第23話 まつり、『常世』へ
その夜、まつりは夢を見た。明るく白い可憐な小菊が咲き広がる花畑に若日子が立っていて、自分を呼んでいる。ただ、まつりではなく高照光比売と呼んでいた。
「兄様……?」
差し伸べられた手に手を重ねる。
「高照光比売、『常世』へ……参れ」
ギュウンンと風が吹き、花びらが舞い散り、若日子の姿が消えた。
はっと目を覚ましたまつりは、若日子が呼んでいるのだとわかった。
「『常世』ってどう行くのかしら」
まず『幽世』へ行って、若日子に会おう。急いで起き上がり、禊をして、カクリヨ宅配便のユニフォームを着た。
「うん、これがしっくりくるものね」
そうして、壁に向かった。
「祓え給い清め給いて、ここに道開かん」
手を翳した壁が水面のように揺らめき、ゆるりと入っていった。
闇のトンネルを通り、大鳥居の前に出ると、若日子が待っていた。
「届いたか、吾の声」
まつりが頷いた。
「でも、高照光比売って呼んでたわ」
「そうか、そなたの名で呼んだのだがな」
『常世』に行くのはどうすればよいのか、なぜ行くのか尋ねると、若日子が困った様子だった。
「行くのは雑作ないのだが、なぜ呼ばれたのかはわからん」
幽世大神が不在の間の代理を務める若日子は幽世を離れるわけにはいかないので、まつりひとりで行くようにと言われて、不安になった。
「どこに行けばいいのかしら、門番とかいるの?」
若日子は少しの間考えていたが、少し待つように言い、姿を消した。門番の双子が心配そうに見ていた。
少しして、若日子は石龍比古と現れた。
「石龍比古と行くといい。『常世』のことはわかっている」
まつりがほっとして、どうも拗ねた様子の石龍比古の手を取った。
「お願いね、まったくわからないから、あなたが頼りよ」
すると、石龍比古が、あまり気が進まないようだが、若日子にも言われて、承知した。
「わかったよ、大社に連れて行けばいいんだろ」
手を繋いだまま、石龍比古が、唱えた。
「祓え給い清め給いて、『常世』への道開かん」
石龍比古とまつりの身体が光り、明るい場所に出た。白い道が遠くへと続いている。
「この先に大鳥居があって、それを潜れば『常世』だ」
ふたりは手を繋いで歩き出した。石龍比古が自分とあまり背丈が違わないまつりを見た。
「姉さんは、前世の記憶ないって話だけど、本当にまったく思い出したりしないのか」
まつりがうーんと唸ってから首を振った。
「まったく思い出せないわ。だから、自分が本当に高照光比売命の転生した身なのかもわからないの、父様がおっしゃるからそうなのかなって思うだけで」
石龍比古が少し寂しそうにしていたが、思い直したように笑った。
「でも、いいかな、今の姉さんとも仲良くできてるから」
まつりが悩ましげにため息をついた。
「石龍比古とは仲良くしてるけど、姉様とはうまくいってないわ」
「玉足の姉さんは、若日子の兄さんが好きだから、兄さんと姉さんが仲いいのが面白くないんだろうけど、どんなに想っても兄さんは玉足の姉さんを娶らないと思う」
異母兄妹だが、神の世界では禁忌ではない。玉足比売命は若日子命の妻になりたいのだろう。
まつりは八咫烏の千波を使っていじわるされたことを石龍比古に話した。
「千波がいなくなったのは、玉足の姉さんが現世に連れていったからか。今も幽世で見当たらないのも、一緒に『常世』に行ったのかも」
行った先でもいじわるされるかもと心配になって来た。それでなくても、なんで呼ばれたのかわからないのだ。
しばらく歩いて、ようやく光輝く大鳥居の姿が見えてきた。
お辞儀しながら大鳥居を潜ると、目の前が開けてきて、真っ青な空に、明るく白い可憐な小菊が咲き広がる花畑に白い石畳が四方八方に伸びていて、その先に社が沢山建っていた。それが遙か彼方まで続いている。
