第8話 まつり6歳の頃
窓から朝の日差しが差し込み、窓に掛かるカーテンがキラキラと輝いていた。まつりが保育園を卒業し、桜も咲き始めた春だった。今日は両親とドライブに行くことになっていたので、まつりは保育園に行っていた頃起きていた時間より早起きして、歯磨きして着替えて、出かける支度をした。すでに母親が朝食をダイニングテーブルに用意していて、席に着くと、まだパジャマのままの父親がやってきた。
「お父さん、おそーい、お寝坊だよ」
ふくれっ面してまつりが責めると、父親が少しうらめしそうな顔をして席に着いた。
「夕べも遅くまで仕事だったんだ、少しくらいの寝坊は許してくれよ」
母親が味噌汁を配りながら同意した。
「そうよ、まつりは八時には寝てたんだもの、そりゃ早起きできるわよ」
笑いながら言うと、まつりがペロっと舌を出してから、父親に謝った。
「ごめんね、お父さん、お仕事、お疲れさま」
年の割におませな娘の労いに、父親が優しい眼でまつりを見て、頷いた。
朝食を済ませて、支度をして、車庫にある車に乗り、シートベルトをして、出発した。
今日は、休日がないくらい仕事で忙しい父親が、家族でドライブに出かけようと計画して休みを取っての貴重なお出かけだ。まつりは何日も前から楽しみにしていて、夕べ八時にはベッドに入ったが、ワクワクしてすぐに眠れなかった。だから早起きはしたけれど、少し眠くもあった。
運転していた父親が後部座席のまつりに話しかけてきた。
「……秀念君とは喧嘩ばかりしていると聞いたけど、仲良くできないのかい」
父親は秀念の父親の住職とは小中と同級生、幼馴染だった。お互い忙しいのでメールでの近況報告しかできないでいたが、子ども同士が、仲が悪いことを気にしていた。
まつりがプイっとそっぽを向いた。窓の外はキラキラとしているキレイな海だった。
「うん、仲良くなんてできないよ。しゅうねん君がいけないんだよ、わたしのおさげを引っ張るし、この間は砂場で砂を掛けられたの」
父親がため息をついた。
「そうか、まつりは秀念君がいじわるを止めれば、仲良くできるのかな」
まつりが前の座席に身を乗り出すようにして首を振った。
「しゅうねん君がいじわるやめたら、仲良くしてもいいけど、たぶん、やめないよ」
危ないところを助けてやったのに、いじわるはますますひどくなったからだ。
「お父さんと秀念君のお父さんは仲良しなんだ。だから、ふたりの仲が悪いのが悲しんだ。今度秀念君のお父さんと話してみるよ」
ほどなく、車は海辺の駐車場に滑り込み、駐車して、三人は外に出た。
「あー、気持いいな」
父親が両腕を上げて伸びをした。
「うん、海のにおい、おさかな食べたくなる」
はしゃぐまつりの右手を取り、母親が左手を握って、三人で海への階段を下りて行った。
海辺の店で美味しい海鮮丼を食べて、散歩しながら、水族館を見て、楽しい一日を過ごした。
帰り道は混んでいたが、途中から空いたので快適に飛ばしていた。
「まつり?」
母親が後ろを見ると、はしゃぎ疲れたのか、まつりが眠っていた。
「寝ちゃったわ」
「すいぶんはしゃいでいたからな」
父親がふと、対向車のランプの光に目を細めた。次の瞬間。
まつりは身体中が痛くて気が付いた。車の中で寝てしまったと思っていたのに、白い天井のベッドの上で寝ていた。細い管が何本も腕に刺さっていて指に何か挟まっていた。ふと横を見ると、両親が振り向きながらも壁の方に向かって歩いていく。
「お父さん、お母さん!どこにいくの!?」
追いかけないといけないと思って、まつりは起き上がって、指に挟まっているものを取り、腕に刺さっているものを止めている絆創膏をはがして、針を引き抜いた。
「待って、お父さん、お母さん!」
壁の向こうに消えてく両親を追いかけた。壁が水面のように揺らめき、まつりはゆるりとその中に入っていった。
