第3話 金森様のお荷物②

 結局4000円まで値切られてしまった。大赤字……いや、5500円でも赤字なのだが、淳基がいくら言っても、値上げしてくれないのだ。きっと、お寺さんに対抗して、良心的料金にしているつもりなのだろう。それにしても安すぎる。万が一依頼が殺到しても全く採算が合わないだろう。レビューを書いてもらいたかったので、ネット決済になったのだが、振り込み手数料負担もこちらにされた。金森さんは徹底的にケチだった。

「さて、ちゃんとした仕事よ、頑張らなくちゃ」

 まつりが丸とも大吟醸特選醤油を箱に入れた。ちゃんとエアーパッキンで包んで、あんこを回りに詰めて、動かないようにした。すでにその箱、エアーパッキン、あんこだけでも300円近くかかっている。エネルギー補給と称するチョコレート菓子を500円分食べる。お客様に出した紅茶が200円、湯を沸かすにしても電気代がかかっている。それに、振込手数料……淳基が計算している途中でむなしさを覚えて、止めた。

「あ、所長、僕、バイトです」

 もうそんな時間だった。テーブルの上には金森さんが書いた伝票が置かれている。まつりがきちんと梱包した箱に伝票を張り付けた。一枚目はお客様控えとして金森さんに渡している。

「いってらっしゃい、わたしもバイトに行くし」

 いつ幽世に行くのか尋ねると、夜中に行ってくるという。

「気をつけてくださいね、この間みたいに一週間も帰ってこないとか、やめてくださいよ」

 まつりが顔を赤くして言い訳した。

「あれはね、ちょっと帰り道迷っただけなんだから、今度は翌日には戻ってこないと、不履行になっちゃうから」

 大丈夫と胸を叩いている。ちょっと迷って一週間……幽世と現世では時間の流れが違うと淳基は見ている。一日で帰ってこられるのか、心配だったが、バイトに遅れそうなので、事務所を出た。

 まつりも小料理屋「こずえ」にバイトに行き、ちゃんとした初めての仕事が来たとおかみと手を取り合って喜んだ。前祝とお猪口で日本酒を一杯だけ乾杯した。おかみはまつりが小学生のとき、亡くなった両親と会って来たと聞いて驚いたが、まつりの祖父に霊障を払ってもらったことがあり、霊能力を信じている。

 バイトを終えたまつりが、事務所ビルの4階にある、自宅に帰ってきた。玄関で草履を脱ぎ、靴箱に入れて、着物を脱いだ。

「禊しないと」

 バスルームに行き、風呂桶に水を入れた。少し躊躇ったのち、勢い付けて頭からかぶった。

「つ、つめたーい!」

 当然であるが、神事に関わるときには禊は必要だ。幽世の偉い女神様からも言われている。冷水を何杯か浴び、出てから、寝室の隣の小さな納戸に入った。制服にしているスエットスーツにジャンパー、胸には「カクリヨ宅配便」のロゴマークが入っている。デザインは淳基がした。ストレートのキレイな栗色の髪をひとつに束ねて、同じくロゴマークの入った帽子を被り、スニーカーを履く。左脇にはお醬油の瓶の入った荷物、右の手のひらを奥の壁に翳した。

「祓え給い清め給いて、ここに道開かん」

 壁が水面のようにゆらゆらと揺れ出し、まつりが一歩踏み出すと、ゆるりと吸い込まれていった。

 中は暗い闇の道だが、彼方に光が見える。そこに向かって歩き出した。足元はまったく見えないが、しっかりとしていて、何度も通っているので怖くもなく、窪みや石などもないので、危うくもない。ただ、少しひやりとして寒かった。

 やがて、奥の光の中に入った。眼の前に大きな鳥居がある。幽世の入り口、大鳥居である。ここから死者が幽世に入っていくのだ。まつりの後ろから大勢の人たちが歩いてきて、入っていく。

 鳥居の両脇に背の高い男性と女性が立っていて、腕組みして、入っていく人たちを睨むように見ていた。まつりに気付いた男性が寄って来た。

「よう、まつり、その恰好だと仕事、来たんだな」

 男性が、その細長い身体で神経質そうな容貌とは裏腹に明るく気さくに話しかけてきた。門番の乙彦である。

「そうなの、ちゃんとした仕事よ」

 ふたりが話していると、反対側にいた女性がやってきた。同じく門番で乙彦の双子の姉の甲比売である。ふたりとはとても仲が良かった。

「まつり、早くしないと、窓口閉まるぞ」

 甲比売が空を見上げた。人別庁という死者の受付をする役所があり、受付の窓口はずっと開いているのだが、問い合わせなどの窓口は夕方には閉まってしまう。

「たいへん!急がなくちゃ!」

 また後でねとふたりに手をふり、混雑する鳥居の中に走って行った。鳥居の外から入って来た人たちは白い袴をはいた人別庁の係官たちに列を作らされている。列の先に平屋の大きな建物があり、そこが人別庁というところだった。何十もの列が建物の中に入っていた。まつりは列には並ばず、建物の中に入り、列の人々を受け付けている窓口とは別の、問い合わせの窓口に向かった。

