7月28日
飲み会の後、特になにもすることなく夏休みに突入した。それにだ、もう夏休みに入って三日目なのに何も起こっていない。
日がなアルバイトに身をやつす日々だ。
おかしい。こんな事態予測出来なかった。
高校の友人もさしていないし、大学も勿論友好関係の広がりを見せないこの僕がそんな考えを持つことは愚かかもしれない。
まあいいさ、ここから心機一転。今日は例のデートの日なんだ。夏休み中に山本さんとぐうっと仲を深めてお付き合いにまで持っていってやる。
そう考えるとむさ苦しい男からの誘いがないのは返って好都合だな。
集合は午後の四時。今は丁度正午を回った所だ。トーホーシネマズまで三十分ってところだから、よし、行くか。
***
午後一時からこっち二時間をカフェで過ごした後、僕は映画館へ向かった。
辺りは勿論のこと人で賑わっている。東京だからな。
山本さんが来たのは僕が映画館に来てから四十五分後だった。
改めて見て感動した。彼女は飲み会にいた時よりも数段可愛く見えた。相変わらず黒を基調としたファッションで、それだけじゃない、立ち振る舞いだって完璧な上品さだった。
衝撃だった。僕はこんな子とデートするんだ。碌な死に方しねえぞ。
「おお、多場くん、はやいね」
「丁度暇だったから」
「暇だったの?多場くん結構友達いそうだけどなー」
いえいえ、そんな事は。決して。
僕はそれとない返事をし、彼女も俺への返答を決めかねているようだ。
三秒後の今となっては分からない。どうして俺はそんな適当な返事をしてしまったんだ。会話でご機嫌取りするの、得意なはずだったんだけどなあ。
沈黙が生まれた。周りはこんなに騒がしいのに、僕と彼女との間だけ音が消えてしまったみたいだ。苦しい、人との沈黙ってこんなに苦しかったっけ。
「それじゃあ、行きましょっか」
「ああはい」
情けなくも僕は彼女に引っ張られ、エスカレーターを登って行った。エスカレーターを登る行為をするにあたって一つ。僕が前に行けば良かった。彼女の後ろ姿も捨てがたいけれど、やっぱり顔が見たいなあ。
数分間でも彼女の顔を見れないなんて、もったいない。もったいないよ。
どうしよう。失敗した。長いんだよな、エスカレーターに乗ってる時間。
「多場くんは映画とかよくみるの?」
そう言って山本さんは僕の方に振り向いてくれた。振り向くしぐさも完璧だ。おれあなんて幸せなんだ。
「お、僕はまあ、結構見ますね」
「ふうん。沢山見るんだ」
「山本さんも見るんでしょ。どんなジャンルが好きなの?」
山本さんは乗り気なようだ。嬉しい。
「私はねー、案外涙もろいんだ。だから無難に感動する映画が好きだな」
「ショーシャンクとか?」
「定番だねー」
「ファイトクラブとかは?」
「ファイトクラブ!いいね。私ラストシーンがすごい好きだな。」
すごい。別に俺が肯定されているわけでもないのに、すごく幸せだ。良く分かんないけれどふわふわして気持ちいい。
ファイトクラブのラストシーンってどんなものだったかなあ。
「ビルの最上階でね、愛の告白をするの。そこから見える景色が凄く綺麗だった」
そうだ。かしかにそんな感じの最後だった気がする。でもどんな景色だったかな。ビルの最上階から望んだものは。
「固定観念とか、その人の持ってる哲学とか全部ぶっ壊すような景色だったの」
「そっか」
思い出せない。
そのうちエスカレーターを登り切り、映画館の階に着いた。
***
映画の内容はちょっと暗い内容だった。認知症の母を介護する息子の話だった。認知症なんてそもそも僕の身近ではないし、こんなに綺麗な話なのかとも思った。正直な話、良くわからなかった。
隣を見ると、山本さんが真剣に映画を見ていた。目はスクリーンの一点を見つめて、その横顔には喜怒哀楽全ての表情が読み取れるような気がした。
あーあ、映画なんかより山本さんの横顔を眺めていた方がいーや。
不味いな、眠くなってきた。
***
意識ははっきりしていた。何もない空間には中年のサラリーマン風の男が立っていた。
誰だ?