壁の中は長い長い暗闇のトンネルで、両親の姿はもう見えなかったが、ふたりを追いかけて走った。トンネルの奥に小さな光が見えてくる。そこが出口と思い、進んでいくと、やがて小さな光は大きくなって、ふっと広いところに出た。眼の前に神社にある鳥居、それもとても大きな鳥居があって、そこをたくさんの人たちが通っていく。その鳥居の柱に、背の高い痩せた男の人と女の人が腕組みして立っていた。絵本でうさぎさんがサメをだまして皮を剝がされて泣いているところにやってきた、優しい神様に似た服を着ている。女の人は白いスカートを着ていた。男の人が寄って来た。
「そこの、おまえ、生者じゃないか、早く戻れ」
そう言って肩に手を置いた。
「おかしいな、現世に戻らない」
手を離してしげしげと見ている。優しい人かもとまつりが尋ねた。
「わたし、お父さんとお母さんを追っかけてきたの。どこにいるか知らない?」
女の人もやってきて、男の人と話し出した。
「迷い子だと思うが、現世に戻らない。どういうことか」
「我らでは判断できない。若日子様に相談するか」
そう言って、女の人が鳥居の中に入って行った。男の人がまつりの手を引っ張って、鳥居の柱の横に連れて行った。
「ここで待ってろ、鳥居の中に入るなよ」
俺は乙彦と名乗った。
「わたし、まつり、この人たちは……」
みな元気がなく、ゆらゆらとしながら、鳥居の中に入っていく。
「このものたちは、死者、死んだ人たちだ、死ぬとヒトの魂魄は幽世にやってくる。あの鳥居の中が幽世だ」
……死んだ人……それじゃ、お父さん、お母さん、わたしも?
もしそうなら、きっと車で帰るときに事故にでもあったのかも。
だが、両親の姿は見失っている。心細くなり、泣きだした。
「お、おい、どうした、どこか苦しいのか」
乙彦が心配そうに大きな身体を曲げて、まつりを覗きこむようにした。
「お父さん、お母さん!」
両親を呼んで泣くまつりに乙彦が困ってしまって、ため息をついた。その間にも大勢の死者が鳥居を通っていく。その中で光が点滅するように薄くなったり濃くなったりするものがいて、乙彦はそのヒトに寄って行き、肩に手を置いた。
「おまえはまだここを通ってはならない」
すると、そのヒトは消えた。
さきほど鳥居の中に入って行った女の人が戻って来た。別の男の人を連れていた。
「若日子命様」
若日子命と呼ばれた人はまつりを見て、片膝を付いて、まつりの手を取った。まつりが驚いて手を引っ込めようとしたが、強く握られてできなかった。
「両親を追って来たのだな」
頷くと、若日子は立ち上がって、まつりを連れて、鳥居の中へ入ろうとした。乙彦が慌てた。
「その子は生者です、入ってしまったら!」
ワカヒコが薄く笑って、首を振った。
「この娘は稀ビトだ、現身で幽世に来た。そういう力がある」
若日子が言うならそうなのだろう。乙彦たちが頭を下げて、柱の傍に戻って行った。
「そなたは稀ビトだ。父上に会わせよう」
そう言うと小脇に抱え上げた。若日子の身体が光輝き、ふっと消えた。
若日子は、まつりを抱えたまま、大社に現れた。幽世の大鳥居よりは小さめだがそれでもかなり大きな鳥居から、静かな大社の中に入っていく。拝殿と呼ばれる入口近くの建物から続く廊下を通って、一番奥の本殿にまでやってきた。誰もいない、広い本殿を見回した。奥の壁の前には大きな椅子がひとつ置かれている。薄暗く、椅子の両脇に松明が灯っていて、ようやく形が見えるくらいだ。誰も座っていない。
「父上、こなた、稀ビトです!ご照覧ください!」
すると、椅子にぼおっと白い影が現れ、ヒトの姿になった。真っ白な長い髪を結わずに床まで垂らしていて、白い肌に赤い眼で、白く長い衣を着ている。不愉快そうに眉を顰めた。
「そのような大声を出さずとも聞こえている」
若日子がまつりを床に立たせて、示した。
「父上、こなた、現身で幽世にやって来た稀ビトです。もしや高照光比売ではありませんか」
父上と呼ばれた白いヒトが椅子から立ち上がって滑るようにまつりの傍までやって来た。そして、まつりの頭に大きくて冷たい手のひらを置いた。顰めていた眉を解いて、喜びの声を上げた。
「おお、確かに、高照光比売、ヒトの身に転生していたとは!」
まつりが、白いヒトを見上げた。白いヒトは両ひざを付いて、まつりを抱き締めた。
「覚えておらぬか、父ぞ、父の幽世大神ぞ」
まつりがきょとんとしていると、幽世大神が何度も頷いた。
