第21話 北見様のお荷物①
どんよりとした朝だ。天気も悪いし、気分もよくない。姉に千波を使っていじめられたこと、若日子に言うかどうか、迷っていた。若日子が問いただしても、認めないかもしれないし、告げ口したと思われるのも嫌だった。もし、もう一度いじわるされたら、若日子に話すことにして、気持を切り替えることにした。
2階の事務所に降りていくと、商店会のフランスレストラン『トリコロールフェスタ』のオーナーシェフ倉持さんと出会った。
「おはようございます。メニューのことですか」
まつりが挨拶すると、頷いて、ラフを見せてもらいに来たとのことだった。淳基が連絡したのだろう。どうぞとドアを開けて、中に入ると、すでにテーブルの上にラフらしきものが広げられていた。
「いらっしゃいませ」
淳基が倉持さんにソファーを勧め、用意していたコーヒーを出した。倉持さんはカップを持って、立ち上る香りをかいだ。
「うーん、なかなかいい香りだね、ルベルタの豆?」
ルベルタは駅ビルにあるコーヒー専門店だ。高級な豆でドリップした芳醇な香りのコーヒーが楽しめる。
「ええ、一番お安いのですけどね」
それでもなかなかの値段の豆と知っている倉持さんは満足そうに飲みだした。淳基は下書きを見てもらっている間に、まつりのココアを入れて、デスクへ運んだ。
倉持さんはラフをチェックしていたが、向かい側に座った淳基に見ていたラフを差し出した。
「いい感じだね、これでいいと思うよ」
早速仕上げに入り、印刷所に入稿する段取りを進めることになった。倉持さんは商店会のホームページ上の訂正も頼んできた。
「出来れば、メニューの納品と合わせて、アップしてくれると助かるんだが」
淳基が印刷所に納期を確認してホームページも訂正入れると約束した。
「いやー、カクリヨさんがやってくれるから助かるよ、デザインもいいし、何と言っても料金がね、いいね」
それはそうだ、まつりが安値で手軽く受けてくるのだから、普通の業者に頼めば、何倍も掛かるだろう。もう少しもらいたいというのが淳基の本音だ。
倉持さんは上機嫌でラフを持って帰って行った。淳基がすぐに印刷所に連絡して、納期の確認をしている。
その間にまつりはTwitterのDMを眺めていた。1件新しいDMがあり、開いてみた。
《はじめまして、北見と申します。カクリヨ宅配便様に依頼したいと思い、DMしました。よろしければ、お話聞いていだだけますか。遠方なので、ビデオ通話だとよいのですが。LINEでお願いできますでしょうか》
「ちょっと、粟島、お仕事になりそうなDMよ!」
淳基もTitterで確認する。
「所長のLINEでいいですか」
まつりが了解して、返信した。すぐに折り返しが来て、これからお願いしたいというので、電話番号を教え、友だち申請をしてもらった。早速ビデオ通話を開始した。
北見さんは二十歳前半くらいで黒のロングヘアを一つに束ねて、淡いピンクのカーディガンを羽織った、清楚な感じのお嬢さんだった。
まつり《はじめまして、カクリヨ宅配便所長の常盤木です。弊社サービスにご興味いただきまして、ありがとうございます》
まつり《ご迷惑をおかけして申し訳ありません。ちょっとした行き違いで停止中なのですが、また復帰の予定です》
淳基は復帰の目途など立っていないのに、よく言うと感心していた。こういうところは何とかも方便…。
北見《それで、亡くなった方に荷物を運んでくださるというので、是非お願いしたいんですが、お忙しいと思いますけど、どうでしょうか》
まつり《かしこまりました。ただいまスケジュール確認いたしますので、少々お待ちください》
あー、見栄張っちゃって。淳基が吹きだしそうになるのをなんとか堪えた。
まつりが手元に目をやって、何かを見ているフリをしている。そうして、ゆっくりと顔を上げた。
まつり《只今ですと、今週末から来週にかけて、ご対応可能です。なにしろ遠方のため、一週間ほどお時間をいだだいておりますが、いかがでしょうか》
まつり《確認ですが、お届けのお荷物はなんでしょうか。生き物や大型のものなど、配達できないものもございますので》
中学二年のときから付き合っていて、ふたりとも携帯電話とか持っていなかったので、交換日記を始めて、お互いの気持ちや将来の夢とかを書き綴っていた。中学三年のとき、彼からの日記に、将来結婚したいと書かれていて、その答えを書いた日記を北見さんは彼に渡せなかったのだという。
北見《ちょうど私がインフルエンザに罹ってしまって、学校を休んでいる間に、彼が、一家で夜逃げしていなくなってしまったんです》
どうやら両親がよくないところから借金をしていて、返せなくて逃げたらしいと噂で聞いたが、日記帳を渡せないままになってしまったのだ。
