5
山を中腹まで登ったところに、広い駐車場があった。
適当なところに車を停め、ミレを抱いて外に出る。
平日の日中だからか、他の車は多くない。見渡す限りでは、お客も数える程度だ。
「なんつーか、罪悪感を覚えるくらいには贅沢だな」
全身に受ける秋晴れも、耳に届く小鳥のさえずりも、感じるもの一つ一つが気持ち良い。視界だって、まだ目当ての花こそ無いものの、広がる草木の緑色が優しく感じられる。
ミレも辺りをきょろきょろ見渡したのち、高く伸びのある鳴き声を零した。
「ニャアーゥ」
「おお。ここ数日で一番猫っぽかったぞ、いまの」
喜んでくれているなら、連れてきた甲斐もあるってもんだ。
「ま、俺が本当に見たいのはまだ先なんだが……っと」
ミレを抱えたまま、近くの案内看板に近付く。幾つか散策ルートが分かれていて、ゴールで待つ「目玉」もそれぞれ異なるようだった。
もちろん、目当ての花が一番綺麗に見えるルートもあったが、
「折角だし、先にそれ以外のとこから歩いてみるか?」
「ナァー」
そう決めた俺たちは、そこから三つのコースを歩くことにしたのだった。
一つ目は、いきなり山の頂上へと向かう急峻な道。同じ公園ながらたっぷり十分以上かけて登り、ようやくたどり着いた先では巨大な観音像に出迎えられた。
「でっか……。一応、こういうのって拝んどいた方が良いのか?」
「ンナァー?」
よく分からないから、とりあえずミレの腕を動かして代わりに拝んでもらった。
二つ目は、先の観音像に至る少し前で分岐していた山道。今度は下り坂を進む形になり、終着点にはこれまた大きな一本木と、それを解説する古い
「あ、おい、その木には登らない方が――って、登れないのかよ」
「ゥナーァ……」
「こら。腹いせに爪でカリカリすな」
バチが当たりそうだったので、すぐにミレを木から引っぺがした。
そしてそのまま下りルートを行き、最初の駐車場に戻ってから、三つ目の道。
よく舗装された、しかし
ミレも、なまじさっき下ろしてやったことで、より自分の足で歩きたくなったらしい。抱いたままでは嫌そうにしていたので、自由に歩かせてやることにした。
幸い、放したからといって、ミレが先走るようなこともなかった。むしろ、片時も離れようとはしないほど、俺の足元にべったりとくっつき続けていた。
止まって写真を撮ると、彼女もぴたりと足を止めたし。
早歩きになってみると、彼女も負けじと追いついてきた。
「か、可愛い……。ご主人様を守ってるみたい」
「あらぁ。随分懐いてる飼い猫ちゃんねぇ」
「ねこ! おじさんと! なかよし!」
時たますれ違う人たちからも、そんなことを言われる始末で。
「おじさんって。そもそも、ホントのご主人と飼い猫同士じゃないけどな、俺たち」
「ンナァー」
ただ、まあ――そう見られていること自体は、悪い気もしないが。
などと満更でもない気分になっていると、いつの間にか曲道も終点が見えてきた。
「――――ミレ、ちょっと走るぞ」
そう呟きながら、しかし足元からの返事を待たずに俺は駆けだす。
ぐるりと円を描いて折り返せるようになった、この道の果て。その、辺り一面に、
見たかった
「……すげえな、これ」
普段は自然なんざ
花、と聞いただけではまず思い浮かべない、ある意味異形の花びら。そんな花弁も茎も、軽く触れただけで手折られそうなほどに細く、儚く。それでいて……否、だからこそ、百も二百も集まっているそのさまは、ぞっとするほどに美しかった。
なるほど、彼岸の花と名がつくだけのことはある。
まともな生者なら、こんな花が待つ向こうに往きたいとは、思わないだろう。
ただ、幸いというべきか、俺たちと彼岸花たちの間は、杭とロープで隔たれていた。
そういえばコイツら、毒も持っているんだったか……。隔離されていることに色々な意味で安堵し、俺はスマホを取り出す。カメラアプリを立ち上げて、群生する花たちを引きで数枚。それと、すぐ近くに咲いた一本に寄ったものを、また数枚。
「知ったつもりになってたこの県で、こんな景色をまだ知らなかったなんてな」
それも、この時期のこの時間だからこそ、見ることができた世界だ。