「すみませーん!」

 声をかけると、奥の机に座っていた女性がやってきた。神社の巫女さんの恰好をしている。

まつりの姿を見とがめた。

「比売命(ひめみこ)様、その恰好……」

 まつりがうれしそうに小脇に抱えた箱を見せた。

「お仕事なの、この方の居場所を知りたいんだけど」

 死者は無限に広がる幽世に散らばっている。人別庁ではひとりひとりの住まう処を記帳して管理しているのだが、現世のパソコンのような検索機能はない。一冊づつ紙に書かれてこれまた無限にある戸棚に保管されているのだ。係の女性はまた面倒なことを頼んでくると内心思ったが、まつりのことを無碍にはできない訳があった。

「どなたでしょうか」

 まつりが伝票の没年月日と名前を示した。

「最近いらした方ですね」

 ならば、最近の人別帳を調べればいいので、係の女性がほっとして調べに行った。

 しばらくして、係の女性が帰ってきて、地図を広げた。

「『さ-256』の邑にいます」

 『さ-256』の邑まではけっこう距離がある。まつりは礼を言って、外に出た。眼を閉じて、地図の『さ-256』の邑を思い浮かべた。すると、まつりの身体がきらっと輝いて、消え、次には『さ-256』の邑の鳥居前に現れていた。幽世の中なら、瞬間移動できるのだ。現世でもできないかなと欲張っている。

 受取人は『さ-256』の邑のどこかにいる。だが、それ以上の情報がないので、一軒一軒訪ね歩かないと探せない。もう少し効率よく探せるようにならないと、仕事が沢山依頼されてきたら困る。いい方法はないかと考えながら、一軒一軒訪ねた。住まいとなっている家はだいたい同じ造りで山小屋のような形で茅葺屋根だった。入口は引き戸になっていて、呼び鈴などないので、戸を叩いて、中から出て来てもらうということを繰り返してた。

「工藤ひさえ様いらっしゃいませんか」

 だが、どこの家にもいない。とうとう日が暮れ、真っ暗になってしまった。幽世には星空がないので家々から漏れる灯りくらいしか光がない。だが、まつりは暗闇でも心眼で目が効く。なので、不便はなかった。

邑はずれの家を訪ねたところ、最近来たおばさんだなと小学生くらいの男の子が案内してくれた。ちなみに男の子は着物姿だ。髪の毛を頭頂でまとめている。明治時代か、その前の時代の子かもしれない。

 戸を叩くと、六十くらいの女性が出てきた。こちらはひざ下のスカートに割烹着を着ている。

「工藤ひさえ様でしょうか」

 ええと答えながら、まつりを見回した。

「なんでしょ」

 まつりが、箱を差し出した。

「わたくし、カクリヨ宅配便の常盤木と申します、現世の娘様からのお荷物をお届けに上がりました!」

 元気よく愛想よく!カクリヨ宅配便のモットーである。

 ひさえさんはよくわからないようで首を傾げている。

「娘って麻美ですか」

 差出人は金森麻美と書いてある。まつりは頷き、箱を渡そうした。だが、ひさえは首を振った。

「いりませんよ、あの子からの荷物なんて、だいたい何を贈ってきたんですか」

 ひさえのテンションの低さに嫌な予感がしたが、まつりが、箱を玄関先に置き、蓋を丁寧に開けて、中から出した。

「丸ともの吟醸特選醤油です!」

 ひさえさんは眉を顰めた。

「何を今さら……だいたい、ここでは使えないし。あの子に返してください」

 確かに幽世では、現世の食べ物は食べられない。食材は幽世で作っている野菜だけなので、野菜汁や草おかゆが主食である。それも別に空腹になるので食べるというより、生きていた頃の習慣のようなものだ。

 受取拒否?!絶対喜ぶと思ったのに。しかし、このまま持ち帰れば、料金は返金、TOKUURIのレビューにインチキと書かれるに違いない。まつりがあわてた。

「お待ちください、娘様がお醤油を贈ればよかった、との、お心残りから、こうしてわたくし共のサービスを探してご依頼くださったんですよ、たとえここで使えなくても、娘様のお気持ちと思ってお受け取りいただけませんでしょうか」

 ひさえさんが少し悩んだようで眉を顰めてお醤油を見つめた。もう一押しか。

「娘様、ご来訪のとき、泣いておられましたよ。お電話で諍ったのが最後になってしまって、悔やんでいると」

 ひさえさんの目が赤くなった。

「あの子……そんなことを」

 そっと手を伸ばし、お醬油を受け取った。

「麻美……お母さんこそ、後悔したのよ、サラダ油だって、使うものなんだし、せっかく贈ってくれたのに文句を言って悪かったなって」

 まつりは安堵した。後は受領のサインをもらって完了だ。

「では、こちらに受領のサインをお願いします」

 箱に添付した伝票の三枚目を引き抜き、小さな下敷きの上に載せて、胸ポケットから出したボールペンを差し出した。ひさえさんはお醤油を箱の中に戻して、受領印という四角い枠に『工藤』

と書き、脇にありがとうと添えた。

「ありがとうございます!こちらは娘様に必ずお渡ししますのでご安心ください」

 まつりが書いてもらった受領書を丁寧に畳んで胸のポケットに小さな下敷きと一緒に入れた。

 ひさえさんは箱を片付けて出て行こうとするまつりに尋ねた。

「……あの子、元気?」

 まつりは振り返り、微笑んだ。

「はい!とてもお元気で……長生きしそうです」

 余計な一言だったかなと思いながらも、あの図々しさなら長生きしそうだったと思ったので正直に言ってしまった。ひさえさんは皮肉とは気づかず、少し泣き顔でお辞儀した。

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