ファジーネーブルをひとつ。

水神鈴衣菜

Sky was filled with stars.

 この、清らかな夜に、わたくしは罪を告白致します。


 すべての始まりは、ある普通の、月が綺麗な夜でございました。わたくしの家のポストに、夜闇に溶けそうなほどに深い紺色に、いくつか星のモチーフが散りばめられた封筒が入っておりました。封筒には、流麗な筆記体で『Dear my Sky』とありました。

『親愛なる私の空へ。』

 わたくしは別に誰かの空である自覚はございませんでしたから、何事かと思いながら封筒を開いた所、日時と場所が端的に書かれ、追記のように、

『貴方はある組織の後継に選ばれました。貴方の相方と、仕事についての説明を致します。上記の日時、場所にて貴方をお待ちしております。』

 と書かれておりました。組織の後継、というのが何の組織の後継なのかも分からないままに、わたくしがこの手を血に染めることとなる日は近づいておりました。


 書かれておりました日時にその場所へ向かいますと、闇に溶け込むほどの黒くたっぷりとした長髪の女性がぽつんと立っておりました。

「あ……お手紙、くださった方ですか?」

「へっ? ああいや、私ももらった側なのです」

「あなたもでしたか」

「はい」

 ということは、彼女が相方となる人なのかもしれないと思いながら、わたくし達は不思議ですねえと他愛のない話をしながら、あの手紙の送り主を待ちました。

 しかし、待てど待てど、わたくし達へ話しかける者は現れません。どうしたものかと悩み出した時、ふとわたくしは足元にあの紺色の封筒が落ちているのを視界に捉えました。

「これ……僕、この手紙をもらったんです」

「私のも、全く同じ封筒でした」

「見てみますか」

「ええ」

 わたくしは封筒をなるべく丁寧に開け、その中身を取り出しました。封筒には『Dear my Starry Sky』とありました。

『親愛なる私の星空へ。』

 一旦、わたくしがざっと目を通しました所、これは人目についてはいけないと思い、一度店にでも入ろうと提案しました。黒髪の彼女は快く了承してくれました。

 ですが夜中でしたから、入れる店など手頃なバーくらいしかございませんでした。ぱっと目についた小さなバーはどうかと思いましたが、彼女に酒が飲めるのかわたくしは聞かないままに誘おうとしていたのです。少々、手紙の内容に面食らったままの狼狽えた声でしたが、わたくしは彼女にひとつ質問をしました。

「そうでした、おいくつでしたか?」

「私ですか? ええと、二十四です」

「ああ、じゃあ僕のひとつ下ですね。こんな夜更けですし、入る店もバーくらいしかないなあと思って」

「なるほど。大丈夫ですよ、お酒はある程度であれば」

「ありがとうございます、では目についた所で申し訳ないのですがあそこに見えるバーでいかがでしょう」

「はい、分かりました」

 そういえば、女性と二人でバーになど初めて入るな、となんとはなしに思いながらわたくしはバーの扉を開け、彼女に中に入るよう促しました。


 店の一番奥の席につき、彼女はファジーネーブルを、わたくしはシャンディガフをそれぞれ頼んで、店のマスターがカウンターに戻った所で本題を切り出しました。

「読み上げましょうか?」

「いえ、あなたがまずいと判断したのであれば読み上げるのもまずいのでは?」

「……確かに。ではどうぞ」

 わたくしは彼女に手紙を渡し、彼女が手紙の内容を、目を伏せて読んでいるのを眺めていました。まつ毛の長い人だなあ、綺麗な目をしているなあと思いながら。


 手紙の内容はこうでした。

『会うことも無く、こうして再び手紙での説明となってしまった事を、重ねてお詫び申し上げます。長々と謝罪の言葉を並べましてもくどくなってしまうでしょうから、手短に。

貴方達は、《ホシゾラ依頼社》の後継に選ばれました。この依頼社というのは、誰しもが抱える公に出来ない願いを叶えて回る者達のことです。人探し、物探し、謎の真相を突き止める事、そして殺しまで。その願いは様々です。

女性がホシ、男性がソラ。依頼者達はそう貴方達を呼びます。貴方達は隣人です。仲間ではなく、隣人。貴方達は互いをそう呼ばなければなりません──依頼に私情と、私欲の介入は厳禁ですから。また、貴方達は絶対に表の人々に存在を知られてはいけません。表の姿がどんなものでも別に構いませんが、貴方達が《ホシゾラ依頼社》の人間である事は、絶対に知られてはいけないのです。

なぜ貴方達が選ばれたのかは、完全にランダムだったとだけお伝えしておきましょう。ですが貴方達の働きによっては大金が手に入るでしょうし、もし仕事でヘマをすればすぐお役御免という事も有り得ます。申し訳ございませんが、今こういった状況に置かれて「この仕事をしたくない」と言うのであれば、依頼社の事を知る人間が増えるというのはこちらとしても望ましくありませんので、あらゆる手段を使って貴方達を探し出し──いえ、この話はやめておきましょう。

本当に突然になってしまい混乱しているでしょうが、これからどうぞよろしくお願いします。

From your Moons』


「……読み終えました」

「なんだか、すごい事に巻き込まれたみたいですね」

「ええ……」

 彼女は手元に目線を落として、ふうとため息をつきました。こんなか弱そうな人が、人殺しなど出来るのだろうかと疑問に思いました。そしてわたくしもまた、それほど体力がある訳でもなく、またかと言って頭が切れる訳でもない、普通の人間でした。なぜわたくし達を選んだのだろうかと本当に不思議でしたが、何かと都合が良かったのがわたくし達だったのだろうと今では思います。

