第3話 お姫様
ずっと付き合っていた彼女と別れた。しかしだからといって、俺の生活が大きく変わる訳でもない。毎朝、送っていたメッセージを送らなくてもよくなった。登校前に、どうでもいい電話がかかってこなくなった。そして、浮気やプレゼント……余計なことで頭を悩ませる必要がなくなった。
それくらいの違いしか、今のところ感じていない。
詩織に別れを告げた翌日の昼休み。俺は朝に買った菓子パンを持って、どうしようかと頭を悩ませていた。いつもは詩織と食べるか1人で食べるかの2択だが、詩織と食べるなんて選択肢はもうない。だからといって、このままずっと1人でいるのも情けない。
「…………」
ちらりと横目で、斜め前に座った詩織に視線を向ける。
「ボクの為にお弁当を作ってきてくれたの? ふふっ、ありがとう。じゃあ今日は君も一緒に、お昼を食べようか?」
きゃーと喜びの声をあげる女の子に、いつもと変わらない凛とした笑みを向ける詩織。昨日はあんなに取り乱していたのに、今ではもう見る影もない。
……やはり彼女にとっての俺は、その程度の存在だったのだろう。
「今さら、どうでもいい」
俺は俺で誰かに声をかけてお昼でも食べようと思ったところで、ふと声をかけられる。
「もしよければ、お昼ご一緒しませんか?」
「別にいいよ。俺もちょうど、誰かに声をかけてみようと思ってたところだから」
「ふふっ、そう言って頂けると嬉しいです。では、ここではあれなので……そうですね。今日は日差しも出ているので、中庭に行きませんか?」
「俺はいいけど、大丈夫? 寒くない?」
「心配してくれるんですね。でも、大丈夫です。ほら、行きましょう?」
強引に腕を引かれて、歩き出す。
「…………」
ふと、背中に視線を感じて振り返る。一瞬だけ詩織と目が合った気がするが、きっと気のせいだろう。そう思い、そのまま教室を後にする。
「思ったより暖かいな」
中庭について2人仲良くベンチに座る。今日は風もなく、暖かな日差しが心地いい。
「サンドイッチを用意してきたので、よかったらどうぞ」
「ありがと」
一切れ頂く。……美味い。
「……ふふっ」
サンドイッチを食べる俺を、月島さんは上品な笑みで見つめる。
「それで、月島さん。どうしてお昼、誘ってくれたの?」
「理由がないと、お誘いしてはいけませんか?」
「そんなことはないよ。誘ってくれて、嬉しい。でも何か理由があるんでしょ?」
月島さんはとても美人だ。腰まで伸びた綺麗な黒髪に、翡翠色の瞳。まるでお人形のような可愛らしい外見。しかも、親が大きな会社の社長で、身につけているものから普段の所作まで品がある。
詩織が王子様なら、月島さんはお姫様だろう。実際、月島さんは詩織と同じ舞台でお姫様役を演じたことがあり、詩織とも仲がいい。
……ただ、月島さんは詩織とは違い男にも女にも媚を売らない。気に入らないことがあれば、言葉を選ばずはっきり言う性格なので、周りから浮いてしまっている。
「実は昨夜、珍しく詩織さんから電話がかかってきたんです」
ハンカチで口元を拭って、月島さんがこちらを見る。
「彼女、声を荒げて貴方のことを話してました。それも、とても人には聞かせられないような内容を長々と……。それで、貴方と詩織さんに何かあったのではと思い、声をかけさせて頂きました」
「そっか。月島さんは優しいな」
「……普通ですよ、これくらい」
月島さんは、俺と詩織が付き合っていたことを知る数少ない人間だ。俺と詩織は同じクラスではあったが、学校ではあまり恋人らしいことをしなかった。……というより、詩織がそういうのを嫌がった。
『ボクは、多くの人に夢を見させる義務があるんだ』
なんてことを言い、学校ではわざわざ距離を置いた態度で接していた。詩織に告白していた子たちは、きっと俺のことを詩織の付き人か何かだと思っていたのだろう。……実際、本人もそう思っていたのかもしれない。
「でも、詩織のやつ怒ってたの? ……いやまあ、怒るか」
あいつからすれば、飼っていた犬に手を噛まれたようなものだ。気に食わないが、怒るのは当然だろう。
「もしかして、喧嘩でもされたんですか?」