「ここが『常世』……」
清浄な空気の中に厳粛な雰囲気が漂っている。まつりは気を引き締めて正面に伸びている石畳を進んだ。石畳は踏むごとにキュキュッという音と立てて、美しい調べを奏で、風には薫香が含まれている。八百万の神々が住まうに相応しい場処だと思った。
正面の石畳の先には、大社らしき大きな建物があり、その手前の鳥居には門番がいた。幽世の門番の双子に似ている。もしかしたら溌比古のもう一組の双子の兄弟かもしれない。
「こんにちは、溌比古さんの兄弟の方たち?」
門番のひとりがちょっと驚いてから、頷いた。
「そうですが、あなたさまは……」
石龍比古が、高照光比売命だと言うと、ふたりが深くお辞儀をして、通してくれた。
社の中は幽世の大社と違って、色とりどりの布が高い天井から垂れていて、華やかだった。巫女や巫(かんなぎ)たちが忙しそうに行き来していて、そこも幽世とは違っていた。
一番奥まで行くと、扉が開いていて、大広間だと思われる広い空間に出た。奥に大きな鏡があり、その前に大きな椅子に腰かけた女性がいた。光輝いていて、艶やかな黒髪を結い上げ、なお余る髪を垂らして、凛とした面持ちの美しい女神だった。常世大神であろう。一目でわかった。
「高照光比売か、こなたへ参れ」
常世大神が声を発した。大声ではないのに、広間の隅々にまで響く声だった。戸惑っていると、石龍比古が、行くよう促した。気持ちは恐る恐る、しかし、足取りは颯爽と進め、近寄った。常世大神の右横に幽世大神が立っていた。その横に薄い青色の領巾を肩掛けた女性がいた。見たことはないヒトだが、どこか懐かしいような感じがした。よく見ると、壁際に沢山の人たちが立っていた。おそらく八百万の神々だろう。まつりを見て、ひそひそと話している。常世大神がそれを打ち破った。
「よう参った、現世に転生していたとは、思いもよらなかった。まったく前世の記憶がないというのはまことか」
常世大神が静かに尋ねた。
「はい、まったく記憶がありません」
はっきりと答えるまつりに青領巾の女性が一歩前に出た。
「高照光比売や、わたくしも見覚えないのですか」
どこか懐かしい感じはしたが、見覚えはなかった。
「はい、ありません」
青領巾の女性はがっかりした様子で領巾で目頭を押さえた。幽世大神がその女性の肩を囲んで抱き寄せた。
「こは、母の多岐都比売命だ。そなたに会いたいというので呼んだのだが、やはり母を見ても思い出さないか」
すると、常世大神が首を振った。
「無理に思い出させることもないであろう。現身で『幽世』や『常世』に来られるのだから、高照光比売の転生した身であることは確か。その身の命が尽きるまで、現人(あらひと)として過ごすがよい」
まつりはてっきり『幽世』に現世のものを持ちこむことを咎められるのかと思っていたので、拍子抜けしていたが、ほっと胸を撫でおろした。
「ところで、高照光比売」
常世大神が話を変えた。まつりがギクッとした。やっぱり。そうなのかと身構えると、常世大神がふうとため息をついて、相好を崩した。
「どうも初詣の参拝客らんきんぐで、吾の本宮が上位に上がらないのだが、どうすればとっぷ10に入るようになると思う?」
はあ!?
まつりが驚くやら呆れるやらで、口をあんぐりと開けて、常世大神を見つめた。
そんなのわからん。
というか、畏れ多くも賢くもって方から、ランキングやらトップ10やらというワードが出ること自体がおかしい。いったいどこからそんな情報を得ているのか。もしかしたら、テレビやインターネットが見られるのか。『幽世』の家々にテレビが置かれているようなので、『常世』にもあってもおかしく……ないことはない!おかしい!
