第15話 河合様のお荷物

 数日後、TOKUURIのメッセージボックスに新たなメッセージが届いていた。まつりが、たまに来る冷やかしや非難の内容だと嫌だなと思いながらも、開いてみた。

*カクリヨ宅配便様

 はじめまして。河合と申します。亡くなったものに届け物をしていだだけるとのこと。亡くなった妻に届けてほしいものがあるのですが、直接持って伺ってもよいでしょうか。当方、勤め人ではないので時間の自由は利きます。指定していだだけたら、伺います。よろしくお願いします。

 これは脈がある。早速明後日の午前中にどうかと返信したところ、それで了解と返ってきたので、バイト中だが淳基にLINEした。

 まつりもバイトに向かおうと支度していると、淳基から猫が万歳しているスタンプが届いた。

 橋を通るときには周りを見回してカラスがいないか確認して通った。今日はカラスは見当たらなかった。

 小料理屋「こずえ」は、近所の商店会や近隣の中年のおじちゃんたちがたむろする店である。最近は二代目三代目の若い衆も来ることもあった。色気が足りないが、元気で明るいまつり目当ての若旦那たちもいて、まつりがいる日はけっこう繁盛していた。いない日は他で宴会した帰りに寄る、二次会や老人会になっている。

そろそろ店じまいする頃、格子戸が開いて、背の高い坊主頭が入って来た。おかみがあら秀念君、いらっしゃいと席を勧めていたが、

「もう閉めますけど」

 まつりがぴしゃりと言った。

「いっぱいだけでいいんだ」

 おかみがお手拭きを出し、お通しを出すと、まつりが背を向けて厨房に向かおうとした。

「おい、この間の怪我、もういいのか」

「あのくらい、大丈夫よ」

 秀念はほんとうに一杯で帰っていった。おかみが後片付けしながらまつりを窘めた。

「まつりちゃんが心配で顔見に来たんじゃないの、あんなに素っ気なくするなんて」

「まさか」

 そんなはずはない。あの秀念のやつが自分の心配なんてするわけない。そう思いつつも抱き上げられたときのことが妙に胸を衝いていて、どうしてかわからず、振り払うように首を振った。

 翌々日の午前中、10時頃にピンポンが鳴った。

 淳基がドアを開けると、初老の男性が風呂敷を抱えて立っていた。上品な茶色のブレザーにきちんとした折のあるスラックスで品のある男性だった。

「いらっしゃいませ、河合様ですか」

「ええ、河合です」

 ソファーを勧め、淳基が、日本茶を出した。まつりが用意したパンフレットを見せると、河合さんは何度も首を折って、頷いていた。

「本当にあの世へ運んでいるんですね、驚きました」

 そう言って、持って来た風呂敷を開いた。中は木の箱で、蓋を開けて、中身を出して、テーブルの上に置いた。お茶碗だった。まつりは審美眼がほとんどないが、淳基はそれなりにデザインを勉強しているし、芸術には関心もある。陶芸のことはそれほど詳しくはないが、そのお茶碗のシンプルだがバランスの取れたフォルムと色合い、陰影などに優れたものを感じた。

「わたしは陶芸家でして、これはわたしの作品です」

 近年、なかなか納得のいく作品が出来ず、悩んでいたところ、長年連れ添った妻が肺炎を拗らせて亡くなった。

「所謂糟糠の妻というやつでして、売れない頃から支えてくれて、どれだけ助けられたか」

その妻を失い、さらに落ち込んでしまっていたが、先月のある日、妻が枕元に立ったというのだ。

「あなたの作ったお茶碗でご飯が食べたい、作ってちょうだいと、励ましてくれました。それで、もう一度創作に打ち込もうと思い、作り上げたのが、この茶碗です」

 夫婦茶碗の片方だという。片方は自分が使い、こちらは墓にでも入れようかと思ったところ、若い弟子のひとりがこんなサービスがあると紹介してくれて、是非お願いしたいと慣れないパソコンでメッセージを書いて、送りましたと話してくれた。

 まつりも淳基もすぐに感行ってもらい泣きするが、今回も深い夫婦愛に目頭を押さえた。

「そうでしたか、奥様もきっとご主人を心配しておられるんでしょう。是非、お届けさせていただきます」

 配達伝票に記入してもらい、メッセージカードも書いてもらって、お茶碗を木箱ごと預かった。ネットからの入金はできないと言うので、現金で受け取った。

完了までのお時間をいだだき、届けたら連絡すると伝えると、喜んで帰って行った。しばらくお茶碗を眺めているまつりに淳基が尋ねた。

「死んだ人が枕元に立つって、幽世から現世に来るってことですか」

 するとまつりがううんと否定した。

「死者が現世に現れることはないわ。魂魄が現世に留まることはないの。枕元に立つというのは、本人が望んでいることが死者の姿で夢に出てくることよ」

 怨霊や地縛霊と言われるものも悪い気の流れが澱んだり、広がったりしているのを、神経が敏感で霊感があるものが感じたり見えたりしているものだという。

 今度もよいお仕事になりそうだとふたりでココアとコーヒーで乾杯した。

 