「おはよう。多場くん」
確かお前は、メイル。
またここかよ。ただの不思議な夢だと思っていたのに。二回目ともなれば少し考え物だな。何かの啓示か?
「いやいや、これはただの夢さ。でもね、君とチャンネルを合わせるチューニングは中々難しいんだよ」
やっぱり啓示なのか?そもそもお前はなんで僕なんかに会おうとするんだ。
「ううん、それは言えないんだよ。言えるほどまだ君と私との窓口は広くない」
まあいいや。早く俺を起こしてくれないか。今は映画を見ているんだ。しかもデートで。お前には悪いけれど、中年のおっさんより女の子と話していた方が俺にとっては幸せなんだよ。
「デートできたんだね。それはおめでとう。でもね、君を起こしてはやれない。
なんでかって、少しだけこの窓口は不便でね。僕から君へ、能動的な行動は出来ないんだ。」
はあ。良く分からない。
「分からなくてもいいよ。とにかく、僕が何かするには君か他の誰かからの働きかけがなければならない。
ルールみたいなものさ。受け入れてくれ」
別に?どうでもいい。お前に相談することなんかない。まともな答えが返ってくるとも思えない。
「まったく、酷い言われ様だね。でも、私と話すのはこの空間だけだから、だからこそ話せる事もあるんじゃないのかな」
ったく、早く目が覚めねえかな。幸せだったのに。
「もうすぐ目が覚めそうだね。君が寝ていた時間は大体三分くらいだ。
とにかく、今後もまた会う事だろう。バイバイ」
***
僕は自然と目が覚めたけれど、山本さんには上映中寝ていた事がばれてしまっていたらしい。恥ずかしい。
今はエンドロール中だけれど、この後どうするんだ僕は。
「つまらなかった?」
いやいやいや、そんなことありませんよ?
「面白かったー」
俺も!俺も面白かった!
「なんかー普通だったね」
そうですね。特に語ることもないというか。
駄目だ駄目だ。これじゃあ会話が途切れてしまう。なるべく当たり障りなく、笑いながら会話のキャッチボールをしたいな。
ところで彼女はこの映画を面白いと思ったのだろうか。僕は面白くも、つまらなくもなかった。彼女の感想でどっちか決めるとしよう。
最後まで、結局僕の会話シュミレーションは中途半端にはかどらなかった。
やがて映画が終わり、僕たちは映画館を出、カフェで休憩しながら映画について話す事にした。
「つまらなかったね」
そうきたか。一応僕とはまだ二回しか会ってないのに。随分はっきり言うんだな。
まあ僕も少し寝ちゃったしな。
ただ、そんな考えとは裏腹に、口から出た言葉は事を穏便に済ませたいと願った便宜の言葉だった。
「そうかね?」
「うん。私はね、なんだかいらないシーンが多すぎるよ。それに、そのいらないシーンが他のシーンにも悪影響を及ぼしてるね」
「会社のシーンのこと?」
「そ。私はこの映画のテーマも好きだし、実際殆どの部分は満足する出来だったんだけれど、会社のシーンが映画全体をチープに仕立て上げてるの」
どうしてそんな不平不満を言うのか僕は彼女に問いただしたくなった。少しだけ。
だってデートってこんなんじゃないだろ。映画を見て、見終わった後楽しかったね、って笑い合って流れで今後の事を惚けあって話し合ったりするんじゃないのか。
「多場くん、間違えないで欲しいのだけれど、満足出来るっていうのはある一面に置いてだけよ。」
「はい」
「映像。映像はよかった長回しから出るリアリティをうまくテーマに落とし込んでた。でもね、肝心の物語があまりに抽象的すぎて私の心は微塵も揺さぶられなかったわ」
「なるほど」
なんとかしてこれを止めないと。
もしかして彼女にデートしに来たって自覚は無いんじゃないのか?浮かれていたのは僕だけ?
