第13話 田崎様のお荷物①
翌日、十時に出社すると、淳基がいきなり大きなため息をついた。
「帰ってきてたんなら、LINEくらいくださいよ、不履行になるかもって心配してたんですから!」
まつりは淳基に連絡するのをすっかり忘れていた。
「嶋田様の対応ですっかり忘れてたわ、悪かったわね」
素直に謝ると、淳基が気味悪とつぶやいて、朝のラテアートを造りに行った。今日はリスのアート、どんぐりを持った、かわいいアートである。すぐに写メを取ってインスタにアップ、一週間開いたので、仕事が忙しかったとコメント、すぐにお疲れ様とコメ返してくれる人がいてご満悦である。
淳基が留守の間にTOKUURIにメッセージがあり、ただいま込み合っているため、後ほどご連絡しますと返信していた。
「依頼よね?!」
順調だとまつりはますます機嫌を良くして、メッセージでご案内を送った。
午後、その返信が来ていた。
※カクリヨ宅配便様
こちらのサービスに興味があります。届けてほしいのは本ですが、可能でしょうか。行ける日にちが明日のお昼くらいしかありません。返信下さい。 田崎
※田崎様
当社サービスにご興味いただきましてありがとうございます。急なお話ですが、なんとかスケジュールを調整しまして、明日の12-13時にて、ご来店お待ちしております。なにとぞよろしくお願いいたします。なお、もしご変更等ございましたら、ご遠慮なくご連絡ください。
今度は淳基にもLINEを送り、情報の共有を図った。明日を楽しみにして、一週間ぶりに小料理屋「こずえ」のバイトに向かった。髪をアップにして、抹茶色の着物を着て、街を歩くと、その小粋な様子にちょっと注目の的になる。商店会のおじさんやおばさんたちは、気軽に声をかけてくれるし、買い物客たちもちらっと視線を向けてくる。だが、まつりは自分の容姿が見られていることに気付かない「お鈍」なところがあった。酒屋の前を通ったとき、店主がまつりを見止めた。
「まつりちゃん、後で行くからね」
「お待ちしてまーす!」
営業スマイルで明るく応えた。
ちょうどおかみが暖簾を掛けているところに着いた。
「おかみさん、遅くなってごめんなさい」
「あら、今日は大丈夫なの、お仕事は」
明日からまた仕事なので、来られなくなるかもと言うと、繁盛してきたわねと喜んでくれた。
中にはもうお客が来ているようで、お辞儀をして入っていくと、まつりの祖父達哉だった。
「おじいちゃん?!」
達哉は霊能力者だ。それもインチキや怪しげな霊能力者もどきではなく、高い霊能力を持っている。以前は拝み屋をしていて、おかみの霊障を祓ってやったことがあり、それからの付き合いだった。ちなみに霊障は当人の身体や住んでいる家、地域などの気の流れが悪く、心身に不調を来すことだ。達哉はそれを整えて、心身の不調を治してやるということをしていた。今は引退しているが、時々以前治してやった人たちが訪ねてくることもある。
「元気そうだな、たまには顔見せなさい、まったく寄り付かないんだからな」
手紙もポストに入れるだけで挨拶もないしと叱られた。カウンターの向こうに入って、まつりがごめんなさいと謝りながら、お手拭きを差し出した。
「宅配の仕事が忙しくなってきたの、けっこう大変だけど、やりがいあるの」
ほかのお客が来るまでと久しぶりに会う祖父との会話を楽しんだ。
「この間の手紙だが、以前祓いをしてやった人からで、北海道に来てほしいというんだ。どうも、祓いをしてほしい人がいるらしい」
連絡先が書いてあったので、電話して、もう引退したと話したが、どうしてもと頼まれたので、行くことにしたという。
「寒いわよ、北海道」
暖かくしていくよと笑った。かに料理でも食べてくるというので、いいなあとうらやましがった。