 相変わらず冷たくてお湯にしたいと思いながら禊を済ませて幽世に向かったまつりは、大鳥居の門番のふたりに仕事が順調だと話した。ふたりも喜んでくれた。

人別庁の担当の女性から、河合さんの奥様がいる邑を教えてもらい、瞬間移動して、鳥居の傍のまとめ役を訪ねた。

「昨年いらした河合亜矢子様という方を探しています。どちらにいらっしゃいますか」

 まとめ役は江戸時代の裃を着ていて、長い裾を引きずっていた。たぶん、大名とかの身分の高いお侍なのだろう。だが、威張りくさった感じはなかった。現世から来たというと、面食らっていたが、河合さんの奥様の住まいは調べてくれた。地図で山の裾野の家々の中のひとつを指した。

「ここにおられる」

 ありがとうございますと一礼して山の裾野に飛んだ。

邑の中にある山をはじめて見た。なかなか雄大でキレイな稜線が暮れていく薄赤い空にくっきりと浮かび上がっている。山には木々などなく、土色の姿だった。その裾野にいくつか家が点在していて、地図で示してもらった家を見つけた。

 その家の戸を叩くとしばらくして、中から若い女性が出てきた。

「こんにちは。こちらに河合亜矢子様はいらっしゃいますか」

 女性が首を傾げて、不思議そうにまつりを見た。

「宅配便の人みたいなカッコね」

「はい、カクリヨ宅配便のものです。現世から河合様へお届け物をお持ちしました」

 そんなことあるのと驚いている。後ろから六十代くらいの上品な老婦人がやってきた。

「あ、河合さん、この人、河合さんに届け物があるんだって、現世からだって」

 河合婦人も驚いて目を見張った。それは驚くだろう。大事に持って来た箱を差し出した。

「ご主人様よりお預かりした荷物です。どうぞお受け取り下さい」

 河合婦人は配達伝票をじっと眺めていたが、箱を受け取り、下駄箱の上に置いて、箱を開いた。

 中の木箱を出し、蓋を開けた。緩衝材に包まれたものを出して、開くと、眼を険しくした。

「主人がこれを私にって?」

 まつりがはいと答えると、メッセージカードを摘まんで読み始めた。

「お茶碗作ってくれって励ましてくれてありがとうって何のことかしら」

 険しい表情のまま、メッセージカードを置いて、お茶碗をしげしげと見まわした。

「ご主人がおっしゃるには、奥様が枕元に立って、励ましてくれたということでした」

 急に河合婦人が笑い出した。

「そんなわけないわよ、あのヒト励ますなんて。第一枕元に立つとかできないし」

 まつりが、ご主人が奥様に励ましてほしいと望んでいたのでしょうと伝えると、メッセージカードをもう一度眺めた。

「……またあの世で一緒になろうって、冗談じゃないわ、まっぴらよ」

 えー!?深い夫婦愛で結ばれていたのではないのか。

「仲のよろしいご夫婦とお聞きしていましたが」 

 そのように言うまつりの言葉に、河合婦人がまた笑った。

「そう思ってたのはあのヒトだけよ、自分勝手で、居丈高で、学生時代の友だちと会うのも許してくれなかったし、収入は全部自分の懐に入れて好き勝手に使って、生活費もくれないこともあったし、ずいぶん苦労させられたのよ。今で言うモラハラ夫というやつだったわ」

 DVじゃんと側にいた若い女性が憤慨している。

 河合婦人は、ひとりになれて、清々しているのよと肩をすくめた。

 そんなぁと落ち込んでいるまつりに苦笑した。

「確かに旦那としては最低だったけど、でもね」

 そう言ってお茶碗を優しい目で見つめた。

「陶芸家としてのあのヒトは尊敬していたわ」

 立ち直ったのね、届けてくれてありがとうとお礼を言われた。ほっとして、小さい下敷きと受領書を渡した。

「こちらにご受領のサインをいただけますか」

 さらりと書いてくれた。一言、お茶碗ありがとうとも書いていた。

 一緒に見ていた若い女性がいいなぁとうらやましがった。死者は亡くなったときの姿で幽世にやってくる。何か棺桶に入れてくれたからといって、持ってこれるわけではない。現世のものを持てるというのはうらやましいことだろう。フィギュアを届けた小松氏の同居人吉村氏もうらやましがっていた。

 幽世に現世のものを持ちこんで、不都合があるなら、幽世大神が許すはずはないが、まつりがこれこれこういうことをしたいがいいかと聞いた時、ダメと言われなかった。なので、よいのだろうと思ってやっている。もっとも、他の神たちの中にはよろしくないと思っているものもいるようだが。