木々の合間から零れるオレンジの夕陽が、彼岸花の赤をより鮮やかに染め直している。秋風は僅かに冷たく、でもそれがまた、この切なげな光景とはマッチしているようにも感じられた。どころか、俺の心情とも――。
「なんて、こういうことを考えてるから、
だがこんな俺でさえも、人間というのは、自然を前にすれば感傷にも浸ってしまう。
ならば、動物は。
猫は、この景色を見て何を想うのだろう。
ふとそう思い、俺は付いてきているはずのミレを呼ぼうと足元に顔を向けた。
向けてようやく、ミレがいなくなっていることに、俺は気付いてしまった。
「ミレ……ミレ!?」
急に、血の気が引くような感覚。思わず語気を強め、彼女の名を叫んでしまう。
柄にもなく花なんかに目を奪われたばっかりに、最も目を離してはいけないヤツのことを失念していたなんて。どこにいる。来た道を戻った? 脇の木々に入った? あるいはまさかこの先の、崖の下に、
「――――あ」
否。
焦りながら辺りを見回し、すわ当てもなく走り出そうとしたところで、俺は見つけた。
「ナァー」
咲き乱れる彼岸花の中からひょっこり顔を出した、ミレの姿を。
「…………なぁ。俺も悪かったけどよ、あんまりハラハラさせないでくれ」
全身に再び、血が巡っていくような感覚。
立ち眩みすら覚えた俺は、思わずその場にへたり込んでしまう。
そんな俺をからかうように、赤色の中のミレが少し長めに「ナアー」と鳴いた。
ああ、いや。赤色の中、とは言ったが、正確には違うか。
何故なら、ミレの隣には――白い彼岸花が、一輪だけ咲いていたから。
誰にも迎合せず、孤独に自らの色を主張するように。
それでいて、皆と同じ風に揺られ、皆と同じ群れの中に身を置きながら。
「……そっくりだな、誰かさんと」
白い猫と、白い花と。
気付けば俺は再び立ち上がって、そのツーショットにスマホのカメラを向けていた。
そういえば、折角一緒に来たのに、まだ一枚も写真を撮って無かったな、と。
「この景色を見た
案外、同じ色のお仲間に出会って、浮かれて。『折角だからわたしとこの子も撮りなさいよ』なんて、そんなことをアピールしようとしていただけなのかもしれない。
感傷に浸る人間よりも、人間っぽいことを想っていただけなのかもしれない。
「分かったよ。撮ってやるから、終わったらすぐ戻ってこい。毒があって怖いんだからな、その彼岸花ってのは――」
そんなぼやきに返ってきた「ナァ」に合わせて、俺は数度、シャッターを切るのだった。
今度はもう、見失ったりしないように。
*
だけど。
*
ミレと彼岸花を満足行くまで撮っていると、すっかり薄暮れ時に入ってしまっていた。
少しでも気を緩めれば、またはぐれてしまいかねない。そう判断した俺は、ミレを拾い上げ、公園を後にすることに決めた。
車に乗って元来た坂道を下り、柚香と駄弁りながら来た大通りを遡っていく。ちょうど一般人の帰宅ラッシュにぶつかったのか、往路よりも少しだけ時間がかかった。
そのまま家に戻ろうとしたところで、今日の晩飯が無いことを思い出した。
「悪い、ちょっと寄り道させてくれ」
助手席へそう伝えて、家から最寄りのコンビニに車を停める。
二週間前、ミレと初めて会ったコンビニだ。
自分用には適当な弁当でも買って、コイツにも魚肉ソーセージか何かを買ってやるか。……そんなことをぼうっと考えながら、もたもたと車を降りてしまったのがまずかった。
「あっ、おい、勝手に出てくるなっ」
中途半端に開いたままだった運転席のドアから、するりと白い影。
ソイツは軽やかな足取りで、コンビニの入口へ向かっていく。
俺が制止する声も効かず、あの日のように。
丁度、自動ドアが開いて中から人が出てきた。中学生くらいの女の子と、その母親らしき二人組。ミレのことだから、間違ってもその人たちに飛び掛かるなんてことはしないはずだし、上手くいけばその母娘に足止めしてもらえるかもしれない。
そう思い、声を掛けようとして、
「……ソラ!?」
「……ほんとだ! ソラ、私だよ、ソラ!!」
俺は、見てしまったのだった。
目の前で、ミレだったはずの白い猫が、その
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