「そうか、記憶がないのだな、でも間違いない、そなたは吾が子高照光比売だ、会いたかった」
そう言って、目頭を衣の袖で押さえて、まつりの頭を撫でた。
「わたしのお父さんは常盤木裕也っていうの、おじさんじゃない」
まつりが頭を振って、しくしく泣き出した。幽世大神は悲しげに微笑むと、立ち上がって、まつりから離れた。
「若日子、この子を両親に会わせてやれ、吾が父ということは、いずれわかるだろう」
そして、白い影となって消えた。
若日子がまつりをまた抱え上げて、大鳥居の近くにある建物の傍に瞬間移動した。建物に入ると、窓口に立っていた大勢が一斉に頭を下げた。
「若日子命様」
窓口は長い受付台にたくさんあって、先ほど大鳥居に入って来た死者たちが並んで待っていた。若日子は、そことは別の受付窓口に寄って行き、この子の両親はどこの邑に行ったか尋ねた。年寄りの受付が応対した。
「没年月日はお分かりですか」
若日子が昨日か今日だろうと、現世の年月日、名前は常盤木裕也とその妻と告げた。年寄りがお待ちをと頭を下げて、奥に向かっていった。
抱え上げられて、ぐったりとしているまつりを下ろした。
「そなた、名前は……」
「まつり、常盤木まつり」
若日子によい名だと褒められ、うれしくなって、笑い顔を見せた。
「お兄さんはワカヒコ?」
そうだと微笑んで、片膝を付いてまつりと目線を合わせた。まつりはワカヒコがとてもかっこいいお兄さんだと思い、仲良しになれたらうれしいなとおませなことを考えていた。
「若日子命様、わかりました」
年寄りが地図を出して、『さ-25』の邑と示した。
「希望したので、夫婦で同じ邑にいます」
夫婦で亡くなった場合、希望すれば同じ邑に住まいすることができる。先にどちらかが亡くなっていて、同じ邑に住まいたいと言えば、連れ合いの邑を探して、打診してくれるが、連れ合いが同意しないと成立しない。年代限らず、夫の方が望んでも妻が同居を望まない場合が多いという。
若日子がご苦労と労って、外に出た。また、まつりを小脇に抱えて、一瞬で『さ-25』の邑の鳥居の前に出た。邑の中に入り、鳥居に一番近いまとめ役の家に向かう。
まとめ役は突然の尊い方の来訪に驚き、両膝を付いて挨拶した。
「いらっしゃいませ、若日子命様」
楽にせよと言ってやり、立ち上がるのを待って、尋ねた。
「最近来た夫婦で、常盤木というものを探している」
まとめ役がそれなら存じていると案内してくれた。
邑の中をゆっくりと歩いていくと、大きな柏の木の傍の小さな小屋に着いた。まとめ役が戸を叩いた。
「常盤木さん、ちょっと出て来てくれ」
中から返事がして、ガラッと引き戸が開いた。淡い黄色の上着を着た女性が出てきた。若日子の腕に抱えられていたまつりが両手を伸ばした。
「お母さん!」
女性がまつりを見て驚き、伸ばしてきた手を掴んだ。
「まつり!あなたもまさか、亡くなっていたの!?」
若日子がまつりを下ろし、母親の後ろからやって来た男性に話しかけた。
「まつりの父、常盤木裕也だな」
頷いて、まつりに気付き、母親と一緒にまつりを抱き締めた。
「まつり!おまえも、ここに来ていたのか」
死者の国での再会は喜ばしいものではない。だが、こうして再び会えたことはうれしくもあった。
「この子はまだ死者ではない、現身で幽世にやって来た」
若日子に言われて、両親は訳がわからず、驚いて、まつりを放して、見つめた。
「死んでは……いないと?」
父親が尋ねると若日子が頷いた。
「信じがたいかもしれないが、この娘は、吾が父、幽世大神の娘の高照光比売が転生した子どもなのだ。だから、現身のままで幽世にやってこられた」
神の身だと言った。両親が戸惑っていたが、まつりがふたりに抱き付いた。
「まつり、お父さんとお母さんと一緒にいる!ずっとずっと一緒だよ!」
父親がまつりの手を取った。
「まつり、おまえはまだ生きている。お父さんもお母さんも死んで、この世界にいるが、おまえはもとの世界に戻って、生きて、大きくなってくれ」
母親もそっと手を取って、寂しげな笑みを浮かべた。
「お父さんもお母さんもここであなたのこと、見守っているから。生きて」
だが、まつりが大声で泣き出した。