「……その、最初は、小さめな依頼から受けていきましょうね」

「ええ、そうしましょう」

 意外にも、わたくしの少年の頃の心はまだ残っていたようでした。自分でも少々驚きましたが、彼女のどうすればいいのか分からないと言いたげな声色とは裏腹に、わたくしの声は浮ついた響きを持っておりました。

「なんだか、楽しそうですね。ソラさん」

「ええ……こういうの、夢見る時期があるんですよ」

「ふふ、分かりますよ。まさか本当にこうなる日が来るなんて思っていなかったです」

 彼女──ホシは、わたくしの話を聞きながらファジーネーブルをひと口飲んで、それから笑いました。互いに、淡々と過ぎる日常に辟易していたのかもしれませんでした。わたくしが何も言わずに依頼社の人間になると決めるのはまだ分かるかもしれませんが、ホシがそんな事をするとも、今ですら思えません。そして今思い返すと、彼女の笑顔は可愛らしかったなと思います。あんな状況でなければ、きっと彼女を見初めていたのだろうな、となんとなく思います──いえ、現にこの時から既にわたくしの心は彼女に囚われたままだったのかもしれませんが。

 その後は連絡が付かないと不便だろう、と電話番号を教えあいました。一杯のカクテル分の時間が過ぎて、わたくし達は別れました。


───────────


 それから約束した通りに、初めは簡単そうな依頼を受けておりました。初めて見る依頼者ばかりで──まあそれは当たり前なのですけれども──それ程でもないと思っていましたが、意外にも人見知りをする所があるのだと新たな自分を発見したりもしました。依頼者達は、わたくし達を見て「ああ、新しい二人になったんだねえ。先代ももうなかなか体を悪くしていそうだったからねえ」と柔和な表情をして依頼を口にするのでした。

 あの《ホシゾラ依頼社》が新人になったというのも、顧客の中でなにか情報網があるのかもしれませんが、すぐに知れ渡っていたようでした。難しくない依頼を持ってきてくれる方が多かったのを覚えています。

 大抵、ホシの方に依頼の連絡が来て、それからわたくしの方に連絡が回ってくるのでした。依頼者と会う時は、あの時のバーをよく使いました。一年も経った頃には、入口をくぐるだけで最奥の席に通され、自然とファジーネーブルとシャンディガフが並ぶようになりました。


 最初の頃の依頼を幾つか紹介してみましょうか。

最初の依頼は、若い女性からでした。探し物を見つけて欲しいというものだったと思います。小さな指輪を自宅で癇癪を起してしまった時に窓から投げ捨ててしまったのだ、と。目ぼしい所は探したが、全く見つからなかったとの事でした。結局指輪は、持ち主の方の家にある植木鉢に入っていたのですが、探偵でもないわたくし達でしたから、時間が長くかかってしまいました。

 あとは、小説のネタのために二人で恋人役をしてデートして欲しいという作家の方だとか、庭の掃除を手伝って欲しいという老夫婦だとか、依頼は本当に多岐に渡っていました。

 そんな平和な依頼を受けた事で分かった事としては、この《ホシゾラ依頼社》というものが、世の中には『なんでも屋』として通っているという事でした。そして一部の顧客から、時折殺しだとか、そういう依頼が入って来るという事。あとから気づきましたが、その一部の人間から聞いてくるのか、初めての依頼者から殺しの依頼が入る事もあるのでした。


─────────


 初めて人殺しの依頼が入ったのは、依頼社の人間になって三年が過ぎた頃、依頼者の方々の優しさにより、依頼社としての仕事のプロセスがだいぶ体に染み付いてきた頃でした。

「そろそろ、こういう依頼をする者も増えてくるだろうと思うよ」

「……はい、ですが、ちょっとお待ちくださいね」

 わたくしはホシの方を向いて、どうしようかと小さく言いました。

「いつも依頼をくださっている方ですし……きっとそろそろ大丈夫だろうと思って、満を持して依頼をくださったのだと思います。それに……」

「それに?」

「ちょっと、わくわくしてきました」

 ホシはいたずらっぽく笑いました。その笑顔の、なんと可愛らしい事か! 驚いてしまいましたが、わたくしも同じ気持ちではございましたので、その依頼を受ける事に致しました。


 とはいえわたくし達は殺しが初めてです。どうすれば良いのかも全く分からないまま、いつものバーに参りますと、いつもの最奥の席のローテーブルに、いつものファジーネーブルとシャンディガフ、そしていつもはない拳銃が二丁置いてありました。それと、最初ここに来た時に呼び出された手紙と同じ封筒も。

 わたくし達は驚きに目を見合わせて、それから示し合わせるようにこくり、と頷き、いつもの席に座りました。

 ここまで来て、バーのマスターにわたくし達が何者なのかという事が知られていないとは思えませんでしたので、わたくしはホシに聞こえるだけの声量で手紙の内容を読み上げようとしました。いつも通り、宛名には『Dear my Starry Sky』とあります。

『親愛なる私の星空へ。』

「読むね」

「ええ」

 内容はこうです。

『お久しぶりです。やっと殺しの任務を受けようとなったのですね。今回は私から貴方達に、ささやかなプレゼントを。共にある二丁の拳銃は、それぞれひとつずつ持っていると良いでしょう。それか貴方達の片方が、二丁拳銃使いとして戦う事になるか。それは貴方達で決めると良いかと。道具をどのように使っても、私は咎めません。それほど扱いの難しい種の銃ではないはずですから、数日練習をすれば貴方達にも扱えるようになるはずです。それでは、健闘を祈ります。