北見さんは泣き出してしばらく何も言えない状態だった。ようやく落ち着いたようで、涙を拭いて顔を上げた。
まつり《それは……》
さすがになんとも言葉がなかった。ようやく知った彼の消息、暴力団に入っていて、抗争で死んだとは。夜逃げした後の彼はよい人生を送れなかったのだろう。
まつりは迷った。気持ちは痛いほどわかるが、彼は、その返事を知ってどう思うか。それでも、北見さんの心残りをお届けするのが使命と思った。ただ、生前罪を犯していると、『を』の邑にいる可能性が高い。果たして『を』の邑に入ることはできるか、わからなかったが、行ってみるしかないだろうと考えた。
まつり《お気持ちはわかりました。是非お届けしたいと思いますので、日記帳を弊社まで送ってください》
北見さんは泣きながら喜んで、頭を下げた。
北見《ひどい亡くなり方したけれど、あの世では安らかでいて欲しいです。それも日記帳に書きました。よろしくお願いします》
ビデオ通話は終了した。
翌々日、北見さんの荷物が届いた。料金は銀行振込で、振り込み手数料もちゃんと負担してくれた。日記帳はキレイな茶色の本のような厚手の表紙だった。中を見るのはさすがに失礼なので、すぐにSサイズの袋に収めて、準備をした。配達伝票は代理で書くことになる。日記に添えられた手紙に書かれていた没年月日とフルネームを見て、驚いた。
「成瀬……祥平……まさか、成瀬って、兄様が言っていた成瀬?まさかね」
生前の罪人がすべて咎人として『を』の邑に住まいするわけでもないだろう。人は多かれ少なかれ、なんらかの罪を犯しているものだ。それを全部『を』の邑に入れていたら、大変な人数になる。なんらかの基準で選別しているのだろう。
幽世大鳥居の門番甲比売と乙彦は忙しそうだった。冬のインフルエンザの流行や肺炎で生死を彷徨う人が多いのだ。おおむねお年寄りだが、身体が点滅して命の灯がついたり消えたりしているのを現世に戻していた。ちょっと手を挙げて挨拶して大鳥居を潜った。
人別庁の窓口担当は、おじいちゃんだった。調べてきてくれて、『を』の邑にいますと教えてくれた。
「やっぱり……あの成瀬なのかも」
心配だったが、『を』の邑の鳥居の前に移動した。前回間違ってきてしまったときは厳しくあしらっていた門番が丁寧にお辞儀した
「比売命様、いかがされましたか」
門番ふたりが寄ってきたので、まつりが現世から荷物を届けに来たと話した。門番は勿論驚いていたが、届け先の名前を聞いて、自分たちにはわからないので、社にいる係に尋ねてくださいと通してくれた。
社で係を探すと、長(おさ)が出てきて、まつりの話を聞いて、難しい顔をしていたが、なんとかならないかとゴリ押ししたら、面会を許してくれた。やはり、高照光比売命の名はどこぞの印籠なみの威力があるようだ。
ここも『あ』の邑のように、移動できる板があって、すぐに成瀬のいる咎人屋に着いた。
咎人屋は、三階建てほどの建物で、ひとり用の部屋に格子が嵌っている戸が付いていて、中が見えるようになっていた。部屋は、つまりは牢屋のようなものだ。寝台があって、横に小さな卓が付いていて、そこにものを置くようになっていた。ちなみに生理現象はないので、トイレとかはない。
丁度夕飯時だとかで、みな、食堂に行っているとのことだった。戻ってくるのを待ったほうがいいかと思ったが、移動板の傍に立っていた番人に食堂に行ってもよいか尋ねると、案内してくれた。
食堂はだだっ広く、長いテーブルが沢山あって、咎人たちが向かい合って、椀の粥を啜っていた。気の合うもの同士で近くに座っているらしく、そこここで歓談しながら、食べている。
「成瀬はあの隅の男ですよ」
番人が示した先に若くて、細身で、歪んだ口元の斜に構えたような顔つきの男がいた。食堂に入ってきた、どうにも場違いのまつりに食堂中がどよめいた。
「よお、ねえちゃん、なんだその恰好は。配達員か?」
「見たこともない着物だなあ、でも、別嬪さんだなぁ」
ピーピーと指笛を鳴らすものもいて、騒然となった。番人が食堂に備えてある鐘をカンカンと叩いた。すると、水を打ったように静かになった。
「こなた、高照光比売命様だぞ、静かにいたせ」
今度はひそひそと小声で隣同士で話出した。
「命様ってことは、神様か、あんな恰好の神様いるのか」
「へんだよな、どう見ても宅配のヒトだぞ」
まつりがこほんと咳払いをして、成瀬という男の元に歩いていった。すぐ横に立ったまつりに、成瀬が不審げな眼を向けた。
「わたくし、現世から参りましたカクリヨ宅配便の常盤木と申します。高照光比売命が転生した現世の人間です。あなたが、成瀬祥平様でしょうか?」
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