「ねえ、多場くんはどうだった?」
「ああ、僕は面白いと思いましたよ」
「うん、どんな風に?」
「綺麗でしたよ。とっても。画だけじゃない、音の使い方も良かったし、話も具体性がない分リアリティがなかったけれど、でもそれが話そのものを淡く仕立て上げてて、美しいなあって」
「ふうん、随分肩入れするんだね。作者は多分そこまで考えていないと思うよ」
山本さんは目を細めて僕に返した。
違う。違うんだ山本さん。僕はこんなにしっかり批評会を開くなんて思わなかったんだ。
彼女のその表情がやきもちなのか、はたまたいたずら心なのか僕にはわからなかった。
「やめましょうよ、こ、今回はデートなんですから」
「デートなの?」
デート。僕はデートだと思って来てたんだけどなあ。
「ねえ、じゃあデートではどんな事するの?」
彼女は椅子に座り直してから、そんなことを聞いてきた。
ま、まるで僕をからかって弄ぶ淫魔のような質問をしてきた彼女に対して、僕は咄嗟に何もいう事が出来なかった。
彼女の神聖だったイメージがガラガラと崩れていく想像をした。
「互いの事を知り合うとか?」
「ふうん。じゃあさ、私の好きなもの当ててみてよ」
山本さんの好きなものか、なんだろう。全く想像出来ない。そもそも食べ物なのか?趣味のことなのか?抽象的すぎはしないだろうか。
もしかして僕か?
「それって食べ物?」
「食べ物にしよっか」
「苺とか」
「違うね」
「ケーキ」
「違うかな」
「クロワッサン」
「離れたね」
「パフェ」
「そう。正解」
成程な。山本さんってパフェが好きなんだ。
結構大人びているけれど意外と女子って感じのものが好きなんだなあ。
「ねえ、奢ってよ」
彼女はレストランのお品書きが書かれた紙を指差した。
しばらくの時間俺と彼女の空間が静かになった。
「いいですよ」
「冗談のつもりだったのに」
嘘だ。絶対嘘だ。
「これくらい大したことないです」
これで僕の財布は空になった。だが後悔はない。
「多場くん。ありがとうのキスをしてあげよっか」
「え?」
僕が固まっている間に彼女はテーブルから身を乗り出す。
身をのり出すと腹の辺りの彼女の服がテーブルに擦れ、少しだけ体の形がわかる
そのまま僕に彼女の綺麗な顔が近づいてくる。ゆっくり、ゆっくりと。
時間の流れは一定なはずなのに永遠に彼女の顔を見ている気がする。
なんて幸せな時間なんだ。
やがて唇が僕の頬に触れる。頬に密着して感触が広がる。俺は何も考える事もなく、じっとその瞬間を吟味していた。
俺は体こそ動かなかったものの、目で彼女がキスする瞬間をしっかりと捉えていた。そうだ。丁度アナログなカメラみたいに僕の目にその画が焼き付けられたんだ。
嘘だろ。
いいのか僕が。こんな美女と。
「ありがとね」
それから僕と山本さんとの間には少しだけ沈黙があった。でも決して息苦しくはない。
こんなに幸せな沈黙は他にない。
少しの時間、彼女の薄く微笑んだ顔を眺めていた。
「山本さん!ま、また次も会いましょうよ。夏休みも長いので」
「いいよ」
なんて言ったんだ。この傲岸不遜な考えを彼女は容認してくれたというのか。こんな事があって良いのか。
「じゃあ今度は何処に行くの」
何処にいくか。一体何処に行けば良いのだろう。
「じゃあ今度は散歩しましょう。私、東京まだ隅々まで見てないんだ。いろんなとこ歩いて、いろんなもの食べたいな」
「はい!」
「あとさ、私の事名前で呼んでいいよ。ひねくれ男さん」
山本ちひろ。それが彼女の名前だった。
そんな訳で次は彼女と東京観光をする事になった。
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