From your Moons』

「プレゼント、かあ」

「ふふ、物騒なプレゼントがクリスマスに届きましたね」

「……ああ、今日はそんな日だったか。最近はどうも表の仕事も忙しくてね、日付の感覚が狂ってしまっていたようだ」

「あら、そうでしたか。……そういえば、変な事をお聞きしますけれど、『表の仕事』というのは、どんな事を?」

「僕の、かい? 小さなディーラーでスーツを売っているよ」

「わあ、かっこいいです!」

「とは言っても、僕自身がスーツを着こなせているとは到底思えないけれどね」

「着こなせてると思います、今日の着てる服もですけど、いつも髪の色とか瞳の色とかに合った服を着てらっしゃるなって思ってました」

「はは、照れるな。そういうホシは?」

「私はレストランに勤めてます。ウェイトレスをしてるんです」

「へえ、いいね。ホシは笑顔が似合うし、上手くお客さんとも話ができそうだ」

「そんな事ないですよ、なかなか仕事に慣れるのに苦戦しました」

「そうかい、器用なホシも苦手な事はあるんだね」

 ホシはへへ、と照れたように、困ったように笑いました。

「あ、そうだ。今日は私、プレゼントを持ってきたんです」

「……僕にかい?」

「ええ、貴方以外に渡す人がいないでしょう」

 ホシはふふ、と笑ってカバンから小包を取り出しました。星空のデザインの包み紙です。

「どうぞ、つまらないものですが」

「ああ、ありがとう……はは、クリスマスプレゼントをこの歳になってもらうなんて。嬉しいよ」

 開けて良いかい、と聞くと、ホシはもちろんと笑顔で頷いてくれました。なるべく綺麗に開けようと慎重に開けていきましたが、結局包み紙はビリッと破けてしまいました。

「ああ、開けるの下手くそだな」

「難しいですよね、私も苦手です」

 二人で笑い合いました。今から思いますと、ローテーブルには未だ物騒な拳銃が二丁置いてある状況でこうして笑い合えるようになってしまうほどに、感覚が麻痺してきていたのだ、と。

「……これは」

「ネックレスです。ソラさんには空のモチーフが良いなあとは思っていたのですが、なかなか見つからなくて。子供っぽいデザインのものになってしまったのですが……」

 シルバーのチェーンに、雲のモチーフ。雲の端には小さい水色の宝石のようなものが光っておりました。

「この宝石みたいなものは?」

「アクアマリンです。綺麗な水色ですよね、朝の空の色だなあと思って」

「朝の? ホシゾラの空の方だし、夜空の方がそれっぽいような気が……ああいやごめん、これが嫌だとかそういう事じゃないんだけどね」

「ふふ、でも貴方には、夜の空よりも朝の空の方が似合うと思うのです。こざっぱりして、清々しい晴れた朝の空が」

「……そうか」

 つけてみてください、とホシに促され、わたくしがネックレスをつけてみますと、ホシはにっこり笑いました。

「やっぱり似合ってます」


────────


 そうして数日が経ち、射撃場で拳銃の練習をそれぞれ致しまして、再び集まったわたくし達でしたが、互いに緊張からか口数が少ないのでした。

「……緊張しますね」

「ああ……」

 ぼそぼそと会話して、それからまた二人を沈黙が包みました。

 依頼は、美術品を不正に輸入し、コレクターに売り捌いている闇商人の殺害。歳のそこそこいったおじさま、との事。依頼者の方に言わせてみれば、寝ている間であれば気づかれる事もないだろうし、気づかれたとしても君達の隠密行動の技術であればなんら問題のない相手だろう、との事でした。不正に入手された美術品達は、後ほど依頼者の方がしっかり元ある場所へ戻す、と言っておられました。

「……ピッキングの用意は良いかい」

「ええ」

 たいていわたくしがパワーを、彼女が頭脳を受け持っておりました。ホシは本当に頭の回転の速い人でした。わたくしが裏口の扉の鍵を照らすと、ホシはすいすいと鍵を開けてゆきました。

「さすがだね」

「へへ、ありがとうございます」

 カチャン、と小さな音がして、扉が開きました。わたくしは扉を開けておいて、先にホシへ入るように促しました。

 扉を極力静かに閉めて、それから脳内のマップを参照しながら監視カメラとほんの数人しかいない警備をやり過ごしながら──時折かち合い戦闘も交えながら──最奥、この屋敷の主のいる寝室までたどり着きました。

「……緊張するね」

「はい」

 こそこそと内緒話をするように言い合って、そうして二人で目を合わせて、こくり、と頷き合いました。扉を開くと、奥にベッドがひとつ在りました。いくつかある監視カメラを二人で針をレンズに刺して使えなくし、そうしてからベッドへ近づきました。屋敷の主は、全く起きる気配を見せません。

「……やりましょう」

「……うん」

 依頼者の方に言われた通りに、目の前の敵の顎に照準を合わせ、わたくしは極力しっかりと、迷いを吹き飛ばすように引き金をぐっと引きました。練習に実弾を使うのも忍びなく、その時はエアガンを使っていたのですが、やはり実弾の衝撃は凄まじいものでした。腕から肩にかけて、体に対して真正面から鋭く突きをかまされたような感覚。手首をやったような気がしました。