何人か、お客が入ってきたので、達哉が腰を上げた。格子戸の外まで見送りに来たまつりに尋ねた。
「裕也たちには……お父さんたちには会ってるのか」
「このところ会ってないの、仕事の合間にでも会いにいくつもり」
そうかと微笑んで帰っていった。滅多に顔を見せに来ない孫娘を心配して来てくれたのだろう。昔は大きく見えた背中が少し小さく見えたのは、自分が大きくなったからかなとまつりは思った。
店に入ろうとしたとき、背中から声が掛かった。
「常盤木さん、こんばんわ」
背筋がぞわっとした。坂上だった。
「こんばんわ、どうしたの」
「ここでバイトしてるって聞いて……この間のこと、冗談じゃないから、ぼく、本気だよ」
これは一発かまさないと駄目かなと首を振った。
「はっきり言うけど、わたし、坂上君のこと、なーんとも思ってないから。ただの同級生だから。諦めてね」
ぴしゃりと言って、店の中に入っていった。坂上は追ってくることもなく、諦めたのだろうとほっとした。
その夜は秀念も来なかったし、明日の面談も入ったしで気分よく眠ることができた。
朝のラテアートのインスタアップを済ませた後、淳基が新しく作り直したパンフレットのチェックをしていた。
「そういえば、『トリコロールフェスタ』のマスターがメニューを作り直したいって言ってたわ、価格改定するんだって」
『トリコロールフェスタ』は商店会の中にあるフランス料理店だ。リーズナブルでこじゃれたお店だが、材料費や人件費の高騰で現在の価格ではやっていけないようだ。デザインしてあげると気軽に引き受けてきたらしい。それはそれで引き受けるが、問題は自社の価格だった。
「うちも価格改定しましょうよ、安すぎますよ」
「あら、むしろ高いかなと思ってるのよ、だって、シロネコさんや矢川さんだと、800円とかでしょ?」
物流大手を引き合いに出してどうするんだと淳基が頭を抱えた。
「この間、嶋田様が言ってたじゃないですか、降霊術師に頼もうとしたら三十万だったって。せめて、2万とか3万にしましょうよ、ね、ね!」
一言、だめと却下されて、淳基がぶつぶつと文句を言いながら、一旦は引き下がったが、いつか、値上げしてやると決意した。
お昼12時少し前にピンポーンが鳴った。淳基がドアを開けると、そこに小柄で地味めのカーディガンとスラックスの女性が赤ん坊を抱っこして立っていた。
「いらっしゃいませ」
淳基が声をかけると、男の子らしい赤ん坊がぐずり出した。
「うわぁぁーああん」
女性が揺らしながら淳基を睨んできた。自分が悪いのかと淳基が引きつった笑顔で招き入れ、応接セットのソファーに案内した。赤ん坊はまだぐずっていたが、女性は向かい側のまつりに挨拶した。
「こんにちは、メッセした田崎です」
まつりがいつものように名刺を差し出した。
「カクリヨ宅配便の所長常盤木です。よろしくお願いいたします。どうぞお楽に」
田崎さんが緊張を解いたようで、抱っこしていた赤ん坊をソファーに寝かせた。
「ちょっと……いいですか?」
寝かせてから聞くのもなんだが、まつりがどうぞとにこやかに返事した。
「かわいいお子様ですね、何か月ですか」
まずは子どもを褒めて、好印象を与えよう。
「七か月です、這い這いしだしたので、ちょっと大変で」
子育て大変ですよね、お疲れ様ですと同調。ぐっと応対評価はアップしたはずだ。そこへ、淳基が紅茶を入れて持ってきて、田崎さんの前に置いた。田崎さんは眉を顰めて尋ねてきた。
「これ、カフェインレスですか」
淳基が思ってもいなかったことを聞かれて強張った。
「いえ……普通の紅茶ですが」
田崎さんがむっとしてソーサーを押し返した。
「わたし、この子を母乳で育ててるんです。カフェイン入っている飲み物は飲みません!」