「いや、そうじゃなくて……別れたんだよ、俺たち」
隠す理由もないので、正直に答える。
「……そうだったんですか。そうとは知らず、失礼なことを……」
「いや、気にしなくていいよ。もう終わったことだから」
「そう言って頂けるとありがたいです。……でも、ようやく貴方も詩織さんに愛想を尽かせたんですね」
「愛想を尽かせたというより、我慢できなくなったていうのが正しいかな。……でも、よく分かったな。詩織が俺を振ったんじゃなくて、俺が詩織を振ったんだって」
「それは分かります。だってあの子、自分では自覚してなかったですけど、随分と貴方に……」
大きな瞳で、楽しげにこちらを見る月島さん。
「……? どうかしたの?」
「いえ、あまり言うと怒られそうなので今は辞めておきます」
「そう? ……まあなんにせよ、もう詩織とは別れたんだよ。だから偶にでいいからさ、こうやってお昼とか付き合ってくれると嬉しい」
「……もしかして私、口説かれてます?」
「いや、そうじゃなくて。……ほら、俺、友達とか少ないだろ? だからできれば、月島さんとも仲良くしたいなって」
「……なんだ、違うんですか」
拗ねたような顔をしてから、少しこちらに近づく月島さん。肩と肩が触れ合う。石鹸のいい香りに、少しだけ身体が強張る。
「ちょっと近くない? 月島さん」
「これからお友達になるんです。これくらい、いいじゃないですか」
「あ、友達になってくれるんだ。ありがとう、月島さんは優しいね」
目を見て小さく笑う。月島さんはどうしてか、頬を赤くして視線を逸らす。
「……詩織さんは自覚的にやってますけど、貴方は無自覚ですからね。別れたと知れば、
「どういう意味? なんで、その2人の名前が出てくるの?」
「内緒です。それより……写真、一緒に撮りませんか?」
「唐突だな、別にいいけど」
詩織もことあるごとに写真を撮りたがった。カフェとか行ったら食べる前に、何枚も何枚も写真を撮る。SNSとか見ると、写真とる為に生きてるの? ってくらい、いろんな写真を上げている。
女の子はそういうの好きな子多いけど、俺にはその感性がよく分からない。
「はい、じゃあ撮りますよー?」
「ちょっ……」
月島さんが強引に俺の腕を抱きしめる。大きな胸に、腕が埋もれる。思わずちょっと、動揺してしまう。
「はい、終わりです。ありがとございました。お陰でいい写真が撮れました」
「……そうか、ならよかった」
動揺を悟られないよう、出来るだけ平静に答える。
「月島さんも、SNSにあげたりするの?」
「いえ、私はそういうのはあまりしません。……ただ、友達に送ったりはしたいんですけど、構いませんか?」
「別にいいけど、俺、変な顔してないよね?」
「……大丈夫です。ちゃんとかっこよく撮れてますから」
月島さんは手早くスマホを操作してから、それをブレザーのポケットにしまう。
「では、楽しいお昼を再開しましょうか?」
そして彼女は、花のように晴れやかに笑った。
◇
華宮 詩織は、多くの少女たちに囲まれて楽しいお昼の時間を過ごしていた。
「…………」
しかしどうしても、友人の月島 瑠奈と彼氏……いや、元カレである千里が一緒に教室から出て行ったのが気になる。もう千里のことなんて、どうでもいい。そのはずなのに、胸の奥に針が刺さったような痛みが消えてくれない。
「っと、ちょっとごめんね?」
キラキラとした目でこちらを見る少女たちに断りを入れ、スマホを手に取る詩織。そこには何のメッセージもなく、ただ1枚の写真が送られてきていた。
「……………………は?」
瑠奈と千里が楽しそうに……それこそまるで恋人のように、腕を組んでいる写真。昨日はあれだけ浮気がどうとか言ってた癖に、自分はすぐに別の女と楽しそうに遊んでいる。
詩織の胸に、暗い影がおりる。
「どうかしたんですか? 詩織さん」
「……いや、なんでもないよ」
ふと湧いた嫉妬をいつもの華やかな笑みで飲み込んで、隠すようにスマホを机に片付ける詩織。
「…………」
けれどいつまで経っても、胸の痛みは消えてくれなかった。
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