「やだー、やだよー、お父さんとお母さんと一緒にいる!」
痛ましげに見ていた若日子が、まつりの頭を撫でた。まつりが振り向くと、若日子が片膝ついて、また目を合わせた。
「両親と別れて住むのは寂しいだろうが、でも今は現世……もとの世界で生きて大きくなれ。会いたくなればいつでもここにくればいい」
まつりが泣くのをやめて、両親の方を向いた。
「お父さん、お母さん、まつり、また、会いに来ていい?」
両親が何度も頷いて、まつりを抱き締めた。
若日子に連れられて、大鳥居に戻って来たまつりに若日子が諭した。
「そなたはまだ幼い、両親が恋しいだろうが、あまりたくさんここに来るのではなく、早く大きくなって、両親を安心させてやれ。そのほうが両親も喜ぶ」
あまりよくわかってはいなかったが、優しくてかっこいいお兄さんの言うことに、まつりはコクコクと首を縦に振った。
大鳥居の門番のふたりが寄って来た。ふたりにまつりが、稀ビトで高照光比売が転生した子どもだと打ち明け、やって来たら面倒みてやってくれと頼んだ。ふたりが謹んで承り、まつりの両手をふたりで握って、持ち上げた。
「きゃー、高い!」
まつりが喜んで、笑い声を上げた。降ろされたまつりに若日子が手のひらを翳すようにやってみせた。
「こう?」
まつりが真似をして、手のひらを翳す。
「少し難しいが、覚えろ、祓え給い清め給いて、ここに道開かん」
まつりが何度も聞きなおしながら、懸命に覚えた。
「祓い、たまいきよめたまいて……」
ここに道開かんと言った途端、空間が揺らめき水面のようになって、手がゆるりと入っていく。
「そのまま、闇の道を進め。やがて現世に出られるだろう」
来るときも同じようにすればいいと教えてくれた。まつりが振り向いて、若日子に手を振った。
「お兄さん、さよなら」
優しく微笑む若日子に背を向けて、中に入り、長い闇の道を小さな光目指して歩いていった。
やがて、小さな光は大きくなって、ヒトが通れるくらいになった。そこから闇の道を出ると、最初に寝ていたベッドの部屋だった。
スライド式のドアが開いて、入って来たのは、まつりの祖父だった。
「まつり、おまえ、今までどこに行ってたんだ」
行方不明になったと大騒ぎになっていると言われた。まつりが両親を追って、闇の道を通って、死んだヒトに行く世界に行って、両親に会ったと話した。
「まつりはその世界に生きたまま行けるんだって」
最初青ざめていたが、やがて、まつりをベッドの上に座らせて、言い聞かせた。
「おじいちゃんはその話信じるけど、よそのヒトは信じないだろうから、どこに行ってたか聞かれたら、おじいちゃんの家に行ってたっていうんだよ」
まつりが頷いた。ベッドに寝かせていると、看護師がやって来た。
「あらまあ、どこに行ってたの!三日間もいなくなって」
祖父が深々と頭を下げた。
「申し訳ない、わたしが、自宅に連れて帰ってました。勝手に連れて行ったこと、咎められると思って言い出せなくて」
それから、祖父は警察や病院関係の人たちに詰問されたが、病室の方位が悪かったので良い方位の自宅に連れて帰ったと説明した。当然納得の行く説明ではなかったが、祖父の職業が拝み屋でまじないとかお祓いとかを信じている変人だということと、両親を亡くして、ただひとりの身内であったので心配が高じての行動だったのだろうと思われて、厳重注意で済んだ。
まつりはまったく怪我もなかったが、用心のために数日間入院してから、退院し、祖父の家で療養していた。小学校の入学式には間に合わなかったが、遅れて小学校に通うようになった。周りは両親の死のショックもあるだろうと見守ってくれた。特に小料理屋「こずえ」のおかみは、何くれとなく面倒を見てくれて、祖父が男手で、なにかと行き届かないところを補ってくれた。
まつりは両親にはいつでも会いに行けるので、悲しいとかはなく、祖父も厳しくなかったので、伸び伸びと育った。少し空気の読めない天然なところはあったが、元気で陽気な性格で、秀念以外の友だちとは仲良く過ごしていった。
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