決然と言い放った。まつりがあわてて日本茶はと言いかけると、淳基が必死に首を振っている。日本茶もダメかと気づいて、紅茶のソーサーを持ち上げて淳基に渡した。
「それでは、ミルクなどいかがでしょうか」
それならいいと田崎さんがようやく顰めた眉を解いた。
ミルクを温めて出すと、田崎さんは一口飲んで、あらと感心したような声を出した。
「五つ葉の牛乳?」
ちょっと高級な牛乳だ。まつりがココアを入れるのに使っているが、贅沢すぎて淳基は別の安売り牛乳を混ぜて出している。しかし、まつりは気づかない、所詮そんなものだ。だが、田崎さんの舌は肥えていた。薄めずによかったと淳基が胸を撫でおろした。
「はい、お分かりとはさすがですわ、美味しいですよね、わたくし、ココアが好きでこの牛乳でないと、飲めなくて」
「あら、同じだわ、この牛乳でないとねえ」
と牛乳で盛り上げっている。さっさと本題に入れと淳基がじれてきた頃、ようやくまつりがパンフレットを広げた。
「田崎様、本をお届けご希望とのことですが、可能でございます。あまり冊数が多いと難しいですが」
本は重い。十冊も二十冊もあるとキャリーカートが必要だろう。
「一冊なんです、これ」
マザーズバッグと思しきバッグから取り出した。表紙を見て、まつりも淳基も固まった。裸の男性ふたりが抱き合っている。いわゆるボーイズラブ、BLという類だ。『溺愛、盲愛、呪縛愛-オメガに溺れてアルファは吠える』まるっきり意味がわからないタイトルだとまつりも淳基も思った。
「わたしの友だち、腐女子仲間だったんですけど、由香里、おととし白血病で亡くなって……この作品、由香里が凄く好きな作品で、作者が描くのが遅くて……亡くなる前に、なかなか完結しないね、もしかしたら見る前に死んじゃうかもって泣いてたんです。そうしたら、先月、完結編が出て、由香里に見せたい、見せたいって思って」
お焚き上げとかイタコとかも考えたりして、ネットで検索していたら、こちらのサービスに行きあたって、あの世に運んでくれるというなら、頼んでみようかとメッセージしたのだという。
「かしこまりました。是非当社にて、由香里様へこちらのご本をお届けさせていただきますので、ご安心してお任せください」
まつりが目頭を押さえながら配達伝票を差し出した。
「こちらに、由香里様の没年月日とフルネームをご記入下さい。あ、あと、田崎様のご住所、お名前、お電話番号もお願いします」
田崎さんは、スマホで確認しながら記入していく。書きあがった伝票に料金と受付日を記入して一枚目のお客様控えを渡した。
「TOKUURIのシステムからご入金ください。確認でき次第配達いたします。なにしろ遠方のため、お届けから受領書お渡しまで1週間ほどお時間いただきますので、なにとぞよろしくお願いいたします」
田崎さんがその場で入金してくれた。値切られなかった。
「じゃあ、よろしくお願いしますね、届けたら連絡ください」
実は赤ん坊はずっと愚図っていたが、田崎さんはあやすこともなく、放置。でも、疲れたのか寝てしまったので、いつもこうなのかもしれない。
まつりは残された本の刺激的な表紙にうーんと唸っていた。まつりが恐る恐る中身を読み始めた。作品はコミックで、過激な絵とセリフ満載である。ところが、
「ええ?!まあ!そんな!」
赤くなったり、青ざめたりと信号機のように表情を換えながら、読み切ったようだった。淳基は触れたくもないなとカップを片付づけながらため息をついた。後日まつりの自宅の書棚に『溺愛、盲愛、呪縛愛-オメガに溺れてアルファは吠える』の全巻が納まっていたということは勿論誰も知らない。
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