだから」


「…………」


 詩織は苛立ちを隠すように、落ち着きなく脚を組み替える。俺は無心で、ただ手を動かし続ける。


「……そっか。2人、別れたんだ」


「ああ、ボクが振ってやったんだよ。ボクと付き合うには、千里はちょっと優雅さが足りないからね」


 挑発するような、わざとらしい詩織の言葉。俺はそれに何の反論もしない。


「ま、そうだよね。2人は釣り合ってないって、あたしずっと思ってたし」


「雪音もそう思ってたんだ。そうさ、ボクはずっと千里のことを──」


「ねぇ、千里。今日、暇? もし暇だったらさ、あたしと一緒にご飯でも行かない?」


 雪音は詩織の言葉を遮って、上気させた頬でこちらを見る。


「……なんだよ、突然。別にいいけど……あ、ごめん。今日はちょっと先約があるから、明日ならいいよ」


「えー。先約ってなにさ」


「先にした約束だよ」


「それは知ってる。……でも、いいや。久しぶりに千里と2人でご飯行けるんだし、あたしそれだけで嬉しいよ。やったー! 約束だからね?」


 勢い余って抱きついてくる雪音。


「ちょっ、くっつくなよ。変なとこに絵の具ついちゃったじゃねーか!」


「ごめんごめん。お詫びにあたしのおっぱい、触らせてあげる。……なんて、冗談冗談! あはははは!」


 ハイテンションで、本当に胸を押しつけてくる雪音。こいつ、無駄に胸がデカいから、ちょっとだけ動揺してしまう。……情けない。


「君たち、騒ぐなら他所に行ってくれないか?」


 冷たい詩織の言葉を聞いて、ようやく雪音が離れる。


「ごめんごめん。じゃあ、あたしはもう行くよ。邪魔してごめんね? ……でも、友達だから一応確認しておきたいんだけどさ、しおりん」


「なに?」


「いいんだよね? 後から実はーなんてこと言っても、あたし知らないよ?」


「……言葉の意味が分からないな」


「そ。しおりんは昔からずーっと、分からないままなんだね。……自分がどれだけ、愛されてたのか。自分がどれだけ、特別だったのか。なーんにも、分かんないまま」


 それだけ言って、雪音はそのまま立ち去る。彼女の言葉の意味が、俺にはよく分からなかった。


「…………」


「……………………」


 そしてまた、無言の時間。雪音が来てできた遅れを取り戻すように、ただ手を動かし続ける。


「昼休みは瑠奈。今は雪音。君も意外と節操がないんだね? 千里」


 しばらくしてから、呟くような声で詩織が言う。


「……お前には関係ないだろ」


「そうだね。ただ、ボクには浮気がどうとか偉そうなこと言っておいて、当の君は随分と楽しそうにしてるじゃないか。もしかしてそれは、ボクへの当てつけなのかな?」


「別れる前と別れた後じゃ、話が違うだろ?」


「でも、彼女たちとのことがあったから、ボクに別れようなんて言い出したんじゃないの?」


「そんわけないだろ! 俺は──」


 つまらないことを言いそうになって、言葉を飲み込む。こんなところで怒っても、意味はない。


「なんだよ、黙り込んで。途中で辞めないで、はっきり言ったらどうだい?」


「……今さら、お前に言うことなんて何もないよ。例えあったとしても、もうお前には関係ないことだ」


 完成した絵を持って立ち上がる。時間ギリギリではあるが、なんとか完成させることができた。これでもう、こいつと顔を合わせる必要もない。


「…………」


 絵を先生に提出する前、最後にチラリと背後を振り返り、詩織の絵を確認する。


「……全然、進んでねーじゃん」


 詩織の絵は下書きからほとんど進んでおらず、描かれた俺がどんな顔をしているのか、よく分からなかった。


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