 片や銃弾を撃ち込まれた屋敷の主はというと、依頼者の方が言っていた通り、顎に撃ち込む事で頭全体に衝撃が走り、声もあげる事なく気を失ったようでした。念の為、心臓にも一発。胸元が血に染まっていくのがぼんやり見えました。

「は……やった、んだ」

「ええ……」

 初めての殺しの感想はと言いますと、呆気なかった、としか言いようがありませんでした。こんなにも呆気なく人は死ぬのだと。わたくしは人の儚い命を、たった二回引き金を引いただけで、手首を痛めただけで、この世から消し去ったのだと。

「……とりあえず、ここから出よう」

 こうして他人の命を奪ってなお、自らの命欲しさに逃げを選択する。卑怯な人間になってしまったものだと、わたくしは自身に呆れました。

 後日、自宅のポストに小切手が入っておりました。依頼の遂行料です。金額を見ると、わたくしの表の仕事の月の収入の、軽く五倍程度の金額が書かれておりました。驚きとともに、何かわたくしの中に黒い感情──言うなれば、イタズラの楽しさを知った子供のようなそれでしょうか──が、湧き上がってきました。


─────────


 それから再び時が経ちました。初めての殺しから四年程度でしょうか。殺し屋としての依頼にも、大分慣れてきました。

 そんな中、舞い込んで来た依頼。今回の依頼は、とある晩餐会の参加者数名をピンポイントに殺害する事。関係の無い善良な市民へは手出しする事は許されない。ですから、食事に毒を仕込むのは被害が大きくなってしまう可能性が在りますので出来ない所。わたくし達はその晩餐会へ侵入し、直接対象の殺害を行おうという風に決定致しました。

 わたくし達は、二丁の拳銃が置いてあった時のようにバーにて支給されたドレスと燕尾服を着、そして偽の晩餐会への招待状を手に会場へと向かいました。

 ホシのドレス姿は大層美しいものでした。紺色と紫色の間のような色に、夜空に散らばる星のようにスパンコールが縫い付けられているマーメイドドレス。ホシの白い肌と黒くたっぷりした髪、薄紫の瞳に合うドレスでした。

「似合ってるね」

「そうでしょうか……こういう、体のラインが出るような服、いつもはあまり着ないので変な感じがします」

「ホシは細いんだから気にしなくても大丈夫だよ」

「なら良いんですけれど」

 嬉しそうにホシはふふ、と笑いました。髪はバレッタで留めておりました。


 さて、無事に会へ侵入は叶いましたが、他人を演じようと決めてしまったためにホシと離れる事になってしまいました。互いにそれぞれで殺しを遂行すれば良いのですが、向こうは慣れないドレス姿。万一があった時、逃げ切れるかどうか。気になってそわそわとホシの方を気にしながらおりますと、近くにいた初老のおじさまが声をかけてきました。

「やあ、彼女が気になるかい」

「えっ、ああ……」

 曖昧に返事をすると、そうだねそうだねと彼は笑いました。

「人形のように美しい人だね。ドレス選びも上手いと見た……ありゃ皆見惚れるさ」

「ええ……」

 おじさまの賛美にはすべて納得がいきました。彼女は周りから見て、本当に美しい人なのだと再認識しました。

「そういう君も、良い男じゃないか」

「いえいえ、そんな」

「……燕尾服に似合わず、可愛らしいネックレスをつけているのだね」

「あ、ああこれですか」

 いつもの癖で、ホシから貰ったネックレスを付けてきていたのでした。

「……大切な相棒からもらったものなので」

「そうかい。ずっと隣にいてやりなさい」

 わたくしがその言葉にハッとして大きく頷きますと、そのおじさまは満足げに踵を返してどこかへ行ってしまいました。

 その直後、何故か窓ガラスの割れる音と、二度の発砲音が在りました。わたくし達の他にも侵入者が? と疑った時、上から大きなもの──シャンデリアが落ちてきているのに気づいてしまいました。縦長の部屋の中央に丸いシャンデリアがぶら下がっております。先程の二度の発砲音は、きっとこれを落とすためのものでごさいましょう。関係の無い人々ごと、殺害対象を一気に仕留めてしまおうという魂胆かもしれません。幸いわたくしは落下を視認した時シャンデリアが直撃する圏内にはおりませんでしたが、ホシは違いました。端の方ですが、確実に当たる位置におります。まずいと思い声をかけようとした次の瞬間には、もうシャンデリアは落ちきっていました。大きなガシャーン! という音の後、一瞬で会場は静まり返り、そして一拍おいて誰かの金切り声、そして逃げ帰ろうとする人々でパニック状態に陥りました。わたくしはなんとか中央へ中央へと人を押し押し、ホシの傍に寄る事が出来ました。

「ホシ!」

 大声を出して肩を揺すぶっても、衝撃が大きかったのでしょうか全く反応を示しません。仕方ない、とわたくしは彼女を抱え、正面ではなく別の場所から外へ出ました。ホシは、足を深く傷つけられていました。シャンデリアのガラスがいくつも足に刺さってしまったようです。これではもう、歩く事さえ出来ないかもしれませんでした。


─────────


 それから彼女の足は、刺さったガラスをすべて取り除く事がわたくしには出来ずに、筋肉が動きづらい状況となってしまい、《ホシゾラ依頼社》の仕事を引退する事になりました。

 後ほど、あの晩餐会への招かれざる客──ホシの仇は、いつも手紙でわたくしたちを支援してくださっていた方が特定してくださり、組織を壊滅させることで討っておきました。少々やり過ぎたかもしれませんが、そうでもしなければ、どうかしてしまいそうでした。