まつりは適当に思いついたことを申し上げた。
「えっと……カウントダウンイベントでもやれば、増えるかも……」
すると、驚くことに、常世大神が目を輝かせた。
「それ、よいかもしれぬ。吾が本宮に出向いて、やれば、きっと、大盛況!」
カウントダウンイベントも知ってるんだ。ネズーミィーランドとか知ってたりして。
まつりがあわてて手を翳した。
「本気になさらないでください」
常世大神があらそうとがっかりした。あまりに消沈した様子にフォロー入れないとと言い添えた。
「常世大神様の本宮は大人気のパワースポットですよ、若い女性から、年配のご夫婦まで、一年中参拝客が絶えません。この高見から見守ってくださればいいと思いますよ」
まつりが言うと、常世大神はにっこりと笑顔を見せた。
「そなたの言う通り、今は見守ることが吾らの勤めだな」
よきかなとまつりを褒めてくれた。周りのハ百万の神々も口々によきかなと言ってくれた。幽世大神も多岐都比売命もうれしそうに微笑んだ。
『常世』にある、幽世大神の社に移って、まつりは、ようやく肩の力が抜けた。やはりかなり緊張していたのだ。すっかり疲れていた。
「てっきり、宅配便のお仕事のことで叱られると思ったの」
幽世大神がそうかとまつりの頭を撫でた。
「心配かけたのだな。よく思わぬものもいるようだが、常世大神も咎めていないのだから、気にしないでよい」
それって、公認ってことよね!?
いや、黙認か、まあ、どっちでも、続けられるのならいいわと喜んだ。
「そういえば、玉足比売の姉様は、いないの?『常世』に来てると思ったんだけど」
幽世大神が首を振りかけたとき、ふわっと風が吹き、噂の玉足比売が現れた。八咫烏の千波も一緒だ。
「こんなところまで来て!常世大神様にまで取り入って!いったい、どこまでわたくしを苦しめるの!?」
肩の領巾でまつりを叩こうとし、千波がまたまつりに襲い掛かった。
「やめよ!」
幽世大神が一喝すると、玉足比売の手が止まり、千波も地に降りて、ぴょんぴょんと撥ねた。
「どうして、どうして、兄上も父上も、高照光比売ばかり可愛がる!?わたくしのことなど、見てもくださらない!」
泣き伏した。まつりが泣き震える肩に手を置こうとしたが、それを叩きはらった。
「消え去れって言ったであろう!?わかったって言ってたのに、転生するなんて!なんで嫌がらせをするの!?」
訳が分からず、呆然とした。幽世大神が厳しい目で玉足比売を見降ろした。
「やはり、そなたが唆したのか」
玉足比売が顔を上げて、真っ赤に泣きはらした目でまつりを睨んだ。
「そなたが、兄上と溌比古から求愛されて、どちらも選べず、どちらも悲しませたくないと言うから、それならば、消え去ればいいと言ってやった。そうしたら、そなたはわかったと言って消えた。もう二度と現れないと思ったのに!転生してきて、『幽世』にやってきては、兄上と楽しく過ごしている!兄上はそなたの方ばかり見ている!」
悔しいとまた泣き伏した。
それで、若日子は時々悲しそうな、寂しそうな眼で自分を見るのだとわかった。かつて愛した妹だったからだ。あの溌比古も。まったく忘れているとはいえ、次会うとき、どのような顔をすればよいのだろうかと悩ましかった。
幽世大神が厳しく叱った。
「玉足比売、なぜみなが高照光比売を愛でるのか、よくよく考えてみよ。その優しく思いやり深い性質ゆえであることがわからぬのか。消え去るよう唆したそなたの罪は重い。当分は謹慎しておれ」
そうして石龍比古に部屋へ連れて行くよう命じた。石龍比古が玉足比売の腕を取って立たせ、連れて行った。
残された千波が悲しそうに項垂れている。まつりが、その頭に手を置いた。
「この間はごめんね、怪我しなかった?」
千波が首を振った。
「千波、もういじわるしない?」
優しく尋ねると、千波ががあぁと鳴いた。
「しない、もう、まつり、いじめない」
そっと頭を撫でると、千波がまつりの腕に乗った。
幽世大神はまだしばらく『常世』に留まるとのことだった。母の多岐都比売命に別れを告げると、また来なさいと言われた。会っているうちにあの、どことなく懐かしい感じがすることを話せる時が来るかもしれないと思った。
帰りは千波を連れて大鳥居まで行き、光の園を戻って行った。終点は幽世の大鳥居の前だった。やはり入ったところに出てくるのだろう。
門番の双子が寄ってきて、千波も戻ってきたことを喜んだ。千波はまつりの頭の上を旋回してから、大鳥居の中に入っていった。百陽の元に戻るのだろう。双子に『常世』で常世大神にお会いしたことを話し、思いのほかフランクな女神様の発言に三人して苦笑した。
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