 河合婦人の話を聞いて、夫婦にもいろいろあるのだなと思い、亡くなってからも、一緒にいる自分の両親のことを思い出した。最近顔を出していない。配達は滞りなく済んだので、一目でも会っていこうかと両親のいる『さ-25』の邑へ飛んだ。

 両親はちょうど畑仕事から帰ってきたところだった。

「久しぶり、お父さん、お母さん」

「まつり、まあ、よく来たわね」

 母親が真っ先にまつりを抱き締めた。父親も鍬と網かごを置いて、まつりと妻を抱き締めた。

 家に上がり、まつりは、祖父が拝み屋の仕事で北海道へ行った話をした。父親は生前自分の父親の仕事をあまり良く思っていなかった。というか、信じていなかったのだが、娘が、神が転生したものと知り、また、あの世での生活を通して、父親の霊能力も理解できるようになった。生前に理解してやりたかったと思っている。なので、父親が霊能力で人助けをしているということを素直に喜んだ。

「おじいちゃん、お父さんたちのこと、心配していたわ、元気でやってるて、伝えるわね」

 死んでいるので病気などにはならないが、魂魄でも落ち込んだり、鬱っぽくなることはある。

一軒に四、五人で住まいしているが、人間関係でうまくいかないこともあり、そういうときはまとめ役を通じて、人別庁に相談が上がり、引っ越しできるらしい。いつもまつりが訪ねている窓口はもともとそうした相談の窓口なのだ。ちなみに、まとめ役の家には、人別庁に連絡できる鏡があり、通信のようなことができる。なかなかに便利なアイテムである。

「そういえば、秀念君とはその後どうなんだ」

 父親は定期的に秀念とのことを聞いてくる。ずっと仲が悪いのを心配しているのだ。

「どうって、相変わらずよ、私のこと、インチキ拝み屋って言うし、しょっちゅう『こずえ』に来ては、お布施や贈り物の自慢ばっかりして」

「そうか、昔、秀念君のお父さんと、大きくなったらふたり、結婚するといいな、なんて話してたんだが」

 まつりが激怒した。真っ赤になって口角泡を飛ばした。

「ありえない!ぜーったい!あ、り、え、な、い!!」

 両親がやれやれと呆れた。

 久しぶりに両親のところでゆっくりと過ごしたまつりは、大鳥居の双子ともおしゃべりを楽しんで現世に戻った。


 現世に戻ったときは五日過ぎていた。朝だったが、寝ていなかったので、淳基にLINEで戻ってきたことと、河合さんへの連絡と頼んで、午前中寝て過ごした。

 淳基がLINEで河合さんのアポは今日の夕方と知らせてきたので、身支度をして、2階の事務所に向かった。いつもながらに、淳基の掃除は行き届いていて、清潔感溢れる社内になっている。淳基はすでにバイトに向かっていて、いなかった。隅のテーブルの上に茶器の用意ができていて、お湯を入れて注ぐだけになっていた。

 淳基の作ったお仕事の内容のシートに今回の経緯を書き込みしていると、インターフォンが鳴った。ドアを開けると河合さんが立っていた。

「いらっしゃいませ」

 河合さんはどことなくソワソワしていて落ち着きがなかったが、まつりが日本茶を出すと、一口飲んでほっと溜息をついた。

「お時間かかり申し訳ございませんでした。無事お届けさせていただきました」

 受領書を広げて見せる。河合さんは手に取って見ていたが、嬉しそうに頷いた。

「喜んでくれたんですね」

 ようやく落ち着いたようで、ブレザーの内ポケットから白い封筒を出してきて、テーブルの上に置いた。

「これはお礼です、気持ですので受け取ってください」

 まつりが料金以上のものはいだだけないと辞退した。ここに淳基がいたら、受け取れとボディサインを送ってくることだろうが、幸か不幸か淳基はいなかった。

「そうですか、きちんとした会社さんですね」

 感心してポケットに戻した。

「妻は、あの世ではどんな様子でしたか」

 ど天然のまつりでも、ここで正直には言わない程度に空気は読める。

「あの世では、何人かの方と共同生活されるのですが、お若い女性と一緒にお住まいで、和やかに暮らしておられるようでした」

 当たり障りのない内容だが、河合さんはちょっと寂しそうだった。

「寂しくないようでよかったです……」

 あの河合婦人の様子を思い出し、少し河合さんが気の毒になったが、モラハラだったようだし、自業自得かなと思った。

 河合さんは自分の窯元のパンフレットを置いていった。まつりは興味はないが、淳基に上げようと茶器を片付けながら、淳基のデスクに置くときにちらっとめくった。お茶碗の値段が七万と書いてある。大きな壺は八十万。河合婦人のいうように陶芸家としては優れているヒトなのだろうとパンフレットを閉じた。

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