 わたくしは彼女に、最後の餞別にと彼女がしてくれたように、ネックレスを贈りました。深い夜のような色のタンザナイトと、小さな銀の星のモチーフがついたものです。宝石なぞ全く分かりませんから、ジュエリーショップに行った時には「夜の空のような色の宝石は在りますか」と、大層曖昧な事を尋ねた気がします。けれどそれだけで店員は合点が行ったようで、いくつか宝石を持ってきてくれました。タンザナイトと、ラピスラズリと、あとは聞き馴染みのない名前ばかりで覚えていませんが。一目見て、ホシにはタンザナイトが似合うと、強く思いました。それから、この中のひとつを使ってネックレスを作ってくれと頼みました。

 それからホシに、仕事が終わる前に最後に会えないかと連絡をしました。彼女は二つ返事でもちろんと頷いてくれました。いつものバーに、いつもの時間に、いつもとは違うプレゼントを小脇に抱えて向かいました。

「ああソラさん、お先です」

 ホシはそう言って、わたくしに軽く会釈しました。わたくしはやあ、と手を挙げて彼女に近づきました。いつもの最奥の席。いつものローテーブルには、いつものファジーネーブル。マスターがわたくしに気づいたのか、いつものシャンディガフもローテーブルに並びました。

「突然呼び出してしまってすまないね」

「いえ、私も最後に挨拶も出来ずにお別れになるのは嫌でしたから」

「それなら、良かった」

 笑顔がぎこちなくなってしまいました。柄にもなく緊張していたのかもしれません。それはそうです……異性へのプレゼントなど、いつぶりでしたか。こういう事には慣れていないのでした。

「足の調子はどうだい、生活は不自由していないかい?」

「はい、いかんせん動きが遅くなってしまいますが、今までせかせかしていましたしこのくらいが丁度良いかもしれませんね」

 ふふ、と冗談めかして笑うホシ。

「そうか」

「……もし責任を感じているのであれば、それは必要ないですからね」

 わたくしの口数がいつもより少ない事からか、彼女はそう言いました。彼女の怪我にわたくしは関係ないと言いたいのでしょうが、もっと早くシャンデリアの落下に気づいていれば、もっと上手くガラスを取り除けていれば、彼女がこうして足を不自由する事もなかったのです。責任を感じるのも無理はないと、今でも思います。

「そうは言っても……」

「私がもっと早く、逃げていれば良かったのです。あの二度の発砲音で、新たな侵入者の存在と、考えられうる最悪の状況まで思考が及んでいれば、それで」

「……今回の失敗は、二人とものせいという事で、手を打たないか」

 少し困ったようにそう言うと、彼女も困ったように笑って、そうしましょうかと頷きました。

「じゃあ、ここまでで反省会は終わりにしましょうか」

「そうしよう」

 二人同時にカクテルを一口飲みました。

「そういえば、なぜ最初にここへ来た時にファジーネーブルを頼んだんだい?」

「なぜでしたかね……バーなど全く入った事も無かったので、メニューを見た時ふと気になったものを頼んだだけのような気がします」

 ファジーネーブルというのは、桃のリキュールをオレンジジュースで割ったものです。

「飲んでみて、気に入ったんだね」

「はい、ジュースみたいで、飲みやすくて」

「そうかい」

「ソラさんは、どうしてシャンディガフを?」

 シャンディガフは、ビールをジンジャーエールで割ったものです。

「ちょっと憧れていただけだよ。かっこいいだろう? シャンディガフって名前」

「ふふ、確かに」

そろそろか、とわたくしは本題を切り出しました。

「今日はね、ホシにプレゼントがあるんだ」

「本当ですか!」

 彼女はぱっと顔を輝かせました。可愛いなと思いながら、わたくしはカバンから小包を取り出して、ローテーブルに置きました。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 ホシは白い指で星空のデザインのされた包み紙のある箱を取り上げ、ゆっくりと丁寧に包装を解いていきます。

「前も、こんな事があったね」

「ああ……私がネックレスをプレゼントした日ですね、クリスマスでしたか」

「そうだったね。今も付けているよ」

「本当ですか」

 嬉しそうにホシは笑ってくれました。見ると、いつの間にか彼女の手の中の包装紙は綺麗に取られていました。

「ホシは手先が器用だね」

「ありがとうございます、数少ない自慢のひとつですよ」

 微笑みながら、彼女は小箱を開けました。

「……タンザナイトですか?」

「ああ、そうだよ」

「私、タンザナイト好きなんです。このなんともいえない青の色が、すごく好きで」

「似合うと思ったんだ、君に」

「ふふ、光栄ですね」

 彼女は優しい目でタンザナイトのネックレスを眺めていました。

「ありがとうございます、大切にしますね」

「……つけてみてくれるかい」

「ええ、もちろん」

 彼女は細い指でネックレスを取り出し、首につけてくれました。

「やっぱり、似合う」

「ありがとうございます」

 そう言って笑った、そのホシの笑顔を、わたくしは生涯忘れる事は在りませんでした。


────────


 それからしばらく経ち、いつだかのように夜空の色をした封筒が家に届きました。見るといつも通り『Dear my Sky』と在ります。

『親愛なる私の空へ。』

 もう、この文言を見たのも八年前なのだと、懐かしい気持ちがしました。

『お久しぶりです。ホシについては、本当に悔やまれる幕引きとなってしまいましたが、一命を取り留めただけ良かったと、私も思います。

さて、今回の手紙はというと、新たな貴方の隣人が出来たと、そういう旨でございます。貴方達が行きつけにしていたあのバーに、新たなホシを呼んでおきました。以下の日時に来ていただきますよう。

