後編:これが……DV
4時間後。
「ありがとうございましたー」
最後の客が退店して、騒がしかった店内はすっかり静かになっていた。客を見送り、食器を片付け始める筒木に、店長のハリキルが近づいてくる。
「ツツキ。片付けはいいから、お前が連れてきた子をどうにかしてくれ」
「え?」
忙しさがピークになってから、筒木は後路の面倒を見る余裕もなくなってしまっていた。最初は背中についてきてもらっていたが、通行の邪魔にもなるので、厨房の奥で見学してもらっていたはずである。
だが、カウンター越しに厨房を見ても、その姿はない。
「どこ見てんだよ。あそこだよ、あそこ」
ハリキルがくいっと親指で指し示す。
「え、どこを指さして……」
忍者もとい後路が、部屋の天井の隅に張り付いていた。
「何してるの!?」
「私がもうちょっと端っこに行ってくれって言ったら、いつの間にかあそこに張り付いてたんだ」
「店長! ウシロちゃんは半年間も引きこもってた『か弱い生き物』なんです! 言葉には気を付けてください!」
「私が怒られるのかよ……」
「ぐふっ……!」
流れ弾が後路に直撃した。
両手で胸を押さえる後路。当然のようにべちゃりと床に落ちた。心配した筒木が駆け寄る。
「ウシロちゃん、大丈夫!?」
「これが……DV」
まさにマッチポンプ。自ら堕としたくせにさも心配していますよアピールを繰り返す鬼畜。こんな相手に引っかかってはいけない。16歳と1か月にして学ぶ後路だった。
「あー……お前ら腹減ってないか? 普通は片付けの後なんだが、先に賄いだしてやるよ」
これは駄目だと見かねた様子のハリキルが、頭の後ろを掻きながら提案してくる。
『『ぐぅ……』』
思い出したように、二人のお腹が鳴った。
「こ、こんなか弱いプラナリアに餌を恵んでくれるんですか……?」
「餌……いや、まあ、うん、飯だな」
「そ、そうですね! お腹がすいてると弱気になるって聞きますし! ウシロちゃん、ほら立って、立って!」
「あ、ありがとうございます」
後路は筒木の手を借りて立ち上がると、おぼつかない足取りでハリキルに促されるままに席に着いた。
「んじゃ、ちょっとまってろ。すぐ作ってやる」
そう言って腕まくりをするハリキルの背中を後路が見送っていると、筒木がにこにことしながら見つめてきていることに気が付いた。
「あ、あの、私また何か……」
「優しいでしょ、ハリキルさん」
「へ?」
また怒られると身構えていた後路は、拍子抜けしてぽかんと口を開けた。
筒木は続ける。
「今でこそいろんなお仕事してるけど、あたしの最初のバイト先ってここなんだ。街に来て、怖い人にナンパされそうになったところを助けられてね。事情を話して、初めて信じてくれた人なの」
「え、もしかして、啄木鳥さんが転生者だって……」
「うん、知ってるよ。多分、ウシロちゃんのことも、なんとなくわかってると思う」
「そ、そうなんですね……」
思えば、最初に自己紹介をした時にそれとなく言っていた気がする。冒険者ギルドの捜索願も出してくれていたのを考えると、本当に心配してくれていたのだと、心が温まるような感覚だった。
「あのっ!」
「なにかなっ!?」
後路が急に顔を上げたので、筒木は驚いたように肩を跳ねさせた。
「そ、その、今日は本当にごめんなさい。そ、その、こんなに優しくもらったのに、何もできなくて……。この埋め合わせは、必ずっ!」
「ああ、そんなの気にしないでいいよ。初日なんだから仕方ない、仕方ない。それに、お昼にも言ったけど、友達なんだから助け合うのは当たり前でしょ?」
「い、いや、でも、今日の私、ただ迷惑をかけただけですし……。ケーキについてくる葉っぱレベルの存在じゃないですか……ッ」
「食べる人は食べるよ? それ」
「とにかく!」
後路はずいっと身を乗り出して、筒木へと顔を近づける。
「め、迷惑をかけるわけにはいかないので! お金ができたら、ちゃんと色々、返します! これから一人で生きていかなきゃいけないんですから、そこはきっちりしたいんです!」
異世界での第二の人生。楽をしたい気持ちは消えることはないが、人に借りを作りっぱなしにするのは、心の安寧を揺るがすのに十分だ。そのうち、複利とやらで返しきれない恩に変わるかもしれない。借りっぱなしは痛い目を見るのだ。
もちろん、筒木の人の良さは何となく伝わってくる。半年間も探していくれていたいう事実もあるし―――葬式はあげられたらしいが―――、今日初めて話したような間柄だが、悪い人間ではないことはわかった。
でも、それはそれ、これはこれ。
返すものは返さないと、気持ちが悪い。
「ウシロちゃんは偉いね」
唐突だった。
筒木は後路の背後に手を伸ばすと、そのまま抱きしめるように引き寄せる。後路の視界は筒木の胸で埋まり、ほんのりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
後路は頭を撫でられるのを感じて、自然と筒木の顔を見上げる。
「見つけるのが遅くなってごめんね。一人で怖かったよね。急に死んじゃって、急に変な場所に飛ばされて、一人で生きていかなきゃいけなくなって、辛かったよね」
「え、っと……」
「大丈夫。これからは私もいるし、私の他にも二人、元気なのがいるからさ。漫画みたいな場所に来たんだから、どうせなら一緒に楽しもうよ」
「き、啄木鳥さん―――」
後路は感動に声を震わせる。働くのは死ぬほど嫌だが、筒木と一緒なら乗り越えられるかもしれない。そう思わせられる包容力が、筒木から滲み出るような気さえする。
―――などと流される後路はの頭からは、数分前までDVだの鬼畜だのと呼んでいた事実が抜け落ちているらしい。
「おーい、賄いできたぞー」
丁度その時、ハリキルが料理の乗ったお盆を運んでくると、後路達の前へと置いた。それらの料理からは、出来たてだと言わんばかりに湯気が立ち上っている。
スープ。溶けたチーズの乗ったパン。漬物。ミルク。串焼肉。どれも、乙女的には空きっ腹によろしくない品々だった。
「わあ、美味しそう! ね、ウシロちゃん!」
「は、はい。あの、いいんですか? こんなに……」
「おう。どうせ余りもんだからな。遠慮せず食ってくれ」
「それじゃ、お言葉に甘えて。いただきまーす!」
「い、いただきます」
後路は手始めにと、漬物をパクりと一口。
「―――ひゃれ?」
この日の後路の記憶は、ここで途切れた。
―――ちゅん、ちゅん。
「んあ……」
朝日を顔に受けて、後路は眼を覚ます。
知らない天井、いつもとは違う硬いベッド。自分の部屋ではないことは確かだった。
(あれ、私、昨日……そう、居酒屋行って……それから)
昨日の記憶を手繰り寄せ、しかしなぜ寝ていたのかは思い出せない。
とりあえず周りを確認しようと、顔だけを動かす。
「………え」
見知らぬ半裸の少女が、真隣ですやすやと眠っていた。
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