From your Moons』

 新たな、ホシ。わたくしの罪はまだまだ続くようだと、絶望した事を覚えております。人は皆生まれ落ちた時から罪を持つ、という考えがございますけれど、わたくしはそれでも飽き足らず、罪を重ね、そしてこれからも重ね続けてゆくのです。このようなわたくしが神に見放されるのも無理はございません。


 新しい隣人は、丁度わたくしとホシが会った時と同じくらい、二十歳ほどの女性でした。初めてのバーで、初めて会う男と二人きり。改めて思うと、不思議な状況です。緊張した面持ちであった事にも、頷けるのでした。

 そうしてまた、《ホシゾラ依頼社》としての仕事が始まりました。隣人は慣れるまでは簡単な依頼のみを、わたくしはひとりで殺しの依頼も受けていました。


 それからしばらくして、わたくしに再び殺しの依頼が入りました。今回の依頼者は、他の方々と比べると──いえ、そんな事をしなくても、バーにいるには似つかわしくない、子供にも見えました。

「……はじめまして。失礼ですがおいくつで?」

「どうして聞くんですか」

「随分、お若く見えたので」

「……こう見えても二十一歳です、今年で」

「そうでしたか、失礼しました」

 未成年がここへ来るのは本当に危険ですから、もしそうであればここで追い返すつもりでしたが。

「して、依頼というのは?」

「仇討ちをしてほしくて」

「仇討ち、ですか。殺人は高くつきますよ」

「必死に働いて貯めました。全て払ってでもしてほしいんです」

「……貴方は若いんですから、全財産を人殺しのためになげうつなどしない方がよろしい」

「でも」

「金額は、依頼の難易度によります。仇討ちをしてほしい相手が屈強で殺すのに難儀しそうな者であれば金額は跳ね上がりますし、老人などそれほど難しくないと判断出来る者であればまだ抑えられます」

「……女です。黒い髪の、紫の瞳の女」

「……ほう」

「夜中に家へやってきて、親と俺と歳の離れた兄を殺していったんです。俺だけは、まだその時十五くらいだったので、見逃されたんだと思います」

 家族三人の同時殺害。女が夜中に家に。黒い髪と紫の瞳。それらの情報全てが、ある依頼の記憶に集約しました。

 あの時はたまたま、ホシの方に、彼女だけにと入った依頼でした。人殺しの一家に報復を、と。女の手で殺される屈辱を味わって欲しいという話でございました。女性を下に見るような言い分で少々わたくしは気が乗りませんでしたが、依頼だからとホシは快く引き受けておりました。依頼が終わったあと、子供に見られたと、そうホシは言っておりました。十歳やそこらに見えたから、見逃してしまったとも。

 きっとこの少年は、そのホシが見逃した子供なのでしょう。という事は、わたくしが殺すべき相手は──。

「女だから、簡単ですよね」

「……彼女は、ここらの界隈では名の知れた、有能な殺し屋でした。今は怪我をして引退したようですが」

「怪我をしているなら」

「……ええ、そうですね」

 ──ああ、またわたくしは、罪を犯そうとしている。そう思いながら、わたくしはその依頼を受ける事にしてしまいました。


 彼女の家は、一度だけ世話になった事が在りました。わたくしが反撃に遭って怪我をした時に。だから覚えていました。きっと夜中に訪ねても気配に気づかれてしまうだろうと、わたくしはいっそきちんと話がしたいと思い、昼間に彼女を訪ねる事にしました。

 ノッカーを二回。高らかに音は響きました。これから、この家の主は命を落とすというのに。

「……はーい、ってソラさん!」

「久しぶりだね」

「どうしたんですか突然! 部屋の片付けも出来ていないのに……ああ、ひとまず上がってください」

 彼女はあの日から全く変わる事なく、笑顔の眩しいままでした。ここまで来て、再び罪悪感が襲ってきました。どうしたものかと思いながら、もう引き受けてしまったのだから、遂行せねばならないと心に言い聞かせました。心のどこかでは、いっそハプニングでも起きてしまえと願っていました。

 彼女の部屋は、綺麗に整頓されておりました。白を基調としたシンプルな部屋。時折混ざる木目の薄茶、植物の緑。小さめのクローゼットに、いくつか横に出されたハンガーラックには、グレーや白、薄い紫などの上着が掛かっていました。ソファーにはピンクや水色の可愛らしいクッションがありました。

「片付け、出来ているじゃないか」

「ふふ、お見苦しくなければ良いのですが」

 座っててください、と彼女は言って、ホシは別の部屋に姿を消してしまいました。そうしてしばらくして、彼女はお茶を持ってきてくれました。

「どうぞ」

「わざわざありがとう」

「本当に突然でびっくりしました、どうしたんですか?」

 楽しそうに、嬉しそうにそう言った彼女の表情に、決意が揺らぎました。しかし、ここまで来てしまっては、もう遅い。

「……君を殺して欲しいと、そういう依頼があったんだ」

「私を、ですか?」

「割と殺しを引き受け始めてから始めの方、殺人を犯した家族に仇討ちを、という依頼があっただろう」

「……ええ」

「その時君が見逃した子供が、君を見ていたようでね。黒い髪と紫の瞳、と聞いて君以外にいないと思ったんだ」

「ああ、あの時の……」

 なぜ話してしまったのだろうか。ふっと大きな後悔が胸を支配しました。

「……ええ、構いませんよ」

「だが僕は」

「来たのであれば、迷いながらも依頼を遂行しようとしているのでしょう? ならば一思いにやってしまってください」

 どうぞ、と彼女は両手を広げました。

 今思ってみれば、わたくしがこの時依頼の存在を口に出したのは、彼女を殺す事に許しが欲しかったからかもしれません。来たは良いものの、踏ん切りが全く付かなかったから。けれどその時のわたくしは全くそんな事には思い当たっておりませんから、まだ決断には至りませんでした。

「……でも」

「ここまで罪を犯しすぎました、私は。こんな極悪人の行く末など、地獄しか在りません……ならばそこへ送って頂けるのであれば、病で死ぬよりもずっとずっと良いです。貴方に看取られて死ねるのであれば」

「……本当に、僕で良いんだね」

「ええ。貴方だから、良いのです」

 ふっと、彼女は優しい笑みを浮かべたのでした。わたくしはそれを合図にして、懐から拳銃を取り出しました。もう慣れたこの感触。これ程までにこの銃の感触を忘れたいと思った事は、この時以外在りませんでした。

「……本当に、すまない」

 きっとわたくしが酷い顔をしていたのでしょう。彼女は見たくないと言いたげに目を瞑りました。

このままトリガーを引いてしまえば、彼女は死んでしまう。けれど、彼女はそれを願っている。どうすれば良いのだろうかと、体ががたがたと震えて合わない照準を理由に、わたくしは彼女へ最期を与えるのを引き延ばしておりました。

「ソラさん?」

 催促する声が聞こえました。ああ、もう、引き下がる事は出来ないのだと、痛烈に突き付けられた気がしました。

 本当に、に人の命を奪う権利があるのか?

頭のどこかで響いた声を振り払うように頭(かぶり)を振りました。震える指先をトリガーにあて、わたくしは最初の殺しの時のように、ぐっと二度、心臓に向かって銃弾を打ち込みました。

 今までで一番の罪悪感がわたくしを襲いました。

「……ふふ、痛いんですね、銃弾って」

 ホシが微笑みながらそう言いました。わたくしは彼女の前に膝をついて、愕然としました。わたくしが、彼女に銃弾を。

「ねえ、ソラさん」

「……なんだい」

「名前、なんていうんですか」

「……名前?」

「最後くらい、ソラ、ホシ、じゃなくて……本当の名前を呼びたい」

「僕は、アマト」

「アマトさん……私は、スバルです」

「スバル……」

 ホシ──スバルは、ふっと笑って、近くに寄って欲しいと言いました。わたくしは膝をついて彼女の傍に寄りました。

「アマトさん、私、貴方が好きです」

 わたくしはハッと目を見開きました。ぎゅっと胸が苦しくなって、呼吸が乱れた気がしました。

「こんな所で、伝えるなんて……思っていませんでした」

「スバル」

「貴方に、ネックレスを贈った時は、もう貴方が好きだったんです」

「スバル」

「……貴方と、出会えて、良かった」

 彼女は苦しそうに笑いました。胸からはずっと、赤が広がっているというのに。

「貴方も、贈り返してくれた時、本当に、嬉しかった」

「……スバル」

「アマトさん」

「スバル、僕も──」

 そのまま思いを伝えてしまいたかった。ですがそれは、彼女が首を横にゆるゆると振って制しました。

「私の、独りよがりに、させてください。勘違いのまま、思いを墓場に、持っていかせて」

「嫌だ、そんなの……」

「ありがとう、アマトさん」

 ふと彼女は、わたくしのネクタイを掴んで、死ぬ間際とは思えないほどの勢いでわたくしを引き寄せました。それに驚いた次の瞬間、わたくしの唇は柔らかく、冷たい感触を捉えました。

 ふっと、彼女が笑いました。そうしてそれから、息をする音さえ、静かな部屋にひとつだけになりました。初めてのキスは、かすかに血の味がしました。


─────────


 それからわたくしは、死んだように生きていました。スバルを殺すように言った青年には、人殺しのために金を使うような人間にはなるなと、そう伝えて、遂行料として持ってきた金と共に帰しました。依頼が入ったと連絡が来ても、電話を取る事はしてもあのバーへ向かう事はなくなりました。あそこには、色濃くスバルの気配が残っているから。

 ……いえ、一度だけ、行った事がありました。ふとカクテルが飲みたくなったのです。わたくしはフラフラとおぼつかぬ足取りであのバーへと向かいました。

「いらっしゃい」

「……お久しぶりです」

「ああ、ええと……ソラさん、でしたか」

 わたくしは頷きながら、いつもの最奥の席ではなくカウンター席に座りました。

「ファジーネーブルをひとつ」

「おっと、いつも通りシャンディガフを作る所だった。ファジーネーブルですね」

 マスターは手際良くファジーネーブルを作っていきました。

「最近はどうされたんです? いつも最奥の席から楽しそうな作戦が聞こえてきて、私まで楽しませてもらっていたのに」

「……相方のホシが、死んでしまったんです」

「ああ……そうでしたか、失礼」

 マスターは少々悲しそうな顔をしました。

「全部、僕のせいです」

 わたくしは自嘲しながら、そんな呟きをカウンターテーブルに落としました。

「はい、ファジーネーブル」

 コトン、とグラスが置かれました。オレンジ色、いつもスバルの傍にあったオレンジ色。わたくしは一口飲みました。

「……甘」

「お気に召さなかったかな」

「いえ、思ったよりも甘くて」

 はは、とわたくしは乾いた笑い声をあげました。もし、この星空の運命で出会っていなければ、わたくし達はこのファジーネーブルのように甘い恋も出来たのかもしれませんでした。

 わたくしはもう、罪を重ねる事に疲れてしまいました。だからこの罪作りから離れようと、救済を求めてわたくしは教会へと足を運んだのです。

 全てを、《ホシゾラ依頼社》の名は伏せた上で、これまでの罪を全て吐露しました。教会の者に、途中で捕らえられました。此奴は極悪人だと。人殺しの魔女だ、と。

 そうして今日、この清らかな聖夜に、わたくしは神の裁きを受けるのです。思えば短くも長い半生、様々な経験が出来たと思います。一重に、ホシのおかげです。そして《ホシゾラ依頼社》の人間の片割れに選んでくださった、この世のどこかにおられる『わたくしの月達』のおかげです。

「ほら、歩け」

 聖夜は、静かでした。皆それぞれの家で、家族と共にこの時を過ごしているのです。人がたくさん集まるこの広場にも、今日ばかりは人っ子一人見受けられません。そんな閑散とした広場で、ひとり寂しく死んでゆく。極悪人の最後に相応しい。

「……なんだ、お前ネックレスなんかしてるのか」

 寒い寒い夜です。わたくしの息は白く、目の前をぼやかすのでした。

 その時ぐっと、首元が苦しくなりました。見るとわたくしを縛っている者が、スバルのくれたネックレスを引っ張り、今にも引きちぎろうとしています。

「──やめろ!」

「なんだ、威勢が良いな……」

 細いチェーンは、男がぐっと力を入れると一瞬でちぎれてしまいました。

「嫌だ、やめてくれ!」

 わたくしの叫びも届かず、ネックレスは断頭台の下へと落ちてゆきました。

 ああ、これで、わたくしとスバルを繋げるものがなにも無くなってしまった。──であれば、わたくしが彼女の元へ行けば良い。直接手を繋いで、彼女を繋ぎ止めてしまえば良い。彼女と共に地獄の業火の中踊る、それも良いではないか。

 首を落とされる覚悟が──いえ、諦めと言った方が良いかもしれません──決まりました。わたくしは真っ直ぐ前を見つめ、歩きました。

 さようなら、この世。

 ふとスバルの、わたくしの暗い暗い人生を照らしてくれた、その笑顔が思い出されました。


─────────


 長くうちを使ってくれた常連の彼らが来なくなってしばらく経った頃、客がふと噂を口にしたのを耳にしたんだ。

「ねえ知ってる? 誰かがまた『魔女狩り』に遭ったって」

「あら……また? 世の中物騒ね」

「でも今回は、魔女というのは違うかもしれないけれど、本当に極悪人だったみたいよ」

「そうだったのね、それなら罰されたって当然よ」

「でもね、その魔女……男の人だったらしいのだけど、教会で罪を自白しに来たって言ってたわ」

「それで、そのまま処刑?」

「そう。どうも変よね、その口ぶりからすると、長い間悪い事を続けていたみたいで」

「疲れてしまったんじゃない? そうやって、罪を作り続ける事に」

「そういうものなのかしらね」

 その話を聞いていて、僕はなんとなく、彼のことなのではないかと変に想像していたよ。最初に来た時から、彼には悪事は似合わないなと思っていたから。なんとなく、彼ならば最期は全てを告白してから逝くだろうと思っていた。

 最初にこのバーを彼らが訪れたのは、もうすぐ十年前になるのかな。彼はぎこちなく彼女をエスコートしていた。夜中だったけれど、寄り添い始めて間もないカップルかと少しばかり疑った。でもよく見たらそんな事はなかった。会話からして彼らは初対面だったし、名前も知らないようだったね。──はは、人間観察は、職業柄得意なんだよ。

 段々と心を開いていったのか、彼らはにこにこと笑いあいながら……ええと、《依頼社》だっけ、その仕事をこなしていたね。面白い客が来てくれたと思ったよ。そして最奥の席は、彼らのものになった。あそこには大抵シャンディガフとファジーネーブルを置いたし、いつも面白い話が聞こえてきたんだ。次の狙いはあの家だ、とか、今回の依頼者はこんな人だった、とかね。

 けれど一年くらい前から、彼らをここで見る事は少なくなったね。最後に二人が揃っていた時には、怪我がどうだとか話していたから、きっと依頼の途中で何かあったんだろうなと思っていたけれど。

 彼がここに来た最後の日、彼は本当に死人のような顔をしていた。相方が死んだ、と。そう僕に伝えてくれた時の彼は、本当に目も当てられない様子だったよ……余程彼女を大切にしていたのだとびっくりしたくらいだった。彼女が好きだったファジーネーブルは、彼には甘かったみたいだった。少しずつ、少しずつ彼は飲み干して、小さくありがとうと言って店を出て行ったんだ。なんとなく、行かせてはならないような気持ちになったんだけど……僕には生憎と、彼を引き留められるような術はなにも持ち合わせていなかった。

 ……なんて、こんな事を語らせて。面白かったかい? ふうん、今後のために、ね。色々といる人間を引き合わせて、一緒に仕事させて。管理職も大変なもんだね。ああ、内密にするとも。最も、バーのマスターと好んで話そうとするやつなんざ、いた試しがない──ああいや、目の前にいたな。まあこれからもどうぞご贔屓に頼むよ、お月様。

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ファジーネーブルをひとつ。 水神鈴衣菜 @riina

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